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【6】牧童

 フェリクは朝食を済ませたあと、ミリアとともに牧場に出ることが日課になりつつあった。城にいてもやることがない、というのが正直なところだが、異国の地で何もしないのも落ち着かない。せめて役に立つことをしたかった。

 ルークスを伴って牧場に出ると、牧草地を眺めていたイゼベルがふたりに気付いて振り向く。

「おはよう。フェリク、ここの暮らしには慣れて来たかい」

「はい。お陰様で」

「何か不自由していることはないかい?」

「特には。快適に過ごさせてもらってます」

 フェリクがムルタに来た当初は懐疑的だった牧場の女たちも、いまはすっかりフェリクを受け入れている。フェリクが城の兵の威圧感に怯むことは変わっていないのだが。

「いまは何をしているところですか?」

「山羊を追い立てて運動をさせているところさ」

 朝の日課だよ、とイゼベルは牧草地を指差す。牧童たちが鞭を手に山羊を追い、尻を叩いて移動させている。五つの群れに分かれて行われており、ひとつの群れに三人の牧童が付いていた。

「馬は使わないんですか?」

 首を傾げつつフェリクが問うと、イゼベルも首を傾げた。

「馬? 馬をどう使うんだい?」

「馬で山羊を追い立てるんです」

 イゼベルは不思議そうに、へえ、と呟く。そばにいた女もきょとんとしており、馬による山羊追いを知らないようだった。

「試しに手本を見せてみなよ」

 その様子をおかしそうに見守っていたミリアが言う。ミリアは実際にフェリクが山羊追いをしているところを見たことはないが、話では何度か聞かせたことがある。見てみたいという気持ちもあるのだろう。

 フェリクは近くにいた女から鞭を借り、ルークスに跨った。それに合わせてイゼベルが指笛を吹くと、山羊を追い立てていた牧童たちが一斉に彼女のほうへと集まる。牧草地が山羊だけになったことを確認し、フェリクはルークスの腹を蹴った。

 アロイ村の山羊たちは、ルークスや他の牧童の馬で追い立てることで運動と移動を操っていた。慣れさせていない山羊が馬による山羊追いに適応できるかはわからず、慎重に行う必要があるだろう。

 フェリクはまず牧場の端まで移動する。外側からひとつ目の群れに近付き、徐々に速度を上げる。自分より体の大きなルークスの気迫に押され、山羊たちはそれぞれ逃げるように駆け出した。そのままふたつ目の群れ、三つ目の群れを移動させ、敷地内を見回す。四つ目の群れと五つ目の群れは牧草地の端におり、移動距離から考えて運動は充分のはずだ。

 フェリクがイゼベルとミリアのもとに戻ると、女たちは感心した表情でフェリクを眺めていた。

「見事なもんだね」イゼベルが言う。「これは山羊を小屋に戻すときにも使えるのかい?」

「はい。人の手で追い立てるより労力が少なくて済みますよ」

 ほう、と女たちが感心の声を漏らした。アロイ村で培った知識が役に立つことは、フェリクにとって喜ばしいことだった。ルークスもどこか誇らしげな表情をしている。山羊追いはいつもルークスの仕事だった。

「けど、よくこんなことを知っていたね。牧場の仕事をしていたことがあるのかい?」

「いえ……知り合いから教わっただけです」

 フェリクは曖昧に微笑む。牧場主に教わったのだから、あながち嘘ではない。

 女たちは馬の手入れや山羊小屋の掃除に勤しんでいる。鶏の小屋もあり、牧場として潤沢な財を得ていると言える。

 牧場を眺めるフェリクのそばに、ミリアは何も言わずに寄り添っている。その気遣いがフェリクにはありがたかった。

 頬に触れる空気は、アロイ村によく似ている。だが、似ているだけで、故郷とは違う。ここは異国の地なのだ。

(……何も感じるな)

 自分の心に語り掛ける。

 何も感じなければ、何も考えずに済む。考えることにもいい加減、疲れてきた。

「陛下、ごきげんよう」

 イゼベルの声に振り向く。いつもの重厚なローブに身を包んだレフレクシオが、護衛も伴わずに牧場に入って来るところだった。ムルタ王国には、国王に敵う者はいないということだろう。

 フェリクは軽く会釈し、ミリアはひらりと手を振る。フェリクを見遣ったレフレクシオは小さく笑った。

「そうしていると、ただの牧童だな」

 返答に困り、フェリクはまた曖昧に笑って応える。レフレクシオはすでにその表情に慣れているようだった。

 フェリクは、かつて悪の魔王としてラエティティアを窮地に立たせた者が、こうして厚い信頼を得る王として国に戻ったことに安堵することもある。この王がいれば、ムルタは二度と枯れ果てることはない。フェリクはそう確信していた・

