新しい出会い
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ヨハンとは向こうの有責で婚約破棄となった。結局あの従妹と婚約することになったようだ。リリーは解消でいいと言ったのだが、ヨハンが自分の落ち度だからどうしても払うと言ったらしい。
リリーはヨハンを想って泣くこともなかった。
カフェから出てきたヨハンの顔が凄く嬉しそうだったからだ。
どうして別れの時に恋人のことを酷く言ったのか、リリーに好きだなどと言ったのか分からないままだった。
結婚は考えず南の方へ行こうかとリリーは考えていた。ヨハンから貰った慰謝料が思いの外多かったのだ。両親も私財をくれた。小さな家を買い使用人を二人くらい雇えば楽しく暮らせるのではないか。幸い語学力はある。翻訳や通訳をすれば一生困らないだろう。早速調べることにした。
南方には港があり貿易港のある治安のいい街があった。高台に見晴らしの良い一軒家を見つけた。母も付いてきて自分もこの街に住みたいというので、いつでも遊びに来てもいいと言った。料理人と掃除や洗濯をしてくれる人を雇った。母が判断をしたので人柄は安全だろう。相性が合わなければ辞めてもらえばいい。女性のひとり暮らしなので護衛代わりに父親くらいの年の庭師も雇うことにした。退役軍人らしく無口だが仕事ができる人だった。
こうして初めてのひとり暮らしが始まった。翻訳の仕事は父からの紹介だった。
父の顔を潰さないように締め切りを守りコツコツと実績を積み上げていった。
港町の暮らしは食べ物も美味しく快適なものになった。
通訳の仕事もたまに入るようになった。これも父からの紹介だった。隣国の船が入り商品が大きな商会へ運び込まれた後に、商品の説明文を読まなくてはいけないのだが、言葉が分からず困っていたらしい。幸い商会には女性従業員が多く明るい雰囲気で安心できた。ここに行くのにも護衛兼庭師のおじ様が付いて来てくれた。「そこまでしていただかなくても結構ですわ」と言うと「ご主人様の申し付けです」と言うだけなので逆らうのを諦めた。
こうして二年が過ぎていった。リリーの生活は穏やかなものだった。母と弟は時折遊びに来ては別荘のように港町の暮らしを楽しんだ。父も来たがっているようだが、仕事の関係で来れていない。
父の使いだと言って青年がやって来るようになった。母が来るのだからその時でいいと思うのだが父としては様子見を兼ねているのだろう。流行りの紅茶や美しい生地、珍しい花の種等を届けてくれる。珍しいアクアマリンのペンダントのこともありこんな田舎で着けていくところもないと思うのだが、父の気持ちが嬉しく受け取った。明るく光るその石はリリーの心を明るくしてくれるようだった。
青年の名はルクスといった。黒い髪にブルーの瞳で整った顔をしている。荷物を届けると帰ろうとするので、流石に引き止め客室に泊まってもらうことにした。
汗を流してもらい夕食を一緒に食べて貰った。活きの良い海鮮があるので、カルパッチョを作ってもらった。白ワイン付きである。
大きな鍋でパエリヤも作ってもらいお腹がいっぱいになった。余ったのは明日のお昼に食べればいいだろうと思っていたら、お腹がすいていたのかルクスが美味しそうに全部食べた。道中の話を聞きながら楽しく食べることが出来た。
「こんなに美味しい海鮮料理は初めてです。ご馳走様でした」
「私もこっちに来てからこんなに美味しい物があると知ったの。海の近くって良いわね。明日はゆっくり出来るのかしら。ついでに観光を楽しまれると良いのに」
「仕事で回る所もありますのでそうそうゆっくりは出来ないかと思います」
「そうよね、今日はお父様のお使いをありがとう。こちらの珍しい真珠をお父様に持って帰っていただけたら嬉しいわ。黒真珠というものがあるのよ」
「お嬢様は無防備でいらっしゃる。私が悪者だったらどうするのです?」
「貴方はいい人よ、お父様が信頼している方だもの」
「なりすましているのかもしれませんよ」
「騙されたら仕方がないわ。人を見る目がなかったというだけだから」
ヨハンのことを思い出し胸の奥がチクッとした。
お母様がこちらに来た時にヨハンのその後を聞くことができた。
従妹に洗脳されていたらしい。近くにいると顕著に症状が現れる魔術だったらしく、離れると落ち着くのだそうだ。婚約は破棄になったそうだ。犯罪だったのだから当たり前だろう。魅了ともまた違う厄介な魔術だったらしい。
