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魔王様のお付き  作者: 夜野友気
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魔王様とお勉強

説明すること一時間。

随分と時間がかかってしまった気がするが、突然異世界に飛ばされたというところから理解して貰うだけでも人間の理解の範疇を越えているだろう。

それでもなんとか写真を送ったり、一緒にいる人の声を聞かせたりとして納得してもらえた、かどうかは怪しいが話が終わったのはとりあえずよかったと言えよう。

スマホが通じたのは幸いだった。

あのまま元の世界から俺が消えて連絡も取れないような事態に陥れば、家族や真咲を悲しませることになる。

スマホが通じることから世界のどこかである可能性も考えてみたが地図で現在地確認は出来ず、そもそもこの世界には電波という概念が存在しないようだった。

主な通信手段は魔法。

または魔力を用いた通信機器。

そういったものがあるようだが、ほぼ使われていないようだ。

とにかく真咲にはなんとか説明をして、そちらの世界に帰れる方法を探すという方針は決定したものの。


「だから、どうしてそれほどの力を持ちながら、魔王と契約をしたのかと聞いているの!」


ここに新たな問題が浮上していた。


「落ち着けよユリシア。将平だって知ってて契約したわけじゃないって言ってただろ」

「それは、そうだけど……」


ガーグに制されてユリシアは浮かした腰を椅子に落ち着ける。

それでも噛みつかん勢いで俺のことを睨んでいた。

問題というのは現状のことだ。

主に目の前にいる勇者のこと。

近くの村の料理屋に入って、かれこれ二時間が経とうとしている

その二時間の間、ユリシアは俺が魔王と契約したことに対する非難をし続けていた。

それに至る経緯を説明するには、かれこれ二時間半ほど時間を遡ることになる。











この店に着いたのは今から二時間半ほど前の話。

魔王が疲れたから城に帰ると姿を消した後、俺はユリシア一行と近くの料理屋に来ていた。


「なんだユリシア、お前そんだけで足りんのかよ。もっと食わねぇとでかくなれねぇぞ?」

「余計なお世話よガーグ。アンタこそ食べるか話すかどっちかにしなさい。行儀が悪いわ」

「んあ? まぁ、お前はもう色々とでけぇから心配グォハァ!」


ユリシアの握られた拳がガーグの顔面に埋まった。


「訂正するわ。黙って食べなさい」

「……おす」


ユリシアの隣で大飯を食らっている男はでかく、身長は二メートルを超えている。

背中に自身の倍はありそうな大斧を背負いながら、並んだステーキを口に突っ込んで勇者に怒られたからか黙って租借を始めた。

男の名前はガーグ。

クラスは戦士。

戦士として鍛え抜かれた肉体は鎧を必要としないのか、それとも単純に自分に合う鎧がなかったのか、ガーグは身の丈に合わないズボンと服、その上にチョッキを身に着けていた。

その服も随分と大きい筈なのにガーグが着けると半袖と短パンに見えてしまっている。

この男は見かけによらず気さくで、さんを付けて呼んでいたのだが付けられると気持ち悪いからという本人の希望もあって呼び捨てすることになった。

そんな二人の様子をくすくすと笑って可笑しそうに見守る長いローブを纏った美人の女性。

薄い水色のローブを羽織り、すぐ近くに木製の変わった形をした杖が立てかけられている。


「何がおかしいのよ、ネル」

「なんだ、ネル。お前何も注文してないのか?」


ネルと呼ばれた女性の正式名称はネルノアル。

二人同時に質問されて、ネルノアルさんは間を置くように優雅にコーヒーに口を付けた。


「いえ、お二人のお話が面白かったものですから、それにガーグさん、わたくしは先ほどお弁当を頂きましたとお伝えしましたよね?」

「あー、そういや途中で休憩取った時パン食ってたな」

「ガーグ、あれはパンではなくサンドウィッチよ」

「なんだよオメェ、パンはパンだろ細けぇ奴だな、身形は色々でけぇくせニヴグァ」

「黙って食べなさい」

「…………おっす」


ガーグの顔面に拳が入り、ネルノアルさんはまた可笑しそうに笑う。

そんな様子を見て、本に目を落としていたもう一人が呆れたように溜め息を吐いて顔を上げた。


「バカ騒ぎはその辺にしてよね。目立ってるんだけど」


持っていた本をパタンと閉じると机に置く。

その近くに少し変わったまるでT字型の、兎を思わせるような大きな帽子が置かれてあった。

T字の先端に大きな白くて丸いボンボンが付いている。

彼女の名前はポップロニアレッタ。

クラスは魔法使いだ。

仲間たちからはロニィと呼ばれているらしい。


「なんだロニィ、うるさかったか? 眠いのか? そんな顔してるぞ」

「うるさいとか一言も言ってないんだけど。バカを止めろって言ったの。バカは治らないだろうけどバカをしないくらいできるでしょ。それともそれも出来ない程バカなの? あとこの顔は生まれつきだから次言ったら灰にするわよ」


ロニィが左手を伸ばすとその手に巨大な水晶の付いた杖が握られた。

水晶は杖の先端にくっ付いておらず、土星の輪のようなものが三重の輪となり浮遊して動いている。

ガーグの言ったとおり表情は少し眠そうに見えるが、これは彼女の言葉通り生まれつきのものだ。

握られた杖に魔力が少し籠ったところで隣から静止の声が上がった。


「止めなさいロニィ、騒いだことは悪かったわ」

「……ふん、分かればいいのよ」


鼻を鳴らしたロニィの手から杖が消え去る。

その様子を見てホッとしたのはガーグではなく店内にいた他の客だけだったのは言うまでもない。


「あまり魔法を乱発するのはよくありませんよ、ロニィさん」

「そんなこと分かってるわよネル。大丈夫よガーグだけ燃やす出力にするくらい出来るわ」

「そうではありません。幾ら魔法使いであるあなたの魔力が他の方より高くても、制御するとなれば強力な体への負荷はかかるのですから。少しは自分の身を案じてくださいませ」


