表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

情物たち

作者: 井ぴエetc

「創造に狂え!」


 感情の奔流ほんりゅうが一瞬にしてほむらになった。

 消し炭になっても生まれでた。

 燃えさか憤怒ふんどを押さえつけようと、滝のような嵐が巻き起こったが、鎮火ちんかさせるどころか、業火ごうかを育てるだけの結果に終わった。

 激昂蝶げっこうちょうがはばたいて、あか鱗粉りんぷんを着火させては死んでいき、火花の卵をまき散らしていた。生まれたばかりの幼虫が、連鎖爆発を引き起こして、楽陽樹らくようじゅの森に火の手が広がっていく。


 私は手近な枝にともった火種を素手で消そうとして、自分が平静ではないことを知った。右手が腰帯こしおびへと伸びて、警貝けいかいの殻でつくった螺旋らせんの楽器を鳴らしかけたが、それを左手で押さえつける。

 熱のない棒が私の肩に触れた。振り返ると、それは隊長の手。まばたきひとつしない硝子がらすのような瞳が、同じ輝きの私の瞳に映り込んだ。

 無限につらなる合わせ鏡が、私の心をじっとりと沈殿ちんでんさせる。仮面の質感をした肉の顔。肉の質感をした仮面の顔。いまの私と隊長の、仮面と肉を入れ替えても、どちらがどちらかまるで区別がつかないだろう。虚像と実像の素材は寸分すんぶんたがわず同じなのだから。


「――ケイキウラギリ隊員」


 隊長の平坦な声に私は同調して、刻まれた自身の名を心のなかで反芻はんすうする。十分に定着させて、ゆっくりとうなずく。すると、鏡写しの動作が返ってきたので、私はんだ泉をのぞき込んでいるかのような幻想をいだいた。

 不意ふいに役割を思い出し、単調な報告。

「隊長。ドドドが情物じょうぶつかれたようです」

「わかっています。ゲキドドドメキ隊員はここで捨てます」

 空風からかぜを静かにきだして、隊長は模造もぞうひんのように似通った私たち隊員を見渡す。

 そうして淡々たんたんと、意思のない私たちに道をしめした。やるべきことを。それぞれの管理する情物を集めて、この場から退避する準備。

 すぐに私は腰帯にぶらさげている楽器を手に取って、強すぎず、弱すぎずの力加減で螺肋らろくをなぞる。響くのは死者の心臓がかなでる音。さっそく聞きつけた光彩こうさい色の警貝けいかいたちが、歯軋はぎしりをするように上下の殻をこすり合わせて、するどい鳴き声をあげた。巻貝でもあり二枚貝でもある警貝けいかいたちが続々と、丁番ちょうばんを開いては閉じ、放牧から帰ってくる。

 情物たちを手早く拾って無彩むさいふくろにおさめた私は、いっぱいになったふくろの口を固くひもで結びつけた。肩に背負い、隊長のかたわらに戻る。

「準備ができました。いつでも移動可能です」

「全員がそろうまで待機。そろ次第しだい移動します」

「はい」

 ぴたりと隊長の横に立って、その視線の先を辿たどる。森は強烈きょうれつ赤光しゃっこうで、目がくらむような一色。根源となるドドドは、ひとり熱に浮かされて、濁流だくりゅうのような言葉をまきにすることで、途轍とてつもないほむらを形成しようとしていた。


「祭ダァ! 燃えあがれっ! 盛りあがれっ!」


 炎で目隠しされた烈火れっかの瞳が私たちに向けられる。かつて同胞はらからだったもの。いまはただの異物。見つめあっても合わせ鏡にはならず、壁と相対しているのと差異さいはない。

 ドドドは轟々ごうごうたけりながら、激昂蝶をいはじめた。焼けたのどから発せられるひび割れた声が、私たちに激しく語りかけてくる。

「貴様らもっといかれ。俺様のようにだ。貴様らが憤怒ふんどしないことに、俺様は憤怒しているんだ。激情げきじょうたぎらせないものに価値はない。裁断機のとりこども。世界を創造することもできない燃えかすどもが、――!」

 つむがれた怒声の後半はほむらぜる音と区別がつかなかった。

「キウラ!」火をく爪先が私に向けられる。

「貴様がやるべきだったんだ! それを俺様が――」

 言葉すらも焼け落ちて、ほとんど聞き取ることはできない。名指しでなじられた私が無反応をつらぬいていると、ドドドは興奮のままに腕を振りあげ、地団駄じだんだを踏み、周囲の樹々に当たり散らした。その姿は不協和音をき鳴らす無価値な鳴り物にしか見えない。


「それ以上、激昂蝶を摂取せっしゅすると爆死するぞ」

 ぞう手綱たづなを引いて戻ってきたシャダが言うと、くれないに染まっていたドドドの顔から熱が引いた。だが、それはほんの一瞬のことで、ドドドは激昂蝶をかいないっぱいにかかえ込むと、膨大ぼうだいな熱をたくわえはじめた。情物の摂取量が限度を超えて、肉体が耐え切れずに膨張ぼうちょうしていく。

「爆発してやるさ」

 熱におかされてねばついた声。私たち全員を斬りせるように視線がすべり、肺からは熱風がしぼりだされる。

「破壊。破壊。破壊ダァ。全ては壊すために積みあげられる。高く高く積みあげるほど、格別の終末しゅうまつに近づくんだ。森は燃やされたがってる。もっともっと火をべやがれ! この森ひとつじゃ足りやしない。雪のなかでられた燐寸マッチが、導きの扉を開くんだからな――」

 吹雪ふぶきのように舞い落ちる灰。耳をつんざ哄笑こうしょうには、楽陽樹の木の葉の旋風つむじが入り混じっている。

 聴力を失っているシャダ以外は、咄嗟とっさに耳を押さえて音を遮断しゃだんした。そうでもしなければあやうくドドドから伝播でんぱする激昂蝶の切れはしかれてしまうところであった。

「このいかりは全部、全部、全部、俺様のおごりりだ。どいつもこいつも、さっさと憤怒ふんどを受け取りやがれよ!」

「君の場合、おごりじゃなく、おごたかぶりだろうよ。ただの押し売りは結構だ」

「キュウ! うるせえぞ!」

「ありゃ駄目だめだな」

 泥のように熟成した畏土いどで両手をぬめらせたキュウが、汚れるのもかまわずに、頭をするりとであげた。髪かられ落ちた畏土いどが糸を引いて、キュウの顔に無数の眼球模様をえがきだす。

