冗談じゃない
「人身売買ってのは儲かる。俺達も食っていかなきゃならないんでな。
嬢ちゃん達は良い金になりそうだ。この辺りには居ない人種だしな。
少年も可愛い顔してるし、男娼として売れるだろう」
あたしだけじゃなく、健一もだと……?
「屑が。何が命の恩人だ。拉致監禁どころじゃねーじゃねーか」
「この世界ではな、力がなきゃ生きていけないんだ。お前ら二人、ここから放りだされてみろ。
魔獣やモンスターは襲って来る。その上、金も食糧も知識もない。
言葉すら分からないんだぜ。三日も生きていられないだろうよ。
だが、娼館暮らしなら命の危険は無いし、衣食住も保障されてる。
生きて行ける。最初は辛いかも知れないがな。そのうち金も貯まるし、いつか自由になれるだろう。
これは俺なりの思いやりだよ」
ははは、なんだこいつ。ムカつき過ぎて笑えてきた。
「だったら、ここに置いては貰えないでござるか!? 同じ日本人でござろう!?」
「おいおい、幾らなんでもそれは甘ったれ過ぎじゃねーか? 俺達はボランティアじゃねーんだぞ。
お前らに何が出来る。ただ飯食わせてやって、俺達に何のメリットがある。
それともあれか、嬢ちゃんが俺達の相手をしてくれるのか? 少年でも良いって奴もいるだろうが」
「健一、話すだけ無駄だ。ハルだっけ? こいつは自分の事しか考えてねー。
その癖にそれが本気で相手の為になると思い込んでる、サイコ野郎だよ」
「そうかな? 嬢ちゃんが寝てる間に、ここの男共の慰み者になってなかったのは何でだと思う?
俺が止めてたからだ。俺はお前らが酷い目に合わないように考えてやってる。
結果、金儲けになるってだけだ。winwinって奴だよ」
「"考えてやってる"ね……頼んでもいねー事を上から目線でどうもありがとうよ。
結局娼館に売るんじゃ一緒じゃねーか」
「全然違う。客相手に安全に商売するのと、無理やり犯されて良くてボロボロ、下手したら殺される。
どっちを選ぶか考えるまでもねぇ」
「だから!! そんな事は頼んでねーんだよ! どっちも冗談じゃねーんだよ!!」
気持ち悪い。こいつ……こいつはマジで何なんだ。
「……あたし達に力が無いって言ったな? 何も知らねー癖に、決めつけてんじゃねーぞ……」
あたしはすぐ隣にいる坊主頭に向き直った。ギリって言ったか。
『なんだ?』って顔をしている。こいつに恨みはないが。
「力がないかどうか、確かめてみろよ」
「明殿!!」
健一が叫ぶと同時、あたしの垂直飛び膝蹴りがギリの鳩尾に突き刺さった。
ギリの体が一瞬浮き上がる。うめき声を上げて両膝を付くのと同時に、再度飛び膝。
顎をカチ上げる。
気持ち良いくらいモロに入った。
すぐ背後の壁に後頭部を打ちつけて、横倒しになった。
天上からパラパラと埃が落ちてくる。
テーブルの上の酒が零れてギリの顔に滴るが、ピクリとも動かない。
気のせいか、幸せそうな顔をしている。良いのが入ったからなぁ。二度と起きないかも。
「……油断し過ぎだ。ギリ! 『――――――――!』」
ハルがギリに声を掛ける。途中から異世界語になった。
「どうだ? 少しは分かって貰えたか?」
「馬鹿が。短気起こしやがって」
「うるせぇ。こっちはとっくにキレてんだよ!!」
ふと見ると、健一が天を仰いでいた。あ……ごめんな健一……我慢出来なかったんだよー。
「ギリ! いい加減起きろ!『――――――――――――!』
……は、完全にノビてやがる」
「次はあんたか? そっちの筋肉ダルマさんか?
