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砂の散開星団~元魔王に拾われた闇堕ち勇者は寵愛で運命を覆す~  作者: 瀬那つくてん(加賀谷イコ)
運命の勇者

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【24】葬り去られ、忘れられて

 腕の中ですよすよと眠る少年を眺め、この世界に平穏がもたらされたことを実感する。かつて平和を願い、苦痛に耐え忍び、自らを省みることなく戦い続け、運命を捻じ曲げられた勇者。こうして瞳を閉じれば、ただの子どもと何も変わらない。星屑さえなければ、ただの子どもであったのだ。

 さて、と静かに起き上がる。そろそろ部屋に戻してやらなければ、朝が大変なことになるかもしれない。慌てふためく姿を見てやってもいいが、朝から消耗させる必要はないだろう。

 ゆっくりと抱き上げても起きる様子はない。深く眠っているようだ。このまま朝まで健やかに眠れば、少しでも心の平穏を取り戻すことができるかもしれない。ムルタへ来てから、よく眠れていないらしい。いつも顔色が悪いのはそのせいだろう。

 頭が落ちないように抱え、寝室を出る。そのとき、ピリ、と肌が痺れた。

「……貴様。どこからここへ入った」

 威嚇の声に、影が揺らめく。ここにあってはならない存在がこちらをめつけていた。

『その子を寄越せ。宝玉は世界王国にあってこそ相応しい』

 ざらついた声が言う。耳の奥を震わせるような不協和音が実に不快である。いままでこれがフェリクに纏わり付いていたのなら、それは形容しがたい不吉さであったことだろう。

「失せろ」

 レフレクシオの威圧に、影が微かに揺らぐ。それでも、その闇はフェリクだけを見据えていた。

『貴様……――』

 影の言葉が途切れる。鋭く研ぎ澄まされた切っ先が影を捉えていた。

「静かにしな。坊ちゃんが起きちまうだろ」

 アンブラが剣をひと振りすると、影は塵のように消えていく。ようやく平穏な夜が戻ったことにも気付かず、フェリクは静かに寝息を立てていた。

「いやー、ここまで入られるとは」

 剣を鞘に納めたアンブラがのん気な口調で言うので、レフレクシオは溜め息を落としつつフェリクの寝室に向かう。

「それはこちらの台詞だ」

「相手は腐っても世界王国」と、アンブラ。「対して自分はただの影。戦力差は否めないっスよ」

 アンブラの服は薄っすら汚れている。アンブラが世界王国の手下からこの城を守っていることは、影を捉えることができない者たちは知らないことだ。それはフェリクとミリアにも気付かれていない。気付かれてはならないのだ。

「それにしても」

 アンブラの口調が変わるので、レフレクシオは顔をしかめた。

「ついに一夜をともにするようになったんスね」

 楽しむようにアンブラは言う。案の定、とレフレクシオは深く溜め息を落とした。

「私の部屋で眠りに就いただけだ」

「はあ? まさか……まだ何もしてないんスか?」

 アンブラが呆れたくなる気持ちもよくわかるが、レフレクシオは事を急くつもりはない。なんと言われようと、それを曲げるつもりはなかった。

「何もしていないわけではない」

「陛下……あんた……」

「静かにしろ。小僧が起きる」

 アンブラが溜め息を落とす。レフレクシオは、アンブラに余計な世話を焼かれる筋合いはなかった。

「精神面の安定が先だと言っただろう」

「それにしたって……。まあ、自分たちが口を挟んでもしょうがないっスけど。でも、そんなんじゃいつ誰に奪われるかわかんないっスよ」

「黙っていろ。決めるのは小僧だ」

「相変わらず優しいっスね」

 アンブラの声は呆れの色を湛えているが、なんと言われようと信念を曲げるつもりはない。フェリクにとって何が最善なのか。レフレクシオにわからないのなら、アンブラが知る由はないのだ。

 フェリクは気の抜けた、穏やかな寝顔をしている。まるで何も知らない子どものように。だが、それでいい。何も知る必要はない。何も見なくていい。ただ、守られていればそれでいいのだ。



