4 魔神
2016/7/24 改
いつもと変わらない長い黒髪と黒装束、でも長靴は物理防御+2000に履き替え、無表情の王は今日もツェレスクの目を盗んで……いえ、息抜きのために結界の外へ散歩に出ていました。
猛烈な吹雪で視界はゼロ。叩きつけるような暴風と豪雪が逆巻く険しい山の尾根を、王はまるで桜舞う春風の中を歩くようにサクサク進みます。足元なんてまるで気にしません。
何に気を引かれたのか王はふと首をあげ、なにも見えない筈の後方の遠くの空を見上げました。
……リザークの言う通り、運命というものなのでしょうか、王に拾われる者達は大抵、こんな感じの時に向こうからやって来ます。
ド―――――――ン!!!
なにかが猛スピードで隣の山に落ち、衝撃で物凄い雪煙が立ちました。王のいる山まで衝撃波が及んできましたが、それは王にとって小鳥の羽ばたき程度の感触しかありません。
しかし双方の山で雪崩が起きてしまいました。ズズズ、ドドドドド、と怒涛のように雪が流れる轟音が響き、山が震動で揺れます。
王は猛烈な勢いで流れる雪崩の上を山頂へ向かって駆け登りはじめました。鹿が地面を駆け上がるように、ひょい、ひょい、と飛び跳ねます。そうしてあっという間に山頂へ辿り着くと隣の山を一瞥し、雪崩がほぼ収まるのを見計らうやいなや、ぱっといなくなりました。
次の瞬間、王の姿は隣の山の山腹にありました。
先程の“なにか”の落下による衝撃波の影響なのか、滅多に止まない吹雪がすっかりなりを潜め、天を覆っていた雲すら消えつつありました。この分だと一時的に青空が広がるという珍事になりそうです。
そんな空を背に、王はやおら雪の中にすぼっと腕を突き刺すと、なにかを掴んで引き上げました。
雪の尋常でない重みをものともせずに引き上げたのは、赤い肌の、筋張って筋肉質な人の腕。それを容赦なく上へ勢いよく引っこ抜くと、雪が“ごさあっ”と流れ落ちて腕の持ち主の上半身が飛び出ました。
「ぶっっはあ!! ごっほげほっオエッ! く、苦しかった……!」
その男は上半身裸でした。引き締まってスラリとした筋肉質の体と小さな貌、雪塗れの髪は葦毛短髪。彫りの深い顔立ちで、目は強膜(白目)がなくインディゴブルーの瞳孔(黒目)だけ。その目元は二重で垂れ目がちです。
王は引き摺り上げついでに男を立たせると手を離し、男がすーはー深呼吸をしている様を僅かに目を細めて見ながら言いました。
「……ヴォートヴィークよ、またライナに放り出されたのか。しつこい夫は嫌われるぞ」
男はその言葉に跳ねるように王の顔を見ました。
「お? おおっオロバス、貴殿が居るということは此、ゲホッ、……此処は貴殿の山か?」
「ウチはあちらで、此処はウチの隣の山だ」
王は長い指で双方の山を指し示して教えてやりました。
この、山に落ちてきた男はヴォートヴィークといって、王とは旧知の魔神でした。ライナというのは奥方のお名前で、彼女は戦の女神です。このご夫妻は愛し合って結ばれたのですが、旦那の愛妻が過ぎて年がら年中くっついて離れないので、時々こうして叩き出されることがあるのです。……因みにオロバスというのは魔王の名ですが、滅多に呼ぶ者がいないので本人も稀に忘れます。
「お前が此方へ放り出されたのは300年来ではないか。ライナや子等は息災か」
王が知っているのは200年前に78人目の子供が生まれたと連絡を貰ったところまでです。たしかその時の子は一卵性の3つ子で、同じ顔のぷくぷくした赤子はさぞ可愛かろうな……と幸せな想像をしたのを王は思い出しました。
「ああ皆元気だとも! もうすぐ108人目の子供が生まれてくる予定なんだがな、それが聞いてくれ、ライナときたら―――」
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「で、魔王さまと魔神殿は山ん中で5時間も立ち話してたんすか。…… 暇魔神 タヒ ね 」
「魔王様、何処へ散策に行かれたのかと心配致しました。雪崩を駆けられて物理防御+2000の長靴の具合は如何でしたか?」
「ん。なかなか悪くない」
「空腹だ。オロバスは今も菜食か? 私の晩餐は肉も魚も山盛りで頼む」
「てめえに出す肉はねえ」
