最強の影が見る夢は
(しくじったな)
黒いローブに身を包んだ少年は己の迂闊さを呪っていた。
少年は国家直属の暗殺者だった。四歳の時に、口減らしのため母に捨てられ、奴隷商人に売られた。
商人が目をつけたのは少年の容姿、その一点だけである。
それだけで、捨てた母はーー当人にとっては莫大な金を。商人は小金を失い、貴族の女、男、両方に高く売れる貴重な商品を得た。
しかし、少年は母を憎まなかった。それがこの時代の普通であり、当然のことなのだから。当時はよく分からなかったが、分かる歳になってもそれで母が楽になって本当に良かったと心の底から言えるような、善良な、普通の子供だった。
だからこそ神は彼を見捨てなかったのかもしれない。あるいは見捨てたのかもしれない。
彼はシトレヤ王国の国家プロジェクト、国を陰から支える、優秀でいて国に命を捧げる兵士を作り出す。通称『影の代行者』の実験体、その初期世代に選ばれた。
初期の頃は、影を育てるために選ばれた暗殺者達や、盗賊達だからこそ、育成のノウハウが微塵もなく……つまりはやりすぎてしまった。初期の世代、生き残りは少年とあと一人、実験体Bと名付けられた少女だけである。
これを見て分かるように、少年は才能があった。それも格別の才能を。格闘の才能、弓の才能、剣の才能、槍の才能、努力の才能、特に無痛の才能が良かった。わざわざ拷問の訓練をする手間が省けたから。痛みが無いのなら情報が漏れる確率は万に一つもなく、信頼度はピカイチだった。
しかし、神は一つだけ、たった一つだけ与えなかった。それは影の者には必須の、絶対条件である才能。人を殺す才能。
少年は最初の任務で人を殺すくらいなら自分が死んでやると叫んだ。教官たちは揃って頭を抱えた。教官たちは全員元々日陰者。人を殺すのを躊躇するとは一欠片も想像していなかったのである。教官たちにとってそれは呼吸のように、当たり前に出来ることであったのだから。教官たちは一つ学び、幼少期に倫理を破壊する、つまりは人間を止める教育も追加したが問題は少年だった。
才能だけならこの国、いや、この世界随一のモノだが、人を殺せず、捕縛するのみ。それはそれで情報を引き出せるが、肝心の時に殺す覚悟がなければ生き残れないのは必定。仲間も危険に晒す。おまけに国家の機密を少なからず知っている。
そんな厄介な爆弾を処理するか、という議論は幾度となく交わされてきたが、やはりあの才能は惜しかった。実験体Bも優秀であったが、それは実験体Bが圧倒的狂気に身を包んでいるという側面が大きい。
少年を立派な影に育てるため、教官たちは熱い議論を交わし、計画を立て、実行した。それは愛だった。教官たちは愛が故に少年を完成させようとしていた。
少年が十歳の頃に拾い、自分と重ねていた愛犬が行方不明になった。こういうことには無関与のはずの機関が何故かこの時だけは親身になって犬を捜索してくれた。
犬が行方不明になった三日後、少年に命令が下された。ある貴族(貴族は生まれた頃から何でも手に入ったので歪んだ欲望を持つ者が少なく無く、この貴族の場合食人であり最近のやり過ぎを国王が見咎められこの命令が下された)の暗殺だ。少年は自らが暗殺に向かないのは理解していたので疑問に思ったが、その貴族が持っている犬が少年から聞いた愛犬の特徴と一致していると聞き、機関の慈愛に溢れる命令に若干戸惑いながらも、少年は大いに感謝した。
決行は夜だった。夜食に毒を盛ったのだ。死体を残すのは証拠を残すも同じ。なので、他の貴族達への脅しの側面も含めて、文字通りやり過ぎたものを消すために、毒料理を食したことを確認次第少年達は突入した。
しかし、貴族は毒を盛られたとは思えないほど平気なツラをして、侵入者に気づき、私兵を呼んだ。毒を盛るはずだったのは機関が潜入させた優秀な暗殺者のはずだが少年はそんな異常事態には目もくれず、貴族の夜食に目がイッテイタ。
それは肉だった。肉の隣には遠くからではよく分からなかった、頭部だけの犬と思しきモノがあった。その頭部にはついてあるべき両の眼がなく、代わりに花が突き刺さっていた。舌も無かった。耳も無かった。毛皮も無かった。だが、少年の愛犬と同じ深い切り傷が同じ目元の下にあった。
