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10 皇帝

お待たせしてすみません。

ラストにしてとんでもなく説明回ですどうにもなりませんでした。つらくなったら流し読みでどうぞ。

※種差別、奴隷などの単語が出ます。それだけで不快になりそうな方は回避お願いします

2016/5/30 投稿  

2016/9/15改 10/8改二稿 



 彼が重い瞼を開くと、白地に銀で蔦が描かれた天井がみえました。


 ぼんやりとしたまま目線を光が射し込む方向に向けると、細く開かれた窓の隙間から流れ込む風でふんわりと揺れている、浅黄色の薄い絹布の窓掛けが目に入ります。

 彼の感覚ではそう大きな部屋ではないようですが、ぐるりと部屋の中を見渡そうにも、首や頭だけでなく身体のなにもかもがひどく重く感じられ、眼球以外を動かすのは無理そうでした。自分が寝台らしきものにに寝ていることだけは視界の高さや温もり具合で感じ取れましたが、此処がどこなのか見当もつきません。

さらに、喉が少し乾いている気がして唾を飲み込もうとしたものの上手く行かず、咳払いをしようとしても喉の筋肉が思うように動きません。

 そこで彼はようやく、いまの自分の身体は些か尋常な状態ではないようだ、という思考に至りました。


 彼―――帝国皇帝・ジスラン=ボスタリカーニャが神から王に引き渡された時より、二月程が経とうとしていました。




 王が帝国皇帝の身柄を引き取ったことは、あの大広間での一件の後、留守番組であったレンとロシュに知らされました。

 二人とも大魔術師アマルマの話を聞いていましたし、また、皇帝の母や祖父についてもリザークから説明がなされましたので、思う所はありつつも多少は同情的な心情であるようでした。しかし、皇帝が如何なる理由で事をなしていたのかについては、本人の意識が戻っていない以上訊く事もできないため、ひとまず保留ということになります。

 その一月後、帝国へ赴いていたアマルマ、シーギス、グディエリス、アーデルハイドの4人は、両翼の眷属達と街へ戻って来ていました。


 あの時、帝国へ皇帝救出に行ったアマルマ達は、直ぐに探知魔法術を使って大臣達に囚われ殺されかかっていた皇帝を見つけ出しまし た。帝国内屈指の女騎士に規格外魔導師二人、そして稀代の大魔術師と、名うての面々が4人が揃っていたのですから、適う者はそういるわけがなく、逆賊共を惑わし、蹴散らし、捻じ伏せ、一方的にタコ殴りにして皇帝を助け出しました。

ですが、その時点で既に皇帝は身体中血塗れで、半ば正気をも失っている状態だったのです。そのため慌てて医師を連れて来ようとしていた所、皇帝の姿は忽然と消えてしまいました。勿論それは神の仕業だった訳ですが、知らないアマルマ達は大混乱です。『大臣達の手先となった魔術師共に攫われたのかもしれない』となり、先に軍部連中を牽制していた両翼の眷属達と合流、帝国の鎮圧にかかります。

 暴動騒ぎに参加していた国民と一部の金持ちは、見たことのない生き物達と、それを率いているアマルマ達を見て(おのの)き、『獣人が消えたのは彼等の扱いに対する神の戒めだ』とあっさり大人しくなりました。が、しかし、騎士団と魔術師団の方は少々厄介でした。どちらも団員は見栄と矜持が大好きな貴族の出ばかり(平民や良識ある貴族は帝国兵団に所属している)で、

「神が獣人を自分達と同様に尊厳を持つ生き物だなどとするわけがない、側室から生まれ大して取り柄のなかった皇帝が自分達を妬んで腹いせに奴隷共を盗んだのだ、お前達が手先となってやったのだろう」

とまあ―――そんなような文言を主張しながら攻撃してきたのです。

 ……どこら辺が厄介かというならば『妬んで腹いせ』云々等と、普段の自分達の行動をそのまま他人に当て嵌める、その頭の悪さ、恥知らず加減が厄介だったと言えましょう。


 脱力した面々でしたが、いち早くアーデルハイドが 『こんな奴等と同じ集団の中で驕り高ぶっていた己が恥ずかしい!!』 とブチ切れて、暴れ足りない両翼の眷属達と騎士団に突撃し、続いてアマルマが魔術師団に 『お前等みたいなモンの相手は今日で最後にしたるわ!』 とえげつない精神干渉魔術でこれでもかと甚振りまわし。

