第十三話 魔人
ジョンは洞窟に戻った後、金盞花にケイシーはどうしたのかと問われて、歯切れの悪い返事をした。
そして、白い巨石についてどうするのかを話し合った。
白い巨石は岬とともに海に沈み、そして渦に引きずられていった。
そうだという保証はないが、金盞花はとりあえず当面はそう仮定して話を進めるべきだと言った。
––––巨石がマナを経由させる仕掛けだとして……それが渦の底にあって……。
金盞花が顎をつまんで考えているところを、ジョンは眺めていた。
金盞花は、渦の周りにナックラヴィーがいたのが気になると話した。
ジョンをはじめ村の者は誰もナックラヴィーを見たことがない。ということは、ナックラヴィーは最近現れたのだ。
金盞花は床を見つめてさすりながら、険しい顔をしていた。
ジョンはそれを見て、ナックラヴィーのことを思い出す。
ひどい化け物だった。
勝ち目のない戦いだった。
そしてその化け物はジョンの眼の前であっさりと爆発四散した。
それは金盞花の、凄まじい魔法によってだ。
––––……金盞花。ケイシーが君のこと……。
金盞花は床に触れたまま振り向いた。
ジョンはそのまま続きを話すのをやめた。口を開いたのはいいが、話の着地点を決めていなかったからだ。
何を言おうとしたのか。それは質問なのか。その質問に、何と答えてほしいのか。そして答えが返ってきた時、何と言う予定なのか。
金盞花は再び床に目を落とした。
––––魔人だって言ってた?
二人はかなり長い間、何も喋らなかった。
波の音が聞こえていた。
金盞花の床をさする手は止まっていた。
––––私は王女だったの。インフェルノの。つまり魔王の娘。
それからまた沈黙が流れた。
金盞花はきっと、ジョンが何か言うのを待っていたのだろう。しかし何も言わないものだから、金盞花は振り向いて言った。
––––ごめんなさい。今まで騙していて。
あんたは騙されてるんだ、そう言ったケイシーの声がジョンの脳裏をよぎった。ジョンは言った。
––––騙すってのは嘘をつくことだ。君は最初から嘘なんかついてなかったじゃないか。全部本当のことしか言ってない。お姫様だってことも、腹を空かしてたことも、ここから動けないってことも。本当はここから出ていけるんだったら、首飾りを渡されて怒った時に、その時に出て行けばよかったんだ。そうすりゃ俺の顔なんか見なくてすんだ。でもそうしなかった。
それとも。ジョンは続けた。
––––騙したってのは、俺のことを好きだって言ってくれたあの言葉のことか?
金盞花は涙をこぼしながら首を横に振った。
––––じゃあこれを片付けよう。白い石だ。君がいなけりゃ、ここまでたどり着くこともできなかったんだ。
ジョンは金盞花を抱きしめ、変なこと言って悪かったと言った。
金盞花はインフェルノという魔界からやってきた。
そう、彼女は話した。
国において禁忌とされる魔術を研究したがために、故郷を追い出されたということは、ジョンもすでに聞いている。
その故郷が、インフェルノと呼ばれる魔界なのだそうだ。
事実上の死刑だと、金盞花は話した。
インフェルノには魔王がいる。
魔王は魔界にインフェルノのマナというものをばら撒き、満たしている。それが魔王の仕事なのだそうだ。
それによってインフェルノに暮らす魔人たちは命を保っている。
魔王のマナは、インフェルノの外へは届かない。
というより、インフェルノのマナが満たす領域のことを、インフェルノと呼ぶのだそうだ。
当然、魔人がインフェルノの外へ出れば、命をつなぐマナが枯渇し、死ぬ。
だから金盞花がインフェルノを追放されたということは、金盞花は死刑を宣告されたに等しいということになる。
インフェルノを出た金盞花は、歩き続けた。
死が迫ることを、さほど恐れてはいなかったと彼女は言う。
不幸中の幸いというべきか。金盞花が研究していた禁忌の術の中には、他者の命を直接吸い取ることによって、自らの生命力へと変える術があった。
細々と。
金盞花は獣の命を吸いながら歩き続けた。
彼女にはあてがあったと言う。
禁忌の研究の過程の中で、金盞花は人間の世界にもインフェルノのマナが染み出す場所があることを知った。
それを目指してたどり着いた場所が、この洞窟だと言う。
ここにいつも座っているのは、ここがインフェルノのマナが染み出す場所だからだ。
自分の研究の一部が自らを救った。
だったらどうだと言うのか。