少年はいとも容易く貴族を殺した。私兵五十人を殺した。メイドも、執事も殺した。それは機関の命令からすればやり過ぎであり、調子に乗っていた貴族達を抑制するはずが恐怖させてしまったが、教官達は怒らずむしろ褒め称え機関に陳情し、この件は不問となった。
少年はこの日から人を殺す才能すら手に入れた。
少年は自分を許してくれた機関に、教官達に報いるように、命令通り、何でも殺した。何でも行った。少年は殺人が案外簡単なこと。そして、便利なことを知った。
こいつと二度と喋りたくないと思ったら殺せばいい。
こいつが二度と見たくないような醜悪な心の持ち主ならば殺せばいい。
不快だ、殺せばいい。
汚い、殺せばいい。
イライラした、殺せばいい。
動物をいじめていた、子供をいじめていた、虫をいじめていた、重犯罪を犯していた、軽犯罪を犯していた、大きい声を出していた、悲鳴をあげていた、死にたいといっていた、死にたくないと言っていた、今日の天気は雨だった、今日は寝起きが良くなかった。
殺せばいい。
それが最も効率的かつ最適解かを少年は知ってしまった。
教官達も知った。分かってきた。どうすれば我々を作れるのかを。我々と同じ体験をさせればいいことに教官達は気が付き、議論では、文字通り不幸自慢が始まった。同情が欲しいのではなく、不幸が彼らの誇りなのだ。常人にはとても理解できない。
実験体Bも知った。恋というモノを。実験体Bは当初、少年のことが大嫌いだった。才能がある癖に殺人を楽しまない。暴力を肯定しない。自らが最も大好きな殺し合いを愚かだと鼻で笑う少年が殺したくないほど嫌いだった。彼女が殺したくないというのは相当であったが、これも常人には理解できない。
そんな彼女だったが今の彼はどうだ。最強の影。無敵の暗殺者。特にあの夜は最高だった。自らが知覚できないほどの速度で切り刻まれた貴族。自分の玩具を奪われて怒る隙も無いほど効率的に駆除された私兵達。己には一生出来そうもない、痛みを感じさせない綺麗な太刀筋で斬られた使用人たち。あの夜の彼は『影の代行者』の間じゃ伝説だ。死神の御技とまでいわれ、後輩達にも語り継がれている。
実験体Bは彼のことが大好きになってしまった。彼女は大好きすぎて、少年をどんな手を使ってでも殺したいと想っている。理解できない。だから強いのだ。
かくして、少年はまたもや罠を仕掛けられた。彼女だ。実験体Bはどうしても直接戦って少年を殺したかったが、教官達や機関の目がある。狂人は考えた。そうだ。少年を殺してもいい状況にしようと。
そうして少年は今、国王陛下のお命を狙った大逆人としてシトレヤ王国全戦力に狙われていた。
(まさか俺が王様に毒を盛ったことにされたとはな……。俺が犯人ならとっくに逃げていただろうに。まぁ、今実際逃げているんだが)
少年は嵌められたのだ。彼女に。彼女は狂っていたが頭が良かった。この時代、力を持つものの中で何が一番扱い易いのかを正しく理解していた。彼女が教育されてきたことを考えれば本来あり得ないはずなのに。
彼女は力は力でも権力を最も持つ弱者を味方につけた。弱者からすれば少年は自らをいつでも殺せる殺人マシーンに見えていたのだ。王は彼女の提案通りに、少年を排除することに決めた。そうして彼女は忙しい少年が王都のーー『影の代行者』本部に報告へ戻ったところを襲い掛かった。偽りの大義を拵えて。
頭はおかしいがどこか天然なのがどうも憎めない、友達だと思っていた唯一の同期。
殺された愛犬のように自分を慕い、付き従ってくれる小生意気な後輩たち。
最も付き合いが長く、最も自らを評価してくれていた教官達。
それが一斉に襲いかかってきた。当たり前だ。『影の代行者』は王こそが至上と気が狂うまで洗脳されていたのだから。殺人は便利だったが、好きになったわけではない。時を置いて、殺人衝動もなくなりつつある。そんな少年が『影の代行者』達とまともに戦えるはずもなかった。あったとしても、勝てない。国家とはそういうモノだ。次から次に、あらゆる方面から、あらゆる分野で、襲いかかってくるのだ。勝てるわけがない。
