第十四話 快癒
ジョンの父の病はあっさりと治った。
拍子抜けするほどだった。
白地に、袖や襟口に青の刺繍の入ったローブを着た治療術士の男が、父のベッドのそばにひざまずき何かむにゃむにゃと唱える。そして父に手をかざすと、父の腹、胃の辺りが淡く光を放った。
父はその時少し苦しんでいたが、やがて光が消えると、顔色に健康な変化が表れたものだ。そして、ベッドの上にがばと起き上がった。
母は床に伏して、術士に泣きながら礼を述べた。繰り返し繰り返し。
ジョンは部屋の中でしばし、それをアホらしいと思いつつ眺めていた。このいともあっさりとした治療のために、ジョンは大渦に呑まれてみたり、金盞花に怒られてみたり、北の村で強風に揉まれてみたり、あまり関係ないがナックラヴィーと格闘したり、ケイシーとの友情を破壊したりしたのだ。
払った犠牲にたいして、それはあまりに一瞬だった。
しかし治療術士の顔を見て考えを改める。
術士は床に伏す母を立たせようと促しながら、にっこりと微笑み、
––––これもただひとえにリケウィフ様のご慈悲です。
と優しげに言ったものだ。
その顔面は蒼白、息は絶え絶え、他人の前に自分に治療が必要なのではないかという有様だった。
治療術をおこなう前はそうではなかった。術士はふっくらと太っていて顔色もよかった。今は心なしか、体重が減ったようにすら見える。
ジョンは魔法についてはよくわからない。しかし術士はこの治療に際し、ジョン以上の代償を支払っているように思えた。
魔法については金盞花が詳しいかもしれない。後で聞いてみよう。ジョンはそう考えつつ、母とともに治療術士に丁重に礼を述べた。
教会の治療術士は、このあと村長の家に宿泊する段取りとなっていた。
ジョンの家を立ち去る時、術士の足取りはふらついていて、二人の従者に抱えられるようにして玄関を出ていた。なるほど、用は済んだからこのまま帰りますとはおいそれと言えないコンディションにジョンには見えた。休むことは必要だろう。
しかしそれだけではない。
術士はしばらくこの村にとどまり、他に病や怪我で苦しむ者の治療もおこないたいと申し出たのだ。
ジョンはあくまでも、父一人分の治療代しか払っていない。
だが術士は、せっかくここまできたついでだから他の方のお代は構いませぬよと言う。
なんと見上げた聖者だろうか。ジョンは自ら術士を背負い、村長の家まで運んだ。
村長の家から自宅へ戻ると、父は早くも立ち上がり活動を開始していた。
病み上がりだからと母が止めるのも聞かず、これ見よがしに腕立て伏せまでやっていた。
ちょっと前までのジョンならそれをアホらしいと思っていたかもしれない。
ただ、今なら父の気持ちがわかる気がした。母、つまり愛する妻に、自分は大丈夫だと知らせたいのだ。
父はジョンに、自分も明日から漁に出ると言う。
––––もう少し様子を見たら? 六回しかできてなかったじゃないか。
笑いながらそう言ったジョンに、父はそういうわけにもいかんと言った。今までジョンと母に苦労をかけた分、取り返さないといけないと。
––––ジョンよ。最近おまえは、不漁の原因を探ってるそうだな。何かわかったか?
ジョンはこれまでに判明したことを父に話した。
遠い昔、この地に住んでいた金色の瞳の者たちが祀った白い巨石が、落雷で沈んだということ。その巨石が失われたことが、不漁に関係している可能性があるということ。そして、大渦の周囲に、ナックラヴィーなる化け物が出現したということ。
洞窟の神が魚の礼に奇跡を起こし、ナックラヴィーを退けたこと。もちろんその神が何者かは話さなかった。
父は藁のベッドに腰掛けると、腕組みして唸った。
––––そのナックラヴィーとかいう魔物が、不漁の原因なのか?
