【14】聖域への扉
矢を番え、左目に意識を集中する。星屑の瞳から腕を伝う光が矢に灯った。ミコの目印を頼りに、水面に飛び出した水龍に向けて矢を放つ。水龍は身を捩ってそれを躱し、再び水の中へ姿を消した。フェリクは再び弓を構え、矢に魔力を込めた。しかし水龍が再び顔を出したのは、フェリクの足元だった。水龍の突進に崩れる足場を跳躍で離れ、別の足場に着地する。矢を番える間もなく水龍はまた水中へと身を隠してしまった。
(くそっ……このままじゃ……!)
水面から飛び出しフェリクに狙いを定めた水龍が、突如として甲高い声を上げて身を捩る。その身体には二本の短剣が突き刺さっていた。
「フェリク!」
眼下に視線を向けると、狭い足場にミリアの姿があった。
「あたしがこいつの気を引く! その隙に撃ちな!」
「わかった!」
ミリアは水面に意識を集中させる。フェリクは矢を番え、その瞬間を待った。水龍の狙いはミリアに向かっていた。軽く跳躍して足場を移ったミリアが、水龍に向けて短剣を投げる。短い悲鳴を上げる水龍に、フェリクは星屑の魔力を纏わせた矢を放った。それは水龍の右目に突き立てられ、水龍は身を捩りながら水中に飛び込んで行く。
「あとは左目だけよ!」
ミコがフェリクの頭上で言う。水中には水龍の右目から流れる緑色の血でその軌道がはっきりと見て取れた。その動きに合わせてミリアが足場を移動する。フェリクは緑を目で追い、狙いを研ぎ澄ませる。ミリアの足元を目掛けて姿を現した水龍は、高く跳躍したミリアの短剣を真面に食らい、その動きを止めた。その瞬間、フェリクは宝玉の力を宿す矢を放つ。それは水龍の左目を貫き、身を捩った水龍は低い雄叫びを上げ、激しく水面に体を打ち付けた。そのまま水底へと深く沈んで行き、上がって来ることはなかった。
「……やった……」
フェリクは大きく息を吐き、弓を腰に装着する。ミリアが足場を移ってフェリクのもとへ来る中、ミコが安堵の表情でフェリクの顔を覗き込んだ。
「あんたたち、良いコンビじゃない。それとも、レイムが力を抑えてくれていたおかげかしら」
そのとき、フェリクの体は光に包まれた。目の前が真っ白になったかと思うと、一瞬にして神殿へと降り立った。そばにはミリアの姿もある。そこへ、青いローブの男性が歩み寄った。
「おふたりとも、ありがとう。水龍が滅び、私も奪われていた力を取り戻すことができました」
「へえ、こいつが水の管理人?」ミリアが言う。「いい男じゃないか」
水の管理人レイムは優しく微笑む。魔力を取り戻したその瞳から憂いは消えていた。
「水の管理人」フェリクは言う。「レフレクシオは、宝玉を狙っているんでしょうか」
「おそらく」と、レイム。「やつもあなたと同じように、宝玉の持ち主であります。しかし、欠片では満足しないでしょう。完全なものとなれば、宝玉はレフレクシオの望みを叶える道具となります」
フェリクは、ラエティティアの王宮でレフレクシオと対峙したときのことを思い返す。レフレクシオの右目に宿った星屑。欠片となった宝玉は邂逅した。レフレクシオはフェリクの宝玉を狙っているだろう。
「……じゃあ……」
絞り出すような声でミリアが言うので、フェリクとレイムは振り向いた。その表情には、怒りや悲しみに似た色が湛えられている。
「王様が変わっちまったのは、宝玉のせいってことなのかい⁉」
「一概にそうだとは言えません。ただ、すべての元凶は、聖地への扉が開いてしまったことなのです」
静かに言ったレイムに、ミリアは眉をひそめる。フェリクはかける言葉が見つからなかった。
フェリクは、レフレクシオはムルタの民にとった良き王だったのだと考える。しかし、レフレクシオは変わってしまった。
「宝玉は聖域に存在し、光の巫女によって管理されていました。宝玉は触れた者の望みを叶える。ですが、相応しくない者が触れると、宝玉はマナを失い、聖域から散ってしまう……。聖域に足を踏み入れた者が、宝玉に触れるに相応しくない者だったのです」
「聖域の扉のもとには光の神官がいたはずよ」と、ミコ。「その目を掻い潜ったってことなのね」
「はい。聖域へ立ち入ることは禁忌……。その者は罪を犯したのです」