心配そうな表情を見せるネルノアルさんにロニィは少し驚いた様子を見せたあと、フッと笑った。


「相変わらず聖人君子ね」

「神に仕える身ではありますが、そこまで言われるほどのことではありませんよ」


彼女らは旅する勇者一行のうちの一グループ。

村の人に聞いた話によると現在存在する一行の中でも特に強いと有名な一行の一つだそうだ。

この世界には勇者のグループはいくつも存在しているらしい。

皆、各々魔王討伐の為に各地を旅してまわっているようだ。

ちなみに未だ魔王城に辿りついたものは一人もいないとも聞いた。

魔王城がどこに存在しているのかすら掴めていないのが現状。

しかし、探す必要がないというのも事実としてある。

それというのもあの魔王を名乗る女の子、暇さえあれば城を出て色々な村に遊びに来ているらしい。

魔王を倒したければ城を探すより村で待っていた方が明らかに早いだろう。


話を戻すが問題に至ったのはその後。

五人でテーブルに着きご飯を食べていたのだが、店の隅にラキエルがいることが話題に上がった時、ポロッと魔王と契約をしたことを溢してしまったのが事の始まりだった。


現在この店にいるのは店主を除いて五人。

席についているのは俺とユリシア、ガーグ、ネルノアルさんだ。

ロニィは俺が魔王と契約したことを知ると、射殺すような鋭い視線を向けてきて席を立ち、俺の傍を通る時に、死ね、と一言だけ残して去っていった。

彼女は何か魔王に対して余程強い嫌悪感を抱いているのだろう。

ガーグは俺のことを庇ってくれている。

ネルノアルさんは契約の話を聞いて以降、考えるように視線を伏せて黙ってしまった。

美人に黙られると少し辛いが、今はそんなことを考えている場合でもないだろう。

そしてもう一人、少し離れたところで見守っている男、ラキエル。

この男はさっきから一回も口を開かない。

ただ事の成り行きだけを見守っているように思える。

もしかすると魔王が話が終わったら連れ帰ってきてね、と言っていたので連れ帰るという命令を遂行するためだけにここにいるからじゃないだろうかと思い始めた。

この男はおそらく、魔王に対しての忠誠心が半端ではないんだろう。


「将平さん、とおっしゃいましたよね」

「は、はい」


ずっと黙っていたネルノアルさんに話しかけられて思わず姿勢を正す。


「ご存じのとおり、幼い見た目でもあの者は魔王なのです」

「は、はぁ……」


それは知っている。

本人もそう言っていたし、ここにいる全員がそう口にした。

そのことを踏まえても彼女が魔王であることは間違いないんだろう。


「あなたの力が強大であることを私たちは知っています。あの魔王を止めたのですから。異世界から来られたあなたにはまだ分からないかもしれませんが、それほどの力を持つあなたが、知らなかったとは言え魔王と契約を交わしたという事実は、我々にとって脅威なのです」

「そういやそもそも、お前なんで魔王と契約出来たんだ? ぶっ飛ばしたんだろアイツのこと」

「契約っていうか、俺はアイツの家庭教師になっただけだ」

「カテーキョーシ? なんだそれ聞いたことないクラスだな」

「いや、クラスっていうか勉強を教える人のことなんだけど」

「勉強? 新たな魔法でも教えようってこと?」

「そういうのじゃなくて、国語とか数学とか」

「コクゴ……スウガク……やっぱり聞いたことないわ」


そりゃないだろうよ。

どう見ても五教科勉強しているような世界には見えない。


「まさかそれが新しい魔法――」

「違うっての!」


遮るようにそう言って溜め息を吐く。


「とにかく俺は魔王に加担して世界をどうこうしようって気も、個人でする気もないし、魔法なんてものは一切使えない」

「確かに、あなたから魔力は感じないわね。でもそれなら尚のことあなたの力は気になるのだけど。魔力も用いずどうして魔王に勝つことが出来たのか」

『ソイツを灰にしたら万事解決でしょ。やるなら手伝うわよ』

「うおっ! なんだ今のっ?」


脳内に直接響いてきた声に驚く。

今のはロニィの声だった。


「ロニィ、話に参加するなら入って来なさいよ」

『嫌よ。魔王を倒したって言うから少し認めてやってたけど、今はもうソイツの顔見たくない』

「まったく、しょうがないんだから」

「認めてくれてたのか」

『っ――……店ごと消えたいっていうならご要望に答えるけど?』


店の外がぼんやりと明るさを増す。


「止めなさい、ロニィ」

『……ふんっ』

「あのユリシアさん、私からも一つ提案なのですが、今は将平さんを信用されてみてはいかがでしょうか」

「そうね、出来ることなら信用したいわね」

「そうですよね。それに、ここで信用するのは将平さんだけではありません、魔王のこともです」

「っ…………それは」


ユリシアが言葉を詰まらせる。

そういえば気になっていたことがあったのを忘れていた。


「ずっと気になってたんだけど、勇者なのに魔王と親しいのか?」


その一言に時が止まった。

あ、ヤバい、空気で分かる。

完全にやらかしたやつだコレ。

口にしてはいけない部類のことを口にしたな。

その証拠にネルノアルさんは苦笑し、ガーグもユリシアを伺うように見ている。

それに顔も見たくないと言っていたロニィがわざわざ店の外から俺のことを睨んでいた。

完全に地雷を踏み抜いたと思った中、ユリシアは。


「違う、とも言い切れないわね」


なんていう冷静な返答をしてきた。


「あ、あれ?」


意外な反応に思わず面食らってしまう。


「何よ?」

「いや、もっと怒って否定してくるかと思ったんだけど」

「そうね。魔王と親しいなんて言われたら普通はそうなのかもしれないわね。でも、あながち間違いじゃないのだから、ムキになって否定することでもないわ。無論、私たちにも立場があるし、表立って親しいですなんて言える筈もないけどね」


