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義妹と過ごす教育実習記  作者: 名無なな
第一節 教育実習編
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終章 今も想いは変わらずに

長かった・・・

 翌日から、綴町未来子が学校に顔を出すことはなくなった。聞くところによると、休職願いが出たらしかった。それについても、本来は退職希望だったのを、校長が何とか説き伏せてそういう扱いにした、という噂を耳にした。


 あれからオウマは、彼女と一切連絡を取っていない。ラインも通話も一切が通じなくなっているので、正確には取れないでいるのだ。



「じゃあ、今日の授業はここまでとします――――」



 教育実習が始まって、早七日目。オウマは今、初めての自ら授業を受け持ち、見事遂行させた。指導案の通り、無駄のない授業だったと代理の指導教員が褒めてくれた。

 昼休みとなって、彼は一度職員室へと引き返そうとしたところへ、不意に背後から声をかけられた。


「おにーさん! ちょっといいですか?」


 声の主は山無亜子である。先ほどは彼女たちのクラスの授業をしていたので、もしかしたら苦言を呈されるのでは、と身を固くする。

 だが、彼女は気遣うような表情を作り、優しい口調で話しかけてくる。



「さっきの授業、面白かったですよ! いやあ、中世ヨーロッパってロマンに溢れているとばかり思ってたけど、一面ウンコに溢れているとは思いませんでしたよ」

「ついでに言うと、あの時代の貴族の女性は皆、膨らんだスカートをしていたのも、ウンコする瞬間を見られないようにするためだぞ?」

「ええ~っ! いやでも、普通お手洗いでしますよね……?」

「野糞に決まってるだろ? ハイヒールも、地面に落ちてるウンコをなるべく踏まないよう作られたもんだし」

「そんなウンコに塗れたファッション文化、知りたくなかった……!」



 和やかな雰囲気だが、どこか淀みを感じていたオウマ。その証拠に、ふとしたことで会話が止まってしまう。

 山無はあー、と言葉を詰まらせて、


「その……大丈夫ですか? 見るからに元気なさそうですが」

「そんなに沈んでいるように見えたか?」

「いえいえ! 他の人が気付かない程度には、いつも通りですよ。ただ見る人が見れば、薄っすらと感じ取れるというか……」


 オウマはそう指摘されて、自身の顔をペタペタと触る。努めて平生を装ってきたつもりだったが、山無の眼は誤魔化せなかったようだ。となると、おそらく京子も勘付いているだろう。

 ジ、と下から覗き込むようにして、表情を窺ってくる山無。



「……ひょっとしなくても、ミク先生がいなくなったのと関係してますよね?」

「…………、」



 彼はイエスともノーとも答えなかった。山無が半ば確信を持って尋ねてきた以上、半端な否定に意味はない。

 だからオウマは、前向きな答えを返すことにした。


「ミク先生はあくまで休職中だ。教育実習中に会うことはできなくても、二度と会えなくなったわけじゃない。落ち込んでばかりはいられないさ」


 時計を確認して、次の予定が差し迫っていることに気付く。


「悪い。さっきの反省会するから、もう行くな? 頑張れよ」


 そう言い残して、彼は早足で職員室まで戻っていく。

 その背後で山無が呟いた一言が、微かに耳に届いた気がした。



「……そのミク先生と何かあったなんて、ちょっと見れば気付くのに」



 オウマは聞こえないフリをして、少しだけ歩調を速めた。







「お兄ちゃん、できたよー」


 キッチンから声が飛んできて、オウマは重い腰を上げた。七時前に帰ってきて、少しばかりうたた寝をしていたようだ。

 京子がテーブルに並べたのは、ペペロンチーノだった。ニンニクの香りが広がる。近頃の夕飯は大抵彼女が作るようになっており、最初に比べるとわりと腕を上げてきている。手慣れてきたというべきか。


「さ、食べよ食べよ。今日のはなかなかの自信作だよ」

「ふーん。昨日もそう言ってたけど、かなり濃い味付けだったからなあ。ま、あんまり期待せずにいただくよ」

「昨日の私と今日の私は別人だから!」


 京子はフォークを使って上品に食べる一方で、オウマは箸で啜るように食べていた。レストランならまだしも、自宅内で気取っても意味がないと思うのだ。

 一口食べて、オウマはうんと感嘆を漏らした。


「へえ。自信作ってのはあながち嘘じゃないらしいな。サイゼのと比べると六〇点だけど、及第点クラスだ」

「サイゼって美味しいもんねー。あそこに負けるなら悔いはない」


 と言葉を交わしながら食べ進めていく兄妹。


 ――――結局、京子は実家には戻らず仕舞いだった。先日義母の美和子が訪ねてきて、近くの定食屋で外食をした。京子がいなければさぞ飯が不味く感じただろうと思えるほど、気まずい空気が漂っていた。