自分はもうここからどこへも行くことはできない。
いったいこれから自分はどうしていくつもりなのか。
それがわからないままぼんやりと日々を過ごしていた時。
ジョンが渦の中でぐるぐる回っていたのを見かけたというわけだ。
そんな話を聞いてから数日。
ジョンは長老から興味深い話を聞いた。
長老の父から聞いた話によると、村民が大渦に注意しはじめたのは、長老の父の代からだというのだ。
長老の記憶も幾分曖昧だったので、岬の落雷事件の以前か以後かは判然としなかったが、ジョンは「以後」と断定した。
漁師の勘というやつだ。海の上ではあらゆることが絡み合い、それが納得のいく結末へとつながっていく。突拍子もないことが突然に起こったりはしないのだ。突拍子がなく感じるのは、それは海を知らないからそう思えるだけだ。
そんなジョンにとっても突拍子のなかったケイシーは、あれから姿を見せない。
大渦の観察をする合間、ジョンは浜辺で貝殻を集めた。約束が、嫌な形で破られようとしていることに胸が軋んだ。それを認められずに、小さな生き物の小さな家を集める。貝殻を掌の上で転がした。
金盞花のために家を建てよう。
そんなことが頭をよぎった。あの洞窟は殺風景すぎる。
––––ジョン。そういうところだぞ。
ジョンは自分にそう呟いて苦笑した。
友人を怒らせてしまいその謝罪をどうするかと考えている時に、女のことに思考が飛躍する。だいたい今はそれどころではない。
渦。
渦の底を、覗かなければならない。
どうやるかだ。
息を止めてみるか?
それをやるならケイシーの方が適任だ。だからこそ……。
––––ジョン。だからそういうところだぞ。
そのケイシーと仲違いをしておいて、この期に及んでまだ彼女を頼ろうとしている。
それに呼吸だけの問題ではない。
ナックラヴィーだ。
ケイシーは、渦に近づくとナックラヴィーが現れたと言った。
あの一匹だけがたまたまあの辺りをブラブラとブラついていただけならいい。
ただ、金盞花が言うのだ。
ナックラヴィーはたいへんたちの悪い魔獣である。ケイシーのような、つまりセルキーのような妖精と違い、インフェルノのマナの影響を受けた、狂った動物のようなものだと。
金盞花はインフェルノを出てからジョンの村へやって来るまでの旅の中、人間界で魔獣をちょいちょい見かけることがあったそうだ。
彼女ははじめこそインフェルノ以外での凶暴な邪妖の存在に首を傾げたが、その邪妖を追跡してみたりすることで確信した。インフェルノのマナ溜まりの存在をだ。
金盞花は魔獣の放つマナを頼りに、この洞窟を見つけたのだそうだ。
人間界の魔獣はインフェルノのマナ溜まりの周囲に出没する可能性がある。
だとするならば、と彼女が続けた言葉を、浜辺でジョンは声に出して反芻する。
––––ナックラヴィーは渦の周りにウヨウヨしてるかもしれない……か。
いつからそいつらは、そこにいたのだろうか?
金盞花が言うにはナックラヴィーは人を食べるとのこと。
ジョンたち村民は、それを知らずに大渦のそばで暮らしてきたことになる。
大渦に近づかなければ現れないのだろうか。だから村の年配の者たちは、大渦に近づくなと言ってきたのだろうか。いや、村人は渦があるからとしか言っていなかった。
ジョンは砂浜に立ち、金盞花の洞窟の向かい側の海を睨みつけた。
大渦のある辺りだ。
北の村から帰ってきてからというもの、物事がとんとん拍子に進んでいた。
新たなことが次々と発覚し、村の窮状が解決の兆しを見せはじめている。
あらゆることが絡み合い、それが結末へとつながりつつあるのをジョンは感じていた。
そのつながりはどこへ向かっているのだろうかとジョンは考えた。
陸地を目指しているのだろうか。
舟を上げて、得たものを家に持ち帰り、ベッドで眠りにつく。そういうところへ向かっているのだろうか。
大渦の中でくるくると、戻れない場所へ呑まれていくようなものとは違うのか。
それはあまりに漠然と心の中に忍び寄ってきていた。
ケイシーへの罪悪感と、金盞花の正体を知った動揺が、ジョンの気持ちをふさいでいたせいかもしれない。
ただ、漠としてなお確実に、暗い水底が近づいてきているような気がする。ジョンは何か嫌な予感がしてならなかった。
村の方から、ジョンへ呼びかける者があった。
教会の治療術士が到着したと大声で言っている。
ジョンは貝殻をポケットに入れると、村へ走り出した。