側にいるときと離れている時の態度が違いすぎると思った彼の両親が王宮魔術師に依頼をして、洗脳だとわかったらしい。かなり高度な魔術だとのことで、従妹は隣国に強制送還され、牢獄に繋がれて国の研究機関で研究材料にされているらしい。
だから彼女といる時にやたら嬉しそうだったのに、君が好きだとか相反することを言っていたのだと納得できた。可哀想だとは思うが一度失った恋心は戻っては来ない。あれから魔術避けのリングを嵌めて真面目に仕事をしているらしい。
この頃ルクスとお茶をする機会が多くなった。知らない国のことも良く知っている。話をしていると楽しい。お父様はこの有能な人をどうするつもりなのだろう。所作がとても洗練されているが平民らしいので婚姻は無理だろう。
その時結婚なんてどうして思ったのだろうかと自分でも分からなくなった。もう恋とか愛とかこりごりだと思っていたはずだった。リリーは十八になっていた。
両親はリリーの幸せを諦めてはいなかった。ルクスを相手にどうかと考え引き合わせていた。
ルクスは二十二歳、父の貴族学院時代の友人の息子だった。公爵家の次男で外国を旅して回っていたらしい。嫡男との跡継ぎ問題があり家に帰るのを控えていた。性格は穏やかだが頭が切れると父のお墨付きだった。
縁談が纏まれば伯爵位を継がせてもいいとその友人は言っていたそうだ。領地はリリーが住んでいる沿岸地方だ。山があり海もあった。娘がすっかり気に入ってしまっているので、このまま上手く行けばいいとそっと見守ることにしていた。
ヨハンの時のような思いはもうさせたくはない。
完全に娘一筋だと思っていた男が魔術に嵌められ、娘を傷つけたのだ。
どこに罠が潜んでいるかわかった物ではない。
そうして二年じっくり様子を見させて貰った。ルクスは誠実だった。だんだんリリーに好意を抱いてきているのもわかってきた。告白してくれるのを待つだけだった。
ルクスは今日こそはと緊張していた。正装に身を包み、花束を用意し水色のアクアマリンの指輪を隠し持っていた。公爵家の御用達のカフェにリリーを誘った。
午後の柔らかな陽射しが個室を包んでいる。紅茶の香りが部屋を満たしていた。
リリーは薄桃色のシフォンのワンピースに父から貰ったアクアマリンのネックレスを着けていた。
「とても綺麗だ。よく似合っているよ」
とルクスはうっとりした瞳で見つめた。
そして持ってきた花束をリリーに渡し、跪き
「君を愛している。僕の側にずっといて欲しい。君が昔のことに囚われているかもしれないとおば様には聞いている。きっと今もその思いに苦しんでいるのかもしれない。けれど心からの真実をあげられるのは僕だ。話をしていると楽しいし、ずっと時間を共有したいんだ。好きなんだ、駄目かな」
「駄目と言うことはないわ。貴方を好ましいと思っている。話をしている時間も好き。田舎暮らしをしていても否定しないでいてくれた。貴族女性としては戦わないといけなかったのに逃げたの」
「自分を守る為だよね、壊れるよりいいんじゃないかな」
「私ね、元婚約者と別れても悲しくはなかったの。裏切られたとは思ったんだけどただそれだけ。失望はしたわ、元は仲の良い幼馴染だったから。
恋人らしき人といた時の幸せそうな笑顔が目に焼き付いてすっと冷めてしまったの。洗脳されてたらしいわ。貴方がもし心変わりをしたらどうしたらいいのかしら。傷つきたくないの。ずるいわよね」
「思っているより傷が深いんだね。そいつを殴りたいな。実はそう言われるかもしれないと思って魔女の秘薬を手に入れてきたんだ。これを飲むと裏切ったら死ぬらしい」
そう言うとピンク色の高価そうな小瓶を見せた。そして一気に飲んでしまった。
リリーは驚いて固まってしまった。そこまでしてくれるとは思っていなかったのだ。
リリーは婚約を受け入れた。ルクスが公爵家の次男だと聞いて驚いたのはもちろんである。金持ちの平民だと思っていたくらいだったのだから。
婚約時代は穏やかに過ぎていった。新しい屋敷は今の家から十分程のところに公爵家が建ててくれた。使用人も増えるので今の家は使用人の宿舎にすることになった。
リリーは親の手のひらの上で幸せに暮らしていただけだった。けれどそれは感謝すべきことだった。一生かけて親孝行をしようと誓った。
命をかけて愛を誓ってくれたルクスにもできる限りの愛を注いでいこう、リリーはそう誓った。
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