第九話 命のマナ
村の数人の者が、交易品を携えて都へ向かった。
普段は近くの町までで済ますところだったが、今回はジョンの父親のために教会の治療術士を呼びに行かなければならない。
ジョンは村に残った。
本来なら自分も都へ行き、自ら教会へ願い出るべきだろうとは彼も考えていたし、そうしたかった。
しかし、金盞花から聞いた「命のマナの詰まりについて」の話が気にかかっていた。
村の近くのどこかで、命のマナが詰まっている。それがために海の魚が少なくなっているという話。
というわけで、ジョンはそれを村の者たちに伝えた。
村の者たちはジョンに、洞窟の神と話ができるのか、会えるのかと聞いたが、ジョンは恥ずかしがり屋の金盞花のために、一方的に声が聞こえるだけさと答えておいた。
そうして、今日は朝から近隣の森を手分けして捜索して回っていた。
木漏れ日の射す森の中、ジョンは鉈を片手に歩いた。
正直自分が何を探しているのかもわかっていなかった。
言い出しっぺの金盞花自身も、マナ詰まりがどこでどのように起こるものなのか、はっきりわからないと言っていた。しかも金盞花は洞窟をあまり離れられないので、彼女の調査も捗らなかったらしい。
ただマナの廻りには中継地点があり、それは必ず洞窟の周囲のどこかになければならないとも言っていた。それが、彼女の研究でわかっていることだと。
ジョンは三本密集して三角を作っている木を見つけた。近寄ってその一本の幹を見ると、横向きに傷が入っている。
金盞花がここまで捜索したという目印につけたものだ。獣が爪を研いだなら縦に複数の傷がつくので、これに間違いない。三本木を越えて歩き出す。
ジョンは周囲に目を配りながら考えた。
金盞花はどこから来たのだろう。
ジョンは銀の髪を持つ人など、老人以外で見たことがない。
命のマナがどうのという話は、どこで聞ける話なのだろうか。村に来る教会の伝道師はそんな話をしたことがない。
彼女の国では一般的なのだろうか? いや、彼女はそれが原因で追放されたと話していた。
金盞花はどうして洞窟から離れられないのだろう。離れられないとしたら、彼女はどこからどうやってここまで来たのだろうか?
ジョンはかぶりを振った。
どうでもいいことだ。金盞花はあの洞窟にいて、自分たちを助けようとしてくれている。自分は彼女が好きだし、それでいいじゃないか。
彼女の研究からマナ詰まりの痕跡の姿を想像しようとしていたら飛躍してしまったことに気づいたジョンは、三本木から左へぐるりと曲がった。
森が途切れ、草むらへと出た。その先は海を望む崖で、水平線が見える。
岬だ。青空には幾つか雲が浮き、風に流されていた。
辺りに何かないかと探してみたが、草むらには小さな白い花が無数に咲いているだけで変わったところはない。
ため息をついて顔を上げ、海に目をやる。沖には五艘、小舟がいた。捜索をジョンたちに任せて漁に出ている村人だ。
ジョンは目を細めて、何気なくそれを眺めていたが、首を傾げた。
小舟の周囲に、黒い塊が浮いたり沈んだりしているのに気づいたのだ。遠いのでそれが何かははっきりわからないが……。
ジョンは回れ右して走り出した。大急ぎで村へ戻る。浜へ出ると、自分の小舟を海に押し出す。櫂をめいっぱい漕ぎ、沖へ向かった。
漁をしている者たちのところまで来て、ジョンは辺りを見回した。
それに気づいた漁師の一人が尋ねた。
––––ジョン、どうしたんだ? ナントカ詰まりを探すんじゃなかったのか。
––––いやあ……この辺で何か見なかったか?
ジョンが尋ね返した時、ジョンと漁師の小舟から少し離れた水面から、ひょっこりと何かが顔を出した。
アザラシだった。
それに注目しているジョンへ漁師が言った。
––––あのアザラシ、妙なんだよ。さっきからああして顔を出して、俺たちの舟を覗き込んでくるんだ。網に入った魚を狙ってるのかと思ったら、そういうわけでもないしな。じーっと俺たちの顔をみてくるんだよ。
ジョンはアザラシを見ていたが、アザラシもジョンを見ている。
すると、アザラシは水面に顔を出したまま、ジョンがさっき立っていた岬の方へ泳いで行く。時々ジョンを振り返りながら。
––––邪魔して悪かったな。もう行くよ。
ジョンはアザラシを追うため、舟を動かす。
––––何だよジョン。あれを捕まえるのか?