おかげでその間にシーギスとグディエリスは残党狩りと、鎮圧後に国家運営を任せられる人員を集めての暫定政権樹立を進められ、数日後には帝国を完全に鎮圧。しかし皇帝は発見出来ず、やむなく王の力を借りようと街に戻って来てはじめて、皇帝が魔王宮で保護されていたことと、その経緯を知ったのでした。

 

 ジスランがぼんやりと天井の模様をみていると、室内に誰かが入ってきたようでした。が、動けないので足元近くにいるであろう気配しかわかりません。

 その気配の主がジスランを大きく覗き込みました。

「おや……皇帝陛下? 起きてらっしゃいますか?」

「……、」

 見たことがある女だ、そう思ったところで相手が帝国最高位の大魔術師であることをジスランは思い出しました。返事をしようと口を少しばかり開けましたが、喉からは声が出るどころか、息を吐く音しか聞こえません。

「ああ、声が出ませんか、水を……うーん、薬湯も持ってきましょうかね。ついでに魔王殿や側近方を呼んでもらいますからちょっと待っててください」

 そう言うと彼女は視界から居なくなりました。


 魔王……… 嗚呼、母上……


 発せられない言葉を形ばかり口にすると、彼は目を閉じ、深く息を吐きました。




 いつの間にか眠っていたのか、なにやら複数の人の気配を近くに感じ、皇帝―――ジスランは覚醒を促されました。

「あ、起きた」

 声を発したのはアマルマでした。ジスランは (ああ、あの女の声か) と思い、すぐ傍の魔力の気配は女のものであろうと思い込み―――実は今まで感じたことのない魔力の濃さであったのですが―――瞼を抉じ開けた途端、えらく整った貌の二人の男が、結構な至近距離で自分を覆い被さるように覗き込んでいることに硬直するはめになりました。

「…………ッ、」

「ぶふっ!」

「二人とも近い近い! オロバス、髪が皇帝にかかってるよ!」 

 寝台の左右からジスランを覗き込む、王と、肉が戻ってなんとかアンデッドに見えなくなったアルデュロス。吹き出したアマルマはヒューイットを抱えて寝台の傍に置いた椅子に腰掛けており、王達に注意したレンは寝台から一歩引いたところに立っていました。

 王とアルデュロスは覗き込んでいた身を起こしはしたものの、只管ジスランを眺めています。

 室内の窓寄りのテーブルについて待機していた面々のうち、リザークとツェレスクが立ち上がって王の近くに寄ってきました。魔導師師弟は椅子に座ったままお茶を啜り、扉寄りに置いてある幾つかの椅子のひとつにはアーデルハイドが、寝台の真反対にある暖炉の前の床にはロシュが膝を抱えて座り、皆寝台のジスランを見ています。

「魔王様もアルデュロス殿も、御二人揃って食いつかんばかりに見つめなくても宜しいでしょうに……」

「大魔術師がヒューを見る目は親の目だが、魔王さまとアルデュロスさまはソイツを見る目が孫を見るじーさんばーさんの目になってるぞ」

 ツェレスクのその科白に、アルデュロスがジスランから両翼へと目線を向けます。

「私と両翼を成したヴィト・サールの孫ならば、私にとってもそのようなもの。間違いではないな」

 アルデュロスの視線が逸れた事で硬直が解けたジスランは、一度アルデュロスの顔を見、直ぐに王に視線をやりました。王はジスランを凝視したままです。

 ジスランは王に問いかけようと口を開きました。……が、案の定声はまったく出ません。その様子に「あ。」と気付いたアマルマが、ヒューと共に持って来ていた薬湯と水を、匙で彼の口に含ませてくれ、幾度かそれを繰り返して僅かばかり喉を潤すと、声を発せられるようになりました。

 ジスランは王に問いかけます。

「貴台は……貴方は、本物の魔王オロバスか」

「然り。イディムに我の偽者がいるという話は聞かぬが。魔導師が人形(ひとがた)影者(かげもの)でも作ったか」

「そんなことしてませんよー。帝国ではちゃんと魔王様と魔族の人形は控えてましたからね」

 首をこてりと傾げて言う王に、テーブルの席からグディエリスが声を投げてきました。

「我からも問う。……其方の金と枯れ草色の髪が作られたものでないならば、帝国皇帝とやら。其方の母は我が臣下ヴィト・サールの娘、メニヤーナ・サールに相違ないか」

 静かに問うた王にジスランも答えます。

「私は……ごほ、帝国皇帝、ジスラン=ボスタリカーニャ。いや、かつてはジスラン・サール=ボスタリカーニャであった者。母は前皇帝側室、メニヤーナ・サール。祖父はヴィト・サールという魔族だと母は死ぬ前に言っていた。