あくまで冷静に、ユリシアは答える。

勇者という立場上、魔王と親しいなんて公言は出来ない。

当然のことだ。

信用に関わる。


「今の魔王は無邪気過ぎるのよ。行なう悪も極小さなものだし、そこに本人の悪意がない。だけど、どんなに現魔王が無邪気な奴でも、それで過去の魔王の行いが消えるわけじゃない。受け入れられない人だっている」


語るように話すユリシアは何かを思い出すように顔を伏せて目を細めた。

全員とは言わないが、もしかしたら勇者の一行として魔王を倒そうとしている人達には、過去の魔王に対する因縁があるのかもしれない。

それを今の魔王にぶつけるのはお門違いだと分かっているものの、割り切れないんだろう。


「それに、無邪気さなんていつまで続くか分からない。アイツが本当の悪に目覚めたら――――」


ユリシアはその先を口にしなかった。

おそらくしたくなかったんだろう。

けれど、その一言で俺の腹は決まった。

これはきっと、この世界で俺にしか出来ないことだ。


「つまり、魔王が今の魔王であるうちがチャンスってことか」

「チャンスって、どういうことよ」

「要は、魔王が悪として目覚めなきゃいいんだろ? だったらここは、クラス、家庭教師の出番だ」

「そのカテーキョーシっていうのはよく分からないんだけど、何をする気なの?」

「何をするって、勉強を教えるだけだ。それが家庭教師のすることだからな」


顔を見合わせて首を傾げる三人。

そんな三人には悪いが、俺は少し楽しみになってきていた。


「教えるって何を教えるつもりなの?」

「何を、そうだな。一般常識とか」

「一般常識って……そんなものあの魔王に身に着くと思えないんだけど」

「だから、それを身に付けさせるのも家庭教師のすることなんだ」


いや、本来の家庭教師ならそこまでしないけど。

この際だ、やれることをやろう。


「とにかく俺は、魔王の契約者としてきちんと家庭教師の責務を果たす」

「責務って……」

「話はまとまったか」


今までずっと黙っていたラキエルが、ここにきて話しかけてきた。


「何よラキエル」

「時間だ、魔王様が退屈しておられる。帰るぞ、カテーキョーシ」

「待ちなさい、まだ話は終わってないわ」

「終わっていようがいまいが関係ない。私は魔王様より連れ帰る命を受けている。邪魔をするなら、消すぞ」

「ハッ、相変わらず融通の効かねぇ配下だな。悪ぃがこちとらテメェ如きに易々と消されやしねぇぞ?」

「ほう? 面白い人語を喋る豚だな。体だけ育って知能を置き去りにしたか?」

「んだとテメェ……そのスカした態度を面ごとへこませてやろうか、ぁあ?」

「出荷するには育ち過ぎてるな。かかってこい。ちょうどいいサイズに刻んでやる」


ガーグが拳を鳴らし、ラキエルの周りを風が渦巻き始める。


「ちょっと待てラキエル、俺は行かないなんて一言も言ってないぞ。ガーグも拳を収めてくれ」


こんなところで暴れられたら店の人たちに大迷惑だ。

いや、下手したら村中巻き込むんじゃないだろうか。


「……チッ、分かったよ」

「お前の言い分など本来聞くに値しないのだが、今は魔王様の命を受けている。いいだろう」


頷いて手のひらを何もない場所に翳す。

すると楕円形の黒い輪が広がった。

暗過ぎてその先はよく見えないが、微かに道が続いているようだ。


「行くぞ」


一言だけ言ってラキエルは暗闇に消えていく。

俺もその後に続くようにその輪に歩み寄った。


「ユリシア、信じてくれてありがとう。言ったとおりに出来るかは分からないけど。ただ一つ、これだけは誓う」


閉じていく空間の向こう側に消えていくユリシアに向けて誓う。


「俺がこの世界にいる間。魔王には絶対、酷いことはさせないから」


その言葉を最後に、二つの場所を結ぶ楕円が完全に閉じたのだった。






ユリシアたちと別れて暗闇をどのくらい歩いただろうか。

微かに視界に映る道を進み続けていくうちに、視界の遠くに城が見えてきた。

暗闇の中、遠目で見てはっきり城だと認識出来ることから、その大きさが窺える。


「……………………でけぇ」


案の定、城は想像を越える大きさだった。

