1 神獣※
※冒頭に「揺れる」表現があります(地震ではありません)
読む方によっては不快に思われるかと思いますので、ご懸念のある方は恐れ入りますが読むのをお控えいただけますようお願い致します
2016/6/17 改
それはいつもとかわりのない、魔王の街の昼下がりでした。
ずぅ……ん
ずしーん…
「……ん?」
どしーん…
カタ…
ずしーん…
カタカタ
「あら……なにかしら」
どっすーん
ガタガタガタガタガタ
「わっ」
遠くから重量感のある音が聞こえ、それが段々近づいて来ると、震動で辺りが揺れはじめました。
どしーん!
ガタタタタタタタ!
「きゃあ!?」
「な、なんだこの音と揺れは!」
魔王宮のそこかしこから物の倒れる音や割れる音、騒然とした声が聞こえます。
「敵襲かあああぁあ!?」
大音響と共に扉を開いたツェレスクが執務室から飛び出してきました。後ろに部下の魔族数名が続き、右往左往している王宮の勤め人達や官吏を尻目に大回廊を走ります。
「報告は!」
「ありません! 外の見張りから緊急通信は特に……い、今きました! え? ……あ、あの、この揺れの元は魔王様だといっています」
「……………」
王宮の広大な牧場もとい中庭。
ぽかーんと口をあけて上を見るツェレスクの少し前で、リザークが、やはり上を見ながら腕を組み立っています。
「……なあ、おい。リザーク」
「流石魔王様の手にかかれば如何なる生き物も犬猫のようであるな」
リザークは鼻息も荒く王を讃える言葉を紡ぎます。ツェレスクは コイツ聞いてねえよ と思いながら、一瞬リザークに移した目線を元に戻しました。
二人が見上げていたもの。目の前に居るのは、大きな大きな―――
「伝説の神獣アブフラーマタンガじゃねえかよ……」
長い鼻と二本の牙が生えた頭が三つに、太い四ツ足、ゴワゴワと硬そうな皮膚をした胴に、体躯に比べると細く長い尾、そして小さな丘程もある巨体。その色はもちろん白です。
そのツェレスクのいうところの伝説の神獣・アブフラーマタンガの背中には、彼等の王がいつもの黒装束にいつもの無表情で、足を胡坐に組んで乗っかっておりました。
「魔王様!」
リザークが王に声を掛けますと、彼は黒いローブを体に纏わりつかせながらひらりと地面に着地しました。
リザークが走り寄ります。
「魔王様、お怪我は」
「とくにない」
彼等の王が怪我をすることなどまずないのですが、そこは訊くのがセオリーというものです。
「この動物は神獣アブフラーマタンガではないかとお見受けしますが……魔王様、これを一体どちらで拾われたのですか?」
ぱんぱん、と神獣の足をたたく王に、神獣がぱおぉんと鼻をあげて応えています。
「東の霧の山で見つけた迷子だ。これの周囲に怪しい気配が幾つか在る中一頭で居たのでひとまず連れ帰った」
「迷子??」
誰も見たことがない伝説の生き物が迷子になり、其れをたまたま拾う王の運がリザークのいう、因果律だか慈愛だかのせいとしても――――ツェレスクは王にキッパリ言いました。
「このでっかい神獣どーやってウチで世話するつもりっすか! それにソイツなに食べるんすか!?」
この時のツェレスクの懸念は大した問題にはなりませんでした。
神獣アブフラーマタンガの子供は、保護しているあいだ王の術式によって馬ほどの大きさに小さくできましたし、ご飯は他の草食・雑食動物のように草や野菜や果物で賄え、量も一日、荷車三台程ですみました。まあそれでも多いことに変わりありませんが、動物全体の餌量の二十分の一くらいでしたので、元の大きさを考えれば驚く程のものではありません。
しかしなによりツェレスクとリザークにとって有難かったのは、数日でこの子のお迎えが来た事でした。
「魔王殿! 我らの至宝、神獣アブフラーマタンガの子を保護していて下さり誠に感謝この上ない!」
迎えに来たのは東の霧の山に一族で住んでいる神々の長でした。
親神獣の産後の肥立ちが悪いので、それに効く薬草を採りに行っている間に子供がいなくなってしまい、よもや神獣狩りに遭ったのでは…と慌てて山中を探していたところへ王から連絡が届いたのだそうです。
神獣の子を会わせると「肌艶がとてもよくなっている。元気で良かった」と長は大層喜ばれて連れ帰ろうとしたのですが、当の神獣の子がいやだいやだと首を振って王の後ろに隠れようとするので、それを説得するのにまた一日程かかってしまいました。
長が言うには
「魔王殿と別れたくないのもあるだろうが、ここの食事がとても美味しいので山の草ばかりの生活に戻りたくないのだろう」
とのことでした。贅沢をするとどんな生き物も元の生活に戻るのが大変なようです。
王は神獣の子に「親が心配しているだろう。果物などを土産にまた会いに行く故、いまは帰るがよい」と言って宥めすかし、なんとか帰したのでした。
「……魔王さまが助けた時の事情が事情だし、世話してた方としちゃ「居心地よくて帰りたくねえ」ってのは満更でもねーけどよー……」
でもメシがいいから帰りたくねえってどうよ
王の術式で送られて往く長と神獣の子を見送りながら、ツェレスクは不満気に呟きました。
迎えが来るまでの数日間、王は執務や謁見等の合間をそれこそ縫う様に日に何度も様子を見に来ていました。世話をする臣下達も勿論微に入り細に入り動いていましたが、王は保護した者の責任として、自らも神獣の子が安心出来るよう傍に付いて心を配っていたのです。
「そう言ってやるなツェレスク。神獣といってもまだ子供、それに魔王様にとても懐いていたのをお前も見ただろう。魔王様が様子を見にいく度、あの子は傍に纏わりついて離れなかった。魔王様にとっては、あの神獣の子が“元気で親元に帰っていった”その事実こそが喜びであられるのだ」
リザークは「お前はまだまだ魔王様のお心を汲み取る精進が足らんな」と言って笑っています。ツェレスクより四百年は長く王に仕えているリザークの言うことなので、彼は素直に「しょーじんするわ」と返しました。
此方へ歩いてこようとしていた王の周りには、何時の間にか王の白い生き物達が擦り寄って来ていました。どうやら、王がこのところ一頭に構い切りだったので嫉妬していたようです。遊べ、構え、とちょっとした騒動に発展しています。
「あれじゃー魔王さまはそんな瑣末事どころじゃねーか」
「ふふ、そのようだな」
魔王宮の中庭は、しばらく動物達の騒ぎ立てる声で溢れたのでした。