3 俺はお前を選ばない
少しR15
少女二人がシドの世話をしに地下牢に下りてくるのは不定期だった。族長の不在時など、あまり咎められない時を見計らっているようだった。
ユリアの父親も、娘たちがシドの世話をすることについては許している様子だったが、相変わらずユリアがシドの枷を外す鍵を持ってやって来ることは一度もなく、大人たちはシドを外へ出す考えはないようだった。
シドは牢獄生活でかなり筋力が落ちていた。オリヴィアたちが来るようになり食事の回数は増えたが、充分ではない。自分の身体の状態が元のようになれば枷を壊すことも可能だと思うが、そこまでは程遠い。
ただ、何もすることがない牢獄生活の中でシドは自分の身体と向き合い、意識的な力によって切られた足の腱を繋いで再生させていた。普通はそんなことができるはずもないが、シドの身体能力は常識では計り知れないほどに化け物じみていた。
オリヴィアとユリアだけはシドが元の通りに歩けるようになったことを知っていたが、シドはこのことを絶対に誰にも話すなと強く口止めしていた。「もしも回復したことが知られれば俺は殺されるだろう」と、シドは二人に語った。
しかし牢獄に囚われてから二年ほど経った頃に、その懸念は現実となった。
その日、誰も訪れるはずのない夜の時間帯に、シドの元に現れた人物がいた。階段を下りて地下牢までやって来たのは、ユリアだった。
一人だけでやってきたユリアはいつも通り牢を開ける鍵を使い中に入ってきたが、その表情は冴えなかった。ユリアはシドに会う時は、表情に僅かな喜色を滲ませているのが常だったが、それもない。
そしていつもと違い、シドにつけられている枷を外す鍵も持ってきていた。
「シド君、あなたの処刑が決まったわ。
オーリも私も何も言っていないのに、あなたが自力で足の腱を治してしまったのが、どこかから漏れてしまったみたいなの。
上の人たちはあなたの潜在的な力も含めて、恐れている…… だから、おかしな存在は殺してしまうのですって」
秘密がバレたのは、ユリアたちとは別の、週一食事を運ぶだけの仕事を担当するようになったアギナルドという獣人からだ。
牢の匂いが酷いので、ここに来る獣人はたいてい匂いを完全遮断してしまうのだが、前回新しく担当に変わったアギナルドは、シドもできるが、種類ごとに匂いを遮断するしないを分けて嗅ぎ取れる能力を持っていた。
アギナルドは嗅覚についての能力がかなり高く、切られたはずのシドの足の腱が繋がっていることを、一発で見抜いていた。
だからバレたのはユリアたちのせいではない。ユリアが秘密を漏らしていないのは匂いで知っているし、匂いが探りにくくて里の中での行動がわからないオリヴィアも、そんなことはしないとシドは信じている。
愛の口付け作戦が効いたのか、オリヴィアは最近ようやくシドの告白を受け入れた。
ただし、番になるのはシドがここから出られて大人になってから、という話で、シドはオリヴィアのその判断にはかなり頭にきた。シドの身体はもう充分大人になった。いつでも番になれるのに拒まれたのだ。
それにオリヴィアももう十一歳だ。里の常識では月のものが来ないうちはまだ子供とみなされるが、そろそろオリヴィアだって身体の変化が来るはずだ。
牢の中からでは他の男どもからオリヴィアを守れない。番になると口約束をした所で、他から掻っ攫われて穢されてしまえばその相手がオリヴィアの番になり、シドへの愛は消えてしまうだろう。そうならないうちにさっさと番になっておくのが得策に決まっていた。
もしもオリヴィアが奪われたら、相手の男を殺すのは決定事項だ。自分から女を寝取るとは許しがたいので、即死を与えたい。そしてオリヴィアの鼻の粘膜を焼いて、絶対に自分の番にするつもりだが、できればシドだって愛しい女から獣人の肝とも呼ぶべき嗅覚を奪いたくはない。
オリヴィアは恥ずかしがっていたが、彼女の返答に頭に血が登ったシドは、その時いきなりオリヴィアに向かって✕✕した。