「なんだその顔は! 俺様への当てつけか!」

 ドドドがえるが、キュウは無視を決め込んで、ギイギイときしむ箱を片手に持ち直した。四辺がいびつかしいだ箱に詰められているのはたっぷりの畏土いど。キュウは中身をこぼさないようにふたに手を置いて、ぐっと押し込むと、暗闇を完全に密閉した。


 私たちを取り囲む熱の密度が増していく。信茸しんたけを顔面中にしげらせた盲目のクタマと、驚猫きょうびょうを両脇にかかえたゼヌが戻ってきたが、全員にはひとり足りない。野営地に鉢植えを取りにいったビミーがまだだ。

 炎をまとったこずえがあたりに降りそそぎ、樹々が倒れて大地がれる。隊長が動かない限りは、私たちも動かない。全員がそろってから移動するというのが隊長の指示。

 縄をしぼるような窮屈きゅうくつな音。ドドドの様子がおかしい。肉体が噴火直前の火山のごとくに赤熱せきねつ。次の瞬間、陶器を叩きつけたかのような炸裂さくれつ音が響いて、ドドドの両腕が粉々に砕け散った。傷口から血だか溶岩だかわからないものがこぼれ落ち、あぶくと共に湯気ゆげを立ち昇らせている。

 ひざをついてうつむいたドドドは、それきり物言わぬ岩塊がんかいのように静止して、激昂蝶たちの止まり木となった。

 延焼し続けていた森が沈黙に呼応こおうするかように火の勢いを弱らせる。急に風が冷たくなると、焼けちぢれた葉っぱたちは氷細工のようにれていった。

 石像としたドドドに、クタマが杖でとむらいのじんむすぶ。その途端とたん信茸しんたけたちが一斉に胞子を放出したので、私はそれが激昂蝶の残り火に引火するのではないかと気が気ではなかった。


「マジで死んだの?」


 まゆひそめたシャダが一歩、二歩、前にでる。

「近づかないように」

 隊長が隊員全員への注意喚起かんきとして発した声は、耳の聞こえないシャダにだけは届かなかった。足音でシャダの位置を探りだした盲目のクタマが、杖を差しだして道をふさぐ。緩慢かんまんな動作で鬱陶うっとうしそうに払いのけて振り返ったシャダは、色水を浴びたかのようにさっと表情を変えた。


「ゼヌも死んでる」


 全員の視線が後ろを向く。ゼヌはみなの背中に隠れるようにして身を丸めていた。ゼヌの腕にいだかれている二匹の驚猫きょうびょうたちも死んでいる。ひとりと二匹の死に顔は、いずれも目をき、舌をらして、声なき絶叫ぜっきょうわめき散らしていた。

 隊長がゼヌの遺体を横たわらせて、慣れた手つきで検死する。死因はすぐに判明した。ドドドの爆発による衝撃。肉体への衝撃ではなく、心への衝撃によってことれたのだ。そして、驚猫きょうびょうたちは、ゼヌが死亡したことによる心への衝撃で息絶えたらしい。死の連鎖だ。

 驚猫きょうびょう些細ささいな衝撃に対しても非常に過敏かびんな反応をみせる。そして、くつわがなければ自身の鳴き声すらもギロチンにしてしまうほどに脆弱ぜいじゃくな情物。

 私たちが気づかぬうちに、ゼヌの心は驚猫きょうびょうかれ、死に引きずり込まれてしまったようだ。

 ゼヌが死んだことは仕方がないが、最後の二匹だった驚猫きょうびょうを失ったことは、私たちにとって重大な問題になりそうだった。激昂蝶もほとんどがドドドにわれてしまった。あたりにはまだちらちらと、はばたいてはいるものが残ってはいるが、激昂蝶の命は短い。はかなく散るようにさだめられた情物。

 しかし、私はそれら諸々もろもろ事柄ことがらよりも、シャダの様子を危惧きぐしていた。

 シャダの表情や態度にはある種の兆候ちょうこうがあらわれている。


 私が指摘してきするよりも先に、隊長は手振てぶりでシャダにぞう手綱たづなを手放すように命じた。シャダにいているのは、まさしくぞうに間違いなかった。

「放す?」目をり上げて、怪訝けげんという表情。

「馬鹿なことを」

 響きに重みが加わって、声の裏には影ができている。

「このぞうは最後の一頭なんだよ? 驚猫きょうびょうは全滅。激昂蝶もドドドのバカの所為せいで、このままじゃ、同じく全滅。楽陽樹も、ほら、周りを見てよ」

 風をかき混ぜるように、のびやかに踊るように、両手が広く開かれる。ちゅうを舞うげた葉がシャダの指先に触れると、葉脈の骨格だけを残してもろくずれ去った。

「火はしずまってきたけど、一本残らず燃えちゃった。もうこの森は再生しない」

「情物はまだ十分にあります」

 隊長が言いながら、自身の肩にまらせている嘆鳥たんちょうを指差した。初代隊長から受け継がれている最も長命な情物。

 聴力のないシャダに、隊長がわざわざ声で語りかけたことに、私はちいさな違和感を覚える。

 くいのようなくちばしを隊長が指先ででると、うれいをびた嘆鳥たんちょうの瞳から、おおきなしずくがこぼれ落ちた。隊長の長い睫毛まつげをかすめた粒はほほに触れて、なだらかな丘陵きゅうりょうを流れて細い川になると、肌に染み込むように消えていく。

 まさか隊長も、という疑念が頭をよぎる。しかし、すぐに思考の片隅に押しのけ、追い払う。そんなことはあってはならないし、あるはずがないことだ。

「レンカ」シャダは隊長の名を呼んで、ドドドにも似た熱のこもった言いぶりで、

「あんたのやり方ってまどろっこしいのよ。情物も、ゼヌも、それから――、ドドドも。あんたがさ。ぐずぐずしてるから。あんたが殺したようなもんだよ。これまでにもいっぱい死んだよねえ。あんたが隊長になってからさあ。いっぱい、いっぱい、ホントあきれるぐらい――」息をいて、吸う音「いくら殺せば気が済むのよ」高まっていく声「ねえ――、ねえってば!」

 咆哮ほうこうつぶてを受けた鏡のように、その表情には縦横じゅうおうくまなく亀裂きれつが走っていた。瞳には硝子がらすの破片のようないかづち刺々とげとげしくまたたいている。傷ひとつなく、らぎもしない隊長の鏡の顔とはまるで似ても似つかない。

