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義妹と過ごす教育実習記  作者: 名無なな
第一節 教育実習編
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第一章③

 夜七時半頃。オウマは一足先に待ち合わせ場所の居酒屋に入って待つことにしていた。飲食店のゴールデンタイムと言うべき時間帯なので、客入りは相当良かった。多くの客の話し声が複雑に飛び交って、あたかも一つの音響爆弾かのようですらある。それも何度も足を運び経験済みというだけで平然としていられるのだから、慣れというものは凄まじい。


 飲み放題を付けているものの、一応お酒は待ち人である綴町が到着するまで控えている。なのでオウマはウーロン茶をチビチビ啜っていた。


 実を言うとこの青年、居酒屋という空間があまり気に入っていない。お酒の力を借りて軽くなった口から怨嗟のように漏れるのは大抵が愚痴か悪口である。まるで人間の醜い本能を曝け出す場のような気がして、乗り物酔いのような気分に落ち込んでしまうのだ。



「――――おっまたせーっ! いやあ、待たせたねえ諸君!」



 そんな不調も、彼女が現れるとその大部分が霧散したように思える。綴町未来子は、やはりというかスーツ姿であった。背丈こそ低いとはいえその細身の体躯はスタイルが良く、顔立ちそのものはどこか幼さを残している一方で睫毛が長く瞳は大きく整っており、ロングの黒髪が端正な顔立ちに合っていた。

 ジッと観察していたのがバレたのか、綴町は冗談めかしてしなを作る。


「いや~ん。今頃私の魅力に悩殺されちゃった? オウマくんのえっちーっ! あ、『えっち』は需要に応えて平仮名だからね?」

「もうちょっと身長があればなあ、って。あと年齢考えてください」

「いやマジで身長のことは禁句で。教え子にも普通に抜かされてるとか超ショックだわ」

「な、なんかすみません……」


 急に声のトーンが急降下した綴町。気にしていたらしい。

 綴町の身長が一五〇前半だったので恐らく平均身長も下回っているだろう。オウマの対面に座った彼女はシクシクと涙を流している。


「何だよあいつら……揃いも揃って身長でもおっぱいでも私より上に行きやがって……! 『大丈夫、合法ロリとしてなら需要ありますよ!』とか逆効果なんじゃあ…………っ!」

「お疲れのようですね。何飲みます?」

「えっとじゃあカシオレで。ついでに枝豆頼んどいて」


 切り替え早ぇ、と舌を巻く。それとも言うほど気にしていなかったのか。普段から飄々としているので彼女の本音はなかなか掴みづらい。

 ついでにオウマも注文して、さほど間もなくドリンクだけが先行して届けられる。彼はジョッキを軽く掲げて、綴町と視線を合わせる。彼女もそれに応えてグラスを近づけてくる。


「では、久しぶりの再会を祝して――乾杯っ!」

「乾杯!」


 こちん、とグラス同士でハイタッチをした。実はこの瞬間が地味に気に入っているオウマである。

 グッグッ、とビールを一気に呷る。黄金色の液体が喉を爽快に過ぎる。かつては毛嫌いしていたこの味も、今では愛すべき一杯になっている。それで度々『日本酒党』の陽目と討論を交わしたこともあった。ちなみに綴町は甘いカクテル系統しか飲めない。

 プハーッ! と満足げに声を上げた。背広を脱いでリラックスモードに入る。


「いやあ、ようやっと肩の力抜けたねぇ。学校近くだと関係者の目があって気が抜けないのなんの。逐一監視されてるみたいで肩が凝る……」

「あー親御さんとかっすね。なんかあったらすぐに教師の責任にしてくるって言いますし、気は抜けそうにないですね」

「いやほんと。私らの時代はもうちっと対等だったよ。今じゃ生徒側に主導権を握られてる気さえするもん」


 日頃不満をあまり口にしない彼女だったが、今日に関しては愚痴が止まらない。やれ教頭が厭味ったらしいとか、やれ生徒が色気づいてるとか。後半になるにつれて嫉妬の要素が強くなっている気もするが、やはりストレスは溜まっている様子であった。

『人生謳歌してますっ!』系女子の綴町でさえこうなのだから、もし自分が教師になったら若くして禿げるのでは、と戦々恐々としてしまう。このハゲーッ! なんて暴言を吐かれてしまった日には議員辞職してやる! 議員じゃないけど。


「体罰を肯定するわけじゃないですけど、まあ絶対悪じゃありませんよね。痛くなければ覚えませぬ、なんて言葉もありますし」

「ちょっと次元が違うね、それは。そこまで行くとガチの警察沙汰だから。……物事には限度があるけど、言葉だけで教育するのは無理があるよ。教師が言ったらダメかもだけどさあ」

「俺が親だったら、むしろ『もっと殴ってやってください』ってお願いしますね」

「こうしてドМは生まれていくのであった……」


 まあ結婚する相手がいないんですけどネ! とオチを付けた。もう既に二二歳、実感としておっさんになったなあ、としみじみ思う。若者の期間短くね? と言われても三十歳まであっという間だろう。あ、俺もう三十超えてるのに独り身じゃん……って落ち込む姿を容易に想像できてしまう自分が憎い。

