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【11】命の契り

 深いようで浅い眠りから覚めると、窓の外はまだ薄暗かった。牧場の向こうに日が昇り始めているのが見える。またこんな時間に目が覚めてしまった、と思いつつベッドから降り、フェリクは上着を羽織った。すでに眠気が醒めてしまっている。少し城内を散歩しよう、と寝室を出た。

 まだ目覚める前の廊下は静寂そのもので、頽廃の頃を思い出させる。あの頃の城は床のほとんどが砂に覆われ、絨毯は見る影もなかった。壁もところどころ崩れ、冷たい空気が容赦なく吹き抜ける。いまの光景は、あの頃には想像もつかない姿だった。

 ふとバルコニーが目に入り、なんの気なしに大窓を開ける。砂漠でなくなったムルタの空気は温かい。まだ夜明け前だが、寒さは感じられなかった。

 眠りの中の町を眺めていると、ラエティティアに負けず劣らすの豊かな大地が目に入る。かつてムルタが求めていたものがここにある。宝玉の恩恵を受けるラエティティアの繁栄の裏で飢餓と貧困に冒されていた大地。ただの呪いでしかなかった神の贈り物が、こうしてムルタを生かしている。

 結局、この瞳から逃れる術はない。その事実を突き付けられる光景に、涙が溢れた。宝玉がムルタを蘇らせたこと。それは、フェリクが宝玉を捨てられない枷となっている。フェリクから宝玉が消え失せれば、ムルタの繁栄は閉ざされるのかもしれない。そう考えていると、宿命から逃れることのできない事実が胸を締め付けた。

「小僧」

 不意にかけられた声に、涙も拭わずに振り向く。バルコニーに出て来るのはレフレクシオだった。

「また泣いているのか」

 大きな手がフェリクの頬を撫でる。その手は温かく涙を拭った。

「お前はあのときから泣いてばかりだ」

 あのときのことは、フェリクもよく憶えている。きっと忘れることは終生、ないのだろう。

「レフレクシオ卿、どうしてこんな時間に?」

「忘れたか。私とお前は対の魂を持ち、命の契りを結んだ。お前がどこで何をしていても私にはわかる」

 それはレフレクシオの最期の祝福。あのとき、フェリクのすべてを終わらせたもの。

「あれはやり直す前のことなんじゃないんですか?」

「魂に刻まれた祝福は消えん。その忌々しい瞳のようにな」

 レフレクシオの指が左の目元に触れる。フェリクが捨てることのできない星屑の瞳。かつてレフレクシオも保有していたものだ。

「レフレクシオ卿はもう宝玉を持っていないんですよね」

「ああ。あの姫が運命を覆した際に消失したらしい。いまは完全な種としてお前に宿っているようだがな」

「そうですか……」

 安堵で呟くフェリクに、レフレクシオは呆れたような色を湛えて小さく笑う。

「お前は相変わらず人のことばかりだ」

 フェリクには、自分のことを顧みる余裕などなかった。いつも人々を救うことだけを考えなければならなかった。その癖は、この先も消えることはないのだろう。

「眠れないなら添い寝をしてやろう」

 そう言ってレフレクシオがフェリクを抱える。このまま寝室に連れて行くつもりらしい。

「添い寝、って……僕は子どもじゃないんです」

「十四は子どもだ」

 口端をつり上げるレフレクシオに、フェリクはムッと眉根を寄せる。

「僕は十六だったんです。成人していました」

「つまりいまは子どもだろう」

 ついに言い返すことができなくなったフェリクに、レフレクシオはまた不敵に微笑んだ。この人には敵わない。フェリクにそう思わせるには充分な笑みだった。



   *  *  *



 穏やかな寝息を立てる少年の顔を見つめ、レフレクシオはひとつ息をつく。

 なんだかんだと文句を言いながら結局、こうして健やかな眠りに就いている。それも、かつての敵の添い寝で。

 レフレクシオが体を起こすことでベッドが大きく揺れるが、フェリクが目を覚ます様子はない。深い眠りに落ちているらしい。こうして見ていると、ただの子どもにしか見えなかった。

(そう……ただの子どもだ)

 左目に宿した呪いが、フェリクをただの子どもでなくした。それがフェリクを狂わせた。最高神アーテルからの贈り物が最初の勇者アナスタシアをどんな運命に導いたか。それは想像に易かった。

