貴族の封書/魔の発生
「お待ちしておりました、伝説の魔導士様」
エルフの女性が膝をついて深々と首を垂れる。貴族の紋章が刻まれた銀の髪飾りがキラリと光る。このエルフの女性は俺に何の用だろう。
そもそもエルフはその種族自体が高貴かつ孤高の存在だ。人を頼らず、人に崇められることを当然とし、人と会話を交わすことすら稀なことだ。
まして俺はE級冒険者。勇者との冒険を経て多少はたくましくなり実力もついたとは思うが、そもそも冒険者なんていうのは下僕に過ぎない。エルフにとっては路傍の石。目をかける価値もない、そもそも存在に気づかない雑魚。
国政に関わる一大事に担ぎ出されるS級冒険者なら話は別かもしれない。しかし、そもそもS級は昇格とともに爵位を授与される。また、S級冒険者の半数以上が元々爵位を持つ騎士や魔導士の家系の人間だ。つまりS級冒険者の多くは武力を背景にした貴族なのだ。
そういえば、勇者たちはS級冒険者だったのだろうか。おそらくそうだろう。彼らとの道中では、誰も彼もが勇者を勇者として扱いもてなした。彼らが身分を証すまでもなかった。
エルフが俺に礼儀を払うという異常事態に固まってあれこれ考えていると、エルフの女性は顔を伏したまま懐から封書を取り出しおずおずとこちらに差し出した。
「私はこの地一帯を統治する一族のものでございます。ノミ様に私たちの屋敷にお越しいただき聞いていただきたいお話がございます」
おそるおそる封書を受け取る。封書は髪飾りで見たのと同じ貴族の紋章で封をされている。正式なものだ。事情はわからないが、ここは舐められないように毅然とした態度を振る舞うべきだろう。
「おっほん……封書を拝見した後、伺います。では」
やや震え声だったろうか。とにかく俺なりに精一杯威厳のある返答をしてさっとドアを閉じた。心臓がバクバクし、背中を嫌な汗がつたっていた。
* * *
爆音が聞こえ逃げるか否か考えをめぐらせる間もなく勇者たちは現場へと向かっていた。
遅れて商店や民家から町民たちが顔を出し、火事だろうか事故だろうかと不安げに噂話をはじめる。そこへ、音のした方から少年が声を涸らして叫びながら走ってきた。
「ドラゴンだ! ま、町外れが襲われて燃えてる!」
ドラゴン? そんな大物モンスターが出るわけあるか。
仮にいたとしても勇者たちが向かっているのだから何とかなるだろう。
一応駆けつけてやる気だけは示しておこう。スピーダを自分に唱えて煙の方向へ駆けて行く。
しかしドラゴンはありえないにしても町がモンスターに襲われるなどこの辺じゃ聞いたことがない。
そもそも町の付近にモンスターが現れること自体まれなのだ。
これでも魔導士の端くれとしてモンスターがどのようにして発生するかは知っている。
モンスターというのは、元々この世界に存在し繁殖しているウサギや亀といった生物とは異なる。
世界中には魔力の源が漂っている。それは“魔素”と呼ばれ魔法のエネルギーとして現代は活用されている。歴史的には時に忌み嫌われ恐れられてきたものだが、火を灯す油のようなもので、それ自体に大きな危険はない。
神話と創世の時代に、人間がその魔の力に溺れ、堕落し、神々に見放されたとき、世界にとある邪悪な“呪い”がかけられた。その邪悪な呪いは堕落の根源たる魔素を結合させ、堕落した人間を襲うモンスターに作り変えてしまう。それ以来人間とモンスターの戦いは幾千年と続いている……というのが誰でも教会で教わる神話かおとぎ話のようなストーリーだ。
現代ではその“呪い”の解明には至っていないものの、どんな条件でどのようにモンスターが生み出されるのかはかなり詳細に研究されている。
モンスターが発生する条件は以下の三つだ。
①人目のつかぬ場所
②光の当たらない場所
③魔素の濃度の高い場所
この条件を満たす人里離れた山野や洞窟、地下、暗い森などはモンスターに出くわす確率がきわめて高く、逆に町や村から多少離れてもひらけた平原や街道ではゼロではないものの危険は少ない。人間がいれば魔素は乱れ、消費され、結合するまで放っておかれることはほとんどない。
それを知ってか知らずか、教会は産めよ増えよの方針で、人口は増加していき、逆にモンスターは減少傾向だ。モンスターをわざわざ討伐せずともこのまま人類が栄えるにつれモンスターは絶滅するのではないかと主張する勢力さえいる。大地が遍く人間で満たされればモンスターのはびこる余地は無いというわけだ。それはそれでぞっとしなくもないが。
人間がこの大陸をひしめいて虫のように蠢いている様子を想像して気分が悪くなってきたところで、現場へとついた。立ちのぼる黒煙と硫黄の臭い。炎はまだ見えないが、秋にそぐわぬ熱気を肌に感じる。
おそるおそる先に進むと、人家がめちゃくちゃに潰され、そうでもないものは瓦礫と消し炭の山になっている。怪我人や死者は見当たらない。避難は済んでいるようだ。
安心し、息をついたその刹那、急に陽が陰る。見上げると大きな赤い翼が元来た方角へと飛んでいた。
「おい、やっと来たかノミ!」
近くの屋根から勇者が叫ぶ。返事をする暇もなく、追うぞとだけ言ってマーリンと共に人家の屋根を川の岩々を飛び移るように軽々とジャンプして渡っていった。
遅れてゴーガンも駆けてきたがさすがに重装備ゆえこちはら風のように…とはいかなかったが、それでも鉄塊のような鎧をまとって俺と並走しているからただものではない。
「ハァ…ハァ…これだから飛び回るやつは好かねえ。」
ふと思い立ってゴーガンにエアリアを使ってみることにした。自分のスピーダに割く魔力は落ちるが、自分よりゴーガンに先を行かせた方が得策だろうし、俺にも危険がない。
「……おぉ!? 体が軽いぞ……力が漲るぅううう!!」
力が漲る効果はないはずだが、ゴーガンは鉄馬車のように轟と突進していった。