さっきあんた、あたしがあんた達の相手をするとか何とか言ってたな。
いいぜ、相手してやるよ。あんたのいうエロい意味じゃないけどな」
「……嬢ちゃん。俺はマジで、お前らがこの世界で生きてくにはそれしかねーと思って言ってるんだぜ。
多少、格闘技か何かやってるくらいでどうにかなるもんじゃねーんだ。
この世界はそんな甘くねぇ。まぁ、ギリはノビちまったが……」
『――――――――』
そこに、初めて聞く声が割り込んだ。
今まで一言も発することの無かったスキンヘッドだ。
「待て待て待て……」
ハルが何か慌てだした。
何事か言い争っている。ザンドは静かに淡々と、ハルは声を荒げている。
あたしは成り行きを見守る事にした。この流れは……。
少しの間やり取りが続き、やがてハルがあたしに振りむいた。苦々しい顔をしている。
「くそっ。嬢ちゃん、後ろ向いて手枷を見せな。外してやる」
「あん?」
「ザンドが相手をするそうだ。力があるなら見せてみろってよ」
ハルに手枷を外してもらい、小屋の外に出る。
扉のすぐ近くには犬人間が待機していた。あの騒ぎでも入って来ないので、もう居ないと思っていた。
小屋から少し離れ、久しぶりに手が自由になったので、動作確認がてら軽く肩のストレッチ。
両腕のだるさは少し残っている気がするが、それ以外は特に問題ないか。
手首は手枷の跡が赤くなって、擦り傷になっている。それを擦りながら屈伸運動。
小屋から健一が出てきた。こっちに心配そうな顔を向けている。ホントすまん。
次にハルが出てきた。
「嬢ちゃん、勝負の説明だ。武器は使用不可、後はなんでもありだ。
どちらか行動不能になるか、ギブアップするまで続ける。
嬢ちゃんが勝ったら少年と二人、自由だ。
ザンドが勝ったら、予定通り娼館に売る。売り物になる状態ならな……。
なにか質問は?」
「その辺のたき火とか利用するのは? 武器じゃないけど」
「ザンドが良いならいいんじゃねーか?」
ハルが小屋を振り返る。
ザンドがゆっくりとした足取りで扉を潜ってきた。屈まないと頭がぶつかりそうなのだ。
団長だと聞いてたが、小屋を作った奴は団長への配慮が足りてないな。
『――――』
ハルがあたしの質問の確認をしてるのだろう。ザンドが短く答える。
「何を使っても構わんとさ。……嬢ちゃん、言っとくがすぐにギブアップするんだ。
俺はお前に死んでほしくねぇ。火とかそんなもんでどうにかなる差じゃねーぞ」
まぁ強そうなのは見りゃ分かる。こんなガタイの奴とはあたしも戦った事はない。
ザンドが肩に手をやり、首を左右に振りボキボキ鳴らす。あ、それやらない方がいいぞ。
そのままあたしの方へ、月をバックにして悠然と歩いてくる。すげぇ絵になるな。
向かい合う。……対面して分かった。
やべー、こいつ、マジで強いわ。相手の強さが分かるとか、あたし漫画みてーだ。
いや、これはあたしじゃなくて、こいつから滲み出る"強さ"のせいか。
立ち居振る舞い、鋭い眼光、引き締まりまくった筋肉。
手足はそこまで太いわけじゃない。ボディビルダーみたいな見せ筋が無いせいだ。
多分、戦ってるうちに自然とこういう体型になったんだろう。
なんか体からオーラが出ているようにすら見えるな。……気のせいだよな?
「このプレッシャー……3メートル超えのヒグマと戦った時以来だな」
「なんでそんな嘘付くのでござる!?」
あたしの軽口に健一が突っ込みを入れてくれた。
つーか冗談でもいってねーと、マジで足が動かなくなりそうだ。
「ふーっ」
軽く息を吐く。飲み込まれるな。いつも通り動く。動ける。よし。
ザンドから漂うオーラも消えたぞ。さっきまでの威圧感も感じない。
いつものあたしだ。
「始めるぞ。近づいて拳を合わせろ。その瞬間、勝負開始だ」
ハルに合わせて犬人間も何か言う。多分ザンドに同じ事を伝えたんだろう。
一歩、二歩、三歩。足元を見てゆっくりと進む。ザンドの足先が見えたので顔を上げた。
目の前であたしを見下ろしている。でけーな。
視線を合わせると自然と見上げることになる。
ザンドが左拳をあたしの前に差し出した。拳もでかい。あたしの2倍くらいあるんじゃねーか。
あたしも左拳を上げ、拳と拳が近づき――――優しく――――触れた。
瞬間。
ザンドの左拳を、左肘で弾く。同時に踏み込んだ左足を軸に180度回転。
右足で放った後ろ回し蹴りがザンドの腹の中央、鳩尾に突き刺ささった。
蹴りの反動でそのまま安全圏まで離脱する。
どうよ!?
