第二章④
――――その日、夢を見た。
広がる光景は、夕焼けの支配する公園だった。まだペンキの塗られたばかりのブランコに一人、目尻に涙を浮かべている少女が腰かけていた。
(ああ、これは――――あの時の記憶か)
ある意味で、兄妹の転換点ともなった瞬間。オウマ――この時は護国寺姓を名乗っていたが――は京子が美和子と喧嘩をしたあの日、こんな言葉をかけたのだ。
「大丈夫……。京子は良い子だから、大丈夫だ」
なんて、見かけだけは美しい言葉を。
何のことはない。先ほどのようにこれは、彼女を想って告げた言葉などでは断じてなかった。だから今、夢に見ているのだろう。
――――これもまた、自分のために言い漏らしたのである。彼女は励ましと素直に受け取ってくれたが、喜ぶ姿を見て彼は罪悪感に身を引き裂かれていた。
当時、再婚した父は美和子と京子にだけ愛情を注ぐようになり、今まで以上に疎遠な関係になっていたのだ。京子のいた公園も、オウマがよく時間潰しに立ち寄っていた場所でもあった。あの日彼が訪れたのも、確か夕食直前まで暇を潰すためである
『京子は良い子だから大丈夫』という言葉――――一見美談のようだが、要するにそれは自分自身に強く言い聞かせていたのだ。自分も良い子にしていれば、きっと以前のように父も愛してくれる、と。
だからこれは自己の欲望が漏れただけに過ぎない。それを彼女が有り難く感じているだけで、本来感謝される謂れはないのである。
確執があるのは父親とだけで、そこに関係のない京子を巻き込むのは間違っている。
たとえ、そう――――今になって父の偏愛に彼女が気付いたとしても、無知は罪ではない。知るべきでないことまで知る必要はない。もし京子がそれを罪と感じて家を訪ねてきたのなら、オウマは即刻実家へ戻るように進言するだろう。
彼はその歪さを受け入れた。否、諦めたのか。どうあれオウマの中では既に決着を見ている事柄だ。今更掘り返されるのもあまり良い気がしない。
かつて夢見た幸せな空間は、もはや手に入ることはなく。
誰かに『幸せになってほしい』と思うことはあれど、『幸せにしたい』と思うことはなくなった。こんな歪な自分が、いかにして幸せを築けるのか想像もできないのである。
(いや、少し違うか――――)
たった一人だけ、自らの手で幸せにしたいと思った人がいた。
けれど臆病な自分では踏み出すことができなくて、ずっとなあなあの関係に浸っていた。
『彼女』との出会いは、高校時代だった――――
ぱちり、と目が覚めた。
すっきりしない頭で、少し目尻が柔らかくなっているのに気付いた。滴を拭う。カーテン越しに京子の気配を窺うが、どうやらまだ寝ているようだった。静かな寝息を立てている。
時刻はまだ六時過ぎ。休日ということを差し引いても早い起床だ。彼もいつもは八時過ぎまで眠っている時間帯だった。それでも目が覚めてしまったのは、少しうなされていたからだろう。寝汗を吸収したシャツが肌にくっついて気持ち悪かった。
「シャワー、浴びるか……」
二度寝する気にもなれなかったので、オウマは忍び足で浴室へ向かった。




