小学生が書いた夏休みの日記がおかしい件
夏休み明け。1ヶ月半ぶりに教壇に立った僕はたった半日で早くも疲れ切っていた。
久しぶりの授業は思った以上に体力を削られる。昼休み、僕は職員室で一人ため息を吐いた。
「......」
とはいえ始まってしまったからには仕方がない。これまで通り僕は仕事をするだけだ。まずは夏休みの宿題の採点から始めようと、昼食を食べ終わった僕は引き出しからプリントの束を取り出す。
僕の目の前にあるのは、朝に集めた夏休みの宿題『夏休みの出来事を一つ日記にして書く』のプリントだ。何でも良いのでプリント一枚ぶん夏休みの出来事を書くという課題である。
家庭の事情で目立ったお出かけが出来ない子もいるため、あえて「思い出」を書くとは言わず「出来事」を書くと言ってある。そうすれば、普段の何気ない日常を書いても問題がなくなるというわけだ。
さて、我がクラスの子達はどんな夏休みを過ごしたのだろう。新しく小説を読み始めるみたいなワクワクを少し感じながら、僕は一枚目の日記に視線を向けた。
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5年5組 30番 山岸蓮人
8月2日、ぼくは今日、友達といっしょにプールに行きました。
≪お〜。楽しそうで良いね!≫
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原稿用紙の空いたスペースに、赤ペンを使ってコメントを書いていく。会話しているみたいで楽しい。僕は続きを読み進める。
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僕は、去年は25メートルプールをぜんぶ泳ぐことはできなかったですが、今年は25メートル泳ぐごとができました。うれしかったです。
≪すごいですね!≫
でも、背泳ぎがまだできないので、次は背泳ぎで泳げるようになりたいなと思いました!
≪さらなる成長を楽しみにしています!≫
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「よし、と」
コメントを書き終えて、僕は日記から目を離した。
旅行や行楽などではない。決して派手な思い出ではないこの出来事。しかし、きっとこの子にとってはこの日が一番印象に残ったのだろう。次のプールの授業が楽しみだ。
僕はふと職員室の時計を見やる。時刻は12時30分。午後の授業開始までまだ時間が残っている。
せっかくだ、時間の許す限り見ていこう。僕は今見たプリントを横に置き、次のプリントへと目を向けた。
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5年5組 20番 田中悠真
昨日、友だちの野田くんと公園に遊びに行きました。楽しかったです。
≪体を動かして素晴らしい!≫
その帰り道に、ぼくたちは白線の上だけしか通れないゲームをやりました。
≪先生も子供の時やってたなあ≫
白線以外の場所を踏むと死んでしまいます。
≪そんな設定あったなー≫
なぜなら、白線の上以外は核に汚染された土壌なので、踏むと身体が蝕まれるからです。
≪世紀末の設定なんだ≫
その次に、じゃんけんで負けたほうが相手の荷物を持つという遊びをやりました。
≪それもやったことあるな〜≫
私はじゃんけんに負けてしまったので、死ぬまで野田くんの荷物持ちとして生きます。
≪その日で終わらせてください≫
あとは、グリコをしながら帰りました。
≪それもやったことあります!≫
グーで勝ったら『グリコ』と言って3歩進む、チョキで勝ったら『チョコ』と言って3歩進む、パーで勝ったら『パイン』と言って3歩進みます。
≪駆け引きゼロじゃない?≫
帰り道はいろんな遊びが出来て楽しいです。もはや、帰宅が一番楽しいです。
プロ野球チップスでいうと、チップスがお出かけでプロ野球が帰宅です。
チョコエッグでいうと、チョコがお出かけでエッグが帰宅です。
≪お菓子の部分も美味しいよ≫
きのこたけのこで言うと、きのこがお出かけでたけのこが帰宅です。
≪は?≫
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「突然思想を押し付けられたな......」
危ないところだ。もう少しで冷静さを失うところだった。
怒りを完全に押し込め、苦々しい思いを抱えながらも、僕は次のプリントへと目を向けた。
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5年5組 25番 向ヶ丘凛奈
昨日、私は風邪で塾をお休みしていた櫻ちゃんのお見舞いに行きました。
≪優しいね!≫
布団で寝ていた櫻ちゃんはすっかり熱が下がって気分も良さそうでしたが、パジャマの柄がダサかったです。
≪いいだろ別に≫
風邪の間に何をしていたかを聞くと、映画が好きだから、スマホで映画を見ていたらしいです。
≪映画か〜。楽しいよね≫
確かに、櫻ちゃんの部屋には、映画のDVD が沢山あります。ターミネーター4やスピード2など、続編の面白くないやつが多かったです。
≪感性は人それぞれだろ≫
そんな櫻ちゃんはなんと、1カ月で20本以上のファスト映画を見ています。
≪ちゃんと見ろよ≫
『風邪が治ったなら、勉強した方が良いんじゃない?』
私がそう聞くと、彼女はそっと目を伏せ、ただ静かに震えるのみでした。
≪病み上がりだぞ、正論で殴るな≫
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「病人を鞭打つのはやめてあげて......」
ともかく、仲は良さそうなのでまあ安心だろう。僕はプリントを横に置き、次のプリントへと目を向けた。