 女たちがそれぞれの仕事のために散った行くと、フェリクは口を開いた。

「ラエティティアとムルタは大して離れていません。なぜ宝玉の恩恵はムルタには届かなかったんでしょう」

「……この私がいたからだろうな」

 静かな声で言うレフレクシオに、フェリクは問いかけるように視線を向ける。レフレクシオはひとつ小さく息をついた。

「魔王の魂を有した私が、ムルタを閉ざしていたのだ」

「じゃあ」と、ミリア。「魔王の魂が封印されたから、ムルタも恩恵を受けられるようになったのかい?」

「おそらくな」

 レフレクシオが頷くのを見ると、ミリアは明るい表情でフェリクを振り向く。

「やっぱり、ムルタに豊かさを与えてくれたのはフェリクだね」

「……それはどうだろう……」

 フェリクはまた牧場に視線を戻した。

 かつて砂漠の国であったことなど想像すらつかない豊かな大地。貧困と病に冒されていたムルタがこうして、民に希望を与えながら存在する。それは確かに宝玉の力であった。

「貴様は相変わらず辛気臭い顔をしている」と、レフレクシオ。「ムルタに豊かさがもたらされたことを素直に喜べばいい」

「そうだよ」ミリアが言う。「あんたが救ったのは、ラエティティアだけじゃないんだよ」

 フェリクはまた曖昧な微笑みで返す。正しい返答がわからなかった。

 救ったのは自分ではないという思いがある。救ったのは宝玉の力。たまたま自分が勇者の魂を有していただけ。勇者の魂を有する者であれば、誰でもよかったはずだ。

「ところで」ミリアがレフレクシオを振り向く。「何か用だったかい?」

「様子を見に来ただけだ。そろそろ故郷が恋しくなる頃だろう」

「そうなのかい?」

 ミリアの問いに、フェリクは首を傾げた。

「特にそういうことは考えてなかったです」

 フェリクの故郷は、ラエティティアの王都ではない。アロイ村だ。アロイ村には二度と戻れない。その事実が、フェリクに恋しさを感じさせないのかもしれない。

「ここで不自由していませんし」

「ここを第二の故郷だと思ってくれていいよ」

 ミリアは明るく笑う。フェリクは、それと同じだけの笑みを返すことができなかった。

「そうなるといいな」

 それが本心なのか建前なのか、それはフェリクにもわからない。もうすでに、心が麻痺してしまっているのかもしれない。



   *  *  *



 夕陽に照らされる町をバルコニーから眺めると、見渡す限り豊かな国であることがよく見える。

 かつて、砂漠に囲まれて貧困と病に冒され、滅びを待つだけだったムルタ王国。魔王の魂が宝玉の恩恵を閉ざしていたなら、魔王の魂が封印されたいまなら、宝玉がラエティティアの聖域にあってもその恩恵は届いたはずだ。

 ――ムルタが繁栄したのは、あんたがその宝玉を保持したまま生まれてくれたおかげだね。

 ミリアはいつだか、そう言っていた。しかしフェリクには、本当にその通りだと思うことができなかった。

 自分が宝玉を持っていても意味はない。いまさら、なんの役に立つわけでもない。

 豊かなムルタ王国。人々の幸福の象徴。

 何も感じるな。何も考えるな。

 二度と故郷には戻れない。その事実すら見えないように。

「ねえ、きみ」

 不意にかけられた声に、フェリクは少し驚きつつ振り向いた。ムルタの紋章が入った兵がバルコニーに出て来るところだった。その後ろには別の兵の姿がある。

「おい、まずいって。フェリク殿にはあまり関わるなって隊長に言われてるだろ」

「少し話すくらいならいいだろ」

 城の兵たちがフェリクに興味がないわけではないことをフェリクも知っていた。警戒する者もあれば、物珍しそうに見て来る者もいる。それでも、いままでこうして接触して来る者はなかった。

「人の忠告は素直に受け入れるべきだ」

 そんな冷たい声が聞こえ、ふたりの兵の顔は青褪める。厳しい表情を浮かべるのはレフレクシオだった。

「し、失礼しました!」

 ふたりの兵は深々と頭を下げ、逃げるように去って行く。フェリクは特になんの感情を懐くこともなくそれを見送る。レフレクシオは冷えた表情をしていた。

「ありがとうございます、レフレクシオ卿。珍しそうに見て来る割に声をかけて来る人がいなかったのは、そういうお触れが出ていたんですね」

「ムルタの民は好奇心旺盛だ。そうでなければ貴様は毎日、囲まれている」

 それもそうだ、とフェリクは考える。王が連れて来たラエティティアの者となれば、興味を惹かれる者は多いだろう。それでも、城の兵たちはその命令を律儀に守っていたのだ。

「お気遣いありがとうございます。僕は恵まれていますね」

「そんな顔をした者が言う台詞ではない」

 目を細めて言い、レフレクシオは去って行く。たまたま通りがかった際に規則を破る者を見つけて声をかけて来たのだろう。

 フェリクは俯き、また町を眺める。その美しい光景が、フェリクの心に影を落とした。

「どんな顔しろって……」

 ムルタに来たときから、フェリクはこの国の民とどう接すればいいかわからなかった。レフレクシオとともにムルタに来ることを選んだのは自分だが、どうするのが正しいのか、それはいまだにわからない。それを教えてくれる者はいない。いるはずがないのだ。フェリクには、まだ多くの迷いがあった。



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