⑦家主なのに……
「へえー、この子が噂のオウマの妹なんだ」
まるで芸術品を品定めするかの如く、ありとあらゆる角度から京子を観察する大名寺。比例して京子は恥ずかしそうに身を縮こまらせている。
大名寺は以前持ち込んだ部屋着に着替えている。可愛い犬がプリントされたTシャツに短パンという、至って普通なルームウェアだ。それでも着こなす素材によって印象はガラリと変わるのだから、容姿とは最も優れた才能だと思う。
京子は見慣れた制服姿ではなく、青のワンピースを身に纏っている。これもやはり見た目がいいからか、ベストコーディネートのように映る。
とりあえずオウマは妹から大名寺を引き離して、話し合いの場を整える。
「ごほん。まずは京子、こんな夜更けにどうしたんだ? また親をぶん殴って出てきたのか?」
「違うよ! 今日は普通に大人しく出てきたから!」
「普段はわりと荒っぽいって自覚あったんだな」
さすがの京子と言えども、そう何度も家出を実行に移したりはしないだろう。そういった過去を知らない大名寺は「ぶん殴った……?」と驚愕している。見た目清楚系の京子の口から、そんなバイオレンスな単語が出てくるとは思っても見ないはずだ。
京子はあはは、と頬を掻きながら、
「来週からテストに入るんだけど、ちょっと分からないところがあって……。最初は知恵袋とかで調べてたんだけど、さっぱり分からなくて」
「なるほど、それで俺のところを訪ねてきたと」
「うん。……もっと言うと、今週の土日泊めてもらって、プチ合宿を開こうかなーって」
できれば事前に言ってほしかったが、思いつきならば仕方ない。兄としても義妹が惨めな点数を取らないよう協力してやりたい。
明日からの休日、オウマは特にやるべきことはない。今やっている飲食店のバイトは、近いのが最大の利点というだけで、時間の融通は利きずらい。そのうち家庭教師のバイトでも探そうと考えていた。京子に勉強を教えるのも、その練習だと思えばちょうどいい。
すりすりと京子が身を寄せてくる。仄かな良い香りが鼻腔をくすぐる。彼女は小さな声で耳打ちして、
「ねえ、ところでこの綺麗な人は誰?」
開口一番デリヘル嬢呼ばわりしてしまった手前、少し気まずさを覚えているのだろう。しかしそんな遠慮も、大名寺には筒抜けだったらしくにこやかに自己紹介をした。
「初めまして妹ちゃん。私は大名寺恋歌。一応そこの同級生よ」
「あ、どうも……。私は護国寺京子です。あの、さっきはデリバリーヘルスさんと間違ってしまって、申し訳ありませんでしたっ!!」
「いいのよ、水商売の女と間違われるのには慣れてるから」
それもどうなんだ、と小声で呟く。美人に悪い噂は付き物だが、大名寺はどこ吹く風ぞとまったく意に介していない様子だった。
深々と頭を下げる京子へ、オウマは多少呆れた風な口調で言った。
「だいたい、何でお前は大名寺のことをデリヘル嬢だなんて勘違いをしたんだ?」
う、と言葉を詰まらせ、彼女はちょっと顔を赤らめて、
「だって、それは……シャワー浴びてたから……!」
「お前それだと全女性がデリヘル嬢になるぞ?」
確かに事の前にはシャワーを浴びる、という風潮がある。妄想逞しい京子もそのイメージが強く、咄嗟のことで勘違いしたのだろう。それにしても突飛過ぎるが。
デリヘル嬢呼ばわりされた大名寺はと言うと、俯き肩を震わせて笑いを堪えていた。
「……っ! と、ところで! お二人はどういう関係なんですかっ!?」
京子が強引に話の流れを変える。
どういう関係か、と問われると、少し邪推が透けて見えてしまう。オウマは深く考えずに、即座に浮かんだ答えを口にする。
「友達だ。大学入ってからの付き合いでな」
誤った回答でないはずだが、大名寺は意地悪そうな表情をして言った。
「は? 友達じゃねーし。知ってる? 序列のある関係を友達とは言わないのよ? 跪いて靴を舐めるのがあんた、でそれを即行捨てるのが私」
「えーっ!? 今日も一緒に飲み会した仲じゃないすか!」
「それはあれよ、ソシャゲで言うところのフレンド登録的なやつ。他に有能そうな人が現れたら、整理のために解除しちゃうくらいのつ・な・が・り」
「関係性うっすい……!」
精神的ダメージによりテーブルに突っ伏したオウマを見て、快活そうに大名寺が笑い飛ばした。真意でないとはいえ、よくもまあここまでズバズバと言えるものだ。彼女に対して平気でセクハラ発言を飛ばす彼が言えることではないが。
二人のやりとりを目の当たりにして、京子はクスッと小さく笑った。
「仲良いんですね、大名寺さんとお兄ちゃんって」
「だろぉ? ほらほら、京子もこう言ってるぞ!」
第三者からの評価を得て、オウマは声を弾ませて大名寺を肘で突く。彼女はそれを煩わしそうに払い除けた。
