【9】運命の勇者
「運命の勇者。あなたは本来の運命なら、魔王と戦う運命にはなかった……あなたの運命は変わってしまったのです」
光の司祭はあくまで冷静に言う。戦いを終えたばかりでまだ息の整わないフェリクは、その言葉に首を傾げて先を促した。
「この世界のどこかに存在する大地テラ。世界樹を有する聖域です。聖域には、普通の人間は足を踏み入れることができません。宝玉に触れることは叶わないのです」
宝玉は、触れた者の望みを叶える。しかし、相応しくない者が触れると、宝玉はマナを失ってしまう。世界樹の種としての本来の力が損なわれてしまうのだ。
「ですが、禁忌を冒した者がいました。その者が宝玉に触れ、マナを失った宝玉は散り、あなたと……レフレクシオに宿りました」
「どうしてレフレクシオに……?」
ラエティティアの王都を混乱に陥れたレフレクシオ。フォルトゥナ姫の力により逃げることのできたフェリクは、その行方を知らない。だが、フォルトゥナ姫とディナはレフレクシオに捕らえられているらしい。
「あなたが勇者の魂を宿しているように、レフレクシオは魔王の魂を有していました。宝玉は魔王の魂に引き寄せられ、レフレクシオを魔王として覚醒させました。それと同時に、勇者の魂を有するあなたの宝玉が、あなたを勇者として覚醒させました」
フェリクはまた左の目元に触れる。左目の星屑が世界樹の種であることは、アストラとカエルムから聞いていた。ただの生まれつきだと思っていたこの瞳は、世界樹の種を有する証。相応しくない者が触れマナを失った世界樹の種が、再びマナを溜めるまでフェリクに宿っているのだ。
「本来の運命であれば、種は覚醒せず、充分なマナを取り込めば聖域へ戻るはずでした。しかし……」
光の司祭の顔色が曇る。その表情に、フェリクは言い知れぬ不安を感じた。
「レフレクシオが暴走したことにより宝玉は覚醒し、あなたの宝玉は共鳴したのです」
フェリクはただの生まれつきだと思っていたが、レフレクシオはこれが宝玉であると知っていたのだ。その力を使い、ラエティティアの平和を脅かしている。
「禁忌を冒した者が宝玉に触れなければ、ふたりはただ魂を有するだけで終わりました」
「その禁忌を冒した者って誰なんですか?」
その者が宝玉に触れなければ、フェリクに宝玉が宿ることはなかった。それはレフレクシオも同じこと。宝玉が宿らなければ、ふたりは戦う運命にはなかったのだ。
「それは、私の口からは……。あなたに残酷な運命を背負わせたこと、申し訳なく思います」
そんな謝罪の言葉は、いまのフェリクにはなんの意味も為さない。フェリクの宝玉は覚醒してしまった。いまはもう、どうすることもできないのだ。
「ですが、私たちはもう、運命の勇者に縋るしかないのです。どうか、ラエティティアをお救いください」
フェリクは答えることができなかった。なんと答えたらいいのかがわからない。ラエティティアを救うということに、まだ実感が湧かない。そもそも自分が勇者であることが信じられていない。フェリクには、答えることはできなかった。
光の司祭は、手を袖に入れ頭を下げる。
「あなたに最高神アーテルのご加護があらんことを……」
フェリクの足元から光が溢れた。それは光の柱となってフェリクを包み、目の前が真っ白になる。軽い浮遊感のあと、光が消えるとともにどこかに着地する。それは神殿の入り口だった。
「やれやれ、大変な目に遭ったわね」
妖精のミコがフェリクの顔を覗き込む。フェリクは薄く笑って見せた。
空を仄明るく照らしていた月はすでに地平線の向こうへ消えようとしており、辺りは薄っすらと明るい。澄んだ朝の空気を肺いっぱいに吸い込んで、フェリクは大きく伸びをした。
「ミコ、村の様子を見て来てもいいかな」
「ご自由にどうぞ~」
のんびりと言うミコに小さく笑いつつ、フェリクは一路、アロイ村に向かった。
魔物がいなくなって静かになった森を辿り、平原を一望できる、あの気に入りの丘に出た。ここで寝転がって空を眺めていた頃は、自分がこの国の平和を背負う勇者になるなど考えてもいなかった。
森の奥に位置するアロイ村に辿り着くと、そんな感傷に浸っている暇がないことはすぐにわかった。
アロイ村は、かつてフェリクが穏やかな時間を過ごしていた場所とはまったく景色が変わっていた。木々や家屋は焼け、地面はゴブリンが暴れた跡でめちゃくちゃになっている。アロイ村を憩いの場としていた動物たちの姿もなかった。
「……酷い……」
フェリクは村を見渡したが、どこにも村人の姿がない。耳を澄ませても、その気配を感じることはできなかった。
「みんなはどうしたんだろう」
「殺されてはいないと思うわ」ミコが言う。「魔物たちはあんたが狙いだったんだし」
「…………」
自分がこの村にいたから、とフェリクは心の中で独り言つ。もし自分が宝玉を有していなければ、せめて宝玉が覚醒しなければ、アロイ村はいまでも穏やかな空気が流れていたはずだ。この惨状を目にすることもなかった。村人たちの平和な生活が脅かされることもなかったのだ。
「僕の運命が変わったことで、この村はこんなことになったんだよね」
顔をしかめて言うフェリクに、ミコは気遣わしげにフェリクの顔を覗き込む。
「禁忌を冒した者が憎いと思う?」
「……わからない。僕の本来の運命がどんなものだったか、想像できないよ」
本来の運命があったことなど、知りたくなかった。この先もこの村で平和に暮らしていくつもりだったフェリクにとって、自分が本来はその運命になかったことは到底、受け入れられるものではなかった。
宝玉は、最初の勇者アナスタシアへの最高神アーテルからの贈り物だとされている。この村をこんな惨状に巻き込んだ原因だと思うと、フェリクはどうしても贈り物だとは思えなかった。宝玉がなければ、魔物がフェリクを狙うこともなかった。この村が魔物の襲撃を受けることもなかったのだ。
勇者になど、なりたくなかった。この村で、ただの牧童として、穏やかに流れる風のもとで暮らしていたかった。それが二度と叶わないなど、考えたくもない。
(……勇者になんて、なりたくなかった……)
その思いをぶつけることのできるものはない。フェリクの運命は決められてしまったのだ。