オリヴィアは最初何が起こったのかわからない様子だったが、直後に惨状を悟り悲鳴を上げていた。
『いやーっ!』
『オ、オーリ!』
混乱しているオリヴィアを助けようと、ユリアが彼女に近付いていたが、シドはあまりにも苛ついていたので、ユリアにも✕✕を思いっきりぶっかけてやった。
その後ユリアは号泣し、オリヴィアは『シドと番になんか絶対ならない!』とぶりぶり怒りながら去っていった。流石に番になるのをオリヴィアに断られるのは嫌だったので、次に会った時は態度を改めて謝り、優しく接してとりあえず元鞘には戻った。
どうやって番になる展開に持ち込もうかと考えていた矢先の処刑決定。それに――――
「シド君、オーリと逃げて。今からシド君の枷を外すことを、オーリにはさっき話してきたの。オーリは必要な荷物を整理して、すぐにここにくるはずよ」
シドは事態を嗅覚で探りながら考える。話をする余裕は、少しくらいならあるか――――
「ユリア」
シドはユリアの名前を呼ぶ。そうすると、隠そうとしつつもユリアの瞳が切なそうに揺らぐのをシドは知っていた。
「お前、俺のこと好きだろ?」
首枷の鍵穴に鍵を差し込もうとしていたユリアの手が、ぴたりと止まった。
ユリアはシドに対しておどおどとびくついて接することが多く、最初に面会に来た時も、自分から言い出したくせにいざ地下牢へ向かう段になってから怖気付いていた。
時折垣間見えるユリアの表情の揺れはシドへの怯えから来るもののように見えるが、そうではない。シドは気付いたが、オリヴィアはユリアの気持ちには気付いていない。
「俺が殺されると知って、見つかれば阿呆の族長やお前の親父にぶん殴られることも覚悟で、俺の枷を外す鍵を盗みに行った。バレた時に折檻されるのは自分だけでいいと、オリヴィアには何も言わずに一人でやった」
止まっていたユリアの手が動き出す。カチャリと音を立てて、シドの首枷が外れた。
「すごいね、シド君は何でも知っているのね」
「俺はお前を選ばない」
「わかってる。シド君が好きなのはオーリだし、オーリだってそうよ。私は二人が幸せになってくれればそれでいいの」
ユリアは数ある枷に次々と鍵を入れていき、シドの拘束を完全に解いた。
「鍵を盗んできたことなら気にしないで。殴られるくらいはされるだろうけど、お父さまは私に甘いから、きっと処刑まではならないように族長から守ってくれると思う」
「いや、もう死んだ」
「え?」
シドの言葉にユリアは意味がわからないという風に首を傾げた。その時、遠くから何かが爆発したような轟音が響いてきた。
「何……?」
「攻めてきた。人間が。俺たちを根絶やしにするつもりで、かなりの規模だ」
シドは鋭すぎる嗅覚により、数日前から武装した大勢の人間たちが、闇夜に紛れるようにして魔の森を進軍していることには気付いていた。しかしここしばらくシドの元を訪れる者は皆無であり、そのことを誰にも伝えられなかった。
だが、伝えた所であの馬鹿族長は、そんなことあるはずがないとシドの発言を聞き流したことだろう。
警戒を怠らなければもっと早い段階で気付けそうなものなのに、結局あの族長は、里の入口あたりまで人間が攻めてくるまで全く気付かなかった。
慌てて部下を差し向けるも、重厚な火器類の圧倒的武力で押され、先発隊の何名かは死んだ。その中にはユリアの父親もいた。
人間たちを完全に舐めていた族長たちの戦況はかなり悪い。人間たちの使う火器の轟音が、里の端に位置するこの場所にまで聞こえてくるようになっていた。
人間側は本気でこちらを潰しに来ていた。
ユリアが誰にも見咎められずに族長の私室に忍び込んで鍵を盗めたのは、族長たちが不在であり、それどころではなかったからだ。
「この里、滅びるかもな」
「シド君……」
「お前はここにいろ。全員蹴散らしてきてやる」
困惑と不安を顔に浮かべたまま、自分の父親の死もまだ理解していない様子のユリアにそう告げると、シドは先程までずっと拘束されていたとは思えないほどの素早すぎる動きで、地上へ続く階段に向かった。