急所への渾身の蹴りだ。
あたしの美脚から放たれるその威力は、そこらの不良高校生だったら悶絶KOしている。
充分な距離を取ってからザンドを見ると、腹にはあたしの靴の跡がはっきりと付いていた。
ザンドはその跡を右手で二度掃う。汚れが気になったわけじゃないだろう。
ダメージにはなってない。『こんなもんか?』みたいな顔をしてる。
オーケー。そのくらいのタフさは想定してた。
ザンドが構える。両手を顔の高さまで上げ、肩幅より開いて、拳を握る。
構えだけ見ると、格闘の素人だ。脇も開いて、顔も胴体も、急所丸出しの構え。
実際素人なのか? 傭兵なら普段は武器を持って戦ってるんだろうし。
それとも自分のタフさに自信があるからか? 多少貰っても何ともないと?
そのまま突っ込んできた。
そこから右拳を振りかぶり、巨大なハンマーを叩きつけるような打ち下ろし。
あたしはバックステップして躱す。
あたしがさっきまでいた地面をザンドのパンチが打ち付ける。勢い良すぎだろ。
ザンドは止まらない。そこから、地面スレスレから掬い上げるような左アッパー。
あたしはサイドステップ。ザンドの左側に躱す。
ザンドはまだ止まらない。
打ち下ろしとアッパーを交互に繰り出す。
あたしは闘牛士のようにひらひらと躱し続ける。
よし、充分だ。パンチの威力はあるんだろうが、この速さなら避けられる。
決して鈍重ではない。体格の割にはかなりの速さだといえる。
でも速さでいえばあたしの方が全然上だ。
攻撃も単調だからタイミングも掴めた。
ザンドの左アッパーの出始めに左足を合わせる。
拳を踏みつけてアッパーを止め、顔面を蹴り上げようと思ったのだ。
左足をザンドの拳に乗せたところまでは良かった。
そのままパンチを踏み台にしての蹴り上げ――――は不発に終わった。
「うっそ!?」
一瞬の浮遊感の後、あたしの体は夜空に舞い上がっていた。
人力で跳んだにしては考えられない高さだ。
ザンドのアッパーはあたしの体重を物ともせず、そのまま振りぬかれた。
結果、あたしの脚力とザンドのパンチ力が合わさってこんな高さまで打ち上げられてしまったのだ。
目測で6、7メートルはある。
やばっ……バランスも崩れてるし、このままだと頭から落ちる。墜落する。
あたしが着地に気を取られている間に、ザンドがあたしの落下地点に走りこんでいた。
左手を前に突き出し、右拳を後ろで溜めている。やり投げの投擲フォームのようだ。
あたしが落ちてくるのを待たずに、このまま攻撃する気だ。
あたしは着地を放棄して、顔を両手でガード、足を畳んで胴をガードした。
次の瞬間、顔面に経験した事のない衝撃が炸裂した。
交通事故にあった事はないけど、きっと車に撥ね飛ばされたらこんな感じなんだろう。
受け身も取れず地面の上を転がる。自然と止まるまで何回転したんだか。
あたしは俯せに倒れていた。顔だけが横を向いて、偶然ザンドの姿を捉えている。
ザンドはパンチを打ち終えた姿勢のままだ。視線をこちらに向けると、ゆっくりと歩いてくる。
そうだ、立たないと危ないんだったな。そろそろ起きよう。
なんか最近地面に寝てることが多い気がする。女子がそんな事してちゃ駄目だよね。
ん? なんか健一が叫ぶ声が聞こえる。何騒いでるんだよ。
「明殿! 早く! 早く起きるでござる! まだ戦うのでござろう!? たった一発でやられるような女ではないでござろう!?」
いや、分かってるんだが……なんか体がいう事を聞かなくて。
なんでだろう? つーか、誰と戦ってたんだっけな。
「嬢ちゃん、ギブアップしろ! もう充分だろう!?」
ギブアップだと? 馬鹿言え、そしたら終わっちまうじゃねーか。
終わったら……なんだっけ。とにかく終わるのは駄目なんだ。
お、ザンド。いつの間にかあたしの目の前に。起こしてくれるのか?
って待て、待て。痛い、痛い!
髪の毛掴まないでよ! 痛いって! 止めろ!
ザンドは左手であたしの髪を鷲掴みにして立ち上がらせた。
と、思ったのも束の間、足は地面を離れて宙吊りになる。
ザンドは自分の目線の高さまであたしを持ち上げ、顔をじっと見てくる。
あたしは何故か視線がグラグラ揺れて定まらなかったけど、それでもザンドを睨み返した。
そうしないとあたしの中の大事な何かが折れてしまう気がしたのだ。
今までずっと大事にしていた、芯みたいなものが。
ザンドが動く。
あたしの髪の毛を掴んだまま、やり投げの投擲フォームのように右手を後ろに溜め――――
「明殿!! やめろーーーー!!」
再び、この世の終わりのような衝撃が突き抜けた。
「……終わった」






