8 大魔術師
解説回です。ひたすら語る。
2016/4/29 22時更新
2016/8/27 改
そろそろ昼になろうかという頃合いの魔王宮の中庭。
レンやロシュと共にブラッシングや爪切り、角切りなどの動物達の世話をしていたヒューイットは、ふと動きを止めて空を見上げました。
少し離れたところで子ヤギにど突かれていたレンが、それに気づいて声をかけます。
「おーい、ヒュー。どしたー?」
「……創造主の気配がする」
「創造主?」
「ぼくを作った者」
それを聞いてロシュが耳をピコピコ動かし、辺りを見渡しています。
「?」
「……あ。」
ド――――――ン!!!
「!!!」
轟音と共に何かが起きたようでした。
衝撃波と、土と、土煙が三人と動物達を呑み込み―――そして瞬く間に止みました。
「ごっほ! ぺっ! ぺっ!」
「大事無いか」
「うぶっ……、っう?」
全身、草と土塗れになったレン達が声の方向を見ると、他方に右手掌を突き出して立っている王の姿がありました。三人と動物達に遮断壁を作ってくれたようです。
「中庭荒らしやがってなにモンだこのやろおおおっ!」
「落ち着けツェレスク、手間はかかるが整備費はそう掛からん」
その向こうでは、ツェレスクが怒りながら召喚した水龍で一点に水をぶっかけ、リザークは右手の指先で風を操り、飛び散ったあらゆるものを巻上げて回収しています。
どうやらこの事態の元凶と思われるものはそちらに在るようです。
「魔王様、あれは僕の創造主です。水責めは止めてほしいのですが」
ヒューが王にそう言うと、王は突き出していた手の人差し指を立てると、くい、と右へ薙ぎました。口から鉄砲水を吐き出していたツェレスクの水龍は、王の指に釣られたようにくるくると螺旋を描くと光の粒になって消えてしまいました。
「あ! ちょ、魔王さま俺の龍になにすんだっ」
「落ち着けツェレスク……我にも言わせるな」
鼻息荒く抗議するツェレスクを見てそれだけ言うと、王は、水責めに遭っていた“ヒューの創造主”の処へ歩み寄ります。
砂場に深い穴を掘って水をぶち撒けたような有り様になっている、その真ん中で、ずぶ濡れの女が泥水に下半身を漬けた状態で座っていました。いえ、座っていたというより、尻餅をついた格好ですが。
「ひでぇぇ……腹減ったし喉乾いたし水浸しだし、って水? うわ、完全泥水に浸かってる……」
彼女が腰ほどもある濡れた赤い髪を厭そうな顔でギシギシ掻きあげると、その下に尖った耳が見えました。
魔術師や魔導師というのは一般的に、丈や形状、装飾に違いはあっても、大抵はなんらかの防御の術を仕込んだローブを羽織っているものなのですが、彼女は丈の短い黒の革の上着と胴着の下に赤いシャツ、黒い脚衣に革の長靴……と、まるで、剣を腰に佩けば剣士かと間違われるような格好をしています。
「そなた、帝国最高位魔術師か」
王が問いかけると、彼女は目の前に黒い人影が立っているのに初めて気付いたようでした。
因みに王は、いつもの黒ずくめ衣装……を着替える途中だったのか、上着も胴着もなく、黒いシャツも釦が三つほど開いている状態です。
彼女は王を見るなり、大きく目を見開いて叫びました。
「お……おぉおおおお、ナマ魔王!!」
そしてきょろきょろと辺りを見回してヒューイットを見つけると、彼に向かって矢のように猛疾走。突然のことに動けない周りをよそに、ヒューイットにがばあっ! と勢いよく抱きつきました。
「おおおお! 私の愛するかわい子ちゃん!! やっぱり魔王に似たお蔭で助かったんだね!