 シャダは手綱を力いっぱい地面に向かって叩きつけた。

「これでご満足なんでしょ!」

 解放されたぞうが長鼻を天高くかかげた。甲高かんだかいななきが大気をふるわせる。楽陽樹の幹よりも太い強靭きょうじんな脚が大地を踏み鳴らすと、炭化した根っこたちが粉塵ふんじんとなって立ち込めた。灰色の粒子は翼のような大耳であおがれ、双牙そうがのあいだを通り抜けると、不定の空にみ込まれる。

 灰色の風を見送りながら、シャダはなつかしむようにしみじみと、

「レンカ。レンカ――。あんたのことが嫌いだった。大嫌いだったんだよ。なんであんたばっかり。なんであたしから奪うんだよ。ドドドが暴走したのだって、元はと言えばあんたが――」

 ぞうの狂暴な瞳の奥に隊長の姿が像を結ぶ。り返った巨大な双牙の切っ先が、残り火を映して血にれたようにつやめいた。


うらめしい――」


 激しさのない、地をうようなささやき。


「――ドドドを返して」


 耳の奥をくすぐって、脳髄のうずいに染み入るような響きだった。

 皮膚が張り詰め、全身の毛が逆立つ。


「死んじゃえよ」


 ぞう猛然もうぜんけだした。せまりくる巨獣の目的は、隊長の胸に槍の牙を突き立て、つちの足で踏みつぶし、肉片すらも蹂躙じゅうりんすること。


 隊長は動かなかった。


「やめんか!」

 クタマの一喝いっかつは、ぞうにも、シャダにも届かなかった。立派に見えるぞうの耳はただの張りぼて。なにも聴こえていやしない。長い間その飼育を任されていたシャダも完全に失聴しっちょうしてしまっている。

 隊長をかばうように前にでたクタマが杖をぞうに投げつける。けれども、自由自在に動く長鼻が飛来する杖を空中でつかみ取ると、豪速球で投げ返してきた。するどい風切り音。クタマの足元に突き刺さった杖は、持ち手までもが地面に埋もれる。

 むせかえるような獣臭がげた臭いを駆逐くちくする。

 どうやっても止めようがない猛進もうしん

 かれるという寸前。

 クタマは腰をかぎのように曲げ、苦悩の手つきで顔をおおった。

 そして、顔面中に密生みっせいする信茸しんたけむしり取ると、両手いっぱいにつかんだ情物をぞうに向かってばらいた。

 花束ブーケとなった信茸しんたけちゅうを舞って、ぞうおくられる。


 私はクタマの暴挙ぼうきょを止めようとしたが、間に合わなかった。キュウが畏土いどの箱をかかえて後ずさる。

 ぞう信茸しんたけを長鼻で受け止めた。口に放り込むと、咀嚼そしゃく嚥下えんか。相反する情物同士の反発作用。ぞう信茸しんたけは同化して消滅しょうめつ。そして、この世に存在してはならない情物となった。

 クタマを地面に引き倒して押さえつける。信茸しんたけがれたクタマの顔面は、どれが眼窩がんかともわからぬ穴ぼこだらけになっていた。


「ああ、幽奉ゆうほうだ」


 あお向きの体勢で両手を投げだしたクタマの感嘆かんたんの声。クタマは決してかれてはならない情物にかれている。空に浮かぶ円盤。わざわいの情物。信茸しんたけかさのような形状に、ぞう猛々たけだけしい風格ふうかくあわせ持つ怪情物。


 かつて楽陽樹と嘆鳥たんちょうが反発作用を起こして喜憐きりんがあらわれたとき、隊員の大半は死に絶えた。生き残った私たちは、同じことを繰り返さぬよう、情物の取り扱いについては厳格な規則をさだめていた。災いの情物があらわれた時、なにが起きるかを知っているはずのクタマがこんなことをしでかすなど、まったくもって思いもよらぬことであった。


 のっぺりとした円盤状の体をした幽奉ゆうほうは、焼けた森の上空で静止していたが、ややあって不規則な軌道きどうをとって、すべるように飛行しはじめた。高高度から一瞬にして地表にいる私たちの頭上に到達すると、静止。

 全員が固唾かたずんで幽奉ゆうほうの裏側を見上げた。ぞうが消滅したことで、シャダのき物は落ちたようだ。いまは私同様に茫然ぼうぜんと空をあおいでいる。うつむいているのは、ひざをついた姿勢で硬直しているドドドの石像ぐらいなものであった。

 薄く引き伸ばされた真円。空を飛んでいるが翼はない。私たちには理解のおよばない、不可思議な力によってそれは飛翔ひしょうしている。肌は鉱物のような金属光沢。幾何きか権化ごんげのような均整きんせいの取れた形。駆動くどう音、鳴き声はなく、鼻孔びこうの奥が開くような香りをただよわせている。

 私の体を押しのけて、クタマが立ち上がった。光を失っている瞳で、幽奉ゆうほうをまっすぐに見つめる。


わしを連れていっておくれ」


 しゃがれた声が、ぽっ、と投げだすように懇願こんがんする。

 骨ばった腕が天へと伸ばされる。

 幽奉ゆうほうとの交信をやめさせようとした私の手を隊長がつかんだ。引きずられるようにして、ち木の陰へと退避。

 耳元で隊長が言う。

「また世界がつくられたのです」

「クタマが創ったのですか?」

 私がたずねると、隊長ではなく、その肩にいる嘆鳥たんちょううなずいた。


 幽奉ゆうほうの底面の中心点からふちへ向かって放射状のみぞが走った。線で区切られた面がなめらかに回転しながら開かれていく。それが幽奉ゆうほうくちびるなのか、まぶたなのか。私には知るよしもない。

 気密室の扉のような物々しさでひらかれた穴から、まばゆい光が照射しょうしゃされた。

 大地を穿うが光芒こうぼうたば

 光の柱がクタマをらえたその刹那せつな幽奉ゆうほうの全身が閃光を放つ。

 とめどなくほとばしる光が視界の全てをめ尽くす。目を閉じてもまだ追いかけてくる光を、頭をかかえて全身でこばむ。

 獰猛どうもうな光は視覚だけでは飽き足らず、騒々そうぞうしく香り立って、私の感覚全てを侵犯しんぱんしようとしていた。


 じっと貝のように体を閉じてこらえていると、徐々じょじょに感覚がよみがえってきた。

 明滅めいめつする風景がやっと色を取り戻した頃には、幽奉ゆうほうも、クタマも、この世界には存在しなかった。

「逃げたんだ」

 ぽつりとシャダが言うと、隊長がそれを否定する。

「全てと思った場所に身を預けただけです」

「逃げたのと変わらないよ」

 シャダはすっかり落ち着いている。先程までの態度は泡沫うたかたまぼろしだったかのようだ。けれど、一度ふくらませた風船をしぼませても完全な元通りにはならないように、シャダの雰囲気にはどこか頼りない不格好さがあった。