   *  *  *



 ――駄目だ、待ってくれ。

 重い体を引き摺る。もう立ち上がることができない。

 ――駄目だ、ダメだ。それに触れないでくれ。

 懇願する声は、風に掻き消されるように弱々しい。それが届く者はないのだろう。

 ――誰か……誰か……。

 いくら望んでも、この手が掴み取るものは何もない。ただ空を彷徨うだけで、すでに力を失っている。

 ――ああ、痛い……痛いよ……。

 ――みんな……みんな、嘘吐きだ。

 涙はすっかり枯れ果ててしまった。いくら流そうとも止められず、止まらず。すでに意味を成さない。

 ――ああ……こんな世界、大嫌いだ……。

 最後の声が響く。それは虚空に消える。負った傷と、釣り合わない失望が、心の中で暗く渦巻いている。もう、この世界に用はなかった。



   *  *  *



 フェリクが目を覚ますと、自室のベッドで横になっている。昨夜はレフレクシオの寝室で眠りに就いたはずだが、寝ているあいだに運んでくれたらしい。

(また触れられただけで気を失って……だけでじゃない! そんなこと考えるな!)

 自分の頬を叩き、頭の中に浮かんだものを振り払う。そうすることで、頬が帯びる熱を冷ますことができるような気がした。気がしただけであった。頭の中は、そう簡単に切り替えられるものではない。

 ――お前はいずれ私のものになる。

 ――フォルトゥナのことを考える隙もないくらい、私が愛してやる。

 レフレクシオの言葉と表情を思い出す。途端、駄目だよ、と心の声がした。

(僕に愛される資格なんてない)

 そっと左の目元に触れる。それは自分の願望が見せるだけの幻影かもしれない。宝玉がある限り、自分が望んだものは手に入らない。自分の力で得たものではない。

(愛される資格なんて……)

 ひとつ息をつき、朝の支度を始める。髪を整えるために覗き込んだ鏡台に映る自分に、ぎゃあ、と思わず声を上げた。



 レフレクシオもミリアも、すでに朝食を済ませたらしい。余程よく寝てしまったようだ。手早く食事を済ませ、フェリクは牧場に出る。澄んだ空気を肺いっぱいに吸い伸びをすると、清々しい朝を全身で感じることができた。

「フェリク、おはよう」

 かけられた声に振り向くと、ミリアが軽く手を振る。その手には鞭があり、牧草地にはすでに山羊が放たれていた。やはり自分は寝過ぎたらしい、とフェリクは昨夜のことを思い出さざるを得なかった。