……貴方が真に魔王なら、私の出自生い立ちなぞ既知ではないのか」


 ジスランはそれだけ話すのにも体力を使ったようでしたが、アマルマの方に片手を差し出すと彼女とヒューイットの手を借りて身を起こし、求めて新たに差し出された薬湯をゆっくりと飲み干しました。

 アルデュロスはアマルマ達と入れ替わりに壁まで下がると、背を寄り掛からせて聴く体勢をとっています。

「 其方は我がイディムの神より引き取った。その時点で其方の心身は損傷が酷く、身体と魂が剥離し切る寸前まで進んでいた。我が無理に(たま)の緒を肉体に繋ぎ留めたが、通常そのような力技を行えば、その対象者の記憶の一切をも我は視ることになる。しかし、其方は知ってか知らずか、魔力によって(おの)が魂に膜を掛け、我にさえ記憶を見せなかったのだ。よって、我が其方について知る事は多くない。

 さて……それほど強く他を拒む意志はいっそ称えるほどだが、今、この室内にいる者の中には、其方に対し訊きたい事がある者もいる。記憶を視ていれば、ままならぬ身の其方の代わりに我が答えることもできたが、知らぬ以上は其方が自ら答えてやるのが筋であろう」


 王の言葉に、ジスランははじめて室内に居る面々の顔ぶれを見渡しました。会ったことのある者、ない者、見たような気がする者、等様々でしたが、ぼんやりしている頭で彼等の名を思い出そうと考えるだけでどっと疲れたジスランは、溜め息を吐いて言いました。

「聞きたいことがあれば名と身分を共に挙げてくれるか。今の私では顔だけで何者かを思い出すのにも時間がかかりそうだ」


 ジスランの言葉に直ぐに反応したのはアルデュロスです。

「私は魔王臣下、アルデュロスだ。かつてお前の祖父、ヴィト・サールと共に魔王様の側近を務めていた。ヴィト・サールのイディムでのその後について知っていることを聞かせてほしい」

「生きててよかったわ陛下! 他称“稀代の大魔術師”こと帝国錬金術師アマルマよ。この子は陛下のおかげで魔王そっくりになった、培養液の中にいたあの子よ。かわいいでしょ~!」

「お母さん、自慢は余計です。ぼくはヒューイットといいます。貴方はぼくを魔王様に似せて此処へ送り込み、魔王様を襲うよう命令したそうですが、何故そのようにされたのですか? 差し支えなければ教えていただきたく思います」

 どちらが大人か分からない母子二人に続いて、椅子から飛び跳ねるように立ち上がりガチガチに固まっているアーデルハイドと、床に座るロシュ。

「て、帝国騎士、アーデルハイドで御座います陛下! わ、わたくしはっ、ななななにもお尋ね申し上げたいことは御座いませんっ御身御自愛くださりませっ!」

「獣人、ロシュ。……俺達、奴隷から解放、ずっとなかった。皇帝、俺達解放、しなかった理由、しりたい」

 これに対し、テーブルの魔導師二人はのんびりしたものです。

「元・帝国魔導師で、元・魔王討伐隊のシーギス=サンステレルリアです。私は特にありません」

「同じく元・帝国魔導師で、シーギスの師匠兼親代わりのグディエリスです。私もとくにないですねえ」

 グディエリスは手の平をひらりと翻してレンに発言を譲りました。

「元勇者、レンだ……あんた達、帝国の連中が異界から呼んだ“召喚勇者”だ。何故俺を召喚したのか、それだけはあんたの口から直接聞きたい」

 若干強張った面持ちでそう言ったレンの目は、じっとジスランを見つめ、逸らされることはありませんでした。

 両翼は静かなものです。

「魔王オロバス様現側近、リザークだ。ヴィト・サール殿の後継で宰相をしている」

「同じく魔王現側近、ツェレスク。防衛が主だ。まあ休み休み話しな、身体に障るから」

 全員の挨拶が終わり、最後に残った王。

「我は魔王オロバス。ジスラン・サールの生全てを|詳()つまびらかに語ることを求む」


「―――すべて話し切るには、一日かかりそうだな……」

 ジスランは疲れの滲み出る声でそっと話し始めました。



* * * * * * * * *




 私は母と祖父の詳しい経緯は知らぬ。二人は市井の者に混じり暮らしていたが、周りの住民にはどこかから逃げてきた貴族と思われていたそうだ。母は美貌故にすぐに噂となり、皇帝だった父の知るところとなって側室にと望まれたが、その頃父には既に后も子もあり、母は帝国では馴染みのない魔族という種。祖父は悩んだ末、危険を承知で父に魔族であることをひそかに話したらしい。