よかったーよかったああーこっちに送ってほんとによかったわーっ」
「くるしい。うぐ」
ずぶ濡れの彼女に抱きつかれ、土塗れから泥塗れになってしまったヒューイットのその言葉で、彼女はたしかに帝国最高位魔術師―――大魔術師であることが証明されたのでした。
突然街に転移して来た大魔術師には、すぐにでも話を聞き出したい所でしたが、まずは汚れに汚れた者達(レン・ロシュ・ヒューイット・大魔術師)に、入浴と着替えをさせることが最優先でした。リザークは宮殿職員達に音声通信で指示を出すと、有無を言わさず4人を宮殿内の浴場に転移させました。そのあとリザークが魔法で中庭の土を平らに均す横で、ツェレスクは親兵達に、地面から抜けてしまった植物の植え方を指示。これは魔法や魔術では出来ないようです。
汚れを洗い流してキレイになった4人が宮殿の一室に案内されると、そこには大魔術師用に食事が用意された広い卓があり、その卓を囲む椅子に、王と両翼、招集されたアーデルハイド、シーギス、その師の魔導師グディエリスが座していました。
ついでに関係ないアルデュロスも呼ばれて来ていましたが、ローブのフードを被って部屋の隅で待機しています。
大喜びで「二日振りのメシー!」と食事にありついた大魔術師は、一頻り食べて一息つくと、座っている面々を見渡しました。
「お、騎士殿とシーギスがいるじゃないか。それにグディエリスも! お前またフラフラ居なくなったな、と思ってたら……魔王のとこに居たのか!」
魔導師グディエリスは、お茶を口にしながら呆れた様子です。
「やっと気がついたねアマルマ。僕は『魔王の街にシーギスと引越した』ってお知らせを家に送ったんだけど、見てない?」
「あーごめん、事情があって家に帰ってないんだよ」
眉尻を下げて謝っている彼女にシーギスが訊きました。
「あの、まさかと思っていましたが……もしやアマルマが大魔術師なのですか?」
その言葉に驚いたのは、魔導師グディエリスと、名前が判明した大魔術師・アマルマの方です。
「え? シーギス、知らなかったのかい?」
「は? なにを今更……え、ちょっとシーギス、私が討伐隊を麓から街に大転移させに出た時、私だって気付いてなかったのか?」
「フードを深く被ってらしたから顔なんか見えませんでしたよ……それに声も変えていたでしょう、貴女。あの大魔術師がアマルマだなんて思いませんでしたよ」
どうやら知り合いだったようです。
若干の行き違いの解消が済むと、帝国最高位の魔術師―――大魔術師アマルマは、ヒューイットを膝に乗せて抱え込むと徐に話しはじめました。
「私はそもそも火精とイディアムの混血でね。魔法が使えるのは生まれた時から当たり前、それをどう制御して、どう生かすかは自分次第、そう教えられて育った。混血であることを隠しながら大人になって選んだ仕事は錬金術、まあ、私の場合は主に新しい薬なんかを作ることだった。帝国の最高位魔術師、“大魔術師”なんていわれるけどね、本業は錬金術師なんだよ。
だけども、帝国上層部……大臣共や軍部が私の力に目をつけた。イディアムの魔術師が操るのは“技術”としての魔術だが、私は根本が魔法、“技術”じゃなくて“血の才能”だからね。補助として術式も使うけど、馬力が違うって言えばいいかな。
お蔭でやりたくない仕事をあれこれ押しつけられてねえ……人道的でないことやなんかは断ったけど、あんまりしつこい時は、逆に『帝国軍殲滅するぞ』って脅したりしてた。ああ、最初は奴等もバカにしてたよ、出来る訳ないって―――信じないならやって見せるだけだろ?
帝国の軍の宿舎を一棟、木っ端微塵にふっ飛ばしてやったら信じたよ!