––––そんなところだ。
アザラシはどんどん泳いで行く。ジョンもそれに続く。アザラシは岬を回り込んで、沖の漁師たちからは見えないところへ向かっている。
ジョンが岬を回り込むと、すでに崖の下の岩場にアザラシが上がりこんでいた。アザラシはジョンの小舟が近づいてくるのを見ると、両顎を手で掴んで上下に引き裂いた。
––––ハイ、ジョン。また会ったね。
アザラシの口の中から、金髪美女の顔が現れた。
––––ケイシーじゃないか。どうしたんだ。
ジョンは小舟を岸に寄せ、友綱を持って岩場へ上がった。
––––あんたが帰る時、後ろをついて行ったんだ、こっそりね。海の王国も悪くないけど、最近退屈でさ。
––––陸の上のスリルはもう懲りたと思ってたんだがな。
––––あ、そういうこと言う? あんたが心配だから、助けてあげようと思ってついて来たのに。
ケイシーはわざとらしく眉をひそめた。
––––心配?
––––そ。ジョン、南の村で魚が獲れなくなったって言ってたよね。あたい、それがずっと気になっててさ。
ケイシーは岩場に腰掛けて指で髪を梳いている。ジョンの方はと言えば言葉の意味を判じかねて黙っていたので、彼女は続けた。
––––あたいが思うにね、そういうのって、どっかが詰まってるんだよ。って言うより、南から来た妖精たちがそう言ってたんだ。最近南からどんどん妖精が逃げてくるんだ。それから……生き物たちも。
ジョンはケイシーにもっと近寄ろうとした。友綱を握っていたことを忘れて取り落としてしまったので、慌てて拾う。
–––––北の村では毎日大漁だったでしょ? 北の人間たちも人手が増えて喜んでたんじゃない? それってつまり南の、この辺の魚が北に逃げ込んだからなんだよ。逃げて来た妖精たちもみんな、何かが息苦しくって、南にいられないって言うんだ。消えて……ううん、人間風に言えば死んじゃった妖精も多いんだって。何かが起こってるんだ。
––––何かって?
–−−−何か……異変が!
−−−−つまり?
––––………………異変がっ!
ケイシーはわざとらしく厳しい表情を作ってそう言った。
ジョンはそんなケイシーの顔をじっと見つめた。ケイシーは、はっとして顔を赤らめ視線を逸らすと、早口で続ける。
––––あ、あたいはその南の妖精の一人に聞いたんだよ。そういうことは、どこかで命の流れが詰まってるから起こるんだって。白い石の扉があるんだよ。その白い石の扉で詰まりをなくせば、また南に帰れるのにって。だ、だから、それをあんたに教えてあげよっかなって思って……。
ジョンは友綱を引いて小舟を力づくで引きずり上げた。そしてケイシーに歩み寄ると、彼女の手を取る。
––––白い石の扉? それを探せばいいのか⁉︎
––––え、あ、うん、ちょ、近い……。
––––ありがとうケイシー、それを知りたかったんだ!
ジョンはケイシーの手をぶんぶん振る。
ケイシーは顔を伏せ、うん、と消え入りそうな声で返事をした。
ジョンは手を離すと、腕組みして考え込む。そして、白い石の扉とはどんなものなのか尋ねた。
ケイシー自身はそれを見たことがないと言う。しかし、大きな白い石で組まれた物だから、目立つはずだとも答えた。
ジョンはマナ詰まりを捜索している村人たちにそれを伝えに向かうべく、小舟を海に下ろそうとした。
ふと、ケイシーを振り返って言った。
––––本当に、何て言っていいか……。あんたにはまた助けられたな。どんな風に礼をすりゃいいんだろう?
––––礼だなんてそんな。あたいだって、ジョンに助けられたんだ。その恩返しだよ。
––––俺はそんなにたいしたことしてないぜ。なのにあんたは、故郷を離れてこんなに遠くまで……。何でそこまでしてくれる?
ジョンはまたケイシーを見つめた。この金髪の人の良いアザラシ妖精は、一度ならず二度までも自分を助けてくれようと言うのだ。
ケイシーはその視線を受けて、顔を赤らめて顔を背けて言った。
––––た、た、たいしたことだよ! あたい、このアザラシの皮がないと海の底の家に帰れないんだ! あたいの友達の友達は、人間に皮を盗られて無理やり結婚させられたんだよ! 取り返して逃げ出すまで、何年もかかったって言うんだよ? あ、あたいも、あんたがいなければそうなってたかもしれないから……。
声は徐々に尻すぼみになっていった。そして、顔を伏せた。
––––……それだけ。それだけ伝えに来ただけで……。
––––ケイシー、まさかもう帰るだなんて言わないよな?
––––えっ……うん……もすこし……いてもいい?
––––もちろんだ。今はちょっと忙しいが、まだ礼をしてないぜ。
ジョンがそう言うと、ケイシーの表情がパッと明るくなった。
––––どんな礼がいいか考えといてくれよ。俺にできることなら何でもやるぜ。
––––え、今何でもって……。
––––ああ、何でもさ。
そう言って、ジョンは小舟を勢いよく海に落とした。