 父は魔族でも構わないと言ったそうだ。魔力があるというだけで、悪いことをするでもないのになにか問題があるか、と。

 母は祖父を安心させてやりたいのと、父の心根が気に入り側室になったのだと言っていた。祖父は帝国へ来る前から気力だけで生きていて、母はそれを知っていたそうだ。……母が側室になってすぐに祖父は亡くなったそうだが、

『多くを語らぬ人だったから、きっと胸にいろいろ抱えて逝ったのだろう』 ―――そう私に話をした母は、その時はもう、生き疲れて骨と皮ばかりの身であったから、恐らく祖父と似た境地であったのかも知れぬ。


 我が母は殺されたという話は聞いたことがあるか? ……毒殺というのは半分当たっている。もう半分は“欲に殺された”というのが正しいだろう。母だけではない。皇帝であった父、異母兄や姉、側使えの者、彼等は病や怪我が元で亡くなったとされているが、私を除いてみな殺された。

母と私の存在をどこからか知った大臣共が、最も幼く、ものを知らぬ私を傀儡として、政権を握ろうと手を回したのだ。

 后様だけは別だ。子供等が続けて死んだことで気が触れてしまわれて、城の窓から飛び降りて亡くなられた。


 ……母が倒れたのは私が6歳の頃だった。まだ父や王族も生きていた頃だ。

我等親子は、父が王族の土地の森に設けた小さな離れに二人きりで住んでいたが、我等とその離れの存在は王族と数人の使用人しか知らなかったため、母にだけ毒が盛られたのだとは思っていなかった。

 倒れた原因がわからず、母の元には、父から腕利きだという治療師が遣わされてきた。その者が後に死んで判った事だが、奴は連中の子飼いの者であったのだろう。母は薬と称した無味無臭の毒を飲まされ続けていた。……何処の誰を呼んだとて結局は同じ事であったかも知れぬがな。

 やがて母は食事を受け付けなくなり、吐血し、その量が日に日に増え、髪を櫛で梳けば千切れ、皮膚に斑紋が浮き……そして骨と皮ばかりの姿となって寝台から起き上がれなくなった頃、治療師が消された。 

 母は虫の息だった。

 思えば、母は己が殺されること……毒を薬と偽って飲まされているのを知っていたのかも知れない。母は薬を飲みはじめた頃から私に魔族の血が流れていることを教え、魔王の元にいた頃の自分の記憶を映像として見せるようになった。

幸せに溢れた記憶であった。祖父や祖母らしき夫婦、魔王の治める街に住む魔族や街の住人、美しい山々の稜線に魔王の宮殿、そこで働く人々の暖かい眼差し、そして黒き王。


「魔王様はいつも私達を助けてくださるわ」 ―――それが母が必ず口にする言葉だった。


 母が死に、私一人が残ると、奴等は私の存在を公表し、自分達が後見として好き勝手をし始めた。

 成人するとすぐさま皇帝に即位させられたが、私は奴等の傀儡としてただ玉座に居るだけだった。政に関することは一切教えられず、言われたことに諾と頷くだけの、まさに人形。陰で独学で政を学んではいたが、それも限界があった。

 そもそも個としての私を求められていないのだ。


 ……私は逃げること、己が救われることだけを考えるようになった。


―――どうしたらここから抜け出して母が見せてくれたあの街にいけるか

―――どうしたら魔王が助けに来てくれるか

―――どうしたら皇帝という傀儡の立場から解放されるか


 ある時、私は御伽噺に出てくる勇者と魔王の話を思い出した。

 悪い魔王を倒しイディムに平和をもたらす者。よくあるご都合主義の作り話。

 かつて母から聞いた話では、勇者が実際に居たという話は魔族のだれも聞いたことがないし、魔王様はそれはお優しい方で、強大な、神にも劣らぬ御力の持ち主だから、倒されるなんてことはまずありようがない、ということだった。

 改めて勇者の物語を探して読んだ。御伽噺の勇者の中には、神より遣わされし強い力を持った異界の者もいた。城の老魔術師に聞いてみると、過去には異界からイディアムにそっくりな外見で特異な力を持った者が現れた、という記録が幾つかあるのだという。


