第二章⑧
「ただいま……」
「あ、お帰りなさーいお兄ちゃん」
綴町と別れたオウマは、その後コンビニ等で時間を潰してから帰宅すると、そこにはエプロン姿の京子がいた。ギョッとするお兄ちゃん。ファミレスで護国寺一家を見かけた時、親子仲は改善したように映ったのでてっきり戻ってこないと踏んでいたのだ。
その態度が表に出ていたのか、京子は不安げな表情を浮かべる。
「……ひょっとして、帰ってきてほしくなかった?」
「…………そんなことない。ただ、また京子の作った飯を食べなきゃならんのか、とひっそりと絶望していただけだ」
「ひどくない!?」
何とか上手く返せたな、と内心で一息吐く。そもそも昨夜は「帰ってこい」と発言したのに、本音は帰ってほしくないとか面倒臭い兄にもほどがある。
時刻は六時過ぎ。夕食には少し早いような気もするが、誤差の範疇だろう。フライパンを危なっかしい手つきで振る彼女の背後に立ち、いったいどんな料理を作っているのか覗き見る。豚肉と長ネギを炒めている最中で、すぐ傍には溶いた卵をスタンバイさせている。それと京子の料理スキルを鑑みると、恐らくは炒飯だろう。
彼女はちょっと恥ずかしそうに苦笑いして、
「そんなに立って見られると緊張するんだけど……」
「気になってな……って、塩コショウ振ったか?」
「あ、フライパンに気を取られて忘れてた!」
京子が慌てて塩コショウを振る。慌て過ぎたのか、ちょっと入れ過ぎた気がする。慣れていないと加減が分からないので、仕方ないことだが。
怪我をしてはまずい、と交代することを考えたが、観念して見守ることにした。オウマも昔は、幾度の失敗を経て家事を学んだ思い出があったからだ。とはいえできるまで休んで待っていようにも、いつ惨事が起きるか分からないので、結局は後ろでチェックするしかない。
その後、何度か危ない場面もあったが何とか炒飯を完成させた京子。えへん、とどこか得意げな様子である。達成感に満たされる気持ちは理解できる。
彼女はそれをテーブルへと運び、先に座らせていた兄の前へと並べる。相変わらず匂いは問題ない、いや、匂いの時点で地雷臭がしていてはそれこそ食欲が失せるけれど。
「いただきます」
と、オウマは先んじて炒飯を口に入れる。前回と同じく、反応を窺われては食べざるを得ない。いっそ鼻を摘まんで食べてやろうか、と一瞬過ぎったのは内緒だ。
「こ――――これはっ!」
昨夜と同じリアクションをしてみせる。
べちゃべちゃと脂ぎったライス、そもそもちゃんと炒め切れていないようだった。味も濃い部分もあれば薄い部分もあり、と言う感じでバラバラで、よく言えば飽きさせない味付けである。これは……これは――――っ!
「学校の調理実習で出したら、ちょっとの間グループの空気が悪くなるみたいな。そんな味だな」
「今回は薄々自分でも気付いてました、はい……」
しょんほりと京子は肩を落とし、自分でも食べてみると途端に渋い顔になった。理想と現実のギャップってすごいよね。
今回も改善点を口頭で伝えていく。
「炒飯って確かに簡単そうなイメージがあるけど、それだけに奥が深いんだ。いかにご飯をパラパラにできるか、ってのが重要でな。あと、ちゃんと混ぜないと駄目だぞ」
「勉強になります先生!」
食べ進めていっていると、京子は不意に壁際に置いていた紙袋を手元まで寄せた。
「そうだこれ。お母さんがお兄ちゃんへって」
「……へえ」
受け取る。中身を見ると、箱詰めのお菓子と茶封筒が一つ入っていた。どうやら茶封筒の方は京子の生活費が入っているようだった。五万円入っている。
ちょっと多すぎる気がする。生活用品を買い、食事代を含めても半分近く余りそうだ。そうなったら京子に持って帰らせようと心にメモ書きしておく。
炒飯を完食し、オウマが食器を洗っている間に京子は入浴している。シャワーの音が聞こえてくる。何だか妄想捗りそうだが、今彼は綴町へのラインを返信している最中だった。どうも昼の件で態度が悪かったことを謝罪してきたが、それはオウマとて同様なので気にしてませんと返した。
すると即座に既読が付き、本題と言わんばかりにレスが表示される。
『あと、明日の全校集会で挨拶するから、ちゃんと内容考えといてよ』
明日から数週間、教育実習生として不働高校に通うことになるオウマへの釘刺し。以前から事あるごとに言われていた。
『名前とかは奇を衒うことできないからいいとして、問題は親しみやすさをいかに演出するかですよね』
『何で奇を衒うことを重視するのか……』
『校長先生のつまんない長話の後でしょ? だったら少しでも面白い方がよくないですか?』
『仮にもお世話になる高校の校長だから、もう少し言葉に気を付けようね?』
それから三〇分以上かけて、ミク先生の添削は続いた。
いよいよ明日、逢魔斗真の教師人生はようやくスタートラインに立つ。
期待に胸を膨らませているわけでも、大して緊張しているわけでもなかった。
けれど、この夜は何故か寝苦しかった。
――――まるで、教育実習が始まることを遠ざけているように。