んでまあ、ついたのが“大魔術師”ってフザケた呼び名なわけだけども、不本意っちゃあ不本意なんでね、錬金術師だってことは踏まえておいておくれ。
……さて、じゃあ勇者召喚の件から話そうか」
レンが、卓に載せていた両の手を固く握り締めました。
「勇者を召喚する中心になったのは、帝国お抱えの魔術師集団からの選抜者、いわゆる上級中の上級、特級組。その分性格も特別鼻につく、驕り高ぶった連中さ。そいつらの勇者召喚が上手くいかないものだから、軍部のお偉いからこっちにお達しが来た。
最初は断ってたよ、特級の奴等は気に入らないし、こっちは魔術じゃなくて錬金術で新しい薬を作るのが本業だもの。
ところが『皇帝の命令だから拒否は許さない、でなければ家を取り壊す』ときた。
……実はその頃、既に私のかわい子ちゃんが……」
そこで、アマルマの膝の上からヒューイットが口を挟みました。
「創造主。いま、ぼくには“ヒューイット”という名前があります。略してヒューと呼んでください」
そう言って、顎下から見上げてくるヒューイットの頭を、彼女は大事そうに撫で回します。
「へええ! いーい名前をつけて貰ったねえ! よし、私のかわい子ちゃん。今からはヒューと呼ぶから、私のことはお母さんと呼んでおくれ!」
「わかりました、お母さん。
それで、その勇者召喚の時期に、ぼくはすでに何かのミスで生まれてしまっていたんですね?」
その一言にアマルマの顔が強張りました。
「容器の外の音やお母さんの声は聞こえていたし、覗き込む顔も見えていました。
お母さんはぼくが出来たのに気づいた初めの頃、『大変だ、命を造ってしまった』と青褪めていたけれど、しばらくしてじっと観察してくれるようになったでしょう。
ぼくは覗き込まれるたびに自分が動けるのを知って欲しいと漠然と思っていたので、必死に動きました……ちょっとしか動かなかったけれど。
そうしたら、今度はお母さんは笑いながら『私のかわいい子』と言ってくれるようになりましたね」
「……ヒュー。私は手違いとはいえ、お前を作り出してしまった事を後悔した。それは真実だ」
アマルマはヒューを大事そうに胸に抱き寄せます。
それはそれは、愛おしそうに微笑んで。
「それなのにねえ……お前ときたら、覗き込む度に“ぷるっ”と動いていたのが、“ぷるぷるっ”になって、しまいにゃ“ぷるぷるっくるん”って、あの培養液の中で一回転して見せた。
まるで私に
『ほら見て、生きてるよ! 動いてるよ!』
って自慢してるみたいにね!
それを見ながら、ああ、この子は私の子だ、ってしみじみ感じたんだよ」
アマルマはヒューの頭を撫ぜると、真顔に戻り、皆の方に向き直りました。
「……話が逸れたね。
ヒューを育てていた培養容器は簡単に移動できる物ではなくてね、家を取り壊すと言われて、万が一この子に害が及んだら……と思ったら、召喚儀式に参加するしかなかった。皇帝も上の奴等も勇者召喚だなんて、何故そんな世迷い事を、とは思ったが、私の参加で召喚は成功してしまった。驚いたなんてもんじゃなかったよ!
その後勇者は王城に連れて行かれてそれっきり、街中じゃ勇者の“ゆ”の字もない。どういうことかと探ろうとしていたら、今度は魔王討伐隊の結成ときた。
先に謝っておくよ。
人聞きの悪い言い方をするが、その討伐の中心が、実力はあるのに騎士団で荷物扱いの女騎士、獣人の中でも最大の犬狼族の中心だった亡き長の息子、異端の魔導師グディエリスの弟子のシーギスと決まった時、私は、討伐の名を借りたあんた達の粛清かと思った。魔王が存在するなんて思ってもいなかったからね。しかし確証なんてないから、試しに火精であるウチの親父に訊いてみたのさ、『魔王は存在するのか』って。
そしたら『魔王様はいらっしゃる。この世界の北の最果て、黒く鋭い剣のように聳え連なり、魔族をも拒む冷たい山々の中に、平和な街をつくって住まわれておられる』って返ってきたのさ!」
「父上はよくわかっておられるな」
リザークは腕を組み、うんうんと深く頷き呟いています。
「親父は『魔王の存在とその所在は、イディアムとイディム育ちの連中以外は大抵知っていることだ』とも言った。