少年は、漆黒にやや赤みが入ってしまったローブを捨て、血まみれの、ボロ雑巾のようになった体を必死に這う。未だ王都を出ておらず、影達の気配も近くからする。逃げなければ。何故? と己に問いかけてみても、返ってくるのは体を引きずる音と、荒い息遣い。全てを失ったはずなのに、命以外の全てを失ったはずなのに、最後の一つだけは勘弁してくれと、心が叫んでいる気がする。痛くもないのに涙が出てきた。
だが、限界だった。少年はよく戦った。『影の代行者』相手に手加減をして、誰一人殺さずに逃げてきたのだ。よく見ると背中には十字に深い切り傷がある。実験体Bがつけた傷だ。少年はこのままでは死んでしまうような気がして無理矢理立ったが、よろけて近くのゴミ箱に持たれかかった。それは生ゴミやら、誰かの吐瀉物やらで、およそ近付きたくはないモノだったが、這っていては何か大事なものが擦れていく気がした。ポタポタと血が滴り落ちる。赤く、黒く、紅い、熱い血が、溢れ落ちていく。
今まで幾度となく、殺す前に言われた言葉。
『怪物めッ!』『人間じゃないわ!』『死神ィ!』
「俺はッ怪物でも、人外でも、死神でも、無かったッ。俺は赤い血が通った人間だったッ! 皆と同じ、人間だったッ! 嗚呼、俺はなんてことを……」
少年はまた一つ、知った。あの日から己は、己自身に嘘をついていたと。自らを怪物、人外、死神、だと振る舞っていた。普段から、そう見えるように努力していた。しかし、少年は嘘が下手だった。後輩達は、冷酷な死神が時折見せる甘い顔を好いていたのだ。
自分は全くその嘘に気づかなかった。己が殺人を楽しんでいると誤認した。己は影が似合っているのだと錯覚した。
自分に、他人に、嘘をつきながら非道を犯した。
それに気付いた時、自分はもう死にかけ。痛みが無くても分かる。どの程度の出血で人が死ぬかは、死を多く見てきた少年にとって容易かった。少年は怖かった。死ぬのが怖かった。
何も償いをせず、罪を自覚したのもついさっき。そして、こんなにもすぐに救いを与えられては、自分を許せない。死ねない。死にたくない。
その重い想いとは裏腹に、体から血は抜け続け身体が軽くなってきた。
ついに意識を失いかける。汚いゴミ箱から身体が地面に倒れ込む。澱んだ視界、朦朧とする意識、もう一度立ち上がらんと星に手を掲げ、掴もうとする少年の手を、誰かが抱き止めた。それに安心したのか、それとも限界だったのか、少年は意識を手放した。
○
「逃げ切ったかな? かなぁ? 大丈夫かなぁ? 私の運命の人。きっと無事よね? だってまだ死ぬのには早いわ。貴方が死ぬ時は私と一対一って来来来来来来来来来来来来来来来来来来来来来来来世まで予約してるもの。安心して?今世もよ。割り込み予約してやったわ。嗚呼、私の旦那様。あれだけお強いのなら私も負けちゃう? な訳ないない。ちょーっとだけ休憩しておいてね? 万全な貴方を細切れにしてぐちゃぐちゃにしてぇめちゃくちゃのくちゃにしてやらないと意味ないんだからぁだからぁ待っててね? 舞ってるからね?」
不遜にも、教会の机に土足で立ちながら、美しい童女は舞っていた。それは、見る人が見れば女神だと錯覚し、見る人が見れば魔女だと錯覚するほどの神々しさ、或いは妖しさだった。
○
王都のとある端の方に小さな宿屋があった。その宿屋は木造であり、長年の使用で劣化していたが街の人々や旅人の間でも飯が上手く、給仕の娘が見目麗しいと評判の店だった。
夜は食堂を開けており、酒場としても繁盛していた。
時刻は夕暮れ、徐々に宿屋の隣にある酒場が騒がしくなってくる頃である。
「メアリーちゃん。昨日の彼はその後大丈夫だったかい?」
メアリーと呼ばれた酒場の娘はやや、窶れた顔で、それでも快活に頷いた。
「昨日のお医者様! 今日も来てくださったんですね! 昨日は突然、酔ったあなたに仕事をさせてごめんなさい! まだ彼は目覚めてないけど、徐々に良くなってきて……本当にありがとうございました!」
「うん。それならいいんだけど……もしかして一日中看てたのかい?」