真っ先に通った正門と思われる門の大きさでさえ、何十メートルの巨人が通ることを想定して作られたものだ? と謎の疑問が浮かぶ大きさ。


「いったい何人で暮らしてんだ、この城……」

「二人だ」


俺の呟きにラキエルが答えた。


「は?」

「ここには、私と魔王様しか住んでいない」

「な、なんでっ? こんなにでかい城なのにっ?」


疑問の声が門が開く音に掻き消される。


「あぁーーーーーーっ!!」


続いて門から遥か遠く、部屋の中の方から大きな声が聞こえた。

その声を認識して数秒後、物凄い勢いで突っ込んできた何かが見えた。

見えた数瞬後には既に体が浮いている状態だった。

腹部に衝撃が走ったと思ったら地面と平行に来た道を後退している。

何事かと視線を落とすと体に何かがくっついている。

とりあえずなんであれこの後退を止めないと。

足を伸ばして地面に付ける。

靴底で砂塵を上げながら、勢いを殺すために滑って後退を続けた。


「待ちくたびれたよー。ってあれ? ここどこ?」


呑気にそんなことを言いながら周りを見回した魔王が首を傾げる。

ようやく停止した頃には魔王城から随分と遠ざかってしまっていた。

ただの体当たりでこんなところまで飛ばされるとは、いったいこの小さな体のどこにそんな力があるんだろう。

それに俺はなんであんな体当たりを受けて無事でいられるんだ。

不思議な事だが無事ならそれでいいか、今のところ。


「早く城にいこっ、色々話したいことあるしっ」


走っていってしまう魔王を追って城に戻る。

本当に自由な子だ。


「おい大丈夫か、カテーキョーシ」


戻りがけにかけられたラキエルの心配するような言葉に思考が停止する。


「なんだその顔は」

「え、あ、いや……意外すぎて……」


この男、魔王のことしか考えてないと思ってたけど、案外優しいところがあるのか。


「お前が壊れたら魔王様の暇つぶしがなくなる。肝に銘じておけ」


あ、やっぱり魔王のことしか考えてないわコイツ。


「それにしても、まるで知ってるかのような口ぶりだな、あの体当たりを」

「無論だ。当然だろう、私はあのお方に仕えているのだからな」

「じゃああの体当たりを受けたことがあるんだ」

「……そうだ。上半身が千切れた」

「はあっ!?」

「侮るなよ、あのお方は世界を統べる魔物の王だ」


ラキエルが踵を返す。

あの体当たり、そんな強力な一撃だったのか。

いや、それより上半身が千切れたなんて言った後にあんなふうにキメられてもなぁ。

言ってることはカッコいいが前後の会話関係がシュール過ぎる。


「さて、どうしたものかな」


ユリシアにはあんなことを言ったものの、俺はこれからどうしていこうかな。











魔王城の中を歩くこと数分。

案内された場所はだだっ広く家具の少ない部屋だった。

三十坪はあろうかと思われる床にその部屋をほぼ端まで埋める長いテーブル、ほぼ使われることのないであろう複数の椅子。

窓の外は相変わらず薄暗く、巨大な窓は大きさに似合わない仄かな光を部屋の中に挿し入れていた。

見上げればどこまでも続いていそうな高い天井。

暗く、黒く、濃い闇が奥にいくほどさらに増して、光を喰らい続けているように見える。


「ねっ、ねっ、ショーヘイ」

「なんだ?」

「これなに?」


その部屋の一番奥。

上座側の中央の椅子に座る魔王はテーブルに広げられた紙とペンを見て首を傾げている。

この世界にも紙とペンがあって助かった。


「今から魔王……えっと、そういえば、名前聞いてなかったな。なんて名前なんだ?」


みんながあまりに自然に魔王魔王と言うもんだからうっかり名前を聞き忘れていた。


「名前? ないよ? 魔王は魔王だし」

「え? 親に付けて貰わなかったのか?」

「親?」


首を傾げる魔王にまさかと思いラキエルの方に振り返る。

ラキエルは何も言わずジッとこっちを見ていた。

その様子だけで何も語るつもりがないことが分かる。

聞くだけ時間の無駄だろうな。

ここには、私と魔王様しか住んでいない。

ラキエルの言葉を思い出す。

もしかしてあれは魔王が生まれた時からずっと?

