第五話 セルキー
ある日ジョンは、浜辺をぶらぶらと歩いていた。
その日は休息日だった。北の村の者が言うには、海神は獲り過ぎることを許さないのだそうだ。だからこうして、時に休息日がある。
すこぶる平和だった。
その日は雲も薄く明るかった。
人間と、インフェルノと呼ばれる魔界の侵略者との戦争が、国のどこかで行なわれているという噂はジョンも聞いていた。
だがあくまでも噂だった。ジョンにとっては。北の村はジョンの村と同じく、そんな話とは無縁の静けさだった。そしてここはジョンの村と比べてさらに豊かだった。
だからその日のジョンは物思いにふけっていた。
なぜ自分の村では急に魚が獲れなくなったのだろう? 子供の頃はそうではなかった。村の年寄りたちは、潮の流れと同じように物事は変わっていくと、常々ジョンたち若者に説いていた。
ではどんな潮の変わり方をして、今自分の村はあの有様なんだろう?
そうやって波打ち際に沿って歩くジョンの前に、砂浜の途切れる岩場が近づいてきた。岩場の奥には林が見える。
声が聞こえた。
誰かが言い争っている声だ。片方は女で、泣いているようだ。声は林の中から聞こえてきていた。
ジョンが林の中へ入っていくと、二人の男女が言い争っていた。
男は、北の村の者。
ジョンは痴話喧嘩なら放っておこうと考えていたが、もう一人の女を見て考えが変わった。
女は煌めく金色の髪をした美女だった。
ジョンが考えを変えたのは、美女がいたからではない。
その女が全裸で、そして泣いていたからだ。
ジョン。
北の村の男。
金髪全裸の美女。
三者が視線を交わし合った。
三者はしばらく無言だった。
男は、手になぜか動物の皮らしき物を握りしめている。
男と美女が固まっているので、ジョンから切り出した。
––––何か、手伝えることは?
美女が言った。
––––あの人があたいの服を取ったの! お願い、返してくれるように言って!
ジョンは男を見た。男が言った。
––––ち、違う、取っただなんて……ただ何か落ちてると思って拾っただけで……。
ジョンは女を見た。女は言った。
––––嘘! 返してって言ってるのに、返してくれない!
ジョンは男を見た。
––––違うよ、ただ……。
––––返して欲しかったら、あたいに妻になれって言ったの!
––––そ、そんなことは。
––––言ったじゃない、うわぁぁぁん!
ジョンは男と女の間に割って入り、
––––他を当たれよ。女は村にいっぱいいる。
そう言った。
––––な、何だよ、よそ者! 偉そうに! おまえら、俺たちの村に世話になっておきながら……。
––––たしかにおたくの村には助けてもらってる。だがそれとこれとは別だ。向こうも困ってるよ。もっと穏やかなやり方があるだろ。返してやれ。
ジョンは女を親指で示して言った。
––––穏やかなやり方? どうしろって言うんだ、どうせ俺がそんなやり方したって……。
男は意気消沈した様子を見せた。
ジョンが改めて男の姿を観察すると、たしかにあまり良いご面相とは言えない男だった。
彼には彼なりの苦しみがあるのだろう。ジョンは少し考えて、懐から貝殻の首飾りを取り出した。それを男に突き出した。
––––じゃあこれとその毛皮を交換してくれよ。
男はジョンの手にある首飾りと、自分の手にある毛皮と、女を見比べている。ジョンは言った。
––––これを、誰か村の女にあげるといい。喜ばれるぞ。だからこの女は諦めてくれ。
男はしばし考え込んでいたが、
––––なんか、キレイだな。
––––なんだったら作り方を教えてもいいぜ。
––––……それをあげれば、女が相手にしてくれる?
––––ああ。
––––……………………ほんとに?
––––マジさ。
––––試したうえで?
––––もちろん言ってる。
毛皮と、首飾りとを見比べ、男は毛皮を差し出した。ジョンはそれを受け取り、首飾りを手渡した。男はそれを矯めつ眇めつしながら去っていった。
ジョンは振り返り、女に毛皮を返してやった。女は毛皮を受け取ると、胸の前に当て体を隠す。今さら意味はないとしてもだ。
––––ありがとう。ちょっと脱いで遊んでたら、取られちゃって。
––––次からは着たまま遊ぶんだな。
––––あんた、村の人?
––––いや。南から来た。魚を分けてもらいに来たんだ。漁師だよ。
––––南かぁ。たしかに魚は取れないね。
ジョンはどういう意味か考えたが、
––––本当にありがとう。あたいもう帰らなきゃ……でも、このお礼は必ずするからね。
と、女の方ではジョンに背を向けて歩き出した。
––––そっちは海だぜ。
ジョンはなんとなく女の丸出しの尻を追いかけた。
女はずんずん歩いていく。やがて林を抜けて、岩場に出た。
女は岩場の波打ち際までくると、毛皮を着はじめた。ジョンは毛皮を、羽織る上着だと思っていたが、女は足から突っ込んでいる。
ズボンかと思ったら、女はそれを体の上まで引きずり上げていく。袖に腕を通す。袖はそのまま手袋へとつながっている。ジョンに向けた白い背中はやがて毛皮に覆われ、女は金の髪を毛皮の中へ入れ込みつつ、フードを被る。
女が振り向いた。
フードはアザラシの頭のような形をしていた。アザラシの大きく空いた口の中から彼女の顔が覗いている。
––––ありがとうね。あたいのことは村の人には内緒ね。じゃあまた。
女はその空いた口の中でにっこり笑うと、しゃがんでフードをさらに深くかぶった。
驚くべきことが起こった。
女の手足が短く、平べったくなっていく。胴体は木の幹のように太くなった。女は岩場に、うつ伏せに寝そべる。
アザラシだった。女が、本物のアザラシに変身した。
呆気に取られるジョンにアザラシはひらひらと手を振ると、海に踊り込んだ。そして沖へと泳ぎ去っていく。
やがて海へ潜り見えなくなるまで、ジョンはその有り様をぽかんと眺めていた。