帝国の上層部ってのはね、イディアム以外の事は毛嫌いしてる奴ばっかりなんだ。となると、魔王の件を知っている者と接触したのは皇帝、或いは皇帝の側近だ」
「しかし、現皇帝の別称は『孤独の皇帝』といいましてね。側近なんて、良くも悪くも居ない方なのですよ。お母上は側室だったのですが……」
皇帝がご幼少の頃に毒を盛られて身罷られましてね―――誰も信じない方らしいです。
グディエリスの言葉に、元・勇者一行の面々は痛ましげに眉を寄せました。
「私もそれがあったから、魔王討伐の真意がどこにあるのか見当つかなくてね。申し訳ないとは思ったが、命令のまま、麓から山ん中までの大転移魔方陣を動かした。詳しい場所も知らないのにね。正直、運がなけりゃ山中で全員、凍死か滑落死しかないだろうと思ってた」
アマルマはさらっと言っていますが、聞いている方は顔面蒼白です。
「帝国に戻って数日後、私が山中に送ったあんた達以外の連中が、何故か全員国に戻っていると知った。その一人を探して聞いてみたら、魔王の宮殿に突入して捕らえられたが、その後の記憶が一切ない、と言われた。つまり、勇者達がどうなったのか誰も知らないということだ。グディエリスにも会いに行ったが不在、探そうにも遠視は条件を満たさないと発動しない。
困っていたら今度は国内の獣人が一斉に蒸発するという事件が起きた。彼等を多く使っていた貴族の屋敷へ見に行ったら、見覚えのある人形の紙が幾つも落ちていた。それでシーギスは無事なのだと判ったよ。まさかグディエリスも一緒だったとは予想しなかったけどね」
そこまで話すと、アマルマは卓に置かれていたグラスの酒を口に流し込みました。ヒューイットは酒の瓶を手に持ち、お代わりを注ぐため待ち構えます。
シーギスは、話に出た人形の紙を懐から一枚出し、なにか呟くとフッと息を吹きかけ卓に置きました。人形にはなにやら図形や文様のようなものが描かれています。
「この人形の切り方が私のものであると、アマルマは覚えていたのですね」
「僕は大雑把だからねえ。やっぱり見るとわかるよね」
グディエリスも人形の紙を取り出し、同じ手順で卓に載せます。すると二枚の紙はひょこ、とひとりでに起き出して、二枚でダンスをはじめました。ロシュやツェレスクはその様を興味津々の目で見ています。
二枚揃うと気付きますが、シーギス人形は角が丸く切られていたり、細かい括れがあったりするのですが、 グディエリス人形は直線の大きな切り口のみで出来ていました。
「帝国は獣人達が居なくなって混乱してる。
人口が二割近くも減ったから、というだけじゃない、彼等がやっていた仕事を代わりにやれる者がいないんだ。イディムには体力的にキツイ仕事が多いからね。その為に―――主に経済的な社会運営と、貴族共の暮らしかねえ。そこらに影響が出て、暴動騒ぎに発展したんだ。
大臣達は騎士団全隊だけでなく、魔術師団まで動員して鎮圧しようとしたもんだから、ますます国民感情が悪化した。
そしたらあいつ等、皇帝が悪いんだ! って突然皇帝に擦り付けやがった。
……その直前に、私は培養液の中のこの子を、奴等の手下に見られてた。あいつ等はこの子を人の形をした兵器とでも思ったのか知らないが、この子をさっさと出して、それを使って皇帝を殺せと言ってきた。皇帝は自分達を皆殺しにしようとしている、って言ってね。
まあ、あいつ等は現皇帝のお母上を毒殺した犯人だと言われているから、それが事実でもおかしくはないと思ったが、それはともかく、私はこの子を抱えて帝国から逃げようにも、培養液から出しても大丈夫なのか考えあぐねていたんだよ。
―――そこへ今度は、皇帝が自ら訪ねてきた」
「皇帝陛下が?」
不可解だという顔で、グディエリスがアマルマを見て投げ掛けました。アマルマもそれには小さく頷いただけで話を続けます。
「皇帝はこの子を見て『この者を刺客として魔王の元へ送れ』と言った。魔王に似た容姿にして送りさえすればいい、力はすべて自分が与えるから、と。