 ならばその、力を持った異界の者を勇者として魔王討伐に向かわせ、帝国を滅ぼすよう挑発することは可能なのではないか。私はそう考えた。


 腐った大臣や貴族共には、意に沿わぬ連中を掃除する機会を作ろう、と偽りの提案をして勇者に同行する者達を集めさせ、魔術師達に召喚儀式を行わせることにした。奴等が驚くほど能力無しで、数度(・・)召喚に失敗したのは予想外だったが、切り札として名が挙がった其処なる大魔術師が強大な魔力持ちだと判明したのが幸いし、召喚は上手くいったのだ。


 私は勇者召喚の一切を国民に知らせず、城に務めている者達の方は『勇者を私の客として扱えない者は極刑に処す』と脅した。城の者は連中の手の者ばかりで差別意識が激しい故、異界の者である勇者にもなにをしでかすかわかったものではなかったからだ。

 奴等の飼い主のように、食事に毒を盛ることも在り得るからな。

 国民に知らせなかったのは、恐らく役人内部に居るであろう民衆寄りの間者によって、いずれ国民に知れるだろうと予測していたからだ。

 魔王や勇者は実在していて、勇者は魔王討伐に向かい、魔王が帝国に逆襲する。

 国民がその事実を知り、混乱から暴動へ発展し、それが革命へと転化する。


 先の皇帝が亡くなってから永らく続く腐敗政治瓦解の流れとしては十分だ。だがそれはあくまで“私の最悪の希望に沿った予定表”に過ぎず、その通りにはならない可能性の方が高いことはわかっていた。

 ……それにその頃の私は“魔王が私を見つけ、助けに来てくれるかもしれない”という、ばかな期待もまだ持っていた。


 大魔術師に魔王の街へと転移させた勇者一行が戻らないまま数日が過ぎた頃、彼等と共に街へ送られた筈の討伐隊の精鋭残党が、帝国内に忽然と姿を現した。やけに小奇麗でこれといった怪我もないので疑念を持った者がなにが起きたのか訊ねると、彼等が皆、次々に魔族に捕らわれた筈が、その後の記憶がないことが判明した。

 私はすぐに、彼等と、魔術師団最高位の老魔術師とを呼びつけた。忘却魔術が使われた可能性を考えたからだ。

 老魔術師に、辛うじて忘却魔術に抵抗力があった者の記憶を取り戻させると、彼等は魔族らに捕らわれたが手荒なことは一切されず、道中で負っていた打撲や擦過傷などの軽微な怪我はすべて彼等によって快復され、魔術で記憶を喪失させられてから帝国へ直接転移されて来たことが判明した。

そしてその転移は魔王の力によるものであることも。

 イディムでもっとも強大な魔力を持つ大魔術師―――此処にいる彼女だが―――ですら、場と質量と時間を無視した“大転移”は黒き山の麓から魔王の街までが精一杯だというのに、魔王はそれを遥かに凌ぐ魔力を持ち、そしてなにより確実に実在していたことに、私は驚愕と喜びで打ち震えた。

 しかし勇者の一行についてはその者も記憶はなく、死んだのか、生きているが逃げおおせたのか、あるいは寝返ったのか、推測ばかりしかなく―――私は勇者の替わりに魔王を挑発してくれる者を探さなくてはならなくなった。


 その頃、何故か私は老魔術師と親しくなっていた。彼の者の、何ものにも動じず、私に対しても孫を相手にするように話しかけてくる図太さが好ましかったのはたしかだ。

 彼は反体制派で、至る処に潜り込んでいるであろう間者達の纏め役であった。私が彼に全てを話し、勇者の替わりとなる者がいないか尋ねると、彼は「大魔術師しかいないだろう」と答えた。そして、大魔術師の父親がじつは高位精霊で、本人はその血を継ぐ者であること、イディアムに似た生命を造り出したらしいということ、更にはその生命体を使って私を消すよう、大臣の手の者になにやら脅されていた、という話を聞かされた。

 私が命を狙われている事自体にいまさら脅威を感じることはなかったが、大魔術師のあの魔力の大きさが精霊の血故、という話には得心がいった。そして、それならば生命を造りだすことも……魔王に魔力で肉薄することも可能やもしれぬと思い、私は大魔術師に密かに会いに行った。 が、―――よもや赤い液体に入った子供を見ることになるなどとはまったく想定していなかった。


 私は、造られたのは“イディアム(ひと)に似た異形の者”だと勝手に思い込んでいた

 だが我が目に映ったのは“ただの子供”


