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【8】勇者の心[2]

 ミリアに不審の目を向けられながら朝食を終え、フェリクはミリアとともに牧場に向かった。畑の手伝いをしに行くこともあるが、フェリクが得意とすることは牧場での仕事である。ムルタの民も、フェリクの牧場での働きを認めているようだった。

 牧場に入ったところで、何やら騒ぎが起きていることにフェリクとミリアは気が付いた。牧童たちが牧場の一角に集まっている。近付いてみると、山羊が畑に流れ込む水路に嵌まってしまっていた。

「フェリク、いいところに」

 イゼベルがふたりに歩み寄って来る。その顔には汗がにじんでいた。

「こいつをどうにかしておくれ」

 牧童たちは山羊の手綱を引き、力尽くで山羊を引き上げようとしている。山羊はおそらく上がろうともがいたようで、水路の周辺がぬかるんでいた。

 フェリクが歩み寄って行くと、山羊の尻を押していた牧童が顔を上げる。イゼベルの指示で牧童たちが避け、水路から上がった。手綱を握る牧童にそのまま引いておくように指示をしつつ、フェリクはポーチから小さい笛を取り出す。

「なんだい、それ?」

「鷹笛です。本来は鷹を呼ぶものなんですが、これを聴かせると他の動物も落ち着くことがあるんです」

「ふうん?」

 不思議そうなイゼベルに微笑みかけつつ、フェリクは鷹笛を口に咥える。短く笛を吹くと、暴れていた山羊の動きが止まった。アロイ村の山羊は鷹笛を使った育成を受けていた。この山羊も同じように教育されているのだろう。フェリクは山羊にゆっくりと歩み寄り、その頭を軽く撫でる。山羊は落ち着きを取り戻した様子で、小さく鳴いた。フェリクはそのまま笛を吹き、山羊の尻を叩く。牧童たちが手綱を引くのに合わせ、山羊は慎重に一歩、一歩を踏み出す。そうして、山羊はゆっくりと水路から這い出ることに成功した。

 牧童たちは歓声を上げつつ、また落ちてしまわぬようにとそのまま手綱を引く。そのまま山羊小屋へと連れて行った。体の汚れを落とすのだろう。

「ありがとう、助かったよ」イゼベルが言う。「これほど簡単に助けるなんてね」

「お役に立てたなら何よりです」

 ムルタの民に受け入れられているフェリクにとって、民の役に立てることは喜びだった。かつての故郷であったアロイ村での経験を活かせることも、自分が生きてきた時間が無駄にならずに済むような気がした。

「よかったら、牧童たちに山羊の扱い方を教えてやってくれないかい? ラエティティアの村から何頭か譲ってもらったんだけど、ムルタには山羊はいなかったんだ」

「はい。僕でよければ」

 アロイ村で牧童だったフェリクは、山羊の扱い方をよく知っている。子山羊の頃から世話をしていたことも多く、知識が豊富であることは自負していた。それをムルタの牧童や世話係に伝えることはそう難しいことではなく、それにより、フェリクは自分がやっと役に立ったような気がしていた。



   *  *  *



 牧場での仕事がひと区切りつくと、フェリクはルークスに跨って平原に出た。小高い丘に登れば、遠くにラエティティアの王宮が見える。いまでも街では本来の運命に戻ったフェリクの両親が、平和に暮らしていることだろう。

(……僕の故郷……。違う。僕の故郷はアロイ村だ)

 そう考えると、胸が苦しくなる。どうしても受け入れられない事実が、フェリクの胸を締め付ける。あの頃に戻れる方法があるなら知りたいと、何度、願ったことか。

 なぜ故郷を忘れることができないのか。村で過ごした日々を、幼馴染みたちを。なぜ思い出を捨てることができなかったのか。

 誰も責めるつもりはない。だというのに、そんなことばかりが胸中に浮かぶ。誰かを責めたい気持ちがあることの証明だった。

 フェリクはルークスを平原に放つ。牧場で大活躍のルークスは、牧場の仕事をする者たちから気に入られていた。

 遠くに見えるラエティティアの王宮は、フェリクを虚しい気持ちにさせる。本来、フェリクはあの街で育つはずだった。捻じ曲げられた過去が、フェリクの中でいつまでも燻っている。この思いが消え去ることを願わずにはいられなかった。

「小僧」

 不意にかけられた声に肩が跳ねる。物思いに耽りすぎていたため、近付いて来る足音に気付いていなかった。フェリクに歩み寄って来るのは、ムルタ特有の黒い馬を連れたレフレクシオだった。フェリクはなんとなく目を逸らしつつ軽く会釈をする。レフレクシオの顔を真面(まとも)に見ることができなかった。

 レフレクシオはそんなフェリクの様子は気に留めず、平原を眺める彼の横に並ぶ。フェリクは俯きながら口を開いた。

「あの……昨夜(きのう)はすみませんでした」

「何がだ」

「酷いことを言ってしまったので……」

 自信なく言うフェリクに、レフレクシオは鼻で笑う。

「あれで酷いことなら、随分と微温湯(ぬるまゆ)に浸かっていたようだな」

 つまり気にしていないということか、とフェリクは安堵の息をつく。レフレクシオはムルタの民から慕われる王であるが、一国の王ともなれば、フェリクの想像に付かないような悪意に晒されることもあるだろう。そう考えると自分は確かに微温湯(ぬるまゆ)の中にいたらしい、とフェリクは改めて考えていた。

「ラエティティアはどうでしたか?」

「相変わらず平和ボケしている。腑抜けた国だ」

 かつて悪の魔王により破滅の危機に迫られたラエティティア王国。フェリクが十四年間を過ごしたラエティティアの王都は、確かに平和そのものだった。

「姫も相変わらずだ。何も知らぬ愚かな姫よ」

「……フォルトゥナ姫はもう光の巫女ではありません。何も知らなくて当然です」

 自分に微笑みかけるフォルトゥナ姫を思い出す。あの笑みに救われたこともある。だが、フェリクの胸中に広がる感情は、また別のものだった。

 不意に、ローブを纏った大きな手に視界を遮られる。顎に添えられた指に誘われるように見上げると、レフレクシオは真っ直ぐにフェリクの瞳を見据えた。

「ラエティティアのことは忘れろ」

 フェリクが応えるより先に、優しく触れるだけの口付けが落とされる。

「お前はいずれ、私のものになるのだからな」

 一瞬の出来事に、フェリクはただ呆然とレフレクシオを見上げた。

「……それは、どういう……」

 ようやく出たフェリクの言葉には答えず、レフレクシオは不敵な笑みを浮かべてフェリクに背を向ける。その途端、フェリクは顔が熱くなるのを感じた。

(それって……!)

 混乱する頭を抱え、その場にしゃがみ込む。すると、ルークスが様子を窺うようにフェリクの頬に鼻を摺り寄せた。

「なんでもない! なんでもないよ……!」

 ルークスの頬を撫でつつ、フェリクは騒がしい脳内を落ち着けようと深呼吸を試みた。それでも、心臓が痛いくらいに脈打っている。

(そんな……どうして……)

 頭の中をぐるぐると回る疑問符に、眩暈がしてしまいそうだった。レフレクシオを追いかけようにも、問い質す勇気はない。

 そろそろ日が傾こうという平原の真ん中で、フェリクはただ目が回りそうな感覚に頭を抱えていた。




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