第六話 帰郷
ジョンは今日も今日とて漁に出た。
収穫が多ければ、村へ持ち帰れる交易品も多くなる。風の吹き荒ぶなか、ジョンは誰よりも張りきって働いた。
という時に櫂がバキ折れた。万事休すである。
舟は潮に流され、もの凄い勢いで陸から遠ざかっていく。周囲の仲間に叫び助けを求めたが、風が強いせいか声が届かない。
いかがしたものか、とジョンが考えた時。
舟が何かに引っかかったように、唐突に止まった。
不思議に思って水面を覗く。
すると、そこからアザラシが顔を出した。
アザラシが舟の縁をひっ掴んで、舟を止めているのだ。
アザラシは、片手で舟に掴まり、もう片方の手で自分の上顎を掴み、口を大きく裂いた。
––––ハイ。また会ったね。
アザラシの口のなかに、この間林で出会った全裸美女の顔があった。
––––あんた何なんだ。何でアザラシの中に入ってるんだ。北じゃそういうの流行ってるのか。
––––違うよ。あたいはセルキー。あんた漁師なのに知らないの? 見たことない?
––––人間は見たことあるよ。アザラシもある。けどアザラシに入った人間は初めて見るな。それで? 今日はどんなふうに助けてほしいんだ?
アザラシ女は笑って、
––––陸まで戻したげる。
そう言うと、泳ぎながらジョンの舟をぐいぐい押し始めた。
浜辺へ着くと、ジョンは浜に下りて舟を引き上げる。アザラシ女は波打ち際でそれを眺めていた。
引き上げきって、ジョンはアザラシ女を振り返った。彼女はいつの間にか口を閉じアザラシ完全体になっていたが、チラチラとジョンを見つつ、右手の方へ移動していく。その方向には先日の林がある。
ジョンは何となくついて行った。林に入るとアザラシ女はすでに岸に上がっていて、アザラシヘッドのフードを脱いでいた。綺麗な金色の髪が露わになっている。
彼女は岩に腰掛けていて、腰から下の、アザラシの尾びれをぶらぶらさせている。上半身は毛皮を胸元まで押し開き、ほどよい谷間ができあがっていた。
ジョンはその前に立った。
––––ありがとう、セルキー。絶体絶命だったんだ。
––––セルキーじゃない。ケイシー。あたいはケイシーって言うんだ。
––––さっきはセルキーって言ったぜ。
––––セルキーは種族の名前。あたい自身の名前はケイシー。
––––ありがとう、ケイシー。俺はジョン。
––––当ててあげよっか? 名字はコナー。そうでしょ?
––––いや、ドイルだ。ジョン・ドイル。あんたのおかげで助かったよ、ミス・ライバック。
––––アハハ、あたいに名字なんてないよ。こないだのお礼だよ。あたい、あの時マジにヤバかったから。
ジョンはケイシーをまじまじと眺めた。その視線を感じたかケイシーは、
––––あんた、セルキーを初めて見るんだね。まああたいたちも人間の前に姿を見せることはほとんどないから仕方ないか。でもあんまり驚いてるようにも見えないんだね。肝が座ってる。
––––頭が二つあるだけだろ。ありふれてるさ。それが八つだったらもう耐えられなかったが。
ジョンは肩をすくめてそう言った。しかしセルキーなるものに興味もわいたので、
––––セルキーってのは何なんだ?
と尋ねた。
ケイシーは、自分はセルキーという妖精だと話した。普段は海の中の王国で暮らしているが、時々は陸まで遊びに来ることもあるという。
––––アザラシの皮を着てる時はアザラシになれるんだ。脱げばあんたたちみたいに人間になれるよ。逆に言うと、アザラシの皮がないと海のお城に帰れないけど。だからあの時は本当に助かったよ。あいつ、結婚してくれなきゃ皮を返さないって言うんだ。でもああいうタイプは結婚しても返さないタイプだね。
ジョンはちんぷんかんぷんだった。海の底に王国があるのかと訊く。
––––昔はね。あたいが生まれるずっと前だけど。今はお城があるだけ。王様は出て行ったっきり帰って来ないらしいんだ。あたいたちはその、持ち主のいないお城に住んでる。
ケイシーは、楽しいよと言った。毎日魚たちの、あれやこれやの舞踊りが見られるそうだ。
––––妖精か。初めて見たよ。
––––最近は少ないって聞くね。
二人はしばし話し込んだが、ジョンはやがて村に戻ると言った。折れた櫂の代わりを作らなければならないのだ。
魚をたくさん獲って、南の村へ持ち帰らなければならない。ジョンがそう話すとケイシーは、
––––また会える?
と訊いた。ジョンは、
––––昼間はいつも海にいる。
と答えた。
翌日からジョンの漁は驚異的な捗りを見せた。
ジョンが舟を出すと、海中からケイシーがひょっこりと現れ、魚群を知らせてくれるのだ。
ケイシーは他の漁師にそれとわからないようにジョンの舟に近寄り、穴場へ先導した。時々ケイシーがジョンの舟の周りにいることに気づく仲間もいたが、ケイシーははた目にはただのアザラシにしか見えない。
ケイシーの毛皮を奪った男も漁に出ているが、どうやら彼女のことをアザラシの妖精ではなく、ただの美女だと思っていたのか、ジョンの舟の近くを通りかかっても何も言わない。同一人物だと気づいていないのだ。本当に毛皮の衣服だと思っていたのだろう。
いずれにせよ、いつの間にかジョンは北の村の中で、アザラシ愛好家だと思われるようになった。
ジョンが故郷の村へ帰る日が来た。目標の収穫量に達したのだ。
北の村の者たちは、またいつでも来るといいと快く言ってくれた。
ジョンをはじめ南の村メンは、大柄で角突き帽子を被った村長をはじめとする北の村メンと握手をして回る。
その中にはケイシーから毛皮を奪った男もいた。ジョンが彼と握手をする時、彼のかたわらには北の村の女が寄り添っていた。その女の首には、ジョンが作った貝殻の首飾りが揺れていた。
他の独身の女たちの中には、ハンサムかつ南北合わせても一番の手練れの漁師(公けにはそう思われていた)のジョンが去ることを、口にこそ出さないが残念がる者も多かった。
ジョンの仲間には北の村へ残ることを決断した者もいた。この村の女と結婚し、ここで生きることを決めたのだ。
ジョンは北の村を去る前に、ケイシーと出会った林へ行ってみた。何も言わずに去るのもアレだと思ったからだ。
海へ向かって彼女の名を呼びかけてみたが、打ち寄せる波の音以外何も帰ってこない。
しばらく一人海に叫ぶという孤独な行為を繰り返した後、ジョンは諦めて北の村を後にした。




