第八話 金盞花の怖れ
––––私、怖かったの。
金盞花は洞窟の、いつもの場所に座り込みそう言った。木の実をぽりぽり食べつつだ。かたわらにジョンも座っている。
ジョンは何がとは聞きはしない。
––––あの首飾りを見た時、私、すごく怖くなって、あんなこと……。
ジョンはどうしてとも聞きはしない。
––––私、あなたに嫌われなければと思ったの。ひどいことを言って、もうあなたがここへ来ないようにって。でもあなたは、それでも毎日お魚を置いてくれた。
金盞花は、ジョンが北の村へ遠征に行ったことを知っていた。洞窟の入り口に魚を置きに来た村人たちがそんな立ち話をしていたのが聞こえてきたという。
ジョンの言いつけによって、洞窟の前に魚を置いていることも。
––––あなたのお父さんはどうなったろうって思って、お魚のお礼に獣を置くことにしたわ。何かの役に立てばと思って。
––––どうりで魚数匹に熊一頭はでかすぎると思ったよ。
––––ジョン。さっきあなた、私のことを……その……好きだって……。
––––ああ、言った。
––––本当?
––––気が狂うぐらい君が好きだ。
金盞花は頬を染めた。
しかし哀しげに目を伏せた。
そして。
私はそう思ってもらえるような女じゃないと言った。
––––私、怖かった。私が何者か知ったら、きっとあなたは私のことを嫌いになると思って。
––––君が誰だろうと、俺は君が好きだよ。
––––あなたは私を知らないわ。それに私を見て。私は人間じゃない。
––––俺は君を知ってるさ。美しくて、心の優しい、金盞花だ。
––––人間は人間と愛し合うものだわ。私はあなたといっしょにはいられない。
––––いっしょになれるかどうかは心構え次第さ。
––––あなたが本当の私を知ったらそんな気持ちではいられなくなるわ。
––––俺は君のことだったら何だって受け入れてみせる。
金盞花は顔を上げた。それからまた目を伏せて、何か考え込んでいた。
しかし意を決したように再び顔を上げ、
––––聞いて、ジョン。私は……。
––––俺が知りたいのはそういうことじゃない。
ジョンは金盞花の瞳を見つめて言った。
––––俺が知りたいのは、君が何が好きで、君が何を幸せに感じて、そして俺がそれを君にあげられるかどうかだ。そして俺が今一番知りたいのは、
ジョンは少し唾を飲み込んだ。
それを尋ねることは大きな勇気を必要とした。
だがジョンは知っている。
勇者が勝利することを。
ジョンは尋ねた。
––––君が俺と同じ気持ちかどうかなんだ。
しばらくの間、二人は何も言わなかった。
金盞花は手に持っていた木の実をぽろりと落とした。
指先は震えていた。
––––私といれば不幸になるわ。
––––君がいなくても俺は不幸になれる。
––––私はあなたを幸せにできない。
––––できるさ。
––––どうやって?
––––ただ一言言えばいい。
それから、ジョンは金盞花の言葉を待った。金盞花は言った。
––––ジョン。私もあなたが好き。
ジョンは金盞花に飛びついた。
ジョンと金盞花は洞窟を出て、寄り添って月を眺めた。
三日月は雲の合間に見え隠れしている。
ジョンは、もっとマシな家に住んだらどうかと金盞花に尋ねた。
金盞花は、私はここを離れられないと言う。
じゃあここに家を建てようとジョンは言った。
どうやって? と金盞花は言う。
この崖の上に城を建てようとジョンは言った。
あなたと一緒ならお城じゃなくていいと金盞花は答えた。
––––ジョン。
––––何。
––––あれをもう一度くれる?
––––あれって?
––––あの首飾り。
––––あれは人にあげちまったんだ。もういらないのかと思って。
––––……まさか、女の人……。
––––いや、男さ。
––––ジョン。私を騙したのね。
––––な、何が。
––––あなたは本当はそんな趣味なのに、私の心を弄んで。
––––どういう意味だ。
ジョンは金盞花になぜか頬をつねられた。
その夜。
金盞花は少しだけ、自身の身の上話をした。
ジョンは、金盞花にとって話すのが辛いことは自分も話させたくなかったので、無理に話さなくていいと伝えはした。
しかし彼女が言うには、これは村にとっても重要な話なのだそうだ。ジョンが北の村へ行ってからというもの、ずっとそれについて考えていたと。
金盞花は彼女の故郷の国で、命のマナというものの研究をしていたと話し始めた。
金盞花はジョンに命のマナとは何かについて説明した。だがジョンに理解できたのは、命のマナとは、つまり命にあるマナのことであるということだけだった。
とにかく命のマナについて詮索することは彼女の国では禁止されていたので、金盞花はこっそりと行なっていた。それは金盞花の母と、国に置いてきた妹のためだったという。
金盞花の家族と命のマナに何の関係があるのか彼女は話さなかった。いずれにせよその研究が発覚したことによって、金盞花は罰として今の姿に変えられた。
そのうえで王家を追われ、国からも放逐されてしまったのだという。
––––君のお父さんひどいね。
––––法は法だから。
ジョンは、命のマナとは魔法のようなものかと尋ねた。
金盞花は、似ているが違うと答えた。
魔法は生き物の内から湧き出るマナを用いるが、命のマナは自然の中を駆け巡っているものだと。命そのものなのだと。
彼女はジョンに、「こうまで魚が獲れないのは不自然だ」と言った。
ジョンがどういう意味かと尋ねたら、金盞花は命のマナの枯渇が原因かもしれないと言う。
命のマナは、自然の中を循環している。それが自然に命を与えている。血管と血のようなものだ。金盞花はそう言う。
ジョンはそもそも血管と血の関係自体もあまり理解していないので少し戸惑ったが、金盞花は構わず続けた。
––––おそらく、この村の周り……どこかで、マナのめぐりが詰まっているのじゃないかしら。
金盞花はジョンが北の村へ出向していた間、それを調べていたのだそうだ。
しかし金盞花はこの洞窟を長時間離れられないので、調査は上手くいっていなかった。
いずれにせよ、その命のマナの循環を取り戻さなければ、ジョンの村の現状は解決しない。
彼女はそう言った。