ビギナーズラック ・ヒーロー
父から聞いた古い話です。
運が良くてヒーローになってしまった人がいた。
単に予備知識が少なかっただけで、一歩間違えば死んでいたかもしれない。
これは亡き父から聞いた話で、かなり古い時代のものだ。
僕が少年期を過ごした田舎町は少し山に行くとヒグマがよく出没する場所で、
昔は牧場の馬が食べられたり被害があったそうだ。
ヒグマはもともと人を襲うような動物ではないが、
何かの弾みで人間を食べるようになると他の方法で餌を取るよりも
簡単なために頻繁に人を襲うようになると言われている。
そこでやむなくハンターの方々が駆除をすることになる。
この時に連れて行く犬が大切なパートナーで、
ヒグマと対峙するために北海道犬を連れて行くのだ。
北海道犬はアイヌの人たちが 狩猟用に飼っていた犬で 、
ヒグマに真っ向正面から向かっていく唯一の犬種らしい。
非常に勇猛果敢でしかも賢い。
家にもスピッツとのミックスの白い北海道犬がいたそうで、
小さかった僕には記憶はないが、釣りに行く父の前を歩いて、
海の手前の沼の浅瀬を渡って「ここは大丈夫。」と
教えてくれたらしい。
そのような犬は人間が命を託すパートナーと呼んでも良いだろう。
さて、自然の豊かでのどかな田舎の山奥にも凶暴な熊が現れて、
人が襲われるという事件が起きた。
一人の教師の方が その事件を聞いて、
自分がその熊を退治しようと決心した。
彼はライフル銃を背負い、
愛犬の北海道犬を自分のスーパーカブの荷台に乗せて山へと向かった。
常識で考えれば、すでにこの時点で彼は致命的な失敗をしている。
まず第に経験値。彼はヒグマ猟の経験がない。
無謀にもほどがあった。
更に経験者であっても駆除は一人では決して行かないものだ。
ヒグマは意外なほど賢く、隠れては隙を伺って反撃したり、
手負いの傷を負っても相当な回復力で立ち向かってきたりする。
祖父から、ある猟師が一人で猟に行き、
倒したと思ったヒグマに不用意に近づき、
突然反撃されて亡くなった話も聞いたことがある。
次に銃の種類。アイテムが間違っているらしい。
ヒグマを倒すための弾丸は貫通力の強いものよりも、
スラッグ弾などを使うそうだ。
SNSがある現代ならば予め予備知識を持てるが、この時代はそうはいかなかった。
今では博物館でしか見られないものかもしれないが
当時はまだ単発式の村田銃を使っているアイヌの達人猟師もいた。
彼は「俺は5連発のライフルよりも速く撃てる。」と言って、
左手の親指人差し指中指薬指小指の間に4本の弾を、
口には一本の弾を咥えてそれらを次々と装填して
ライフルよりも速く5連射して見せたと言う。
この銃の良さは不発だったとしてもすぐ次の弾が撃てることだ。
生きるか死ぬかの瀬戸際で弾が出ないというのは恐ろしい。
太平洋戦争での空中戦でも戦闘機の機関銃を発射できなかったために撃墜された話もある。
話を元に戻そう。
彼が山へ到着すると、偶然にもガサガサと物音がして、
件の人喰い熊が現れた。
彼はライフル銃の引き金を引いた。
しかし弾は発射されない。
もはや万事休す、これまでか、と思われたその時、
彼の愛犬がヒグマに真正面から飛びかかって行った。
その間、彼は再び引き金を無我夢中で弾くと、
5発連続で弾がズドンズドンと発射され 、
全弾がヒグマに命中し人食い熊はその場で倒れた。
この事件は当時の地方の新聞に大きく掲載されたそうだ。
しかしベテランのハンターたちからはとんでもない蛮勇だと
批判が多く寄せられた。
でもよく考えてみるとどうだろう。
一人の勇気ある人間が人々の命を救おうとして立ち上がったことにはやはり敬意を表すべきだと思う。
そして偶然にしろ、その純粋な動機に対して天が味方してくれたという気がしてならない。
彼の愛犬もそこから遣わされた何か特別な生き物のような気がする。
僕はヒグマは自然の生態系の一部として生きていってほしいです。