往く宛ても特にないので着いて行く、という魔神ヴォートヴィークをお供に王が魔王宮に帰ると、腕を組んで待ち構えるツェレスクと、恭しく頭を下げるリザークに出迎えられました。ただでさえ、王がまたなにか拾ってくるのでは……と口がへの字になっていたツェレスクは、この魔神を見るなり片眉を吊り上げて盛大に嫌そうな顔をつくり、そして先の台詞です。
なんだかんだ言って気配り心配症・ツッコミ気質のツェレスクは、人の話を聞かないフリーダムなヴォートヴィークは苦手のようです。
「魔王さま、こいつどっか雄好きキワモノ魔族んとこに転移させてください、ムカつくっすから」
「はあ……オロバスよ、何故このような口の悪い男に側近をさせているんだ? これならアルデュロスが居た頃の方が―――」
ツェレスクについて苦情をいいかけたヴォートヴィークの鼻先に、刹那、リザークの細く、鋭利に捩った飴細工のような剣の切っ先が突きつけられていました。
「要らぬことを申されて貴殿が食卓に上る肉になられたいか。魔神殿」
平素よりも心無し低い声で静かにリザークは言い、ヴォートヴィークを正面から見据えます。
ヴォートヴィークは“魔神”という種族の魔属性の神ですが、強さは唯一無二の魔王に遥かに及びませんし、王の側近であるリザークやツェレスクに勝てる程の実力もありません。ヴォートヴィークの頚部が緊張で強張っています。
「あー……済まない、私が言い過ぎた。許してくれオロバス」
ヴォートヴィークは王に深々と頭を下げて謝りました。
「ツェレスクは嘘はつかぬのが美徳ゆえ、いま肉はないな。魚も野菜も酒も、良い物を料理番が揃えているだろう。我儘を言わずそれを賞味するがいい」
王はヴォートヴィークに食材について言葉を返すと、妻や子供達の様子を聞かせるよう魔神を促しながら場所を移動していきました。
「やれやれ、魔神殿は口が軽過ぎていかんな」
「………」
「ツェレスク、魔王様があの方についてどうお感じになられているかを、我々が勘繰ってはならんぞ」
リザークはそう言うと、ツェレスクを置いて自分も部屋を退出していきました。
リザークのいう、あの方―――アルデュロスとは、かつて王の第一の臣といわれた魔族です。謀反人として千年前に王が街を追放して以降、誰もどうなったかは知りません。何処かで生き延びているという者もいれば、野垂れ死んだという者もいますが、恐らく何かしら知っているであろう王自身が言及したことがないので、それらは全て噂という扱いをされています。リザークはかろうじて、その魔族が追放された頃この街に存在していた魔族の一人ですが、彼もまた、何処まで知っているか、知らないかを口にした事はありません。
ただ、王がアルデュロスの生死、また、過去の一切にについて口にしないということは、王には少なからず彼について思うところがあったという事で、側近、臣下としては無闇に触れていい話題ではないのです。
「なんにも考えずに喋りやがる。……だからムカつくんだよ、あのクソ魔神」
それからヴォートヴィークはしばらく魔王宮に滞在することになりました。
最初の二日ほどは、王の白い動物達に構ってみたり(そしてどつき回された)、政や街の経済について王や両翼から話を聞いたり(ついていけずに頭が痛いと大騒ぎした)と、割と穏便に過ごしていたのですが、三日目になると、魔王宮職員の女親兵や文官、侍女等の“女性達”に、義務のように声を掛けまくりはじめました。
魔王宮に勤める女性達は総じて美しくありますが、同時に有能、聡明、そして王をとても敬愛し、仕事に誇りを持っています。その王のおわす宮殿で憚ることなく
「ねえ暇かい? ちょっと一緒に食事でもどう、お茶でもいいけど」
などと勤務中に誘われる。
その行為は彼女らに対する侮辱になりました。
当然、宮殿職員の最高統括者であるツェレスクとリザークのところへは瞬く間にヴォートヴィークに対する苦情が殺到し、ツェレスクが 「またかよ暇魔神! 前回殺されかけたの覚えてねえのかよ!!」 と青筋を立てて怒りまくる事態になりました。
そう、ヴォートヴィークは以前来た時も同様の事をやらかしているのです。その時はリザークが 「魔王様の臣下である職員を侮辱する事は魔王様を侮辱するのと同意。この宰相リザーク、貴殿の無礼を一族の方々にご報告申し上げる故、お覚悟召されたい」 と言ってライナと子供達にバラし、妻ライナとの離縁どころか、一族を挙げてのヴォートヴィーク抹殺……という事態になりかけたのでした。