 その自虐を聞き彼女はからかうような面つきになって、


「ええー? ほんとにござるかぁ? そんなこと言ってフラグ立ててんじゃないの?」

「マジで女っ気ゼロですから。最近話した女子だって妹くらいで……」


 そこまで言って「しまった」と口を押さえる。ちらり、と綴町の顔を見やり諦めた風に笑った。彼女の目に好奇心という名の光で輝いていたからだ。


「え、え? 妹? 初耳なんですけどー。あれ?」

「そんな興味惹かれないと思いますけど……。妹なんてどこにだっているでしょ」

「甘い! 持ってる男の傲慢だ。持ってる奴は口を揃えて言うんだ、『大したことない』って。いやいや、総じて大したことあるから。大したことない奴に彼女はできません! で? で? どんな娘? 可愛い? 美人?」


 うぜえ、と近づけてくる顔を遠くに押しやる。素面でこれなのだから、綴町には恐れ入る。実際酔っていたら絡み酒になるタイプだ。

 彼女にはあまり知られたくなかった。陽目ならともかく、綴町はそういうことに首をガンガン突っ込んできて、何とか解決しようと動く人間だからである。オウマの抱える家族の不仲に対しても、一度仲裁に乗り出してきてくれたことがあったけれど、危うく父と大喧嘩になるところだったのだ。


 綴町は誰に対しても思いやる気持ちを持っている。そんな彼女だから、オウマは極力家族のことについては話さないようにしていたのである。それが酒の力で口が緩くなったのか、つい漏れ出てしまった。


「妹かあ。オウマの妹なら、きっと美人系なんだろうなあ。……いや、あの(・・)父親から生まれたんなら、そうでもないかもだけど」

「つっても義妹ですし。昨日再会するまで長いこと会ってなかったんで」

「義妹!? そんなの実在するの!? 都市伝説の一つかと思ってたわ」

「そんなに? ……普通いるでしょ、ちょっと事情を抱えた家庭なら」


 ちゃんと母がいて、父がいて――二人が別れずにいるのなら、義妹など生まれようもないのだ。義妹がいる時点でそれは歪さの証明であろう。少なくともオウマはそう考えている。離婚ではなく死別なのだから、ある意味まだ健全かもしれない。父にも別の支えが必要だっただろう。それが美和子さんで、さらに京子が付いてきた。


 分かっている。自分はただ、父の選択を否定したいだけなのだと。父は母を捨てて別の女に走った――――それしか自分を納得させられる方法がなかったのである。


 唐揚げを頬張りながら、綴町も神妙な顔付きになって黙り込んだ。オウマが少し棘のある言い方をしたからだ、八つ当たりに近い。なまじ彼の家庭内事情を知っているからこそ、彼女自身失言だったと気付いている。


(――――ああ、彼女との間には決して持ち込まないようにしていたのに)


 一度自分のために奮起してくれた彼女を、もう二度と自分のことで陰らせたくなかった。

 すると綴町はカクテルを勢いよく飲み干して、テーブルに強く叩き下ろした。


「駄目だ駄目だ、こんなんじゃあ! 今日は楽しく飲もうぜを合言葉にしてたんだった! うい、乾杯!」


 グイと空になったグラスを近付けてきたので、オウマも戸惑いながらジョッキを合わせた。かちん、と小気味いい音がした。


「って、ありゃ? 私のグラス空っぽじゃん。すいませーん、店員さーん!」

「先輩呼び出しボタンありますから、静かにしてください」


 それでも声を張り上げて店員を呼び続ける。傍から見れば典型的な酔っ払いだが、オウマは何となく察した。彼女は酔ってなどいない。場の雰囲気を換気するために、あえて道化を演じているのだ。

 途端に自分が情けなく思えてきた。否、最初から情けない自分と向き合おうとしていなかったのだ。その弱さが綴町に気を遣わせていることに繋がっている。

 暗い顔はいつだってできる。けれどオウマは、今だけは努めて明るく振る舞うことにした。


「すいませーん! 俺この『メガ盛りカツ丼』に挑戦しまっす!」

「な!? それは禁断のギガ盛りメニュー……! オウマくん、君は死ぬ気なのか!?」

「前世でのフードファイターの記憶が蘇りましてね。そう! ジャル曽根の!」

「生きてるぞ! その人今もご健在だ!」




 彼は自身の家族の在り方を歪と評価した。


 同様に、きっと今こうして彼女にフォローをしてもらっている状況も歪なのだろう。支えあっているのではなく、綴町に一方的に気を使ってもらっているのだから。

 ――――そしてそれは本来、両親から与えられるべきものだったはずだ。親が子に力を尽くすという、普遍的なものを充分に与えられていたのなら。その心地良さに慣れていたのなら。オウマはそれを振り払うだけの余裕を持っていただろう。


 だが、愛情というものを理解する前に母が逝ってしまったため、彼はそれに慣れていなかった。不充分だった。だから求めてしまう。委ねてしまう。綴町から差し出される優しさが、どうにも温かくて――まるで、在りし日の母と触れ合っているようで――――



 逢魔斗真は、どうしようもなく弱かった。






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