「……光の神官の目を盗んで聖域に足を踏み入れることが可能だとすれば……」
ただの思い付きではない考えが脳裏に過り、フェリクは信じたくない思いとともに呟いた。そんな彼らに、ミリアはじれったそうに眉尻を吊り上げる。
「そいつはいったい誰なのさ! そいつのせいで、王様は変わっちまったんだろ⁉」
「…………」
「教えなよ! あたしがそいつをぶっ飛ばしてやる!」
「ミリア」
静かに呼び掛けるフェリクの声で、ミリアは握り締めていた拳を下げる。レイムは憂いを帯びた瞳でミリアを見つめた。
「その者が償わなければならない時が、必ず来るでしょう。宝玉が失われたことにより、ラエティティアの運命は……あなたたちの運命も、変わってしまった」
ミリアが再び口を開こうとするのを、フェリクは優しく制する。ミリアは遣りどころのない怒りを吐き捨てるように舌を打った。
「それは、すべての戦いが終わったあとのこと。いまは、レフレクシオが宝玉の力を覚醒させることを防がなければなりません。あなたはラエティティアを救う唯一の勇者。そのときまで、どうかご武運を」
レイムは袖に両手を入れ、深く辞儀をする。その瞬間、フェリクとミリアを光が包んだ。フェリクはこの場所での使命を果たしたのだ。
* * *
光が収まると、そこはロージー村だった。ようやく戦地を離れられた安堵で、フェリクは大きく息を吐く。ミリアはまだ納得できないような表情だった。
かける言葉が見つからないフェリクのもとに歩み寄って来る者がある。エリオだった。
「魔物を倒したようだな。水の管理人には会えたか?」
「うん」フェリクは頷いた。「……エリオ、フォルトゥナ姫は無事だろうか」
「どうだろうな。だが、きっとご無事だ。だからお前は、いまは大魔王を倒すために力をつけろ」
「……そうだね」
「……大魔王を倒す、ね……」
ミリアがそう呟いて背を向けるが、フェリクは呼び止めることができなかった。
* * *
翌日、フェリクはロージー村を発つための支度をした。再びの一時的な別れに、子どもたちは悲しそうな表情をしている。
「もう行くのか」
ジェドが歩み寄って来る。フェリクが頷くと、ジェドは何かを差し出した。
「森の神殿の鍵だ。長老のこと、頼んだぞ」
「うん」
「俺たちも、もう少し落ち着いたら村に帰る。どこかでウォルズに会ったら、アロイ村に戻るように伝えてくれ」
「わかった」
アロイ村の民に見送られ、フェリクはロージー村を出た。心を穏やかにしてくれる民との別れに後ろ髪を引かれるが、フェリクには、行かなければならない場所、会わなければならない者がある。ここで足を止めるわけにはいかなかった。
平原へ出ると、ラエティティアを覆うような黒い雲がその近辺を冒す様子が見て取れた。レフレクシオの力は、確実にラエティティアを蝕んでいる。
不意に背中を押され、フェリクは振り向く。それは黒い毛並みの馬だった。
「お前、どうしてこんなところで……」
「あんたを待っていたのさ」
軽快な声が聞こえ、木の陰からミリアが顔を出す。その表情は明るかった。
「あたしも連れてっておくれよ」
「駄目だよ」フェリクは言った。「他人を巻き込むわけにはいかない」
「勘違いするんじゃないよ。あんたに付いて行けば、お宝に巡り合えそうだから付いて行くのさ!」
「余計、駄目だよ。遊びに行くんじゃないんだよ」
「わかってるよ、勇者サン。あたしの実力は、水龍戦でわかっただろ?」
確かに、とフェリクは心の中で独り言つ。ミリアの力がなければ、あの戦いに勝利することはできなかったかもしれない。
「連れてってあげたらいいじゃない」ミコが言う。「ひとりで戦うより、仲間がいたほうが心強いわ」
「……わかった。でも、危険だと思ったらすぐに引き返してもらうよ」
「わかってるよ!」
ミリアは明るくわらっているが、フェリクの戦いが厳しいものであることは、先の水龍戦でよくわかっているだろう。ミリアなら自分で自分の身を守ることもできるはずだ。
「それで、次の目的地はどこなんだい?」
「アロイ村だよ。村にある神殿に行くんだ」
「あんたの故郷だったね」
「うん」