いや、もしかしたらそれ以前からずっと……。

だから魔王には名前がない。

一言で済ませて理解するのは簡単なことだ。

だからって納得が出来るかと言えばそうじゃない。


「どしたの? 急に黙って」

「……魔王。名前なんだけどさ」

「ん? もー、だからないってば」

「うん、だから、俺に付けさせてくれないか?」

「へ?」


急な申し出に魔王は目を丸くした。

いらないならそれでいい、断られても構わない。

だけど、もし本人がいいと言うなら俺が名前を付けてあげたい。


「ダメか?」

「ううんっ、ダメじゃないっ、嬉しいっ」


魔王が抱きつかん勢いで近づいてくる。

鼻先が当たりそうなほど近づいてきた顔に思わず仰け反った。


「なにっ、なになにっ、なんて名前っ」

「お、落ち着けって、名前は――――」


この子の名前は。


「マーシャ」

「マーシャ?」

「うん、マーシャだ」

「マーシャ……マーシャ……マーシャ……・マーシャ……マーシャ!」


目を閉じて何度も確認するように呟いて、最後にパッと笑顔になった。

か、可愛いっ……て何考えてるんだ、落ち着け俺。

なんか後ろで睨んでる奴もいるけど何もしないからお前も落ち着け。

そう心の中で考えながらも、その笑顔に思わず息を呑む。


「ラキエルッ、名前だっ、マーシャだっ」

「おめでとうございます、魔王様」

「あぁっ、めでたいなっ、嬉しいぞっ、褒めてやる、ショーヘイッ」

「おう、ありがとう」


魔王はパタパタと足を振って本当に嬉しそうに体を揺らしている。

こんなに喜んで貰えるなら言った甲斐があるってもんだ。


「話を戻すけど、今日はマーシャの力を試したいと思う」

「魔王の力を? いいけど、何を壊せばいいんだ?」

「違うちがう、とりあえずその拳をしまいなさい」


急に物騒なことを言い出して拳を握るマーシャを制する。


「違うの? じゃあ魔法――」

「そういう意味でもない。壊すことから離れろって」

「えー、じゃあ力を試すってなにさー」

「目の前に紙とペンがあるだろ? それに、自分の名前書けるか?」

「…………無理。文字書けない」


なんとなく想像はしてたけど、まさか本当に全てを教えることになるとは。


「それを教えるのが、俺の役目だ」

「文字?」

「そういうこと。書きたくないか? 自分の名前」

「……書いてみたいっ!」

「ならよかった」


ならまずは、名前から教えていくことにしよう。




「マ、ー、シ、ヤ。こ、こう、か?」

「おおっ、いい感じになってきたな」

「ホントかっ」

「ああ、ホントだ。マーシャは覚えるのが早いな」

「ま、まぁ、魔王だからなっ。えへへ」


胸を張りつつもマーシャは嬉しそうに頬を緩める。

マーシャが名前を書き始めて一時間ほど経った。

最初はバランスが悪かったり、極端に大きかったり、文字なのかも怪しい奇怪な形状の何かだったりとしていたが、何度も書いているうちに段々と形も整い見られる文字になってきた。


「次はっ、次は何を書くんだっ」


瞳を輝かせて次を催促してくる。

やる気があるうちにどんどんと覚えてもらった方が良さそうだ。

このまま他の文字も教えていこう。

ひらがなとカタカナは教えて、文字ばかりっていうのも飽きるかもしれないからたまに算数も絡めた方がいいかな。

さすがに数字くらいは知ってるか?

いや、知らない可能性もある。

それならそれで、そこから教えていけばいい。

それから、個人的に聞きたいことがある。


「マーシャ、次の前にいくつか質問していいか?」

「質問? ショーヘイがマーシャに?」

「うん、マーシャに聞きたいことがある。ユリシアのこと」

「ユリシア? ユリシアのなに? スリーサイズくらいしか知らないよ?」

「違――――ってなんでマーシャがそれを知ってるんだよ」

「いつだったっけなー、勇者が鎧買ってるところに鉢合わせて」


なんで装備を買い求めてる勇者に魔王が出会うんだよ。

どんだけ自由なんだコイツ……。


「その時に書かれてた三つの数字について聞いたらラキエルがスリーサイズだって教えてくれたんだ」


ラキエルも一緒にいたのか。


「ところで、スリーサイズってなんだ?」


意味は教えてないのかよ。


「それはまた後々な。……こほん、あー、ところでなマーシャ。その数字をこの紙に書いてみてくれないか?」

「おっ、次の書くものかっ、任せろっ」

「ま、まぁ、そんな感じだ」


意気揚々とペンを走らせるマーシャ。

マーシャが数字を知っていると分かってよかった。

と、思いつつ紙に視線を落とす。


「こう書かれてた!」

「な……に……っ、でかい…………だと……っ!」

「え? もう少し小さく書いた方がよかったか?」

「いやー、そのままでいいぞー。迫力あってまさに生き写しって感じだ」


――て、何わけの分からんこと言ってんだ俺は。


つい感じたままを口に出してしまった。

マーシャは意味を掴みかねているのか紙に視線を落として、首を傾げている。

そんなマーシャと一緒に紙を見降ろしてユリシアの姿を想像した。

見た目からは想像出来なかったが、あの服の下にはこの数字の肉体が隠れている。

結構プロポーションいいんだな。

そういえば、ガーグが色々でかいって言ってた気がするが、アイツは生身を見たことがあるのか?

畜生、なんてうらやましい奴……。

あれ? 待てよ。

この数字どっかで見たことあるぞ?

