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義妹と過ごす教育実習記  作者: 名無なな
第一節 教育実習編
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第四章⑤

 京子は翌日、兄から呼び出されて七時半前に学校を訪れていた。

 母の美和子から「今日は無理しないでおいたら?」と心配されたが、自分のために兄が動いてくれたとなれば休んでばかりもいられない。


 指定された体育館の裏手へ着くと、先にオウマと山無が待っていた。いつもなら山無はこの時間、自主練に励んでいるのだが制服のままだった。二人ともいつになく真剣な面持ちをしている。京子もそれに倣って気を引き締め直す。

 兄が京子の姿を確認すると、矢継早に始めた。


「……さて、時間もあまりない。手短に結論から言おう」


 ごくり、と京子は息を呑んだ。正直言うと不安な気持ちはある。「捜査の結果、お前が犯人だ」と言われてしまえば、心が折れてしまうだろう。

 故に京子は兄の放つ次の言葉に集中する。



「――――俺の見立てでは、京子は財布を盗んだ犯人じゃない。真犯人は別にいる」

「……!」



 束の間喜びそうになったが、すぐに自身に釘を刺す。今のはあくまでオウマの所感で、何一つ証明は為されていないのだから。

 山無は心を鬼にして追及する。


「まさかそれは、先生の願望なんかじゃないですよね? 京子ちゃんに盗みは不可能だったという、確固たる証拠があるんですよね?」


 語気を強めて言う彼女に対し、オウマは小さく首を横へと振った。


「いや、京子には可能だったが、それだと大きな矛盾ができることになる。だから俺は犯人ではないと決め付けた」

「矛盾……?」


 京子は首を傾げる。彼女も一晩考えていたものの、さっぱり糸口になりそうなものを思い出すことはできなかった。

 義妹の呟きに兄はああ、と頷いてみせ、山無に視線を向ける。



「山無。盗まれたお前の財布、もう一度見せてくれないか?」

「? いいですけど」



 素直にポケットから財布を取り出し、突き出す形で他二人に見せつける。学生が持つには派手な、赤い財布だった。それは京子の鞄の中から発見されたものと同一に違いなかった。


「京子。お前、この財布に見覚えは? ――――正確に言うなら、自分の鞄から見つかる以前に、この赤い財布を見たことはあるか?」


 ふるふる、と京子は首を振って否定する。



「……ううん、ないよ。だって亜子ちゃんの財布は、黒くて小さいのでしょ?」



 やはり、と兄は合点がいった風に頷く。

 これまで山無が使ってきたのは黒い財布だったのを、京子は確かに覚えていた。去年の修学旅行で一緒の班になった時、うっかり落としたそれを拾ったから明確に記憶していた。なので当然、山無の財布がなくなったと聞き、真っ先に黒い財布を探したのだ。


 しかし彼女の鞄の中から見つかったのは、まるで見覚えのない赤色のそれだった。どういうことか分からず、その場でフリーズしてしまったはずである。


「山無はつい三日前くらいから、財布を買い替えていたんだよ。だから京子が知っていなくても不思議じゃない」


 フォローを入れるオウマ。他人の財布など、スリ師でもなければ本来チェックしない箇所だ。本人から自慢されない限り、京子が気付くことはなかったかもしれない。

 しかし山無はすかさずこれに反論する。


「知らなかったとはいえ、一目見ればそれが財布だと分かります。盗めなかった理由にはならないと思いますけど」


 平生の明るい声音ではなく、問い詰めるような鋭い声。仕方のないことだが、少しだけ怖いと思った。

 オウマは彼女の言葉を遮り、



「気付かないか? 京子から見れば、山無の財布は黒色だった。だから仮に京子が犯人なら、黒い方を盗んでいなくちゃおかしいんだよ」

「あ……」



 山無が口元を押さえる。彼の指摘に一瞬たじろいだものの、彼女はその理論の穴を突く。即座に思い至るあたり、頭の回転が早いのだろう。


「でも、両方の財布は鞄の中に入れてました。漁っている最中に新品の方を発見して持ち出したのかもしれない!」

「わざわざ赤色の財布だけをか? わざわざ確認をするくらいなら、両方とも持って出るのが自然だろう」


 どうやら話を聞く限りだと、山無は黒色の財布を小銭入れ兼定期入れに、新品の赤色の財布にお札を入れていたようだ。後者だけを盗んだということは、どちらの方が金額的に上か知っていたことになる。

 前もって知っていたか、あるいは物色している最中に財布の中身を見て気付いたか。いずれかしかない。山無はその可能性に関して追及する。


「漁っている最中に、赤いのを見つけて中身を確認した。それで黒い財布には大した額が入っていなかったから放置した……これならどうです?」

「それも考えづらい。昨日は朝から業者が校内を出入りしていたのを知ってるか?」


 確かピアノの搬入出のために、昨日いっぱいまで校舎内には足音が鳴り響いていた。時折大人の声がしていたこともある。

 二人が頷いたことを見て、オウマは続けた。


「そんな業者の足音が頻繁に聞こえる中で、赤色の財布の中身を見て、それだけを持ち出す――――あまりに冷静すぎる。誰に見られるか分からないのに、そんな悠長な真似をしている理由なんてない。だったらやはり、黒赤両方の財布を持ち出した方が効率的だ」


