47 預言
【注意】ヒロイン死亡注意
「シド……」
最愛の女が死の淵からシドを呼んでいる。力のない、今にも儚く消えてしまいそうな弱々しい声だった。
けれどシドは怒ったような顔でオリヴィアを見つめるばかりで、何も言葉を発さず返事をしない。
シドは自分を残して死んでいくオリヴィアが許せなかった。
「ヴィー……」
シドが会話をするつもりがないようだと感じた様子のオリヴィアは、部屋にいるもう一人の愛娘に呼びかけた。
しかし、少し離れた位置にいたヴィクトリアが、声につられて寝台に近付こうとすると、シドがそれを妨害するかのように身体をずらし、ヴィクトリアからオリヴィアを隠すようにして母子の接触を阻もうとした。
ヴィクトリアは、シドの行動に悲しそうにするばかりだが、それ以上近付くこともなく、体力が底を突きかけているオリヴィアも、抗議することはなかった。
普段のオリヴィアであれば絶対に何か言いそうなものだが、もうそんなこともできないくらい衰弱してしまったのだと思うと、行き場のない怒りがシドの内面に渦巻いた。
オリヴィアとヴィクトリアの二人は、別れを悟りこれまで幾度も言葉を尽くして語り合っていた。シドは今更ヴィクトリアにオリヴィアの残り少ない時間を渡すつもりはないし、オリヴィアの最期の瞬間は自分のものだと思った。
(本当は、オリヴィアのすべてを自分のものにしたかった)
自分が本当に欲しいものは、いつだって手の中から溢れて消えていく。
「……シド…………」
オリヴィアはやはりシドに何か言いたいことがあるらしく、再度名を呼んだ。
シドは顔を歪めた。
オリヴィアがシドに言い残すことなど、恨み言くらいしかないのではないかと思ったからだ。
オリヴィアの最愛の番であるテオを殺したことか――――
それとも、ここから羽ばたきたいと強く願っていたオリヴィアの自由を認めずに、奪い続けていたことか――――
それとも、オリヴィアが命を懸けてでも産むつもりだった、自分たちの子供を殺したことか――――
最後の最後に責めるような言葉を聞きたくなかったシドだったが、愛しい女の潤んだ水色の瞳にじっと見つめられると、居た堪れなくなり、「何だ」と渋々返事をした。
「……幸せになって…………」
言われた瞬間、制御不能な感情が身の内から湧き上がり、ぶわりと涙が溢れて、シドの頬を濡らした。
「俺はっ……! お前がいないと! 幸せになんてなれないっ!」
シドは変わらずにオリヴィアの手を握り締めたまま、縋るように告げて号泣し始めた。
「死ぬなオリヴィア! 俺を置いて逝かないでくれ!」
懇願するシドに、オリヴィアはすべてを受け入れたような、柔らかい笑みを向けていた。
それはすべてを許した者だけが浮かべる微笑みだった。オリヴィアはシドの非道な行いをすべて許していて、その上で幸せになれと、心から告げてくれていた。
「大丈夫よ…… きっと、音は鳴る……」
オリヴィアが言っているのは、獣人が番を得た時になるはずの、あの、すべての獣人に幸福をもたらす祝福の音のことだ…………
「鳴るわけ無い! お前でも鳴らなかったのに! 他の女で鳴るわけ無いじゃないか!」
オリヴィアは、緩く首を振った。
「いいえ…… これまで、あなたは…… 本当の意味では、誰も愛していなかったのよ」
言葉だけを捉えれば、一番の執着を見せていたオリヴィアですらも、本当は愛していなかったと責めているようにも聞こえるが、すべてを受け入れて許しているオリヴィアは、シドを責めるために言っているのではない。
シドが求める愛はきっと別にあるから、希望を捨てるな、ということを伝えたかったのだろう。
「そんなことない! 愛してた! 俺はお前を愛していた!」
オリヴィアはシドが必死で告げる言葉について是否は言わず、ただ、「ありがとう」と返した。
「音は鳴る…… 必ず……」
慈しむような優しい笑みを浮かべているオリヴィアは、美しい声音でシドの耳朶に残る言葉を紡いだ。
オリヴィアは、シドの後ろで泣いているヴィクトリアにも、「幸せになってほしい」という言葉を残してから、もう何も言い残すことはないとばかりに、スッと瞼を閉じた。
「オリヴィア! オリヴィアッ!」
意識を失くしたオリヴィアにシドが呼びかけるが、焦がれるほどに美しいその水色の双眸がシドを見つめることは、二度となかった。
やがて、弱まっていた心臓の拍動が止まり、オリヴィアは静かに息を引き取った。