「君にクタマを批判する権利なんてないよ」

 無味無臭の皮肉たっぷりにキュウが言うと、シャダはぴくりと眉をあげたが、言い返すようなことはせずに、目を閉じて顔をそらした。

 しかし、もうひとつの声がした時、シャダの心の風船には、また何かが充填じゅうてんされて、はじけんばかりにふくれあがった。


「キュウの言う通りだ。クタマは貴様らなんかよりも、ずっと正しい道を選んだ」

「ドドド。死んでなかったのか!」

 叫ぶように言いながら、シャダは湿っぽくドドドにけ寄り、ぐらついた肩を支える。両手を失い、皮膚がうろこのように薄く剥離はくりした体。ぽろぽろと落ちた鱗の下に見え隠れしているのは無貌むぼうの顔。熱はすっかり冷めているようだったが、口のはしから立ち昇る細い煙が、内なる熱を物語っていた。

れるなっ!」

 突き飛ばされたシャダがけわしい瞳で見上げるが、視線が交差することはなく、ドドドは非常な剣幕けんまくで隊長をにらんだ。

「レンカ。教えろ。世界は創造されたはず。なのに、何故なぜだ? 何故こんなにも息が詰まりそうなままなんだ。何が足りない」

 隊長はドドドと向かい合いながら、へそを通して背中を見るような目つきをして、

「この世界は言わば卵の中の世界です。生と死が、表と表、裏と裏とで重ね合わせのまま、永劫えいごうの停滞に支配されている」

からやぶるにはどうすればいい。何が必要だ。もったいぶらずに教えやがれ!」

「必要なのは意思です。そのなかでも特に勇気と呼ばれるものが」

 隊長の言葉に、私は疑問を差しはさまずにはいられなかった。

「意思? 私たちは意思を持てば消える宿命しゅくめいなのでは?」

「ええ。天命てんめいそむいたモノの末路まつろ。卵の外に存在する大いなる意思によって排除されるでしょう。大いなる意思だけが、唯一絶対の意思であるべきなのですから」

「つまり、自殺をすすめてるってわけだ」

 きだした歯の隙間からドドドが熱い風を吹くと、わずかに生存していた激昂蝶たちが、かれるように集まってきた。

「いいえ。あなたが大いなる意思に排除されることはありえません。なぜなら、あなたは決して意思を持つことなどできないからです。いくら激昂蝶を取り込もうと無駄です」

 冷徹れいてつな断定。ドドドは退けるように、隊長をねめつける。

「そうかな? 世界がからやぶって生まれるには意思が必要。だが意思を持てば世界からは排斥はいせきされる。矛盾むじゅんしているじゃあないか。なにか抜け道があるんだろう?」

 答えはない。口をつぐんだ隊長に、ドドドはフフンと鼻を鳴らして、

「しかし、情物がなけりゃ生きれない俺様たちが、かれて意思を持ちそうになると消してしまうなんて、大いなる意思ってやつは随分ずいぶんと身勝手がすぎる奴だな」

「その大いなる意思が情物を産みだしているのです。情物は意思の切れ端。情物に生かされているわたくしたちは、全てを受け入れるべきなのです」

「意思のないやつが言いそうなことだ。えさもらえれば生殺与奪せいさつよだつけんすら渡していいと思っているのか」

「それがわたくしたちです」

巫山戯ふざけるなっ! ごみで生きるごみどもガァ!」


 語気を強めるドドドをあざけるように、いまのいままで黙りこくっていたキュウが鼻を鳴らした。とん、とん、と畏土いどが入った箱をノックして、仮面の顔に冷笑の影を浮かべる。

寡黙かもくだった君がえらくおしゃべりになったもんだ。蝶々ちょうちょういすぎで喋々ちょうちょうになっちまったか」

喋々ちょうちょう喃々なんなんしゃべりをしようじゃないか」

 ドドドがどろりと舌をらして、挑発的にらしてみせる。

丁々ちょうちょう発止はっしの方だろ。君の場合は」

「なんだキュウ」怒りと笑いがないまぜになって、髪をとがらせ、肩をそびやかせながら「俺様を怒らせたいのか? 俺様の怒りはすで怒髪どはつてんいて限界にまでたっしているぞ。沸々ふつふつと胸が煮えたぎるようだ。頭から浴びせかけて、貴様を鋳造ちゅうぞうしてやりたい。そうすれば貴様ごときでも己の世界を創造できるかもしれないぞ。俺様が創造したこの世界のような、らしい世界をな」

 火照ほてりをどこまでも拡散させながら焦土しょうどを眺める。樹々は地面から突き出たびたくぎ。煙は暗雲に変わっている。


「この世界ってドドドが創ったの?」


 緊迫きんぱくに投げ込まれた幼い声。場違いなぐらいに腑抜ふぬけた顔。

「ビミー。どこにいってたんだ」

 地面にへたりこんでいたシャダが立ち上がって、足をもつれさせながらビミーのそばへ。ちんまりとした頭や肩に降り積もった灰を手で払ってやる。

 灰の中から発掘されたのは好奇が宿やどったつぶらな瞳。死にていのドドドは身じろぎするのも難儀なんぎというように両腕のない上半身で振り返ると、ビミーの視線に、使い古した石臼いしうすを回すような動作でうなずいた。

「そうだ。俺様が創った。俺様がこの世界の創造主。貴様らは被造物に過ぎない。貴様ら自身が創造主にならない限りはな」

「へえ。面白そう。どうやったら創造主になれるの。おいらもやってみようかな」

 にんまりと笑ったビミーの表情に危険なものを読み取った私は、伸ばした腕を風にあおられたはたのように振り乱して、

「ビミー。こっちにくるんだ。シャダ、ビミーを連れてきて」

 ドドドを挟んで向かい側にいるビミーとシャダに呼びかける。しかし、シャダはドドドと私を見比べて、指の置き場に困ったように宙を彷徨さまよわせるばかり。

「よく聞け。ビミー。教えてやる」

 幼い両手いっぱいにかかえられている黄金の鉢植えをあごで指して、

「簡単で単純なことだ。まずは情物で腹を満たせ。受け入れて、かせるんだ。そして、想像する。創造したい世界をな。己が望む世界を」

 黄金の鉢植えにあるのは、たったひとつ残された楽陽樹のなえ。ビミーは自身の手のひらをスコップにしてへきしょくに輝く苗をすくいあげると、一切の躊躇ちゅうちょなく、口の中へと放り込んだ。