 見つかったら現行犯逮捕されることは免れない状況下で、オウマの言った通り落ち着いて行動できるとは思えない。無論空き巣のプロなら別だろうが、そんな高校生がいるとは考えづらい。

 オウマの推理はここで一段落したのか、しばし沈黙が流れる。山無はその間に自身の中で噛み砕いて理解し直しているようだった。

 やがて、山無は顔を上げて口を開いた。



「……先生の言い分は分かりました。けど、それはあくまで『おかしい』というレベルで、証明には達していません」



 ひょっとしたら京子は予め山無の財布が変わっていたことに気付いていたかもしれない。もしかしたら京子はとんでもない強心臓の持ち主で、赤色の財布だけを盗み出したのかもしれない。

 そんな風に反論の余地はいくらか転がっている。

 そしてオウマもまた、それを認めた。


「ああ。口惜しいが、俺じゃあここが限界だった。……だから、最後は山無に判断を委ねようと思ってな」

「…………私に?」

「お前がこれまで接してきた護国寺京子は、本当に盗みをする奴なのか。俺の推理を踏まえて答えを出してほしい。……力不足で悪いが、京子もそれに異論ないか?」


 申し訳なさそうに彼は京子に尋ねてきた。

 兄は今日まで、できうる限り自分の味方でいてくれた。全員から疑われたあの状況下でも、兄だけは信じてくれた。そんな彼を責める言葉など、彼女は持ち合わせていない。


 京子は小さく、されど明確な覚悟を持って首肯した。

 今度は山無が困り顔をする。結果の所在を丸投げされたようなものだ。責任重大に感じてもおかしくはない。


 そもそも彼女は、ここまでの発言を聞く限りでは京子を犯人と見ているようだった。あくまで京子が犯人である、ということをベースに話を聞いていた。悪印象を抱いているのなら、オウマの証明では不十分かもしれない。

 山無はしばらく空を見上げ、内なる自分に耳を澄ましていた。気持ちを落ち着かせ、それから答えた。



「私も――――京子ちゃんを信じたい。疑ったのだって、心の底から信じたいからだったし……、何より、どうしても京子ちゃんが犯人だなんて信じられないよ」



 犯人だと思うからではなく、信じるため。なるほど、この方がいかにも山無亜子らしい。

 彼女の答えを聞き届けたオウマは、けれど何も語ろうとしなかった。口が達者な兄にしては、意外な態度だった。


 代わりに山無が口を開く。


「ところで先生? 京子ちゃんを貶めた犯人について、目星は付いたんです? 昨日調べてみるって言ってましたけど」

「それは…………」


 苦い顔をして押し黙る兄の姿を見て、京子は少し胸のざわつきを覚えた。何故か、と自問しても答えは返ってこない。あくまで感覚的なものなので、口頭で説明できるはずがなかった。

 何となく、兄の横顔に陰りが見えたのだ。

 目を閉じて、しばらく悩み抜いたオウマは、最後まで見開こうとはしなかった。



「――――すまない」



 ただ一言、気付かれない程度に震えた声でそう答えた。


『すまない』とは、果たしてどういう含みを持っていたのか。京子には皆目見当も付かなかったが、おそらく『真犯人を見つけられなかった』ことに対する意味合いだけでないことは、何となく察することができた。


 ともかく、真犯人を提示できないことには完璧な解決には及ばない。誰もが納得する結果に終わらない。少なくとも周囲にアピールしなければ、京子の評価は爆下げしたままであろう。

 つまり着地点をどうするか。今度はそれが問題となっている。時間が解決してくれるような事件ではないのだから、当事者から働きかけなければならない。


「授業中に鍵を開けられたのは、現状京子しか確認できていない……。が、実のところそういうわけでもない。要はB組内に共犯者がいれば、女子以外でも侵入できる」

「その心は?」

「たとえば、B組女子――――犯人Aが教室を閉める前に廊下側の窓を開けておく。そして犯人Bが空っぽになった教室に窓から侵入し、財布を盗み出す。そして体育の終わった犯人Aが窓を閉めておく……、こういう可能性だってあるわけだ。あくまで可能性だから、周囲を納得させるには足りていないが…………」


 そういう話をしていると、山無がピンと人差し指を立てて、


「ふっふっふ……。実は京子ちゃんが無実だと分かった時のために、ちゃーんと策は練ってあるのですよ!」

「な、なんだってーっ!? それはホントなの亜子ちゃん!?」

「あたぼうよ京の字! これまで多くの童貞を惚れさせてきた、私の演技力が火を噴く時が来たっ!」


 勘違いさせられてきた男子諸君には申し訳ないが、こと演技に定評のある山無。童貞特攻の名は伊達でなく、「あの子、俺に気があるな」と思わせる手練手管には優れている。今回はその力を借りることになりそうだ。


 山無は得意げに胸を張って、その内容を語り始めた――――





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