 フェリクの寝室を出ると、背後に気配を感じた。ゆったりとした足取りで歩み寄って来る者がある。

「坊ちゃんの様子はどうっスか?」

「……アンブラか」

 ようやく昇り始めた陽が窓から射し込み、その姿を映し出す。短い灰色の髪の青年は、誰かに似た顔に試すような笑みを浮かべていた。

「随分と消耗しているようだ」

「そりゃそうっスよね。たった十六のガキが命を懸けた戦いに放り込まれたんスから」

 青年――アンブラはつくづくと呟く。その声に同情の色はなく、ただ事実として口にしているだけだ。

「神もむごいことをしますねえ。この場合は姫なのか。向こうは綺麗さっぱり忘れて」

 アンブラがのほほんと言うので、レフレクシオは小さく息をついた。

「何か用か」

「坊ちゃんの様子を見に来ただけっス」

「随分と気に入っているようだな」

「陛下とミリア姫ほどでは。剣で負けたことに腹が立っているだけっス」

 アンブラは顔をしかめる。それもただの事実であるのだが、いまだ根に持っているらしい。その執念深さは以前から変わっていない。それでもすぐに気分を持ち直し、でも、とアンブラは続ける。

「世界管理人が生まれる前の勇者たちは同じような目に遭って来たってことっスよね」

「そうだろうな」

「あれ、じゃあ世界管理人はいまどこに?」

「この大陸にはいなかったのだろう。もともと当てにならん」

 巡回の兵たちはレフレクシオを見掛けると恭しく敬礼をする。使用人の女たちは丁寧に辞儀をした。ひとりひとりに応えつつ、レフレクシオは自分の執務室に向かう。それに続くアンブラは、暇を持て余しているようにさえ見えた。

「世界樹の種を持つ勇者がここにいるのに、世界管理人はいない。世界王の考えることはよくわかんないっスね」

「世界王は神ではない。世界樹の意思と違えていたのだろう。我々には関係ないことだ」

 そこに在るのかどうかさえ掴むことのできない存在。そんな曖昧なものに思いを馳せるほど、レフレクシオも暇ではなかった。

「でも、これじゃいつ坊ちゃんが世界王に取られるかわかんないっスよ」

 欠伸を噛み殺しながら言うアンブラに、レフレクシオは鼻を鳴らす。

「言ったであろう。世界王は神ではない」

「まあ、自分は何があっても陛下について行きますけど」

 アンブラの声はあくまでのん気だ。レフレクシオにとって脅威ではないことは彼もわかっている。でも、とアンブラが声色を変えるので、レフレクシオは思わず溜め息が漏れた。

「ミリア姫だったらわからないっスよ?」

 案の定、くだらないことだった。二度目の溜め息を落とすレフレクシオに、アンブラは試すように笑っている。

「私が小娘に劣るとでも」

「わかんないっスよ~。ミリア姫だったら年齢も近いですし――」

「アンブラ」

 レフレクシオが言葉を遮ると、アンブラの表情が強張る。レフレクシオは横目でめつけ、低い声で言った。

「貴様……もう一度、消えたいらしいな」

「じ……冗談っスよ! 陛下と坊ちゃんは魂で繋がってるんスから!」

 慌てて言うアンブラに、レフレクシオはまたひとつ息をつく。アンブラは媚びるように笑ったあと、ふと真剣な表情になった。

「と言っても、余裕こいてはいられないっスよ。もうここに来てから一ヶ月じゃないっスか」

 アンブラが小言を漏らしたくなる気持ちはわかる。この一ヶ月、事は何も進展していない。それでも、レフレクシオは事を急くつもりはなかった。

「正常な精神を取り戻すのが先だ。弱みに付け込むのもつまらん」

「相変わらず愛情深いっスね~。自分だったらここぞとばかりに付け込みますけど」

「貴様こそ相変わらずよく回る口だ」

 また横目で睨み付けるレフレクシオに、アンブラは背筋を伸ばして敬礼した。

「じゃ、自分は城内警護に戻ります!」

 そそくさと去って行くアンブラを見送り、レフレクシオは何度目かわからない溜め息を落とす。怒りが湧くことが図星の証拠であることは、誰に言われるまでもなくわかっていた。

(最高神だかなんだか知らぬが、二度は負けん)

 この言葉が誰かに届くことはないのかもしれない。それでも構わない。

(貴様の寵児は私が貰い受ける)

 これは、自分に課す誓いのようなもの。二のてつを踏むことは許されない。次は負けるわけにはいかない。勝負はすでに、始まっているのだ。




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