【18】導かれし魂
かつて美しさと荘厳さを湛えていた王宮は、見る影もなく崩れている。あちらこちらに魔物の気配が溢れ、ラエティティアを象徴する王宮とは思えなかった。
瓦礫の中に足を踏み入れると、焦げた匂いが漂っている。豪華だった絨毯は瓦礫の破片で穢れている。少し歩くだけで砂埃が鼻を突いた。
「酷い」エリオが呟いた。「ここが本当に王宮なのか……」
「間違いないよ。あそこ」
フェリクが指差した先に、崩れた石碑の建つ中庭がある。美しい花々と幻想的な蝶に囲まれていた場所だ。その場所はフェリクもよく覚えている。ムルタの王レフレクシオと邂逅した場所だ。
「レフレクシオはきっと最上階よ」と、ミコ。「行きましょ」
フェリクを先頭に、ディナとウォルズが続き、しんがりはエリオが務めた。
壁の崩れた階段を上っているあいだ、フェリクは辺りに意識を集中する。魔物の気配はなく、ただ、強大で邪悪な魔力が渦巻いていることだけが感じられた。
フェリクは、ひとつ階段を上がるたびに、緊張して体が強張るのを感じた。仲間に悟られないよう静かに深呼吸を繰り返すが、心臓は痛いほどに高鳴っていく。
不意に、ディナが優しくフェリクの手に触れた。隣を歩いていたディナを振り向くと、ディナは困ったように薄く笑う。
「なんだか……緊張しちゃって」
フェリクの手に添えられたその手は、微かに震えていた。それだけで、ディナの緊張が伝わってくるようだった。ディナの手を握り返しながら、フェリクは少しだけ安堵していた。みな同じ気持ちなのだ、と。そう思った途端、強張っていた体の力がほんの少しだけ抜けるように感じられた。
いくつかの階段を上ったあと、フェリクには目的の場所がすぐにわかった。大きな両開きの扉。王座の間だ。
「きっとレフレクシオはこの奥にいるわ」
ミコの声にも緊張感が湛えられている。フェリクは小さく頷き、仲間たちを振り向いた。仲間たちは強い意志を持ち、フェリクに頷きかける。フェリクも頷き返し、扉に手をかけた。重い扉は軋む音を立て、ゆっくりと開く。禍々しい空気が肺に押し込んで来るようだった。
「……よくここまで辿り着いたな、小僧」
低い声が響く。咄嗟に各々の武器に手を添えるフェリクたちに、悠々と王座に腰掛けるレフレクシオが口端をつり上げた。
フェリクはハッとその頭上を見上げる。半透明のクリスタルにフォルトゥナ姫が封じ込められていた。
「フォルトゥナ姫!」
フェリクの声に、フォルトゥナがゆっくりと目を開く。澄んだ紫色の瞳は、フェリクを捉えると同時に光を取り戻した。
「フェリク……!」
そのとき、フェリクの左目が疼いた。それに呼応するように、レフレクシオの右目が星屑を湛える。
「ようやく、欠片が集まった」
不敵な笑みを浮かべるレフレクシオが立ち上がると、フェリクは愛剣を手に取った。仲間たちも各々の武器を手に構える。
「滅びゆく貴様らには不要のものだ。世界樹の種は、王の手中にあってこそ相応しい」
レフレクシオが腰に携えていた巨大な剣を取り、大きく振り下ろす。重苦しい波動がフェリクたちのあいだを吹き抜けた。
「なんて禍々しいの……!」ミコが声を上げる。「種が完全に闇に支配されているわ!」
フェリクは剣で波動を振り切り、駆け出した。フェリクが振り下ろした剣を巨大な剣で受け止め、そのままフェリクを突き飛ばす。フェリクがバランスを失った隙を見逃さず、レフレクシオは再び剣を振り下ろした。その一撃は、フェリクの前に飛び出したウォルズによって受け止められる。
「ラエティティアを好きになんてさせねえぜ!」
唸るような雄叫びを上げ、ウォルズは力を込めた腕でレフレクシオを突き飛ばす。勢いを持ったまま剣を振り下ろすが、いち早く体勢を持ち直したレフレクシオに蹴り飛ばされてしまう。
「貴様らに何ができると言うのだ。力なき人間よ」
「力ならあるわ!」
凛として言ったディナが、レフレクシオの背後から剣を振り下ろした。レフレクシオが身を捻ってそれを躱すと、再び切っ先を振りかざす。
「魔王が復活するたびに勇者が生まれ、私たちが導かれるなら……私たちにだって、ラエティティアを守る力がある!」
レフレクシオは忌々しく眉をひそめると、ディナの剣を受け止め、そのままの勢いでディナを突き飛ばした。