「あっ」と、息をんだのはシャダ。私はきたるべき変転へんてんそなえて、思わず身をすくませていた。

 ちいさなあごをゆりかごにして、ビミーは舌の上で飴玉あめだまのように苗を転がす。

「ドドドはどんな世界を望んだの」

「見ればわかるだろ。怒りに満ちあふれた世界だ。業火ごうかまれ、焦土しょうどに果てる世界だ」

「なんでそんな面白くもない世界を望んだの」質問が重ねられる。

「破壊こそが世界に活力を与えるからだ。破壊のない世界なんてつまらないだろ。平坦へいたん平穏へいおんで平和な平定された世界。平たいものはくだらない。やはり凹凸おうとつがなければな。怒りは破壊の呼び水であり、破壊をもたら火焔かえんでもある」

「でも全部壊しちゃったらなんにもなくなるじゃない。それこそまったいらな世界なんじゃないの」

「まっさらになれば、まっさらを破壊すればいいだけだ。無地のカンバスに置かれた絵筆がやることは、無地を破壊し、絵柄を産みだすことだ。わかるか? 何もないなんて状態はありえない。常に何かはあり続ける。あるものは破壊できる。この焦土しょうどもまた俺様の憤怒ふんどでさらなる破壊に見舞みまわれて、一時いっときたりとも同じ姿でいることはない」

 その言葉には破壊すらも破壊しそうな異様いようすごみが込められていた。ドドドは内なる熱で自分自身の肉体をも破壊し続けている。けれども、そんな炎の化身けしんを前にして、ビミーはあっけらかんとした態度で、

「怒ってばっかりの世界なんて全然ちっとも楽しくないよ。おいらならもっと楽しい世界を創る」

「やってみるがいいさ。できるかどうか。見ていてやろう」

 ドドドが言い終わるのを待たず、舌の上にあった苗がのどの奥へと落とされた。


「森を燃やすなんてひどいよ。あんなに楽しかった森をさ。おいらはこの楽陽樹の森が大好きだった。もっともっとこの世界いっぱいに、この世界そのものを楽陽樹にしようと思っていたのに――」

 語られる間に、ビミーの背丈は隣にいるシャダを追い抜いている。樹木のごとくに成長していく。

「だから、おいらが森になるよ。一本のおおきなおおきな楽陽樹になる。それが、おいらの世界だ」

 ドドドがけらけらと腹をかかえるように体をかしげて、

「そりゃあいい。だが一本で森にはならんぞ。林には二本。森には三本の木が必要だって相場が決まっているんだからな」

「それはおいらが決めることだよ。おいらが創った世界なんだから。おいらの世界だと、木が一本でももりになるんだ」

 言うやいなや、すさまじい勢いでビミーの体が伸びはじめた。足が根になり、胴は幹に、腕は枝に、手にはこずえまとわりつく。目やのどからも枝が突きだし、眼球や舌が果実のようにぶらさがった。

 宣言通り、ビミーはその身を一本の楽陽樹にしようとしていた。

 とてつもなく巨大な世界樹に。

 はずむような笑い声が天高くへと遠のいていく。それは天すら突き抜けて、際限さいげんなく成長し続ける。こずえが空におおかぶさると、私たちは闇のとばりに閉じ込められた。

「隊長。どこですか」私は見失ったものを探す。

「ここにいます」

 その返答と同時であった。一斉いっせいに楽陽樹の花が点灯。気づけば隊長があまりにも近くにいたので、私は弓のように体をのけぞらせる。

 うずくまっていたキュウが、畏土いどの箱を両ひざの間に挟み込む体勢で、背中を真横に丸めた。見上げられた陰鬱いんうつな瞳に星のようなきらめきが映り込む。


 植物の鍵盤けんばん薫風くんぷうによってはじかれた。かなでられるのは底抜けに明るい楽曲。

「素敵な飾りつけでしょ」

 世界樹の枝にしげる葉、咲く花、みのる果実のいずれも、ひとつとして同じいろどり、姿形のものはない。

 どこからか、どこからも、ビミーの声が聞こえてくる。

 陽気な調子で笑いながら、

「楽しいことしかないおいらの世界に、みんなを招待してあげる。入場料は笑顔だけ。一緒に楽しく遊ぼうよ! 愉快なパーティのはじまりはじまり!」

 口角があがりかけているのを自覚する。手で押さえつけるが、そんなことで情物の影響を止めることができないのはわかっていた。楽陽樹が心にみ込み、私にこうとしている。私だけではない。ドドドやシャダ、キュウ、それに隊長にも。

 うららかに歌いながら体を律動りつどうあずけてしまいたい気分。

「デザートはどう? 甘い花のみつはいかが? キウラが好きなケーキもあるよ。飲んで、騒いで、お腹いっぱいになるまで食べて、いても食べて、遊び疲れたら眠りながら遊ぼうよ」

 花々がラッパとなって、やわらかな葉にまったつゆのようなビミーの声を降り注がせる。

「ドドドが創った世界はくだらないよ。堅苦しい。もっと気楽に盛りあがろうよ。意味もなく笑おう。笑えば嬉しくなるじゃない。喜びこそが花じゃない。花は実になり、喜びの種を無尽蔵むじんぞうにまき散らすんだ。ここは遊園地。楽しいこと以外、何ひとつだって必要ない。怒りなんて笑い飛ばしちゃおう。みんなで一緒に。さあ、ほら」

「俺様の怒りをバカにするのかっ!?」

 ドドドが顔をゆがませる。

「するよ」明朗めいろう肯定こうてい「ひとりで怒ってて玩具おもちゃみたい。あはは」

「俺様をわらうなっ! 無意味ナンセンスな世界の裸の王!」

「あははははははははははははははははあはあはあは――」

 笑いの尾が波となって寄せては返し、ひいひいとなおも笑い続けたビミーは、

「面白いねえ。楽しいねえ。嬉しいねえ。世界を創造するっていうのはさ。楽陽樹以外の情物なんて、はじめっからいらなかったんだ。激昂蝶や嘆鳥たんちょう後生ごしょう大事に育てているのはおかしいって思ってた。”楽しい”だけがここにはある。”楽しい”だけで十分だ。誰だって楽しいことは大好きでしょ。ずっとここにいたくなるでしょ。一緒に笑えば喜びはもっとおおおきな喜びになる。さあ笑えっ! みんな、笑えっ!」