メアリーは恥ずかしそうに頬を掻きながら「苦しそうだったので……」と言い訳のように溢した。
「まぁ、あの傷だったからねぇ……彼とはどういった関係なんだい? 随分酷い目に遭っていた。あれは人間による切り傷だったよ?」
「えぇ、まあ……遠い親戚だと思います」
「思いますってあんた……」
遠くからメアリーを呼ぶ声がした。それに素早く反応したメアリーは逃げるように去って行こうとする。
「ごめんなさい。父に呼ばれているので失礼しますね?」
「あ、あぁ。お薬ちゃんと飲ませてやりなよ!」
「はーい!」
「まったく……礼儀がいいんだか悪いんだか……」
医者はため息を吐きながら苦笑いする。
「それにしても……どっかであの少年を見た気がしたんだがなぁ……この店の関係者じゃないのなら一体どこで見たんだろうか?」
疑問を携えながらも、医者は運ばれてくる酒と美食に溺れていき、一人の患者のことなどすぐに忘れてしまったのだった。
○
少年は件の宿屋のある寝室にて目が覚めた。
「んん……ここは……」
少年は朧げな意識を懸命に振り払い、周囲を警戒する。
長年の機関や教官達の教育の賜物だった。
(拘束されていない? 俺は確か意識を保てなかったはず。路上に放置された俺を見つけるのはあいつらにとって簡単なことのはずだが……)
少年は思案に耽溺したが結論は出ず、今はそれよりも新たな情報を得るべきだと結論付けたのだった。
(しかし、今下手に動くと傷口が開く可能性がある。どうやら手当や薬を処方してくれたようだが鎮痛剤の意味はない。ただ腹に違和感を感じるだけだ。やはりこれは機関に捕まった訳ではないのか)
いつもと違い、生きていることに安堵を覚えた自分にやや疑問を覚えるも、それは今まで無責任だったからだと己を断じた。
(今まで殺した者たちのことを毎日考え、自分が迷惑を掛けた者たちの十倍救い、一生を償いに捧げる。これが達成できるまでは死ねない!)
そう決意した時だった。宿屋の娘、メアリーが部屋に入ってきたのは。
「失礼しまーすってあれ⁉︎ もう起きてる! お医者様絶対三日三晩寝たきりだって豪語してたのに……。やっぱりヤブかなぁ? いい人だけど大酒食らいなんだよねぇ……」
少年は動けなかった。それは自分の体を慮った訳でも、ドアを開かれるまでメアリーの気配に気付けなかった己の不甲斐無さのせいでも無く、ただ単に美しかったのである。彼女の心が。
少年は多くある才能の一つにとても特異なものがあった。それは相手の心を色や形にして捉えることが出来るのである。
簡単に言うならば、彼は対象がその時心に感じたことや思ったことが大体分かるのである。神は彼に痛みを感じさせることは無かったが、相手の心は感じさせたのだった。
しかしそれは絵画のようなものであり、捉えようによって、意味も全く違うものになってしまうため、少年はあまり見たものを信用していなかった。
だが、彼女の心は違った。少年はこれに文句の付けようもないと思った。
(これは……どんな人が見ても美しいと感じる。人間の心にこんな美しいものが存在していたのか。これが、これが俺の目指すべきものなのかもしれない)
メアリーは、呆然とした少年に不安になり、目を伏せた彼に心配し、涙を溢したところでつい、駆け寄って抱きしめてしまった。
「大丈夫。どんな目に遭ってきたのかは聞かないけど、そんなことをする人はここにはいないからね」
それは先程の陽気な雰囲気とは打って変わって、まるで包み込んでいくような、母親のようなものであった。
少年は包み込まれたことを不快に思わず、逆に後ろめたい気分だった。己のような汚いものがこのような美しいものに触れて構わないのだろうかと。
メアリーはその躊躇をどう受け取ったのか、申し訳なさそうにいそいそと少年に離れていき、少年はこれが当たり前だと謎にざわつく心を無理矢理納得させた。
「えっと……ごめんね?何が起こってるのか分かってないよね?実は昨日の深夜に酒場で出たゴミを捨てに行ったの。そうしたら血まみれの貴方がいて……」
「なるほど。それでここまで介抱してくれたのか……感謝する」