早速、とミリアは愛馬に跨る。徒歩であるフェリクに合わせるため、ゆっくりと歩き出した。フェリクの愛馬ルークスはまだ見つかっていない。フェリクは自分の足で歩くしかなかった。
「そんなチンタラ歩いてたら」ミリアが言う。「村に着く前に日が暮れちまうよ」
「あんたも馬を借りて来ればよかったのに」
「駄目だよ。ルークスを見つけなくちゃ」
「それがあんたの馬の名前なのかい?」
「そう」
ジェドが牧場の手伝いをさせるためにフェリクに与えたルークスは、なかなか人に懐かなかった。出会ったばかりの頃は、フェリクも乗りこなすことに苦労した。時間をかけて接していくうちに、ルークスはフェリクに心を開いていった。ディナには触れることを許していたが、背中に乗せるのはフェリクだけだった。それからフェリクは、自分が乗るのはルークスだけと決めている。
「愛馬を大切に思うのはいいけど」と、ミコ。「あんたの体力が続かないわよ?」
「牧童を甘く見ないでよ、ミコ。これでも体力には自信があるんだ」
「あら、そう。でも、魔物と戦う前に体力を使い果たすようなことにはならないでよね」
「わかってるよ」
幸いにも、この近辺に魔物はいないらしい。このまま魔物に出くわすことなく順調に進められれば、夜にはアロイ村に到着するだろう。村に魔物が入り込んでいなければ、一時的に休むこともできる。
「思ったんだけどさあ」ミリアが口を開いた。「あんたは、どうして勇者をやってるんだい?」
「どうしてって?」
「あんたの周りの人の話を聞いた限りじゃ、あんたが勇者になったのは必然じゃなかったみたいじゃないかい? 本当なら、あんたは戦わなくてよかったんだろ? それなのに、どうして戦うんだい?」
「…………」
フェリクは、戦う道を選ばざるを得なかった。そうしなければ、ラエティティアはレフレクシオに支配され、いずれ滅びの道を辿ることになる。フェリクが勇者として覚醒したのは、それを食い止めるため。そうでなくても、フェリクには、ひとつ大きな理由があった。
「大切な人を守るためだよ」
薄い笑みを浮かべて言ったフェリクに、ミリアはきょとんと首を傾げる。
「それだけかい」
「それだけで充分だよ」
まるで自分に言い聞かせるような言葉だと思いながらも、フェリクはそう呟いた。
そのとき、ぎゃあぎゃあと騒ぐ魔物の声が背後から近付いて来る。狼に乗ったゴブリンが獲物を見つけ、歓喜の表情で近付いて来るところだった。その姿に、ミリアが舌を打つ。
「面倒なのが来たね」
ミリアは馬の腹を蹴り、腰に携えていた短剣を手に魔物へと向かって行く。フェリクも弓を手に取った。馬を持たないフェリクでは、狼の足に追い付くことはできない。
ミリアが短剣でゴブリンを討つ中、フェリクは矢で狼を狙った。しかしその動きは素早く、なかなか狙いが定まらない。ミリアの短剣は確実にゴブリンを落として行くが、狼は自分の足で動くしかないフェリクを狙う。接近した狼を剣で下し、フェリクは唇を噛んだ。
(このままじゃいずれ追いつかれる……!)
そのとき、フェリクに追いすがる狼を何かが突き飛ばした。驚いて振り向いたフェリクの前に飛び出したのは、愛馬ルークスだった。
「ルークス!」
乗れ、と言わんばかりにフェリクの前で足を止めたルークスに、フェリクは素早く跨った。駆け出したルークスの背で、フェリクは剣を持ち直す。向かって来るゴブリンを斬り付け、足元を狙う狼を蹴散らした。
「ミリア!」
ルークスの腹を蹴り、フェリクは呼び掛ける。ミリアもひとつ頷き、馬の腹を蹴った。
追いすがるゴブリンを突き放し、二頭はぐんぐんと魔物から離れて行く。アロイ村の方面に向かい、二頭は駆ける。
しばらく走ったところで、フェリクは手綱を引いてルークスの足を止めた。ミリアもそれに続き、辺りを見回す。
「上手く撒いたみたいだね」ミリアが息をつく。「そいつがあんたの愛馬かい?」
「うん。まさか平原の真ん中で会えるなんて」
フェリクが頭を撫でてやると、ルークスもどこか嬉しそうに鼻を鳴らす。
「これで移動が楽になるわね」ミコが言った。「矢もなくなっちゃったし、また魔物に会う前にアロイ村に入っちゃいなさいよ」
「うん。ミリア、行こう」
「あいよ」