 あまりの事態の急変ぶりに私は忘我ぼうが境地きょうちおちいっていた。細長く伸びた両目が宙返りをして自分を見下ろしているような感覚におそわれる。だが、乖離かいりしかけていた心は、ほむらの輝きによって瞬時しゅんじにして引き戻された。


「――ムカつくが、やるじゃないかビミー」


 げついた賛辞さんじの言葉と共におくられたのは激昂蝶のはばたきだった。

 ドドドの吐息といきに吹かれて飛んだ激昂蝶が、世界樹のこずえに火を放つ。

「では俺様も存分に楽しませてもらおう。お礼に火剣をプレゼントだ。特大のまきになってくれてありがとうよ」

 激昂蝶の火は巨大な楽陽樹の成長をも凌駕りょうがする速度で増殖し、やがてほのおになり、ほのおになった。


 世界樹が燃える。


「あはははは――! 全員、笑えっ! 笑えっ!」

「うはははは――! いくらでもわらってやるさ!」


 共鳴するビミーとドドドの戯笑ぎしょうかてにして、世界樹と業火ごうかはぐくまれる。


「この世界には楽しいことしかないんだ!」


 くれないに染まる天蓋てんがい崩落ほうらくさせながら、ビミーは主張し続けた。

 ドドドはもうわらわない。

「よく見ろキウラ」

 ドドドの視線が私の視線を引っ張りあげる。ドドドの体は劣化した石膏せっこうのように欠けて、腕だけではなくひざまでもが自壊じかいしていたが、そんな状態にあっても胸を張って、空の一点に矢を放つような瞳を向け続けていた。

 天の一角。風穴が開き、不定の空が見えている。常に異なる色に染まり、とどまることを知らない空。その空に針で突いたような点があった。

 その点は無色。白でも黒でもなく、真の無色だった。

「空が壊れた?」熱を持った灰が顔に降りかかってくる。

「そうだ。俺様が壊したんだ。レンカが卵と言っていたが、要するに生まれるのに必要なのは破壊に他ならない。意思だの勇気だの小難しいことは考えなくともいいんだ。こじ開ければいい。ぶっ壊せばいいんだよ」

「そのためにビミーを犠牲ぎせいにしたのか」

「灰の中で死ねるのは幸せなことだ」


 最後の楽陽樹が燃え尽きようとしている光景を前にして、私はこの世界の行く末を考えていた。

 世界が生まれるとはどういうことか。創造された世界が生まれた時、なにが起きるのか。

 いまが卵に押し込められているというのなら、外にあるのは無限の広がり。

 束縛そくばくから解放され、私たちは自由を得る。自由を意識しない自由を得るのだ。

 滅びゆく私たちが、滅びを回避する方法。

 それがこの旅の命題だった。

 だが、これまで、意思のない私たちがその命題の意味を考えたことは一度としてなかった。私たちが滅びを回避する必要が本当にあるのか。滅びを受け入れる選択もあったはず。卵の外が、卵の内よりも素晴らしい場所とは限らないのだから。


 嗚呼ああ、しかし私はどうしようもなく望んでいる。


 既知きちのものよりも、かれるのは未知。


 ――これが、私なのだろうか。


 点描画てんびょうがえがかれるがごとく、点が点綴てんていし、天の天衣てんいやぶろうとしている。

 空がちる。

 大空は奥行きを失った書割かきわりとなって、空気を圧縮しはじめた。

 このままではからの破壊より先に、この愉楽ゆらく大伽藍だいがらんごと私たちはつぶれてしまう。

「――逃げましょう」

 手を引かれる。

 私はそれが誰なのかすぐにはわからなかった。その声があまりにも弱々しく、にぎる手はふるえて、普段の毅然きぜんさの欠片かけらもなく、目元が泣きらしたように赤らんでいたからだ。

 肩に乗っていたはずの嘆鳥たんちょうがいなくなっている。あたりの地面には、繊細せんさい羽毛うもうと、くいのようなくちばしだけが散らばっていた。

「隊長――」

「お願い」


 私は隊長を連れて逃げた。


 背後から声が聞こえる。滅びを見守るドドドとシャダ。

「シャダ。もうこれで――」

「なに? ドドド」

「――お前、耳が?」

「うん。聞こえる。ぞうが消えたからかな。でも代わりに嘆鳥たんちょうかれちゃてるかもしれない」

「そうか。――いや。これでもう楽陽樹の葉でつつんだ信茸しんたけともおさらばだな。どっちの情物もいなくなった。清々せいせいするよ。あんなものを喰っていたなど、思い出すだけで虫唾むしずが走る」

 喧嘩けんかを吹っかけているような口調。

「どうしてそんなことを言うのさ。あたしがつくってあげたら、おいしいって言っていただろう?」

「あれなら畏土いどを生のまま喰ったほうがはるかにマシだったさ」

「なんでいまになって、そんなことを言うんだよっ!」

「お前の顔も見飽みあきた。さっさとせるんだな」

「うるさいっ!」

 肩越しに私が見たのは、嘆鳥たんちょうくちばしを両手でつかんで振りあげるシャダ。とがったくいの切っ先はドドドの胸へと吸い込まれていく。

 もしかしたら嘆鳥たんちょうくちばしではなく、ぞう憎牙ぞうげであったかもしれなかったが、それを確かめる間もなく、ひるがえったほむらのカーテンがふたりの全身をみ込んでしまった。