 ―――私はこの子供を生かさねばならぬ


 理由は判らぬが、私の中に強烈にそれだけが立ち昇った。それは一度とて感じることのなかった“国民の父”としての意識だったのかも知れぬ。

 私はその子供に、己のあるだけの魔力を注ぎ込んで容姿を魔王そっくりに変え、魔族であるかのように魔力を偽装し、大魔術師ではなく子供を魔王の元へ送ることを思いついた。意図的に魔力を使うのは初めてだったが、魔法は血と想像で行使するのだと言っていた母の言葉を信じた。

 正直、題目などはなんでもよかったのだが、帝国に置いておくよりも、魔王の元へ送る方が余程ましだと思えたのだ。


 あの街へ送ってしまえば 魔王によく似た子供ならばきっと保護してくれるだろう


 母の見せてくれた記憶を思い出せば、そんな楽観的な考えが思い浮かんだ。


 それからそう経たない時期、帝国内の獣人が一斉に失踪したという報告がされ、国民が騒ぎ出した。自分達が出来ない仕事ならまだしも、危険であったり不衛生等でやりたくないだけの仕事、重労働の人足などはみな彼等にさせてきたのだ、居なくなった反動は大きかったろう。獣人を対等に扱っていた者も幾らかは打撃であったようだが、獣人達が消えたのは当然、むしろ遅すぎたくらいだ、という意見がその者等の主流と聞いた。

 いままで獣人を奴隷から解放しなかったのは何故かと問いがあったが、私の発言を聞く大臣などそもそもなかったこと、大半の国民に奴隷を使う生活が浸透してしまっていたこと、そのため奴隷を解放するには相当な抵抗が予想され、帝国を潰す覚悟に加え好機も必要であったこと……これらが理由だと言えば理解してもらえるだろうか。


 騒ぎが深刻になり始めると、私と老魔術師は、大臣や軍部の連中の動きがきな臭いことに気がついた。奴等は騎士団や魔術師団に指示し、騒ぐ国民を武力と魔術で抑えさせたのだ。

が、それが民衆の反発を煽る形になった。

 自分達の身が危ないと気付いた大臣達は、何処から知り得たものか、私と私の母が魔族であると国民に暴露した。帝国国民は基本的に多様な種による共生を支持しているが、それはイディアムに限ったことだ。奴隷として扱われていた獣人や、神聖視されがちな精霊よりも、魔族は総じて扱いが悪い。半魔族でもな。おそらく御伽噺等の影響なのだろう、なにしろ魔族の実物など会った事のない者が当たり前だ。

 軍部や大貴族達もこぞって私を弾劾する手に乗った。奴等は騒動のきっかけとなった獣人の失踪をはじめ、税金搾取、公金着服、偽装、横領、人身売買、あらゆる犯罪と不正の隠蔽……全てを押し付け、悪いのは全て魔族の血の皇帝だ、皇帝を処分し自分達が帝国を甦らせる、などと国民に吹聴し、私を捕えようと城に乗り込んできおった。

 老魔術師は間者を通じて民衆の代表者達に私の無実を説いていたらしいが、彼等は彼等で、もはや私一人をどうこうと論じる段階は越えていた。大臣達や上級貴族……腐った権力者は好きにやり過ぎたのだ。既に騒動は暴動に、暴動は革命に形を変え、怒り狂った民衆と軍部の衝突で死傷者が出ていた。


 帝国は引き返せなくなった。行き着く所まで行かぬ限り、転がる石は止まる術を持たぬ。


 だから私は逃げた。間者達の手引きで隠れて移動しながら、いつか革命が終わり、国が民衆によって治まったなら、そしてその時生きていたなら、私は魔王に引き合わせてくれる者を探しに国を出ようと考えていた。

 ……だが私は捕らえられた。老魔術師が大臣達と取り引きをしていたのだ。

 囚われの身となった私に彼は言った。


『魔族を実験してみたいのに、帝国は種族差別が激しいので入ってこなくて困っていたのです。精霊族の血の大魔術師と、彼女の親である火精を捕らえ代用にしようかと思っていましたが、力の扱いに目覚めているので私では歯の立ちようがない。そこへ半魔族だという貴方様が現れなされた。お誂え向きにご自分の力をてんで理解してらっしゃらないようで、まあ大変に素晴らしい。ようやく貴方様の人形としての役目が終わりましたから、早速実験台になっていただきましょう』


 彼のいう実験とは、魔族の身体再生能力の検証だった。

イディアムより遥かに魔力を内包するといわれる魔族が身体を損傷した場合、どの程度かかって再生するのか。どの程度なら再生出来て、どうなると致命傷となり、再生不可能となるのか……そんな下衆な事だ。

