38 汚い大人
ユリアが死んでほどなくして、息子が里から出て行った。
ロータスにとってはシドとの決別の意思表示らしかった。あの極弱息子が里から出て一人で生きていけるようには思えなかったが、シドは止めなかった。
しかし、ロータスのその「家出」に対して騒ぐ者が約二名。
一人はロータスの数少ない、いや、唯一の友人だった料理人見習いのオニキスだ。
オニキスはロータスより三歳年上の十三歳で、シドにしてみればまだガキだが、シドに匹敵するほどの潜在能力を秘めている。
シドは早々にオニキスを自分の支配下に置くため、オニキスが性的成長を見せ始めた頃に、年齢の見合う適当な人間の雌と無理矢理番わせた。
番は獣人にとって最大の弱点である。
シドが、命令に背けばオニキスの番がどうなるかわからないなと、殺すことも犯すことも含めてちらつかせれば、オニキスは面白いくらいにシドに絶対服従の姿勢を見せるようになった。
オニキスはロータスがいなくなったことに気付くと、慌てて匂いを探って後を追いかけようとしていた。
が、里の境界で立ち止まり、一転シドの元へと馳せ参じた。
オニキスには里から出るなと厳命している。
それは、里の外に広がる魔の森の中で修行されて、オニキスがシドよりも強くなることを防ぐためだ。
かつてシドも子供の頃に周囲の大人に抑圧され、その強さを封じ込められていた。だが奇しくも、シドはあの頃唾棄すべきと思っていた者たちと、似たような行動を取っていた。
汚い大人になった自覚はある。
オニキスは里の外へ出る許可を貰ってからロータスを追いかけるつもりだったようだが、シドは許可を出さなかった。
ロータスはおそらくもう里には戻って来ない。
「里を捨てた反逆者を連れ戻すことは許さない」
向こうから戻ってくるなら別だが、こちらから連れ戻しに行くなどという下手に出る対応は、シドにとっては言語道断だった。
するとオニキスは、黒曜の瞳でじっとこちらを見ながら言った。
「ロータスがいなくなって、お寂しくはありませんか?」
ピクリとシドの片眉が跳ね上がる。
「そんなことあるわけないだろう」
不快だったのでシドはオニキスを下がらせた。オニキスも馬鹿ではないので、シドの逆鱗に触れぬよう、それ以上ロータスのことについて何かを訴えてくることはなかった。
馬鹿なのはもう一人の方だ。
オニキスから遅れること数日、ロータスがいないことに気付いたサラカヤは、オニキス以上に大騒ぎしていた。
「王様! ロータス君が! ロータス君がどこさぁもおらんばい!」
「家出だ」
「家出っ!」
おおお、おおお、とサラカヤはおかしな声を出しながら狼狽えていた。
「探してくる!」
「待て」
シドはひょいとサラカヤを抱き上げた。
「止めんでくれん王様! あげん愛らしか顔ん子やったら、獣に襲われて食べられとーかもしれん!」
「喰われるなら腹に子がいるお前の方だな」
サラカヤはまだ産み月まで数ヶ月あるが、小柄なせいもあってか腹はそれなりに迫り出して見える。年齢が年齢なので心配なら入院させてもいいと医師は言っていたが、サラカヤはまあ元気だった。
サラカヤはシドの腕の中で足をバタつかせていたが、シドは愛らしいこの嫁を逃がすつもりはない。
絶対に行かせないというシドの意志を汲んだらしく、サラカヤは大人しくなったがしょげていた。
「もっと、もっとロータス君んこと気にかけちゃればよかった。王様がよせぇ言うけんせんやったけど、ロータス君んこと『よしよし』と甘やかしちゃればよかった」
「お前が『よしよし』する男は俺だけでいい」
サラカヤはユリアが死んだことにかなり衝撃を受けていて、ロータスを支えて慰めようとしていたが、シドが全力で阻止した。
「王様、うちはお腹に赤ちゃんがおるけん行けんばってん、ロータス君んこと探してきちゃらんかいな?」
「ああ、既に人をやって探させている」
シドはサラカヤに嘘を吐いた。ロータスを探す気はさらさらなかったが、ここで「探さない」と言うと、サラカヤの性格だとしつこく食い下がってくることはわかりきっていた。
シドはたとえ相手が年端もいかない実の息子であっても嫉妬する。サラカヤが自分以外の男を心配することが気に障っていたシドは、この会話をさっさと終了させたかった。
サラカヤには「捜索したが見つからなかった」と後で言えばいいと、この時のシドはそう思っていた。