いつだったか……ここ最近のことのような気がするがどうにも思い出せない。

しかし、三つの数字が一致することなんてそうそうない気がするが。

どこだっただろうか。


「……ーヘイ……ショーヘイッ。もうっ、聞こえないのか、ショーヘイ!」

「うおおっ、な、なんだっ?」

「さっきからどうしたんだ? 話しかけてもボーっと紙を眺めて返事しないし」

「い、いや。なんでもないんだ」


今はそんなこと考えてる場合じゃないな。


「話を戻すけど、聞きたいことってのはマーシャとユリシアの出会いだ」

「出会い? 数字じゃなくて?」

「それはもういいんだ」

「そっかー、ネルのも知ってるんだけど。数字じゃないならいいか」

「その数字は質問が終わった後にな」

「なーんだっ、やっぱり数字も知りたいんだなっ、素直じゃないなーショーヘイッ」


ケタケタと可笑しそうに笑う魔王。

はい、数字知りたいです。

いや、待て、だから落ち着け。

今はそうじゃないだろう俺。


「えっとな。確かユリシアに会ったのは一年くらい前のことだ」


一年か、意外と最近のことなんだな。


「あの日は確か、ケニーとデカオとかくれんぼをしてて」


外人と日本人の名前みたいだな。

ケニーときてデカオか。

どこの世界でも名前の付け方は母親によって違うもんなんだな。


「その時にマーシャのことを倒しに来たのがユリシアだった」


やっぱり、ユリシアも最初は討伐目的で動いてたんだよな。

当然と言えば当然か。

勇者である以上、魔王の討伐は義務のようなものだ。

誰であっても最終目標はそこにあるだろう


「それからなんやかんやあって」


随分と説明が雑になったな。


「今があるわけだっ」

「わー、ビックリー。なんやかんやで一年経っちまったビックリー」

「こんな感じだ、分かったか?」

「大まかには、なんとなくな」


本当に外側のペラペラの皮一枚把握できる程度だったけど。

それでもユリシアにマーシャを倒す意思があったと知れたのは大きな情報だ。

つまりユリシアにも過去の魔王に対する恨みがあるんだろう。

これは推測でしかないけど。


「ところどころ、質問していいか?」

「大丈夫だ。覚えてることなら答えられる」

「それじゃあ、かくれんぼしてた場所はどこか覚えてるか?」

「森だっ、森の中。そこでデカオと会って、三人でかくれんぼしたんだ」

「森? もしかして、今日俺が落ちてきた森か?」

「いや、あの場所からはかなり遠い場所だな。小さな村が近くにあるんだ」

「村か……その村は今も?」

「あぁ、あるぞっ、今度一緒に行くかっ?」

「そうだな、ちょっと行ってみたいかな」


魔王に答えて思考を切り替える。

つまり、その村に遊びに行ったところでユリシアに会ったってことか。


「その時は、確か村の食べ物を奪いに行ったんだ」

「う、奪いに?」


見た目女の子の口から出るのは随分と似つかわしくない言葉だ。

だけど、発想としては魔王のそれなのだろう。


「おかげでその日の晩御飯はいい食材がたくさん手に入って美味しかったぁ」


その時のことを思い出しているのか魔王は恍惚の表情を浮かべている。

半開きの口からよだれが零れ落ちそうになっていた。


「ラキエルの料理はいつも美味しいんだけどな、その時は格別だった」


ユリシアの言っていた小さな悪ってのはこういうことなんだろう。

二人分の晩御飯となれば、それほどの量ではない。

それにマーシャは村人の男の子と一緒に遊んでいる。

加えて村がまだ滅びていないとなれば確定的だ。

魔王には世界をどうこうする意思はまったくない。

そうなると一つ気になることがある。

ずっと気にしてはいたが、マーシャ自身に聞くことをずっと躊躇っていたこと。


あの森でのマーシャが今と違い別人のように凶悪になっていたことだ。

闇を纏っていたマーシャの雰囲気。

世界を壊そうとし、簡単に人間を殺そうとしていた思考。

その全てが今と別人であることを物語っていた。


勿論このことを本人に聞く気はない。

それが分かったところでまた同じことにならないとも限らない。

それに何より、本人がそのことを覚えていなさそうなこの様子。

もしかしたらマーシャ的には何も分からず気が付いたら俺に殴られて地面にぶっ飛ばされた、とかそんな感じなんだろうか。

だとすると俺、なんで本当にこんなことになってるんだ。

教えて偉い人。

自身をぶっ飛ばした人と契約するその神経を教えてくれ。

一体、どのくらい太いんだ。


「マーシャはユリシアのこと……いや、この世界のこと好きか?」

「この世界のこと? 勿論だ! 世界は魔王のものだからな!」


魔王は屈託のない笑みを浮かべている。

心の底からそう思っているだろうと伝わってきた。

おそらくそう魔王に吹き込んだのはラキエルだろう。

もしかしたら、生まれついての魔王の思考であり思想なのかもしれないが。


「ショーヘイも自分のものを嫌いになったりはしないだろ?」

「そうだな」


自分のものをわざわざ嫌いにはならない。

極端ではあるが、確かな答えだ。

好き嫌いで答えるなら、嫌いにはならない。

好きかどうかは別として。

捻くれた回答だと自分でも思う。


「だから魔王はこの世界が好きだ」

「うん、いい答えだ」


理由はどうあれ、こんな魔王が悪に染まって世界を滅ぼそうとするなんて見たくない。

ユリシアもおそらく、魔王の考えを知ってそういう結論に至ったんだ。


「あ、そうだ。ショーヘイとは契約したから世界の半分をやるぞっ」


これ頷いちゃったらゲームオーバーのやつじゃねーか。


「いらないよ」

「えー、なんでー?」

「俺はマーシャの世界でのんびり暮らすよ。世界を半分も貰っても手に余るからな」

「そっか」

「よし、それじゃあ再開しようか。もっともっと文字を書けるようになろうな」

「任せろ! 名前以外にもいっぱい書くぞ!」


意気込んでマーシャはペンを握る。

その姿で魔王と言われて、誰が信用出来るだろうか。

本当にどうしてこんな子が魔王をやっているんだろう。

ただの子供にしか見えないこんな子が。

親はいないと言っていた。

名前がないことや、ラキエルの言葉から推測するに、おそらく生まれた時からずっと。

どんな魔王にだって名前はある。

いや、所詮ゲームの知識でしかないんだけど。

それでも親ならば生まれた我が子に名前くらい付ける筈だ。

先代魔王。

お前はどうして魔王に名前を付けてやらなかったんだ……?