 魔族を敵に回して争っているわけでもないのにそんなものを知ってどうするのか、という話だが、狂った魔術師の考えることなど私は預かり知らぬ。

……あとの事は聞いて楽しい話ではなかろう。子供も居る……やめておく。


 此処で目が覚めるまでのことは知らぬ。話すことはもうない。

 帝国がどうなったのか……私の知らない諸々のことも聞きたいが……済まぬ、もう眠い……起きたらまた、薬湯、を……………、……―――



* * * * * * * * *




 幾度も休憩を挟み、薬湯を口にしながら話し続けたジスランは、最後には泥に沈むように眠ってしまいました。

「案ずるな、身体はほぼ快復している故問題ない。数日は起きぬかも知れぬが、長年かかっていた精神への負荷がなくなった反動を睡眠中に解消しようとしているだけで、心身の均衡を保とうとしている正常な反応だ」

 いきなり無理をさせ過ぎて容態が悪化したのかと皆慌てましたが、魔王のその言葉に一気に脱力。

今はといえば、ジスランの寝ている客室にも関わらず、どこからか出した随分と大判なラグを床に敷き、その上に、これまたどこから掻き集めたのか大量のクッションをばら撒いて、そこで皆で車座になっているという、ちょっとしたお茶会……座談会?状態です―――が、流石に全員は無理だったようで、テーブルでお茶を啜っていた魔導師師弟はそのまま。王はアマルマが使っていた椅子に座ってジスランの貌を見ています。


「俺が城の人達に無視されてたのは情報から隔離するためじゃなくて、単にあの人達が人間至上主義、いや、イディアム至上主義だったから? スピーシーシズム(※種差別)? ……いやいや、単に性悪の集団だったってことか……」

 レンは胡坐を掻いてクッションを抱え込みながら、重荷を下ろしたような顔で呟きました。晴れ晴れと、いうよりは草臥れた表情です。

 横に座っているロシュがレンに焼き菓子の皿を差し出します。

「皇帝も、大変だった。俺たち、一族だけ、じゃなかった」

「陛下のお噂は時々耳にしていたが、まさか実状があのような話だったとは……」

 痛ましげな顔をするアーデルハイドの背中を、アマルマがぽんぽん、と軽く叩きまます。その様子をちらりと流し見たアルデュロスは、お茶の器を口元に運んで言いました。

「サールの末がイディムに居ることを知っていたら、魔王様は帝国に行かれたか―――といえば、答えは否だ。イディムの神が阻んだだろう」

 それを聞いて、イディムから来た面々は目を丸くしました。

「神……ですか? 本当にいるんですか、神が」

 シーギスが問うと、ツェレスク、そしてリザークが続けて口を開きます。

「ああ、存在してるぜ。そんでもって魔王さまがイディムに関わらないのは、イディムの神が禁止しているから、という理由もある。ただの魔族なら幾らでもイディムに出入りできるがな」

「ところが出入りは自由なのに、我等がこの街からイディムを遠見することは出来ないのだ。だから、イディムにいる協力者達に魔族に連なる者を探してもらったとしても、イディアムに擬態していたら見つけるのはまず無理だ。しかもジスラン・サールの場合は存在も特徴も判らぬイディム生まれの混血。誰かが彼をイディアムでないと看破したとしても、それが魔族なのか他の種族か、それとも希少な型のイディアムかなどわかる筈もない。

今回は偏に、ジスラン・サールの行動が元で奇跡を生んだともいえるだろうな」

 リザークのいう事が難しいのか、長くて頭に入らなかったのかわかりませんが、ロシュが困った顔でうえを見上げてしきりに首を傾げています。

「……絶望的だったけど、陛下がこうして助かってよかったよ。ヒューの恩人だし、なんといっても皇帝だからね。今後帝国をどうするにしても、まずはとっ捕まえた大臣やらなんやらを責任追及して断罪しなけりゃならない。陛下はお嫌かもしれないが、時期を見て一度、帝国に証言の為に戻っていただくことにな……」

「それは無理だ」

 アマルマの発言を遮って王が言いました。

「この者の魂と肉体を繋ぎ直すのに我の魔力を相当量使った故、総潜在魔力の半数以上の割合で我の魔力干渉を受けた。これはもう元には戻らぬ。故にイディムに入ろうとしても“イディムの意識”はこの者を我と判断し、イディムへの進入を拒み弾くであろう」