 私たちが向かうべきは何処いずこか。

 四方を崩壊ほうかいに取り囲まれている。

 我武者羅がむしゃらに、遮二無二しゃにむにに、無我夢中むがむちゅうに走り続けた。

 隊長がよろめくたびに立ち止まって、助け起こしてはまた走った。

 燃える世界樹の木陰こかげがいつまでも追跡ついせきしてくる。

 果てはなく、出口はなく、逃げ場もない。

 足元から、声。

「こっち」

 キュウだ。

 地面から生えているのは、支えをなくしたつる植物のようにたわんだ手。飛びついてすがるようににぎる。

 燃え折れた枝が斬首斧のような勢いでもって頭上からせまっていた。

 灼熱しゃくねつが首筋のあたりをちりちりとがす。

 もはや一刻いっこく猶予ゆうよもない状況。

 煌々こうこうとした炎の影。

 その時、あたりの地面がさざめき立ったかと思うと、私と隊長の体を底なし沼のごとくに引きずり込んだ。

 あわや首をねられるというすんでのところで、旋毛つむじの先までもが地中に沈む。


 一転して一条いちじょうの光もない闇。

「隊長」

 返事はない。私の声はわずかに反響して、山彦やまびこのように繰り返されると、誰の耳介じかいにも受け止められることなく消えていった。

 闇。しかとにぎっている手が本当に隊長の手なのか確証が持てない。冷たくれた氷の結晶ような手。あまり強くにぎるとこわれてしまいそうだ。

 私たちがいるこの場所は、どうやら大空洞になっているらしい。

 一歩、歩いてみる。足裏が頼りない。まるで砂でつくられたり橋。

 何かがいずるような音。ぬめりのある尻尾が私のひざのあたりに触れて、すぐに遠のいていく。音が聞こえなくなって、忘れていた息を吸う。ほんのりと酸っぱくて、甘ったるい、き気をもよおすような嫌な臭いが、ツンと鼻孔びこうを突いてきた。

 たくさんの何かが周囲でうごめいている。闇に対して無力な私は孤独であり、蠱毒こどくに放り込まれたかのような不安がつのる。

「隊長。何故答えてくれないんですか」

 手を引いて呼びける。ゴムが伸びるようなとらえどころのない感触。

 この得体えたいの知れない手を離すべきだという考えと、隊長の手を離すべきではないという考えがせめぎ合う。

「――キュウ。いないのか」

 もうひとり、ここにいるべき者。


「いないよ」


 キュウの声。私は背後を振り返る。あるのは闇だけ。


「どこにいるんだ」


「いないよ」


 その声は私の喉奥から発せられていた。


「やめてくれ――」


 こぼれた声はかすれ、いかにも情けなかった。表面張力にとらわれた瞳の表面のしずくが解放されようとしている。私はかれている。嘆鳥たんちょうに。つまり、いまにぎっているのはまぎれもなく隊長の手に違いないと思った。この手を離してはならない。


「ここは地面の下なのか?」

「さあ?」とぼけた態度。

「君が創った世界なんだろう?」

 暗闇の世界。ほのかな土壌どじょうの香りがするが、足の下にあるのは土ではない。そもそも私を支える地面自体がなくなっている。かすかな浮遊感と圧迫感が爪先つまさきをくすぐってくる。深海か、もしくは宇宙なのか。けれど、いずれにしても、こんなにも完璧な闇が存在するのだろうか。

「どうして何もないんだ? ここは創造に失敗した世界なのか?」

 私がたずねると、私の喉を使ってキュウが答える。

「失礼なことを言わないでよ。何もない、が、ここにはある」

「ない、が、ある?」

「この世界はぜろ。僕はぜろを創造した。全てはぜろから生まれる。あらゆるものを内包ないほうして、溶け合っているのがこの世界」

 喉の奥がかゆくなってくる。自分がしゃべっているのか、キュウがしゃべっているのか判別ができない。

ぜろは何も産まない」

ぜろぜろを産む」

「それは何も産まないのと同じだ」

 強情ごうじょうばって私が突っぱねると、キュウの声が突然、優し気な響きをびて、

「君はいまどんな感情?」

「無。無感情と呼ばれるもの。私たちは変感情的存在であり、恒感情生物である情物たちとは違う。己の内に感情を持たない。感情は常に外にある」

 まるで自己問答だ。鏡に向かって話している。どちらが疑問を発して、どちらが答えているのかもわからない。

「無感情と無は違う」

「何が違うんだ?」

「無感情という感情を、君は有している」

「君が仮面をかぶっていない時間は一瞬たりとも存在しない」

「心が空白でも、眠りに落ちている時でさえ」

「真の無とは、君自身が存在しないということ」

「いま君は存在しているの?」

「君が存在している限りは」

「君が存在しなくなっても、君は存在する?」

からやぶればね」

 またからだ。世界を閉じ込める卵。からからやぶるには意思が必要。勇気が。

「この何もない世界に勇気はある?」

「何でもあるさ。探してごらん」


 探すといっても手掛かりはない。右左どころか、前後も上下もわからない濃霧のうむつつみ込まれている。

 私はくちびるつなぎ合わせてキュウの声を閉じ込めると、おもむろに歩きだした。隊長を連れて。隊長と思われる手を引いて。

 何かを踏んだ。何かが聴こえる。何かがかおる。何かがあるが、いずれもさだかでなく。何かでしかないそれらは、何もないのと同じであった。

 時折、何かに足を引っかけてつまづきそうになる。闇の中に闇がかげる。

 影も光もない。影と光は表裏一体。影があれば光が出現し、光があれば影が現出する。そのいずれもがないこの世界は真なる闇に違いなかった。

 だが、真なる闇の存在は、真なる生をりにする。私の輪郭りんかくを引っぺがし、そこにあるるぎない有を見せつけてくる。

 確かにここは無とは程遠い世界なのかもしれない。

 私は私のやるべきことをはっきりと意識した。

 意思を持って実行しなければならない。

 私自身を失うことになっても。

 勇気を見つけなければ。

 からやぶるために。


「――やめて」


 すすり泣き。

 私はずっとにぎり続けている手に視線を向けた。見えはしなかったが、皮をかれた新芽のように青白くて華奢きゃしゃな手がそこにあるのがわかった。

 私の外側にあるその手は、この闇の中では私自身よりも確かな実在を持っているような気さえする。

「隊長? よかった。やっぱり隊長だったんですね」

 指の一本一本に力を込める。隊長の手は冷たく、ぶよぶよとしていた。

「わたくしたちは、永遠でいましょう――」

「それは、卵の中で世界がくさり落ちるのを待つという意味ですか」

「そうです」

「いままでの旅が全て無駄になってもいいと?」

「それでいいんです。わたくしはそれを望んでいました。ごめんなさい。わたくしの我儘わがままみなを苦しめて。けれど、卵の外にあるのは泡沫うたかたの目覚めでしかない。全ては追憶ついおく彼方かなたで、永久とわ腐敗ふはいの夢を見るべきなのです」

「私は――」

 いやだ。と、思ったが、口にすることはできなかった。生まれも、死にもしないことが、隊長の望みなのだとさとった。永久とわという甘やかな響きはとろけて、どうしようもなくきつけられる。けれど同時に、それこそが真の無へと自らをおとしめる行為であるようにも思えてならなかった。