「ショーヘイ? また考え込んでるのか?」


声に気がつくとマーシャが下から顔を覗き込んでいた。

黒い髪、黒い瞳。

その瞳に意識を吸い込まれそうになる。

不思議な魅力だ。


「最初はあいうえお、から書いていこうか」

「新たな文字だな、任せろ!」


マーシャは教えた通りにペンを走らせる。

楽しそうにしている姿は俺も見ていて本当に楽しかった。




またどのくらい時間が経っただろうか。

楽しい時間は過ぎるのが早いとよく聞くけれど、その通りだと知った。

マーシャの使っている紙にはびっしりと文字が描かれている。

五十音のひらがなを覚えるところから始まり、濁音などを教えてから、復讐の意味を込めて好きな言葉や好きなものを書いて貰った。

最初に迷わず、せかい、と書いたのは少し可笑しくて思わず笑みが溢れていた。

同時に魔王らしいとも思った。

それから次にラキエルの名前が出てきた時、ラキエルが少し嬉しそうに目を細めていたのを俺は見逃さなかった。

見逃さなかったせいで、咳払いの後に射殺さん程の視線で睨まれたが。

その後に、俺の名前を書いてくれたのは少し嬉しかった。

それからどこかの村の名前や、人の名前が大量に綴られていく。

きっちりとユリシアたちの名前も書かれていた。

そうしていくうちに紙の上はスペースがなくなる程の名前で埋まってしまったのだ。


「ショーヘイ、紙のスペースなくなったよー」

「そうだな、またいっぱい書いたな」

「まだまだ書きたかったんだけど」

「それはいいことだ、だけど一旦休憩してからにしよう」

「休憩かっ、いいなっ、ラキエルーッ、ケーキ食べたいっ」


マーシャが振り返ってそう言うと、ラキエルはすぐに一礼した。


「かしこまりました」

「マーシャ、俺はラキエルを手伝ってくるから」

「必要ない。足手まといだ」


提案が即座に却下されてしまう。


「まぁ、そう言わずに一緒に行こうぜっ」


ラキエルの背を押して行こうかとしたが避けられてしまった。


「着いてくるのは構わないが、私の邪魔はするなよ」


そう言ってサッサと歩きだしてしまう。

この城の中で置いていかれたら間違いなく迷子だ。

その後を追って俺は部屋を出た。


「ちょっと待ってくれ、ラキエル」

「私に聞きたいことがあるんだろう。歩きながら話せ」

「気付いてたのか」

「……早くしろ、置いていくぞ。魔王様を待たせたくない」

「分かった、分かったから置いてくな」


まったく、忠誠心が高すぎるのも考えものだな。


「魔王の両親はどうしていないんだ?」

「…………それを聞いてどうする」

「どうもしない、というか出来ない」

「つまり、興味本位か」

「そんな軽い気持ちで聞くわけじゃないけど、どんな言葉を並べても結果は同じなんじゃないか?」

「そうだな。言葉の上では何とでも言える」


どんな言葉を並べたところで印象が変わるわけじゃないなら同じことだ。

けれど、何も出来ない、というところに一切触れてこなかったところをみるとおそらく。


「まぁでも、どうにも出来ない状況だってことは分かったよ」

「…………キサマ」

「睨むなよ、別に嵌めたわけじゃない。言葉の上での推理だ」


ラキエルの鋭い視線が刺さる。

もう聞くまでも無さそうだ。

先代の魔王、それがおそらくマーシャの父親、もしくは母親であることは分かった。

そしてその魔王がいないとなれば、死んだと考えるのが自然だろう。

だからラキエルは一切語ろうとしない。

魔王を心から慕っているが故に。


「ふん、まぁいい。お前に何を語ったところで、先代魔王が復活するわけではないからな」

「てことはやっぱり先代は――――」

「死んだ」


俺が口にするより早く、ラキエルは遮るように結論を言葉にした。


「お前が聞きたかったことはそれだけか」

「そうだな、意外とあっさり口にされて吃驚してる」


もっと問答を繰り返すことになると思っていたが、ラキエルは本当にあっさりと口にした。

それがいいことであり、余計な手間が省けたと喜ぶべきところなのだろうが、正直なところ少し拍子抜けだった。

ラキエルがある部屋の前で止まる。

扉を開けるとそこはキッチンだった。

他の部屋と比べて随分と綺麗に見える。

それはおそらく飲食店の厨房と変わらないからだろう。

ここだけ明らかに明るさが違った。


「私は飲み物を用意する。お前は冷蔵庫からケーキを持ってこい」

「へ?」

「へ、じゃない。手伝うと言っただろう、冷蔵庫はあそこだ早くしろ」

「わ、分かった」


さすがに本当に手伝わされるとは思わなかった。

言われた通りにケーキが入っていると思しき箱を取り出してラキエルの元に持っていく。


「持ってきたぞ」

「…………アホか」


心底呆れた溜め息を吐かれた。


「なんでだよ、持ってこいって言ったじゃないか」

「箱ごと魔王様に渡す気かお前は。ちゃんと箱から出して皿に乗せろ」

「なるほどな」


言われてみればその通りだ。

ケーキを取り出して皿に乗せる。

当然食べるのだからフォークも必要だ。


「ラキエルー、フォークどこだー?」

「ここだ」

「うおっ!」


すぐ近くで聞こえた声に体を跳ねさせる。

ラキエルは横から俺のすぐ前の戸棚の引き出しを開けてフォークを取り出した。


「………………」

「何を固まっている」

「あ、いや、い、いきなり横から伸びてくんなよ吃驚するだろ」

「お前が遅いのが悪い。もう他の準備は終わっている、戻るぞ」


フォークを持ったラキエルがお盆にケーキとカップを乗せて部屋を出て行ってしまう。


「だから待てっての、置いてくなっ」


俺は慌ててその後を追った。

少しだけの違和感を部屋に残したまま。




「マーシャってケーキ好きなのか?」

「そうだな」

「その飲み物はなんなんだ?」

「ココアだ」

「甘いもの食べるのに甘いもの飲むんだな……」


マーシャは甘党だったのか。

さすがにケーキにココアというチョイスは甘すぎると思うが、人の好みにとやかく言うこともないだろう。

糖分は頭を使う時に必要なんだっけ?

そうなると今のマーシャにはこれくらいが丁度いいのかもしれないな。

体重とかも気にしてなさそうだし。

魔王だし見た目と年齢はイコールではないだろうけど、失礼な話かもしれないがプロポーション云々口にするような見た目ではない。


「あ、プロポーションで思い出した。お前ユリシアが鎧買う現場に一緒に居たんだよな?」

「一緒に買い物をしたような口ぶりは止めろ。魔王様が入られた店で居合わせただけだ」

「その時、ユリシアの身体、見たのか?」

「…………………………それがなんだ」


なんだ今の沈黙。


「いや、ちょっと気になっただけだ」


コイツもユリシアの生身を見た羨ましい奴のうちの一人なのかと。


「お前が気にするようなことではない」

「てことは見たんだな」

「殺すぞキサマ」

「なんで怒ってんの!?」


コイツの沸点が謎すぎる。


「俺としては羨ましい話だ。あんな数字の体、そうそう拝め――――」


マーシャの待つ部屋の近くまできて、思わず足を止めた。

部屋の中から光が漏れている。

その光に見覚えがあった。

あの時、俺が呑み込まれた光。

それが、部屋の中にあるということは。


もしかしたら、元の世界に帰れるっ?