「まあ、薬をくれたのはお医者様なんだけどねー」
「そうか」
「そだよー」
「……」
「……」
少年は己が案外口下手だと言うことを知った。
しかし相手は酒場の娘。会話なんてお手のもの。幸い少年の話題についてメアリーは事欠かなかった。
「ねぇねぇ、君の名前はなんて言うの?」
「……な、まえ?」
「うん。名前」
「エフ」
「え?」
「みんなからはエフと呼ばれていた」
それは実験体Fのえふだったが少女は知る由もない。珍しい名前だねと返しながら、エフとの会話を楽しんだ。
「この礼は何を返せばいい?」
「えぇ……いらないよー。その歳でそんなこと考えなくていいの!」
「……俺は十六だ」
「え……うっそだぁ!」
「確かに俺は小さいが……」
「ああ、ごめんごめん。十分エフは大人だよ! うん」
メアリーはエフの顔をたくさん知ったし、エフは殺伐としていない穏やかな空気を知った。メアリーは母のようであり、姉のようであり、妹のようであり、そして恋人のようでもあった。
○
数十日がエフの主観で驚くほど早く流れて行った。その間、二人はより親密になり、エフは機関の捜査の話が全く聞こえてこないことを疑問に思い始めていた頃だった。
「メアリー、いいのか? こんなに怪しい俺に何も聞かず、宿の一室を無償で貸し与えていて?」
「いいの! どうせ空いてるんなら人助けしないと! それに私、この宿の娘だもーん」
「……ありがとう」
「ん、もう。エフは変なところで泣いちゃうんだから」
「なぁ、メアリー、人助けは尊い?」
「……ふふっ!どうしたの急に?あはははっ!エフって変な人」
「…………」
「拗ねない拗ねない。そうねー、人助けは尊いけどそれだけっていうのは悲しくない?」
「? どういうこと?」
「んー。なんていうか、自分の本当にしたいことを押し殺して、人助けだけやるってのはまるで人間に操られてる人形みたいじゃない?」
「それは……分からない。なぁ、メアリー、人助けはいいことで、それに一生を捧げるのは、贖罪足りえるのか?」
「はー。エフってほんと変な人ね。うーん。……意味ないと思う。罪って何の罪か知らないけど、そんなことを考えるエフがした罪なんて大したことないか、他に理由があったから何でしょう?なのに一生を捧げる意味なんて無いよ」
「それは!……でも、あんなことをする権利も理由も無かった!」
「でも義務はあった、でしょう?」
鋭く言い返したメアリーの顔を驚いた様子で見るエフ。
「店の前の掲示板で貴方の顔が載ってた。王暗殺の指名手配」
「……そうか。王は随分焦っているようだな。まぁ、当然か。自分をいつ殺しに来るか分からないんだから」
エフは潮時だといった風に全てを曝け出していた。
内心、まだ罪滅ぼしをしていないと、死ねないと、強く思っていたが、今まで迷惑を掛けた分、せめてそれには最後に報いたい。
「中々の賞金額だろう。受け取ってくれ。今まで世話をしてくれてありがとう。さ、拘束しろ」
「なんで? なんで逃げないの? もう傷だってほとんど消えてる。それに、貴方がした罪は誰かが願ったものなんじゃないの? それは、貴方が大好きな人助けじゃないの?」
「人助けして人を殺すなんて本末転倒もいい所だろう」
確かに、エフ達「影の代行者」が殺してきたのはシトレヤ王国に邪魔なものであり、外道や悪党、犯罪者などがほとんどであったが、善良なものもいたのだ。その善良さでこの国を滅ぼし掛けていたが。
「じゃあ、貴方が言うように人助けをして罪を贖い続けなさいよ! なんで楽になろうとしてるのよ!」
「おかしなことを言う。メアリー、君はさっきそれは無意味だとーー」
「でも、それがエフの生きる理由になるなら私に止める権利なんて無い! でも、でも! 他に生きる理由があるのなら、本当に貴方がしたいことがあるのなら! それを優先しなさいよ! 貴方は人間でしょう?」
怪物でも、人外でも、死神でも、人形でもなく、人間。
「……俺はーー」
瞬間、エフは匂いを感じ取った。危険な匂いだ。
「メアリー、逃げろ! 俺の仲間が来る!」