「俺があの戯け叩き出してやらあ!」
「いや待てツェレスク」
怒髪天を衝く形相でヴォートヴィークを襲撃しに行こうとするツェレスクに、リザークが待ったをかけました。
「お前が魔神殿を叩き出すのは簡単だが、彼を滞在させると決めたのは魔王様。ここはまず魔王様にお伺いを立てるべきだろう」
リザークとツェレスクはすぐさま王の居室へ向かい、事の次第を伝えることにしました。
「……それは勘弁ならぬな」
話を聞いた王は平素の無表情ながらそう言いました。
王は民をとても大切にしています。王の街に住まうものは友であり、家族であり、臣下である。それが王の一環した考えです。おいたをやらかす余所者の友と街の民ならば、天秤にかけずとも迷わず民を取ります。
「如何対処致しましょうか」
「まおーさまっ、あいつは俺が叩き出す!」
「否。あれを此処へ留め置いたのは我。故に我がけじめを着けねばならん」
そう言うと、王は空にくるりと指先を滑らせ、なにやら小さな魔方陣を浮かばせました。それが ぽんっ、と音をたてて消えると、さっさと扉へ向かいました。
「これからあれを連れて街へ行く。着いて来るならば、あれにバレぬよう気配を消して来るが良い」
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王とヴォートヴィークは二人で街へ繰り出しました。王が街中を歩くことは頻繁にある事ではありませんが、珍しいという程でもないので、街の民は二人が王とその連れと分かると笑顔で挨拶しています。その後を、ツェレスクとリザークは王に言われた通り、気配を消して追っていました。
「なあ、あの魔神野郎、確実に街の女に声かけやがると思うんだが。魔王さまは何を考えてんだ?」
ツェレスクは怪訝な顔で傍らのリザークに言いました。
二人は建物の陰などにさり気なく身を隠しながら移動しているのですが、両翼揃って街中で見かけることは、実は王を見かけるよりも無いことです。そのせいか二人は、微細な気配に敏い一部の民にチラチラと観察されています。
「さあ、私もわからん。先の魔方陣は恐らく、組まれていた文字からして魔神殿の里に連絡する術式だと思うのだが……」
「嫁さんに報告か?」
「魔王様は出産間近の奥方の気を揉ませる事はされないだろう」
「となると残りの一族か、―――野郎の側近か従者の線はどうだ?」
そんなことを二人が話していると、前方のヴォートヴィークが騒ぎ出しました。
「オロバス、男二人ではつまらん。ほら、明日処に見目麗しい女人がいるだろう? 少々私達に付き合って貰おうではないか」
「……ヴォートヴィーク。お前は我が王宮に務める女達に声を掛け、痛い目に会った事を忘れたか」
王は無表情でしたが、俄かに空が曇りはじめました。しかも局地的に王とヴォートヴィークのいる上だけ暗雲が立ち込めています。それに気付いた民達が慌てて建物の中に避難し始めたのに、ヴォートヴィークは気付かないようです。
「うん? ……ああ、あれか! 忘れてはいないが、あれは宮殿の者だし、ここは街じゃないか。それに此処はオロバスが治める街なのだから、オロバスが許せば、街の娘に暇つぶしの相手をして貰う位構わぬだろ?」
「なっ……!!!」
反省の色もなく、あまつさえ王をだしにしようとするヴォートヴィークに二人が驚愕した、その時です。
上空から真っ白い閃光が走り、二人は咄嗟に腕で目を庇いました。
ドシャ――――――ン!!!
「うわっ!!」
「ウッ!?」
凄まじい轟音が消えても、暫くの間ビリビリと空気と地面が震動していましたが、それがすっかり治まると、二人は腕を下ろして周りの状況を確認しました。
目に移ったのは、全身煤けて俯せに倒れている魔神と、それを数歩離れた距離から無表情で立って見下ろしている彼等の黒き王。
先程とどろいた轟音と光は、王がヴォートヴィークに落とした雷であったらしい、と判断した二人は驚きました。温和な王が、よもや窘めて聞かないから雷を落とす、などという手段に出るとは思いもしなかったからです。
真っ黒に煤けた行き倒れのような様のヴォートヴィークは微動だにせず、生きているのか判断がつきません。
「ヴォートヴィーク、お前は少々手荒にしてでも考えを改めさせねばならんようだ」
王がそう口にした時、先程と違って閃光を伴わない轟音が響き渡りました。
ドオオォ……ン!!