 両親は京子の体調を気にしていたが、訊くところによるとどうやら彼女自身が強く望んだらしい。オウマとしても家事のいくつかを手伝ってもらえるため、引き続き預かることになった。


 綴町が去っても、京子との関係性に変化はなかった。恨むのはお門違いだし、万が一にも悟られたくはなかったのだ。京子に濡れ衣を着せたのが、綴町未来子だと。

 綴町からはオウマの口から伝えてくれと頼まれていたものの、それは彼の胸の内に秘めたままである。真実は本人から話すべきと思ったから、というのは大半の理由だった。


 何も変わらない風を装ってきたが、少し観察すればバレてしまう程度の虚勢しか張れていなかったらしい。付き合いの浅い山無にまで薄々勘付かれたのが、何よりの証明だろう。綴町ほど演技に長けていないのが、この時ばかりは恨めしい。


「そうだ――――」


 オウマは思考の流れの中で、一つ決意したことを京子に向かって表明する。



「――――こないだの話、実行することにした」



 彼女は何のことやら、と首を捻る。


「? どの話? 授業案の話?」

「違う。……ほら、一度実家へ顔出しに来ないかってやつだよ」


 っ、と京子が虚を突かれた風に息を呑んだ。それはそうだ、逆の立場なら、彼も絶対に呆気に取られていただろう。

 気管にお茶が入り込んだのか、ちょっとむせ返る京子。


「ちょ……、言い出しっぺの私が言うのも何だけど、ホント? 冗談とかじゃない?」

「信じていないな……? まあ無理からぬことだが」


 彼は諦めたように会話を打ち切り、パスタを啜る。へそを曲げた、と勘違いしたのか、京子が慌てて取り繕う。



「わーっ! いや、嬉しいなあっ! ホントに! ただちょおーっと疑っちゃったっていうか……意外だったから」

「……ちょっと心変わりしてな。変わらないと、って思ったんだ」



 綴町が道を踏み外したのは、オウマが現状に甘んじていたからだ。

 家族には何ら期待を寄せず、歩み寄ろうともしなかった。「どうせ意味のないことだ」と、諦めていたから、綴町は姿を消した。


 彼女が人として――――教師として、許されざることをした事実は拭えない。


 だからせめて、綴町と再会した時までに、「もう大丈夫だ」と自信を持って言えるようにしていたい。そう思った。


 これは第一歩。

 たったの一回でこれまでの不和が解消されるとは思えない。けれど変わらなければ、と内から叫ぶ声がする。たとえ悪い方へと向かっていったとしても、現状維持よりはマシだと思えた。


 すると京子が、窺うような視線を向けて言った。


「それって……ミク先生のことと関係してる?」


 山無でさえ気付いたのだ、京子が気付かないはずがない。そう予め意識しておいたおかげで、露骨に動揺することはなかった。

 気付いているのなら、誤魔化しても仕方がない。彼は首を縦に振って肯定した。


「ああ。……一つ、聞いていいか?」

「何?」

「お前にとって綴町――――ミクは、どんな人だった?」


 興味本位で尋ねてしまった。被害者である京子が、いったい彼女をどう捉えているのかが気になったのだ。

 考える間もなく、ガタッと身を乗り出して京子は答えた。



「良い先生だよ!」



 真っ先に返ってきたのは、そんな子供染みた言葉だった。

 それから彼女は指を一つずつ折っていき、順番に挙げていく。



「まずねえ……授業が面白い! 小ネタも挟んでくれるし、テストも絶妙な難易度だし。それから担任としても最高だよ。私、ミク先生が担任だって分かった時、ガッツポーズしちゃったもん!」

「……そうか」

「他にも色々あるよ! 大人っぽくて、優しくて、いつだって親身になってくれる。……うん、やっぱり『良い先生』ってのがしっくりくるかな」



 そうか、とオウマは小さく頷いた。


 京子は知らない。綴町が窃盗の罪を擦り付けようとしたことを。

 京子は知らない。綴町が少なからず憎く思っていたことを。

 それを差し引いた現状の感想ではあるが、それでも嬉しい気持ちが胸いっぱいに広がった。それと同時に、何故これほどまでに慕ってくれる生徒に対し、裏切るような行為をしてしまったのだ、と僅かに憤ってしまう。


 遠い目をしていると、京子が少し意地悪な表情をして尋ねてくる。


「やっぱりお兄ちゃんって、ミク先生のことが好きだったんだよね? そうじゃないかなって思ってたけど、そうなんでしょ?」

「…………、ああ」


 ベランダの窓から外を見つめる。外はすっかり陽が落ち、住宅の電気が星のように広がっている。

 オウマは頷いて、ここにはいない誰かに向けて言うような、優しげな声音で言った。




「――――大好きだよ」




 次に出会った時、そう真正面から告げられるように。


 逢魔斗真はただ前だけを見て歩いていく。きっとその先に、彼女がいると信じているから。




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