メアリーは、どこに? とは聞かなかった。普段冷静なエフが冷や汗をかき、悪鬼の表情を浮かべている。どこに逃げても結果は同じ。なら、最後は隣で死にたい。
「ここにいる!」
「何を馬鹿なことを! 素知らぬ顔で逃げればーーあっ! 俺を差し出せば助かる! お前は助かる!」
「……ッ!」
パチンと頬を叩かれる。エフは茫然とする。痛かったのだ。骨が折れても、刺されても、致命傷を受けても、痛むことのなかったエフが、あまりの痛さで泣き叫んでしまいそうだった。
あんな細腕のどこにそんな力があるのかと思ってメアリーを真っ直ぐ見た。そして、どうして己は痛みを覚えたのか理解する。
(嗚呼、こんな美しい心が他人を踏み台にして行けるわけがない。たとえ、その他人が、怪物で酷く汚れていたとしても。嗚呼、痛い、痛い。失うのが痛い。痛いのは嫌だ。でも、どうすればーー)
初めての感情に戸惑うエフ。しかし、隣にはメアリーがいる。迷うものを導くのは誰か? なんて相場は決まっている。
「私を守って! 私を助けて! その後で、話の続きをゆっくりしましょう?」
「あ、ああ! ああ! お前を助ける! お前を助けるために敵を排除する!」
周囲の気配がなくなった。人払いは済んだということだろう。
「影の代行者」哀れな子供達の群れ、それに引導を渡す戦いが始まった。
○
赤く、黒く、紅い、熱い、血溜まりの中で、少年は寂しそうに佇んでいた。
全員ーー
『エフ先輩ってどうしてそんなにカッコいいんですか?僕も将来そんな風になって見せます!』
『エフ先輩、ありがとう、ございました』
『よぉ! エフ! ったくお前は優秀だなぁ!』
『エフ。強くなったな! ま、弟子にやられるってのも俺ららしいし、不幸だな! あの世であったら復讐してやるよ。それが終わったら、不幸自慢大会でも開くとするか!』
『エフ』
『エフさん』
『エフっち』
『実験体F』
『エフ殿』
『死神さん』
『先輩』
『エフ様』
ーー殺した。
「一つ聞いていいか?」
「ん〜? どうしたの?」
「なんで俺の居場所が分かった?」
「お優しいお医者様が吐いてくれたよ? 全く、指一本落としたらす〜ぐ吐いちゃってぇ、時間を稼ぐのに割り食っちゃった! ぷんぷん」
「なぁ、もう一つ聞いていいか?」
「いいよいいよぉ! 遠慮しないで? 貴方が勝ったんだから私は絶対服従だよぉ〜」
「なんで、なんで宿屋にいた奴らを殺したんだ」
「エフちゃんを匿ってたから、じゃダメなの?」
「そんなの嘘だ! お前は弱ったふりをして、逆転できたのに! 隠し持っていた毒ナイフを、俺にじゃなく! メアリーに! そんなの! 明らかにメアリーを殺しに来ていたじゃないか!」
「……メア何とかは私の旦那様を汚した」
実験体Bは驚いていた。あの、死神と恐れられたエフが、他人を守るために戦おうとしていたのだ。だから、エフを殺すことでエフにその愛の大きさを伝えるつもりが、嫉妬によって手が狂ったのだ。知らない女によって、自分が大好きだった死神を人間に戻されてしまったのだから。
「そうか……お前に聞いたのが馬鹿だった。死ね実験体B。俺は最後までお前が分からなかったよ」
「あっそう。私は貴方を愛したかったし、愛されたかったわ。私はもう終わり。でも油断しないでね? 貴方の来世は私が予約済みだから。ね? エフちゃん?」
「はは……何だそれ。なんでお前が彼女に似た"絵"を持ってるんだよ」
殺した。
近くの椅子に血だらけで座っているメアリーがいた。まだ、生きていた。辛うじて。
「メアリー、終わったよ」
「うん」
「俺、分かったよ。自分の望みだけに生きていくことにするよ」
「うん」
「俺、お母さんを見つけ出す」
「どうして?」
「俺が、間接的に初めて助けた人だから。それに思い出したんだ。俺には妹がいた。妹が生まれたばっかりだったから、痛みを知らず、よく指を噛んでいた不気味な俺を売ったんだ」
「それで?」
「見つけて……影から見守りたい。俺みたいな人生を歩まないように、二人だけは絶対に幸せにしたい」
「うん。それについて行ってもいい?」
「……ッ!」