それはヴォートヴィークの傍に、地響きと暴風と共に落ちました。巻き起こった砂煙が辺りを覆います。
ツェレスクとリザークはその中心に気配を感じ取って身構えました。
「―――やれやれ。自業自得とはいえなんという醜態か……」
そう言って消えつつある煙から姿を現したのは、ヴォートヴィークに似た面差しの青年でした。黒髪と、目が垂れていないという違いは見られますが、赤い肌や、強膜がないインディゴブルーの目などの特徴は同じです。
青年はヴォートヴィークをチラリと見ただけで放置して、王の前まで歩みを進めると、片膝を付き頭を垂れて言いました。
「魔王様御自らご連絡を頂きましたこと、恐縮に御座います。この度は我が不肖の父がご迷惑をおかけしまして、大変申し訳御座いませんでした」
「そなたは」
「魔神ヴォートヴィークが第3子、オルバスと申します」
おや、と王はほんの僅か目を見開きました。ヴォートヴィークから「自分と似た名前を付けた子がいる」などと聞いたことは一度もなかったからです。しかも3番目の息子と来れば、お互い知り合って10年も経たない頃です。
「母ライナも、父の再びの女性方に対する無礼につきましては激怒していまして、此度の父の処遇は私に任せられることとなりました」
「ライナや腹の子に差し支えはないか。其れだけが気がかりなのだが」
「勿体無いお言葉です。母は父が付き纏わなければすこぶる元気ですのでどうぞお気遣いなく……魔王様は聞きしに勝り、情深いお方なのですね」
ヴォートヴィークの息子・オルバスは、頭を垂れたまま口元に微笑みを浮かべています。
「私の名は魔王様の御名から付けたのだそうですよ。恐れ多いのでさすがに全く同じ名にはできなかった、と母は言っていましたが」
「……我が名から? ヴォートヴィークはそなたについて、我になにも言ったことがない」
「ふふ、面と向かっては恥ずかしくて言えなかったのでしょう。魔王様もご存知の通り、父はまったく身勝手が過ぎて、付き合う相手が少ない性格です。その父と、数千年の永き間、変わらず友好を続けて下さる魔王様を、父も母も心からお慕い申し上げているのです。
―――勿論私や、我が一族郎党も心よりお慕い申し上げておりますが」
臆面もなくそう言い放つオルバスに、王はなんとも言えぬ気持ちになりました。永らく友としている者の心情を本人以外から赤裸々に明かされる、というのは、大抵居心地の悪い気がするものです。
「………それを我に聞かせた事はヴォートヴィークに内密にしておいてくれまいか。会いずらくなる」
「承知致しました。ふふふ」
オルバスはそう言い、どうやら気絶で済んでいるらしい煤けた父親を肩に担ぐと、王へ丁寧に会釈をしました。そして文字通り、風に乗って去って行ったのです。
ここで「ヴォートヴィークは王の雷に打たれて生きているのか?」という疑問が残るところですが、ヴォートヴィークは人ではなく、しかも、実は風と雷を司る魔神です。なので、いかな魔王の雷で打たれても、煤けて気絶するくらいで別状はないのです。王もそれを踏まえての雷だったのでしょう。
ちなみに、奥方に吹っ飛ばされて山に落ちた時も、魔神の身体の頑強さに加えて、風を操り衝撃を和らげたので、雪焼け・霜焼けは出来ても怪我はしなかったようです。
ヴォートヴィークはきっとまた王と会えるでしょう……オルバスの処遇とやらが過酷だとしても。
尤もその時は監視が付いて来るかもしれませんが。
去っていった魔神親子を結局物陰から見送ったリザークとツェレスクの両翼は、聞いてしまったヴォートヴィークの事実に、王と同じようになんとも言えぬ気持ちになっていました。
「あの暇魔神野郎、魔王さまのことちゃんと敬愛してたんだな………全っ然見えなかったけど。散々迷惑かけるだけかけて終わったけども」
「そうだな……全方位で自分の首を締めただけだったけれども、な」
やっぱ俺、あいつ合わねぇわ。
ツェレスクのその呟きだけが、妙に力強くその場に響いたのでした。
明日は勇者が出ます