第二話 洞穴の姫
ジョンは漁を終えると、必ず金盞花の元へ通った。
日が暮れてからだったが、金盞花の洞窟は魔蛍石の光で明るく、金盞花の美しい姿が、少しぼんやりとだがよく見えた。
金盞花は美しい女性だった。
同時に知的でもあった。無学なジョンは人物の知的かそうでないかの区別はよくわからないが、金盞花のことだから知的に決まっていると思っていた。
金盞花は魔法のことだとか、マナがどうとかいうことをよく話していた。何かの、エネルギーのことを。
ジョンは金盞花の言うことを半分も理解できていなかった。それでも彼女の声を聞いたりだとか、ただ彼女が何か話している姿を見るのが好きだった。
––––ジョニー、ちゃんと聞いてますか?
ジョンは岩に頬杖をついたまま、
––––ああ。ちゃんと聞いてるさ。
––––じゃあ今私が何て言ったか言ってみて。
––––風が君の髪をなびかせると最高に綺麗に見えるって話だろ。
––––もう! 全然聞いていないじゃない。この世には自然のマナというのがあって、全てのものにそれが流れてる。水だとか、風だとかもそうだと言ったの。
金盞花の言っていることはジョンの知っている、リケウィフという神を信仰する教えの内容とは食い違っていた。
リケウィフの教えでは、この世界の全ては全能なるリケウィフの御力によってできていて、自然のマナなどというものは過去の蛮族の迷信だと語られている。
村に時々やってくる伝道師がそう言っていた。
クソくらえだ。
ジョンはそう思った。
以前までのジョンは神の教えなど真剣に考えたことはなかった。毎日魚が取れればそれでいいと思っていた。
今は毎日魚が取れて、なおかつ美しい金盞花と話ができればそれでいいと思っている。
特に今は目の前の金盞花が、頬をふくらませぷりぷり憤慨している様を眺めているだけで、ジョンは気絶しそうなほど楽しかった。
その金盞花が、自然のマナはありまぁすと言っているのだ。ならきっとあるに決まっている。ジョンはそういう考えだった。
そうやってジョンは金盞花と共に洞窟の入り口で、月を見たりするのが好きだった。
ジョンが特段月が好きなわけではないのは言うまでもない。
––––ここの月は綺麗ね。
金盞花が言った。
––––どこだって見え方は同じだろ?
ジョンは言った。
金盞花はかぶりを振った。
––––私の国では違ったわ。ここみたいに、静かな銀色じゃない。重苦しい紫色。
––––髪に触っても?
––––私の話聞いてた?
––––君が静かな銀色って言うから。
金盞花はジョンを振り向いて小首を傾げた。そのため銀色の髪がさらりと肩を落ちていく。彼女はやがてうつむいて、小さく頷いた。頬が赤く染まっていた。
ジョンは金盞花の柔らかな髪を指ですく。この美しさの前で同じ銀色を名乗るなど、月は恥を知るべきだとジョンは思った。
––––訊かないの? 私がどこから来たのか。
––––訊かなくてもわかる。君がいた所なんだから、素敵な場所に決まってるさ。
それを聞いて、金盞花は悲しそうに顔を伏せた。そもそも月を見ている時から悲しげだったからジョンはちょっとウケを狙ってみたのだが、どうやら滑ったらしい。
––––訊かないよ。思い出すだけでそんな顔になるような、ひどい所だったんだろ。君が話したくないことは俺も聞きたくない。
ジョンは髪を撫で続ける。
金盞花はふっと笑って、頭をジョンの肩に預けようとした。
が、届かなかった。二人の間に狼が挟まっているからだ。
金盞花がまた悲しそうな、恥ずかしそうな顔をしたので、ジョンは狼と狼の間に体を割り込ませた。そして金盞花の頭を肩に抱き寄せる。彼女は少し体をこわばらせていたが、やがてその力は抜けていった。
––––私の本当の故郷は、あの向こうにあるの。
金盞花は月明かりに照らされ光の道を作る海の、水平線を見ながら言った。
––––君を追い出したクソ溜めのこと?
––––ううん。私の母の故郷。
––––今度こそ素敵な所だ。そうなんだろ?
––––行ったことがないからわからないわ。母は故郷とは違う国の王様に嫁いだの。
それからしばらく、二人は何も言わず海を眺めていた。
––––ここの月が好き。
金盞花は唐突に呟いた。
––––とくにあなたといる時は。綺麗に見える。
ジョンは髪をすきながら、
––––ああ俺もだ。ここの月は最高さ。
そして月を見上げた。ただ丸くて光るものが、どういう原理か宙に浮かんでいるだけにしか見えなかった。
それでも構わないのだ。
ジョンは金盞花の好きなものなら何でも好きなのだ。