「……ということは」

「陛下はもう帝国はおろかイディムにも戻れない、と……」

「とりあえず次の帝国は円卓で議会制だな」

「ジスラン・サールは半魔族とはいえサールの末。そもイディムなどに戻る必要はないのだ」

「いや、待ってくれアルデュロス殿。ヴィト・サール様とメニヤーナ・サール嬢の形見等を引き揚げる必要があるのではないか」

「……なあおい。形見よりもっと厄介なこと言い出しそうなのがいるんだがよ」


「皇帝が起きたら話すことが増えたねえ、ヒュー」

 アマルマの膝の上で黙って大人達の発言を聞いていたヒューイットは、口に大きな飴玉を放り込むとガリガリと噛み砕きました。





 なにもない、ただ白い空間。


ふと気がつくと、ジスランの目の前に彼の母が立っていました。

いえ、母というにはあまりに若く美しい彼女は、ジスランが見せられた街の記憶の中の、かつてのメニヤーナ・サールでした。

 彼女は彼に微笑みかけます。

「魔王様はやっぱり助けてくださったでしょ」


 彼女が目を向けた方向を見ると、白しかなかった空間が宮殿の一室|(と何故か彼はそう思った)に変わっており、窓辺に立って何処か遠くを見ている魔王の横顔が見えます。


「……声を掛けなくてよいのですか」

 彼が問うと、彼女は腰に拳を押し当てて言いました。 

「私とお父様の心はあなたと共に魔王様の元に帰って来たわ。それで十分。……あの方は寂しがりだから、去っていく者にこだわり過ぎるのよ。私達は去ったというのに、あんまりいつまでも気にされるとこっちも踏ん切りがつけられなくて困ってしまうわ。だからジスラン、起きたら魔王様に言っておいて頂戴。

『皆様がいらっしゃるのだから、いい加減にあれこれ後悔されるのはお止しください』 って」

 そう言いながら、彼女こそ後悔するように眉を下げて彼を見ます。

「ごめんなさいね。私は、私一人が邪魔なのなら、彼等の思うように毒を飲んで死にさえすればあなたは助かるのだと思い込んで、結果あなたを一人にして苦しませてしまった。他に道がなかったとはいえ、ばかだった。浅はかだったわ。

あなたに赦されるとは思っていないし、むしろ恨まれて当然だと思ってる。

……それでもジスラン、私達の分も魔王様をお願いしたいの。勝手に離れた私達を恨むどころか、強引にでも引き止めていればと、もっと早くあなたを見つけられなかったのかと、そんな後悔をされるようなあの方を」


 彼女の謝罪にどう返せばいいのか、彼は目を伏せ暫し逡巡しました。

帰らぬ人となった彼女に今更あれこれ言ったところで八つ当たりにしかなりませんし、彼を想ってしたことではあったがそれは正解ではなかったのだ、と彼女自身既に理解しています。

 ジスランは小さな溜め息とともに肩を竦めると、苦い笑いを浮かべました。


「―――赦したりしませんよ。母上を恨んだことなどありませんから。

 魔王様には私のような若輩が必要とはとても思えませんが、元より望むところです。サールの末はこの命尽きるまで魔王オロバスに付き従いましょう」 


 彼のその言葉には強い魔力がこもっていました。それは“世界”との誓約となるのです。


「ありがとう」


 彼女は柔らかな微笑みを浮かべながら、次第に朧に消えていきます。


「愛する子、かわいい私のジスラン―――」



 あなたの しあわせを のぞみます






 ジスランが瞼を開くと、白地に銀で蔦が描かれた天井がみえました。


 つい最近、同じ光景を同じ状態で見たな……と考えながら彼が窓のある方向を見ると、窓掛けの薄い布の向こうに黒尽くめの王が居て、じっと窓の外を見ています。

 この光景もやはりどこかで見た情景だと思い探れば、それは母の記憶で見たものでした。

 己の記憶ではないが、母と自分にとって、懐かしい、記憶。


 外から微かに、子供の歌う声と、それを追って歌う幾つかの大人の声が聞こえます。王は歌っている彼等を眺めているようです。


(これもやがては……私の中の“いつもの光景”になるのか)


 それはなんて頬の緩む、長閑な光景であることだろう―――




 彼は夢の続きを見るように、静かに瞼を閉じたのでした。





お読みいただき有難うございました。

あと、ここで完結のつもりではあったんですが、改訂前も述べたとおり後日談というか…宴の始末(京極夏彦か)まで書かないとおさまり悪いだろうともんもんとしていたので、そうですね、後日談ですかね。これから書くつもりです。それと番外が幾つか。


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