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5年5組 19番 柴子虎
夏休み中、お父さんが中古屋さんで新しい車を買いました。
≪おお、大きな買い物ですねー≫
なんでも、借金をしたまま行方不明になった人の車が売りに出されていたみたいです。
≪公営の競売だね≫
シートが濡れてたり、ナビの現在地がたまに知らない海を指したままずっと動かない不具合がありますが、安く買えたので良かったです。
≪修理が必要だね≫
そしてこの前、またナビの調子が悪くなりました。家族全員でお出かけの最中、とつぜんナビから『ボボボボ、ボボボボ』と変なノイズが聞こえました。
みんなが黙る中、今年小学一年生になる弟が無邪気な声で言いました。
「この音、人が溺れているみたいだね」
誰も答えませんでした。
家に帰って詳しく調べたところ、新聞の片隅のニュースで知りました。この車の元の持ち主は、車が差し押さえられる前に溺死していました。
ちょうど、ナビの指し示していた場所で。
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「怖すぎるだろ!」
日記というよりは掌編ホラー小説じゃない? なんか夜トイレ行くの嫌になってきた。
この日記をさっさと忘れるため、僕は次のプリントへと視線を向けた。
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5年5組 17番 城崎冬美
日曜日、私はプライベートで家族と動物園に行きました。
≪芸能人?≫
一緒に行ったのは、お母さんとその配偶者です。
≪複雑な家庭事情抱えてる?≫
5年5組 17番 田端冬美(旧姓)
≪答え合わせありがとう≫
動物園に入るとまず、この園のマスコットキャラクターの人形が置いてありました。
動物園の全ての動物を混ぜたキメラのキャラクター『キメランドくん』です。
≪キメラに良いイメージなくない?≫
キメランドくんにはAIが搭載されていて、話しかけると、キメランドくんは返事してくれました。
『ボク、キメランドくん! みんな〜! 朕と一緒に動物について学ぶキメ〜!』
≪一人称と語尾、両方が不愉快なことあるんだ≫
余談ですが、キメランドくんは時々『生まれなきゃ良かったキメ〜!』と喋るそうです。これは、AIの設定をいくらいじっても解決しないとの事でした。
≪普通に嫌だな≫
そんなマスコットを無言の冷めた目で睨めつけながら、私たちは動物園に入りました。
≪めっちゃ嫌うじゃん≫
家族みんなで動物園に入ると早速、たくさんの動物がいました!
≪良いね〜≫
動物園で、まず最初に目に入ったのは、象さんでした。
≪でっかいね!≫
── 永遠に生きる象は、きっと「ぱおーん」ではなく「くおーん」と鳴くのでしょうか ──
象は、鼻が長くてすごく面白かったです。
≪そのポエムいる?≫
次に目に入った動物はウサギでした。
≪かわいいよね〜≫
動物の説明書きコーナーに、ウサギは寂しいと死ぬと書いてありました。
≪よく言うよね〜≫
まあ、蹴っても死にますが。
≪だめだよ≫
あっ、うさぎの鳴き声が聞こえます。
≪蹴った?≫
蹴ってはいません。
≪よかった≫
さて、ここで先生に問題です。私が動物の中で、一番好きなのはなんでしょうか?
ヒントは、二番目に好きな動物が『たぬき』ということです。
≪よーし、頑張って当てるぞ!≫
【ヒント】
たたたたたたたたたたたたたた
たたたたたたたたたたたたたた
たたたたたたたたたたたたたた
たたたたたライオンたたたたた
たたたたたたたたたたたたたた
たたたたたたたたたたたたたた
たたたたたたたたたたたたたた
≪もう少し上手くやって下さい≫
最初は重苦しい気分のお出かけでしたが、この動物園を通して、私と配偶者との距離が少し近くなった気がしたので、良かったと思います。
≪ハッピーエンドじゃん≫
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「終わりよければ全て良しだな......」
家族でのお出かけがこの子に良い影響を与えたなら何よりだ。より家族で仲良くなれるよう祈りながら、僕は次の日記へと目を向けた。
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5年5組 26番 森下空
夏休み、ぼくは家族で奈良旅行に行きました!
≪おっ、良いね〜≫
その旅行がとても楽しかったので、その気持ちを表すため、「たのしかった奈良旅行!」という文章を使って、たて読みでも読める日記を書いてみました!
≪すごい! 気になります!≫
たぶんですが、奈良に行きました。
のどが痛くて大変だったけど、
し
かを見られたので、す
っごく嬉しかっ
たです!
奈落の底って
良いよね!
旅は道連れ世は情け。あっ!? あの人はまさか
行基!?!
!
≪ヨコ読みが犠牲になってんぞ≫
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タテヨコ両方を成立させなきゃダメじゃない? 最後苦し紛れに僧の行基まで出てきてるし......。
「なんか疲れてきたな......」
日記をたくさん見たせいですっかり疲れた僕は体を伸ばすため大きく伸びをした。
肩甲骨を解すため胸を大きく張ると、体の中からパキパキと小気味良い音が響き、肩の重さが幾分か和らいだ。
そうして無意識に時計を見ると、長針がほとんど12を指そうとしていた。
「やばっ! 時間気にしてなかった!」
僕は急いで次の時間に必要な道具を持ち、立ち上がる。職員室を出ると同時、始業のチャイムが鳴り響いた。