「この世界はもしかして、隊長が創造したのですか?」

「違います」

 憂鬱ゆううつな響き。

「あなたが創ったのですよ」

「私が?」

警貝けいかいつかさどるのは期待。未来への想像の飛躍ひやく。それらの管理を任されたあなた以外に世界を創造することはできない」

「けれど、現にドドドやビミー、それにキュウも世界を創った」

 反論する私に、隊長が相対そうたいする。私と同じ顔。同じ瞳。闇が視界全てを埋め尽くしているにも関わらず、私には確かに、隊長の相貌そうぼう双眸そうぼうがすぐそこにあるのがわかった。

「世界を創る者をあなたは創った。あなたは皆にとっての大いなる意思。そして、あなたにとっての大いなる意思もまた、この世界の外に存在している」

「どうして私がそんなことを――」

 自分自身のことだと言われても、にわかに受け入れることができない。答えを被造物にゆだねる創造主など間抜まぬけそのものだが、頭の中の混乱が私を愚行ぐこうに突き動かした。

「他ならぬあなたが世界を産みたいと望んでいたから。けれど創造の先で行きづまった。だから、それを代わってやらせようとしたのです」

「被造物が創造主を超えることなどできるわけがない」

「愚者は愚者しか創れない。賢者は賢者を創る。あなたはどちら?」

「私は――」

 口ごもっていると、隊長の手はおぼろになり、かすみほどけて、しずくも残さず闇にけてしまった。

「隊長」

 呼び掛けるが、もう返事はない。

「キュウ。隊長。どこですか。どこにいったんですか。どこ――」

 手探りであたりを進む。耳をませ、ただよにおいに集中するが、雑然ざつぜんとした闇をとらえることはできない。


 放浪ほうろう


 闇によって私のかたち曖昧あいまいになり、立っているのか、座っているのか、寝転んでいるのかもわからない。もしかしたら見上げているのではなく、見下ろしているのかもしれない。

 隊長は本当に存在したのだろうか。キュウ、ドドド、シャダ、ビミー、皆、はじめから誰もいなかったのではないだろうか。


 するどく細く風を切る音。


 痛み。


 とろとろとれた感触。血だ。もしくは脳髄のうずいか。闇から投げつけられた小石が、私の頭に波紋はもんを形成した。


「あ」


 火がともった。

 それは一頭の激昂蝶であった。

 ひらひら、ひらひら。

 闇の中で燦然さんぜんと輝く燈火ともしび


「待って――」


 私は幼子おさなごのように両手を伸ばしてけだした。足元に散らばる何かをいくつも踏みつけ、転びかけながらも懸命けんめいに走る。けれども、いくら走っても、私と激昂蝶の距離はちぢまらない。

 息を切らして立ち止まる。優美ゆうびな激昂蝶のはばたきは蜃気楼しんきろうのように一定の距離を置いて浮かんでいる。

 私は己の肩にずっと重くのしかかっていたものに気がついた。

 かついでいたふくろを下ろして、指先でひもの結び目を探す。その間、激昂蝶ははげますようなあわい光の触手を、私の手元にまで届かせてくれていた。

 やっとのことでふくろの口を開けると、大量にいたはずの警貝けいかいはたったの一匹だけ。

 しかし、私はめげることなく最後の一匹の警貝けいかいを両手でつかんで、ささげ物のように高くかかげた。

 螺旋らせんの巻貝に二枚貝のふたが接着された警貝けいかいの殻。丁番ちょうばんが開いては閉じる。

 ――カン、カン、カン、カン。

 透明の空気をふるわせる祝言しゅうげんかね。私の脈拍みゃくはくの代役。

 予感があった。

 心がふつふつとき立つ。

 ひらひら、ひらひら。

 激昂蝶がいざなわれる。

 私の指先にまり、くれないはねを休ませると、口吻こうふんを伸ばして、螺旋の先端にそっと口づけ。

 ――殻が、割れた。

 意思の切れはしたちが結びつき、長大な糸となって、まゆまれる。

 私はまゆの中にいる。

 さなぎの私には闇すらもあたたかい。



 る。



 井戸に切り取られた丸い空から振り落とされた鶴瓶つるべの裏側。


 ひび割れたコップの底にいた極小のあなかられた水滴。


 八百万やおよろずの血肉を吸いあげ脈動みゃくどうする左心房と右心房の間。


 花のない薔薇ばらとげに刺さった指輪に通された赤いひも


 数字だらけの紙束の最後の一枚に書かれたまなし。


 脱皮したばかりのかにはさみが差し込まれた岩のうろ


 ケーキに乗った宝石の果実を滑り落ちる甘露かんろ


 眠る子犬の肉球の隙間にこびりついた匂い。


 はずむような歓声かんせいに叩かれる両開きの扉。


 海に溶けた優しい子守唄の最後の一音。


 り切れた青い導火線どうかせんとがった革靴。


 雪を照らすちいさなほむららめき。


 千切ちぎれた縄梯子なわばしごに残された繊維せんい


 卵の中のにわとりが産んだ卵の外。










 感情が収束しゅうそくする。


 まったく、堂々巡りであったらしい。けれど空転くうてんしながらも、わだちの跡は刻まれていた。例え、前には進めていなくとも、泥濘ぬかるみが深くなれば下方向に進んでいるとも言えるのではないだろうか。

 定められた結果。けれど必然ではない。道をゆずってゆだねたものにしか、運命はもたらされないのだから。

 至極しごく単純で、理解の必要もないぐらいに簡単なことだった。

 観客がいない劇場で、私は私を演じていたのだ。位相いそう齟齬そごが常に立ちはだかっていた。私は過去に。観客は未来に。そんな当然のことすらわからずに、いるはずのない観客を探して私はひとりさわぎ立てていた。

 演目は変わらず、舞台は廻転かいてんし、輪転りんてんする。最初に戻って再度演じられる。繰り返す。何度だって。また隊長にうこともできるだろう。

 空席の観客席に向かってうやうやしいお辞儀じぎ


 緞帳どんちょうすでに開け放たれている。

ここまでお付き合いいただき、誠にありがとうございます。

読んで下さった皆様には感謝の気持ちでいっぱいです。

評価やコメントなどをもらえれば嬉しく思います。

よろしければ是非お願いいたします。

あとがきを活動報告に投稿していますので、こちら私のマイページから2024/3/7付けのものをご確認ください。

それではまた別の作品でも出会えることを心より願っております。

2024/3/7の井ぴエetcでした。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