失恋
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リリーはつい先日失恋をした。恋人だと思っていた男から突然別れを告げられたのである。
「僕達別れよう、君とのことはいい思い出にするよ。さよなら」
別れるってそんなに長く付き合ってもいないのに?
付き合ってくれと言ったのは向こうからだったし、デートに誘ってきたのも向こうからだった。たまにお茶を飲んで公園を手を繋いで歩いていただけなのに。
どうしてなのか分からなかった。
それに別れるという言葉って大人のドロドロとした恋愛関係にあったみたいだわ。自分達はそんな関係ではなかった。付き合ってみたら思っていたのと違ったということなのだろうか。
今の時代は昔のような顔合わせして婚約ではなく。自由な恋愛結婚が増えていた。
私振られたんだわ、と思ったら涙がポロポロ零れてきた。人格を否定された気がする。幸い人の多い公園で誰も人のことを気にしていない。ハンカチで涙を押さえ我が家の馬車に乗り込んだ。御者が驚いていたが何も聞かないでいてくれたので助かった。
私は由緒ある伯爵家の十三歳の令嬢。さっきの男は新興の伯爵家の次男で十六歳。顔は良かったと思い出した。護衛や侍女が見えないところにいるはずだ。今日はお友達に会いたいからと離れたところにいてもらった。それがこの有り様だ。当分恋人ごっこは止めにする。
私の好きな恋愛小説なら王子様が現れて直ぐに交際を申し込んでくれるんだけどそんな事が起きるはずがない。
ただただじくじくする心を抱えて時間の過ぎるのを待った。もうこの辛さから逃げられないのではと思った。そんなに好きだったわけでもないのに、絆されかけていたのだろうか。ハイスペックな相手が現れて連れ去ってくれるのを夢に見て自分を慰めたこともある。そんなことがあるわけもないのに。婚約していなかったのが幸いだった。恋を夢見る乙女はいなくなってしまった。
リリーは目のパッチリとした可愛い女の子だ。小柄で庇護欲を誘う容姿をしていた。サラサラの金髪に紫色の瞳をしていた。
もしもこのまま好きな人が現れなかったら、一人で生きていかなければならない。リリーには弟が出来たばかりだった。後継は弟だろう。リリーは今までの後継教育に加え、語学教育に力を入れることにした。
護衛や侍女から報告が行っているはずなのに、両親は何も言わないでいてくれた。
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二年が過ぎた。おままごとみたいな恋の傷はすっかり癒えていた。
幼馴染のヨハンがリリーの好きなガトーショコラを持って訪ねてきた。
「久しぶりだな、元気にしてたか?これでお茶にしよう」
「ありがとう、領地へ行っていたと聞いたけれどいつ帰ってきたの?」
「つい最近だ。母上の体調がようやく良くなったので帰ることが出来た」
メイドにお茶の用意をしてもらいながら懐かしさが込み上げてきた。夫人の体調が悪く気候の良い領地へ行っていたのは今から六年も前だ。
二人共十五歳になっていた。
侯爵令息のヨハンと気兼ねなく遊べていたのは屋敷が隣同士だったためだ。
泥んこ遊びや木登りや乗馬にハイキング、幼い頃のリリーは随分おてんばだった。
将来のためと言ってそれらは封印され刺繍や読書、ピアノやバイオリンに変えられた。淑女教育が加わりリリーはおとなしやかなレディーと変身を遂げた。
ヨハンと昔のことを話していると自然と笑顔になってくる。
「この家を出るときのために語学の勉強をしているの」
何気なく言った言葉がヨハンの何かに刺さったようだった。
「婚約者を探しているってこと?」
「そうかも知れないし、そうではないかもしれないわ。将来結婚する人が必ずしも私のことを好きになってくれるとは限らないでしょう。離縁でもすれば一人で生きていくことになるから、特技はあった方がいいと思うの」
「それ僕ではだめかな?僕は裏切ったりはしないし、君を路頭に迷わせるなんてしないよ」
「ヨハンは侯爵家の嫡男じゃない、これからいくらだっていい人が選べるわ」
「皆、僕の地位や容姿ばかり見てる。僕自身を見てくれる人なんて君くらいだ。でもリリーは大人びた考え方をするようになったんだね、どうしてなのか聞かせてくれる?」
そこでリリーは昔のこと話すことにした。
話を聞いたヨハンは
「辛かったね」と一言言った。
「恋愛ごっこがしたかっただけよ。小説の影響もあったかもしれない。少し夢を見たかったのかもしれないわ」
「だったらやっぱり僕にしておけばいい。この通り家柄よし、顔良し、頭よしの優良物件だ。そいつを見返すことだって出来る。この先社交界で出会わないとは限らない」
「それ自分で言う?ヨハンに裏切られたら今度こそ立ち直れないわ」
「裏切ったりしないよ。そいつどんな男か調べてみてもいい?」
「構わないけど、もう興味がないわ」
「それは何よりだ」
二人は顔を見合わせて笑った。
そして二人は婚約した。
リリーはあと少しで貴族学院を卒業する。ヨハンは高等科まで通うので後三年通学しなくてはならない。ヨハンが目の前でモテるのを見なくて済むのはありがたかった。リリーはヨハンが卒業するまでの間にヨハンの家の領地経営を学んだり夫人としての立ち振舞を義母になる人から教えてもらうことになっている。
幸い義両親はリリーのことを本当の娘のように気に入ってくれた。身体さえ弱くなかったら娘が欲しかったそうだ。
交際は順調に進んでいた。お茶会や観劇、プレゼントの贈り合い。夢のような時間だった。ヨハンは恥ずかしげもなく至る所で愛を囁いてきた。
カフェでお茶を飲んでいる時にケーキが口の端に付いているよと言って、長い人差し指ですくい取って、自分の口に入れた。
リリーは自分に何が起きたのか理解するまでに時間がかかり、わかってから真っ赤になって俯いた。
なのにヨハンの家から帰る馬車の中から、ヨハンがとても嬉しそうに綺麗な女の子とカフェから出てくるのを目にしてしまった。声をかけられないでいるリリーの側を腕を絡めながら歩いて行く二人の姿が遠くに消えていった。
リリーは身体が冷えていくのを感じた。
誤字脱字報告ありがとうございます。助かっています。