「魔王様!」


俺が扉を開けるより先に、ラキエルが扉を開けはなった。

空中に投げだされたお盆とコップ、ケーキの乗った皿が数秒後ガチャンと派手な音を立てて割れる。

そんなことも気にならないような光景が目の前に広がっていた。


「あれは……!」


ラキエルが部屋の中を見て目を見開く。

部屋の中で光を発しているのは紙片。

俺がマーシャにスリーサイズを書いてもらったあの紙片だった。

部屋の中は全く見えないが、不思議なことに宙に浮かぶその紙片だけは目視出来た。


「おい、カテーキョーシ! お前あの紙に何を書いた!」

「な、何って、スリーサイズだよ、ユリシアの」

「なんだと……!?」


書いたのは俺ではないが、書かせたのが俺である以上同じことだろう。

そこに言い訳をする気はない。

というか言い訳したら逆にカッコ悪くないかコレ。

そんなことを考えている俺を尻目に、ラキエルは部屋の中へと飛び込んだ。

光が溢れ、マーシャの姿は確認出来ない。

けれどもしかしたら、あの光に包まれれば元の世界に帰れるかもしれない。

そんな淡い希望が俺の中に生まれる。

だけど、同時に疑問が生まれた。

このまま帰っていいものか、と。

全て中途半端に投げ出して、ユリシアとの約束やマーシャとの契約を残したまま。

俺は本当に帰っていいのか?

部屋に入りかけた足が止まる。

これが元の世界に帰る最後のチャンスかもしれない。

そのチャンスを棒に振ってまで、俺にこの世界でしなければならないことがある、のか?


踏み込むか。


立ち止まるか。


俺は――――。


思考を遮るように光が凝縮を始めた。

時間を置いてまだ少し残っている眩しさが後から引いていく。

宙に浮かんでいた紙片がいつの間にか消えていた。

部屋の中の様子が手前から徐々に見えてくる。


「マーシャ? ラキエル?」


中にいる筈の二人に声を掛けながら、引いていく眩しさを追うように部屋に足を踏み入れる。


「きゃああああああああああっ!!」


そんな俺の耳に、耳を疑う悲鳴が飛び込んできた。

弾かれたように光の中に飛び込む。

部屋の中は未だに不鮮明だが、そんなことは気にしていられない。


今のは――――。


今の悲鳴は――――!


人影が見えた。

一つは光の中心、未だハッキリした姿は見えない。

もう一つは認識出来る。

光の中心に今まさに剣を振り下ろそうとしているラキエルの姿だった。

そう分かった瞬間、俺は床を踏み込んで跳躍していた。


ラキエルが剣を振り下ろす。

俺は間に割って入り、左腕を振りかざした。


「なにっ!?」


突然乱入した俺にラキエルが驚きの声を上げた。

突然で止められる筈もない剣の軌道。

弧を描き、切っ先が確かな死を運んでくる。


「ッ――――ギリギリ、セーフ」


振り下ろされた剣を持つ腕を、下から押し上げるようにラキエルの腕と交差させた左腕で止める。

間に合わなかったり、少しでも間合いがズレていたなら真っ二つだっただろう。


「何のつもりだ。カテーキョーシ」

「悪いなラキエル。コイツを殺させるわけにはいかない」

「…………うそ…………将、平……?」


背後の光が収まっていく。

聞こえたのは驚きの声。

どうやら無事のようだ。

本当によかった。

安堵の息を漏らして、後ろに振り返る。


「大丈夫か? まさ――――」


思考が停止した。

思った通り、確かにそこにいたのは真咲だった。

どうして真咲までこっちの世界に飛ばされてきたのかは分からないが、それよりも分からないことが一つある。

視界に映る半分以上の肌色。

俗に言う、下着姿。

そう、真咲は下着姿だった。


ヤバい……。


エロい……。


「うん、大丈夫、だけど……。将平……? どうし――――っ!?」


俺の視線を追って、自分の体に視線を落とした真咲が息を呑む音がクリアに聞こえた。

同時にある記憶が俺の中に蘇ってきた。


あ、思い出した。

あの数字を見たのはここ最近。

真咲の家に行った時のことだ。

あの時も確か部屋の中から悲鳴が聞こえて。

部屋に飛び込むと、下着姿の真咲とそれにじゃれつく妹がいた。

よいではないかーよいではないかー、と言いながら真咲の背後から手を伸ばし胸を持ち上げている妹。

真咲は堪えるように涙目で体を震わせていた。

そんな二人と目が合って時が止まり、動き出したのは数秒後。

真咲の息を呑む音がクリアに聞こえた。


「い――――!」


溜めるように数拍置いて。


「いやああああああああぁぁぁぁっ!!!!」


聞こえた悲鳴のあと、見事な角度で俺の顔にハイキックが決まったのだった。


あぁ、あの時と全く同じだ……。


そんな懐かしさを感じながら。

俺の意識は薄れていく。


ちなみにその後目を覚ました時に、妹から謝罪と共にもらった紙に書かれていたのが、真咲のスリーサイズだったのである。


アーメン。

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