「いい? 妹ちゃん。成人になったらね、女はまず打算を覚えるの。その打算を受け入れるために妥協を覚えるのよ。私、こいつのことなんて小間使い程度にしか思ってないから」
「こやつめ、照れておるわ。さっきは俺のこと、日頃からよく観察してたクセになー」
「なっ……!」
懲りずにオウマが茶化し続けると、大名寺はちょっとだけ頬を染めてポカポカ肩の辺りを叩いてくる。大して力を込めていないのでノーダメージだ。
ともあれ、京子の要件が分かった。短くとも二泊三日するつもりでいる彼女は、傍らにスポーツバックを置いていた。おそらく衣服などが入っているのだろう。以前まであったのは、一度洗濯するために持ち帰ったのだ。
お互いの個別スペースを確保するために築いたカーテンは残したままだ。京子が使っていた布団も一度日干ししたため、清潔感を保っている。
大丈夫だな、と思った矢先、最大の問題に気が付いた。
オウマは彼女たち二人を視界に収めて、
「そう言えば、ここ寝具が二つしかないから、二人しか寝泊りできないぞ? だからどっちかは別の場所で夜を明かしてもらわないと」
あ、と大名寺と京子が顔を見合わせる。どうやら二人もすっかり失念していたようだ。
この部屋にあるのは、オウマが使用しているベッドと京子用の敷き布団だけだ。場所を取るソファーは置いていないので、必然残った一人は冷たい床で寝るしかない。というか、三人目が横になるスペースはこの部屋にはない。
うーむ、とオウマは眉間にシワを寄せて頭を悩ませる。
「この辺はホテルはおろかネカフェすらないし、かといって二人を帰らせるには時間がなあ」
「私高校生だから、下手すれば補導対象になっちゃうもんね……。あ、タクシー代貸してくれるなら、私今日は戻るけど?」
「このブルジョワジーめが……! あんなちょっと走っただけで千円超える乗り物なんぞに金が出せるか……っ! 運賃は返すとかそういう問題じゃない。俺はあんな交通手段、利用しないと決めているんだ!」
高校の時、急遽病院へ向かう際にタクシーを利用したことがあり、二十分足らずで二千円以上も請求されたのがずっと心に刻まれている。あれは平民が使っていい代物ではない。
京子を実家へ帰らせる案を却下して次案を考える。
「……やっぱり、どっちか一人が近所の公園で寝てもらうしかないな。ちょうど段ボールが残ってるし、それを使えば一夜くらい凌げるだろう」
「えまたその案!? 前はエ、エロ同人みたくなるって言ってたじゃん!」
「そこは大丈夫。今回は大名寺がいる。こいつはどっちかというとオークに凌辱される系ガールだから、リアルだとまず引っ掛からない」
「あ?」
大名寺が物凄い形相で睨んでくる。超怖い。
オウマがジョークだよ、と流しても、しばらくの間厳しい目付きは変わらなかった。やがて諦めた風に目を逸らした彼女は、冷蔵庫の隙間にある段ボールに視線を移した。
「だいたい、廊下にでも段ボール敷いて、バスタオル羽織って眠ればいいんじゃない? 多分軽く身体を痛めるだろうけど、オウマの寝ぼけた案よりはマシでしょう」
「なるほど」
と頷く。今まで出た案の中で一番まともである。オウマがふざけ過ぎて、話が前に進んでいたかったせいもあるけれど。
京子もそれを了承して、いよいよ『誰が廊下で寝るか』を決める話し合いへと移行する。
一番年下の京子が気を利かせて名乗り出るか、それとも大名寺が後輩へ労わりの心を見せるか。
このうちのどちらかだろう、とオウマがタカを括っている姿を見て、大名寺が額にデコピンしてきた。
「なーに自分は関係ないみたいな面してんのよ。あんたも候補に混ざるのよ」
「第三の選択肢!?」
「レディに心配りを見せるのがデキル男ってもんなの」
「俺、ここの、家主……」
結局、渋々オウマもジャンケンに加わることになった。
互いが互いの思考を読み取り、裏の裏の裏をかく騙し合いが幕を開けた。「まるで将棋だな」と彼の脳内で謎の声が再生された。
そんなこんな手に汗握る熱戦があって、結果は――――
「まあこうなるよね……」
オウマが一戦目で負けました。
がっくりと床に両手を着いて項垂れる。運ゲーなので忖度したわけではないにしろ、何となく負ける流れだな、とは思っていた。
京子が「代わろうか?」と気遣いの精神を垣間見せたが、大名寺がそれにストップをかけた。
「駄目よ京子ちゃん。勝者には勝者の、敗者には敗者のルールってもんがあるのよ。負けた奴は裸になんなきゃならないの」
「どこのギャンブラーだよ」
「ともかくこの部屋占拠させてもらうから、とっとと寝る支度して出てってよね」
今度はテロリストのようなセリフを吐いた大名寺の手によって、オウマはワンルームから追い出された。
仕方ない、と悟った彼は、大人しく廊下の掃除へと取り掛かった。