メアリーの体に入り込んだ毒は致命的なものである。それを一番に知っているエフは何もいえなかった。だが、最後にどうしても聞きたいことがあった。
「メアリー、君はどうして、俺なんかにこんな尽くしてくれたんだ?」
「ふふっ!告白は男からするもんでしょ? ねえ、私のこと好き?」
「……ああ、愛している」
「それは何故?」
「君の心があまりに美しかったから。俺が求めていた輝きだったから」
「あはははは! ごほっごぼっ、はぁ。ほんと変な人。きっとそれは私が貴方に恋してたからだよ。それは恋慕の心なんだよ」
「それは……何故?」
「貴方を拾った時。初めて貴方の顔を見て驚いた。だって、店の前に貼られだしていた指名手配犯とおんなじ顔なんですもん」
「……」
「最初は通報しようって思ってた。でも、貴方があんまりにも生きたそうに、死にたくなさそうに、星を掴んで立ちあがろうとしてたもんだから、それが本当に羨ましくて、美しくて、こーんな王都の端っこにある宿屋の娘はついつい手を取ってしまったって訳。ま、エフがいう心の美しさってものはそこら中に溢れているものなんだよねー。あはは」
「……俺は恋に恋してたって言いたいのか? それは違う。お前の恋慕だけを俺は欲していたんだ。お前を愛している」
吐血による赤い唇を奪ったエフは、涙を流した。その涙の意味をとっくの昔に気づいていたメアリーは涙を流さなかった。
「私も。エフを愛してる。ね、もう一回」
エフがメアリーの望み通り、もう一度キスをする。
「……いッ!」
舌を噛まれたエフは血をこぼしながら胡乱げにメアリーを見やる。
「あはは! その痛み、忘れないで生きてね。エフ、最後のお願い。今すぐここから去って。エフの望みを貴方が叶えて。貴方は人間だもの」
「……ああ。だが、すぐについてこいよ? 俺のそばに居ろよ?」
「はいはい。分かった。分かった。でも、そういうことなら浮気は絶対駄目だからね!」
「ああ。しばしの別れだ。また、会おう」
「うん」
○
赤く、黒く、紅い、熱い、血溜まりの中で、少女は寂しそうに佇んでいた。
「よかったぁー愛してる人に最後の醜い姿なんて見せたくないもんねー」
「しかも! 両思い!」
「それにしても、いつも願ってた白馬の王子様がまさかこんな変化球とはねー」
「でも、カッコよかったなー」
「バッタバッタと敵を薙ぎ倒していくんだもん!それが私を守るためって……キャーー!」
「はぁー大好きだったなー」
「一緒にいきたかったなー」
「一緒に、いきたかったなー」
「お父さん、お母さん、親不孝でごめんね。好きな人できちゃったんだー」
「あ、お医者様もだ。ベロンベロンに酔ってたし、なるべく顔を見せないようにしてたんだけど……ごめんなさい!」
「よし。これでもう無い。かな……」
「バイバイ! エフ。来世では、今度こそ幸せになろうね!」
「子供は五人、じいちゃんばあちゃんになって、手を繋いで一緒にいくんだぁー……」
「うん」
「やっぱり六人がいい」
「きっとだよ!」
「きっと、きっと、だ……よ……」
○
「エミリー! ちょっとまた何か送られてきてるわよ!」
「はーい!」
何かな? 最近イタズラというか変な警告文が多いからなぁ。
私は医者という関係上、誰かからの贈り物というのは珍しくなかった。そのかわり、恨みつらみも珍しくないんだけど。
でも、私は誇りに思っている。この、人を助ける仕事を。
「んー?何これ? 警告、エミリー、次の患者は危険だ。指名手配の逃亡犯だ。気をつけろ。最初で最後の実験体より。ですって。またかぁ。でも前の警告文は的を射ていたし……」
「あらあら。次の患者は領主様の護衛よぉ? それに……そんな情報どこで手に入れてるって話だし……。ねっ! まるでリリィのお兄ちゃんみたいな人ね? この送り主。ほらっ、心配性」
「お兄ちゃん? ふふっ! 私にお兄ちゃんなんていないよ。私、一人っ子だってお母さんから聞いてるもの。さっ女手一つで育ててくれたお母さんのために、いっちょ人助けしましょうかねー」
最後までお付き合い頂きありがとうございました。
よろしければ、ご意見ご質問ご感想等を頂けると、とても嬉しいです!