フェリクは再び立ち上がり、研ぎ澄まされた切っ先をレフレクシオに向ける。それがレフレクシオに届くことはなく、巨大な剣がフェリクを突き飛ばす。その一瞬、振り下ろされたエリオの剣が、レフレクシオの肩口をかすめた。レフレクシオは振り向きざまに剣を振り上げるが、エリオは跳躍してそれを躱す。
「魔王が復活するたびに勇者が生まれるなら、ラエティティアに存在してはならないのは貴様のほう……滅ぶべきは魔物だ!」
その言葉に、レフレクシオは声を立てて笑った。
「魔王が復活するたびに勇者が生まれるのではない。勇者が生まれるたび、魔王が復活するのだ。つまり、魔王を復活に導いているのは勇者だ。わからんか? 神々がこの戦いを望んでいるのだ」
「そんなこと、あるはずないじゃないか!」
声を上げたミリアを振り向き、レフレクシオは目を細める。
「勇者は……フェリクは、ラエティティアを平和に導くんだ! 世界樹の種が、あんたの手に渡っていいはずがない!」
「……愚かなる娘よ。貴様はものを知らんな」
ミコに頭を叩かれて再び剣を構えたフェリクは、レフレクシオの声がほんの少しだけ柔らかくなるのを感じた。レフレクシオは、ミリアを憶えているのだ。
「世界樹の種は、私を認めた。これがどういう意味かわからんのか?」
「…………」
「勇者がラエティティアに生まれるたび、魔王は力を取り戻す。わしが滅ぶべき存在であるなら、なぜ神々は私を殺さんのだ。神々は魔王と勇者を戦わせ、高みの見物で楽しんでいるではないか」
「そんな……!」
「……それなら」フェリクは剣を握る手に力を込める。「僕が、その輪廻を断ち切ります」
「ふん……貴様にそれができるのか?」
フェリクは駆け出した。レフレクシオに向け、剣を振りかざす。レフレクシオが剣の腹でそれを受け止めたとき、ミリアの短剣がレフレクシオの頬をかすめた。
「そのために戦うのは、あたしたちだって同じだ!」
「……種を持たぬ貴様らに、何ができると言うのだ」
レフレクシオはミリアに向けて手をかざした。その手のひらから波動が放たれ、ミリアを襲う。咄嗟に駆け出したディナがミリアを突き飛ばし、波動を真面に食らった。吹き飛ばされたディナは、壁に体を打ち付け倒れる。
レフレクシオが気を取られたその隙を突き、フェリクはその背中に一閃を叩き込んだ。レフレクシオは忌々しくフェリクを振り返り、再び星屑の力を湛えた波動を放ちフェリクを吹き飛ばす。その一瞬、ウォルズがレフレクシオに向けて剣を振り下ろした。レフレクシオは身を捻ってそれを躱し、ウォルズに向けて切っ先を振り下ろす。ウォルズは素早く体勢を持ち直し、その一撃を受け止めた。
「ちっぽけな人間だってなあ……! 何人も集まりゃ、でけえ力になるんだぜ!」
「ふん……戯言を」
「戯言かどうかは、やってみなければわからないだろう」
レフレクシオの背後にエリオが回り、剣を振り下ろす。その切っ先はレフレクシオの肩を裂き、鮮血が噴き出した。フェリクは再び駆け出し、体勢を崩したレフレクシオに剣を突き出す。フェリクの星屑を湛えた瞳が、眩い光を放った。それは剣に集中し、レフレクシオの体を貫く。レフレクシオは吐血し、その場に崩れ落ちた。フェリクは震える手で剣を抜き、荒い呼吸を繰り返した。
これで終わった。これで……――。
大きく息を吐いたフェリクに、弾けて散ったクリスタルからフォルトゥナが解放される。フォルトゥナはフェリクに駆け寄り、その手を取った。
そのとき、レフレクシオの星屑が眩い光を放つ。それはレフレクシオの体を包み込み、その体を肥大化させる。それは魔王を獣へと変貌させ、耳の奥を貫く咆哮を上げた。その衝撃に、王宮が大きく揺れる。エリオがフォルトゥナを抱えたとき、天井が崩れ、フェリクを仲間たちから切り離した。
「フェリク!」
ディナが声を上げる。瓦礫は容赦なくフェリクと仲間たちのあいだに積み重なった。フォルトゥナが手のひらをかざすが、その光は辺りを覆う邪悪な魔力に掻き消される。それはミコも同じことだった。
「フェリク!」
手を伸ばしたディナをウォルズが抱え上げる。フェリクは為す術もなく、瓦礫により形成された空間に取り残された。獣は荒く息を吐き、鋭い目はフェリクを捉える。
フェリクにとって、これからが本当の最後の戦いだった。