 フェリクはミリアとともに鶏小屋に入る。ふたりが餌を撒くと、集まった鶏たちは色めき立った。そのあいだに小屋の中を掃除し、卵を収穫する。

 ひと段落つくと、ふたりは馬小屋に移動した。愛馬たちの手入れをする時間だ。

 愛馬ソアラにブラシをかけながら、ミリアがふと言った。

「なんだか顔色が悪いね」

「うーん……何か変な夢を見た気がする」

 夢の内容はいつも覚えていない。それでも、目覚めた頃に不思議な気分になることが多かった。

「王様に添い寝してもらってるんじゃないのかい?」

 ミリアはなんの気なしに言うが、フェリクはまた昨夜のことを思い出して顔が熱くなる。フェリクのそんな表情に、ミリアは呆れたように目を細めた。

「ほんとに初心(うぶ)だねえ」

 ミリアが言いたいことはわかる。それでも、フェリクはどうしても赤面するのを堪えられなかった。

「蒸し返すようで悪いけど、ディナにそういう感情を懐いたことはなかったのかい?」

 かつての幼馴染みを思い返す。いつも明るい笑みを浮かべていたディナを思い浮かべて、うーん、とフェリクは首を傾げた。

「どうかな。ディナとは長い付き合いだったけど、わからないな」

「少なくとも、ディナに触られたときはそんな顔はしてなかったよ」

「面白そうな話してるじゃん」

 本当に面白そうとは思っていないような声で言いながら、アンブラが馬小屋の外から顔を覗かせる。フェリクはなんとなく気まずい感覚に口を噤んだ。

「ディナってあのときの女の子の騎士だろ。なかなか良い太刀筋をしていたな」

 かつてのフェリクの故郷であるアロイ村で、ディナは剣道場に熱心に通っていた。ラエティティアの騎士になる夢は、いまも懐き続けているのだろうか。

「でも、こんな話、陛下に聞かれたらまずい――」

「何がまずいと言うのか」

 低い声に、フェリクとアンブラは表情を固める。馬小屋に入って来たレフレクシオが目を細めるので、えっと、とフェリクは視線を彷徨わせた。それから、ルークスの手綱を取る。

「ちょっとルークスを走らせて来る!」

 脱兎の如く、フェリクは馬小屋を飛び出した。背後でミリアが呆れるのがわかった。



 フェリクは町を飛び出し、平原に出る。ルークスの手綱を走らせて草原に放つと、大きく息を吐いた。

(僕ばっかりドキドキして、こんなのズルい……)

『ズルいのはキミのほうじゃないかな』

 不意に耳元で聞こえた声に、フェリクは肩を跳ねさせる。その声は、フェリクの背筋を凍らせた。

『忘れたの? キミは運命の勇者。魔王の寵愛を受けるなんて、変な話じゃない』

 心臓が痛いくらいに跳ね上がる。惑わせるような声に、辺りを見回した。そこは穏やかな平原が広がっているだけで、ここに在ることが不自然な声の主は見当たらない。

「誰⁉」

『さあ、誰だろうね』

 嘲笑を湛えた声は、フェリクが振り向いた別のほうから聞こえる。嫌な汗が背筋を伝った。

『キミはきっと、いずれ誰の記憶からも消える。葬り去られ、忘れられる。そのとき、愛になんて意味はあるのかな』

 纏わり付く声に、呼吸が苦しくなる。どうして、と心が警鐘を鳴らした。その声は、フェリクを不吉な予感にさせる。この声には聞き覚えがある。だが、いまのフェリクには聞こえないはずの声。

「坊ちゃん!」

 背後から呼び掛けられて振り向くと、木の陰からアンブラが立ち上がる。その表情は険しくしかめられていた。

「いま、誰と一緒にいた」

 その問いに、フェリクは答えることができなかった。手が震え、言葉が詰まる。ただ、困惑と恐怖だけがフェリクを支配していた。



   *  *  *



「残っていたのは、世界王国の魔力ではありませんでした」

 アンブラの報告を聞き、レフレクシオは溜め息を落とす。アンブラが奇妙な魔力を感じ取りフェリクのもとに辿り着いたときには、その魔力は跡形もなく消えていたらしい。

「小僧はどうしている」

「ミリア姫と一緒にいます。酷い怯えようっスよ」

 アンブラはすぐにフェリクを保護し、城に戻って来た。ミリアとともに私室に戻るまで、震えて言葉を発することはなかったらしい。

「世界王国の者でないなら……」

「残留思念の類い、っスかね。いまだに坊ちゃんに纏わり付くものがあるってことっスわ」

 フェリクの異変に先に気付いたのはレフレクシオだった。何か不吉な予感がし、アンブラを送り込んだ。その瞬間に残留思念は逃げおおせたのだろう。

「魔力回路を繋ぐことは考えてないんスか?」

「いまはまだその段階ではない」

「急いだほうがいいかもしれないっスよ」

「わかっている」

 己の無力さに腹が立つ。愛する者ひとりすら守れない人間に、国を守る能力があるはずはない。フェリクはいまだ、何かに苦しんでいる。その何かから解放するためにムルタに連れて来たというのに、いまだフェリクの精神は安定しない。こうして何かに纏わり付かれているのだ。その正体が掴めなければ、フェリクを救うことはできない。宝玉がなければこんなにも役立たずなのだと思い知らされるようだった。




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