––––それはまだわからない。たまたまいただけか、一匹だけなのか……。
それから二人は黙り込んだ。母もだ。
そうしてしばらく黙然としていたが、やがて父が言った。
––––……治療術士の方に相談してみるのはどうだろう? 教会に魔を祓ってもらっちゃあ……。
ジョンたち村人が治療術士に相談したのは翌日のことだった。
何せ前日は術士も消耗しきっている様子だったので、一晩あけたのだ。
村長の家でジョンが話をすると、術士は激怒した。
必ずやかの邪智暴虐な邪妖を除かねばならぬと答えた。
術士はナックラヴィーという名を知っていたのだ。
術士は話した。ナックラヴィーは妖精の一種。とても邪悪で、汚らしく、許されがたい存在。妖精なのだと。
村の人々はよくわかっていなかったが、術士が言うにはリケウィフの教会では、妖精の存在を否定しているそうだ。
この世に神はリケウィフただ一つ。
リケウィフの白きマナによって人々は生かされている。術士が魔法という奇跡を起こせるのも、そのリケウィフのマナあってこそ。
対するインフェルノの魔王はリケウィフに恭順しない曲がった者。穢れた黒いマナの持ち主。長年対立関係にあり、インフェルノの魔人どもは人間の暮らす光の世界を我が物にしようと企んでいる。
術士はそういうことを滔々と語ったが、ジョンをはじめとした村人たちは、どちらかと言えばつまらなさそうな顔でそれを聞いていた。
村にやってくる伝道師が毎回やる話と同じだったからだ。聞き飽きていた。
だが、術士の話はそこから妖精の話となった。
術士は話した。
妖精とは、リケウィフのマナとも魔王のマナとも違う、どっちつかずの中途半端な奴らだと。
いつからいるのか、それは神代の時代からそうかも知れないが、いずれにせよ大昔からフラフラしていて、道理も大義も何もなく、リケウィフの愛を解さない狂った邪霊なのだと。
汚らしく、野蛮で、汚くて、無軌道で、ついでに汚らしい、とにかくひどい。魔人はどうしようもなく邪悪ですぐにでも全滅させてやるべきなのは間違いないが、リケウィフと敵対しているぶんはっきりしていてある意味男らしい。でも、え? 妖精? ありゃダメです。もう何がしたいのかもわからない。ただただ鬱陶しい。ドブネズミです。
だからこそ妖精なるものは、あなた方光の子である人間に近寄せてはならないのだ。
術士がそんなようなことを熱っぽく語っていた間、ジョンの表情は険しかった。
ジョンには妖精がわからぬ。
ジョンは村の漁師である。魚を取り、村人と遊んで暮らしてきた。
だが術士のスピーチがカンに障ったのは、ケイシーのことが頭にあったからだ。
ケイシーは別に汚くないし、ネズミでもない。アザラシだ。気の良い、親切な、恩人、そして大切な友達なのだ。
さらには仮にも金盞花の故郷であるインフェルノを悪し様に言われて、まるで目の前の術士が金盞花そのものまでバカにしているように思えていたのだ。
––––おわかりいただけますかな? ジョンさん! 妖精などは一刻も早くこの世から抹消せねばならないということを!
急に話を振られて、ジョンは曖昧に笑ってごまかした。
術士の話はまったく論理性に欠けていた。少なくともジョンにはそう思われた。妖精がなぜそんなに悪いものなのかその説明の仕方ではよくわからないし、それがなぜ抹消という乱暴さにつながるのか文脈が見えなかった。ジョンは薄々、この人も本当は妖精なんてよくわかってないんじゃないのかと思い始めていた。個人的な好き嫌いじゃないのかと。
だが父を救ってもらった恩義と同時に、金盞花も故郷インフェルノをあまり良く言っていなかったことを思い出し、何か意見を言うのはやめておいた。やるべきことは素朴な疑問を投げかけ、小さなことに反応して喧嘩することではないとジョンにはわかっていた。ジョンは童貞だが心は大人だった。
術士は口から唾を飛ばしつつ喋りまくったあと、村人に差し出された、動物の角でできたコップから水をひと口飲んだ。
そして言った。
––––やむを得ません。教会騎士団を呼びましょう。妖精を殲滅するのです。