頭に来たけどね、その時、ふと『魔王の元なら、この子は生かしてもらえるかもしれない』と思いついた。多分、親父が魔王を敬う発言をしていたことや、魔王の街に送った奴等やシーギスが生きていたってことがあったからだろうけど。
それで、魔王に似せるってどうするんだって聞いたら、皇帝は私の眉間に指をあて、“誰かの見た魔王の記憶”を見せた。
……その時私はわかった。
皇帝は、魔族と前皇帝陛下との混血だったんだよ」
「はああ?」
「ええええ!!!」
王とヒュー、アマルマを除いた全員が驚きに声をあげました。
「皇帝のお母上は魔族だったんだ。そして私が見せられた魔王の記憶は “お母上が見た魔王の記憶” を “皇帝が見せられた” 記憶だった。
そのお蔭で 『皇帝こそが魔王の存在と所在をお母上から教えられて知っていた』 という可能性が立った。そして、私を越える強大な魔力の持ち主だろう、ともね。
皇帝はヒューの入った容器に触れると魔力を注ぎ込んだ。そして「数日で変化が終わる。そなたには判るだろうから、終わったなら入れ物から出して、魔王の元へ送れ」と言って、城へ帰っていった。
だが、私がヒューの変化を見守っている間に、大臣達は皇帝を弾劾すると一方的に宣言し、皇帝を追放するべく動き出した。いや、追放しようとしているように見せかけて、その実、殺そうとしていた。
その頃には、ヒューの外見は小さな魔王と言える程魔王そっくりになっていたんだけれど、魔王を殺す力どころか、僅かの魔力も内在させることはなかった。
……どうやらね、ヒューは私の魔力を先に吸い込んでいたらしくて、皇帝の魔力とはすこぶる相性が悪かったようなんだ。それで外見を変化させるだけで魔力が切れちまった。
ヒューには一般のイディアム並にすら魔力がなくなっちまったが、私にすりゃ万々歳さ。
『魔王そっくりなこの状態なら、上手くいけば魔族に生かして育ててもらえるかもしれない』そう望みを賭けて容器の外へ出し、用意しておいた服を着せ、北の最果てまで大転移してヒューを山の麓から街へまた大転移させた。今度は皇帝に見せられた記憶があったから確実だったよ」
そこまで言ったアマルマの首が、ちょっと項垂れました。
「ただねえ―――」
ヒューイットはアマルマの顔を黙って下から見つめています。アマルマの髪が一房、ヒューイットの鼻に触れそうで触れない微妙な位置にあって、鼻息で微かに揺れていました。
彼女はヒューイットの鼻先をちょいちょい、と人差し指で擽り、ヒューイットが思わず目を瞑るのを見て目を細めました。
「帝国へ戻る間に、私は皇帝が気がかりになった。……皇帝の真意は判らないよ。犯人とされる大臣達にお母上の復讐をするつもりだったのか、本当にヒューに魔王を殺させようと思っていたのか、……それでもねえ、あの方自身は悪い御方じゃあないと思ったんだよ。精霊の血の勘、とでもいえばいいのかわからないが、とにかく皇帝のところへ行かなきゃならないと思った。
帝国は暴動が抑えきれない状態になっていて、既に死人も出てた。皇帝は大臣達にわけのわからない罪を着せられて逃げようとしていた所で、私はそれを助けようと―――」
ガタン!!
アマルマは急に椅子から立ち上がりました。膝に居たヒューイットはするりと床に降り立つ形で滑り落ちます。
「そうだよ助け! 私は皇帝を救い出す助っ人を呼びに此処まで転移したんだよ! お願いだ、誰でもいいから力を貸してくれないか! 皇帝が捕まった! 皇帝が半魔族だってバレて……いや違う、大臣達が国民にバラしやがった。あいつ等は、皇帝を殺して自分達が帝国を乗っ取るつもりでいるんだよっ」
アマルマのその求めに、その場の面子で大急ぎで話し合い、レン、ロシュ、ヒューイットは街へ残り、帝国へはアマルマ、グディエリス、シーギス、アーデルハイドの4人が行くことにしました。魔王はイディムとイディアムには介入しないので、代わりにツェレスクとリザークが自分たちの眷属の一部をアマルマ達に付き従わせて、帝国鎮圧に一役買うこととなりました。
「あー、魔族じゃない奴等がいいんだよな? 水龍、ルフ、ニュクス、……リザーク、天虎とサラマンデールは要るか?」
「スパルナとファージャルグあたりも使えるだろう。ああ大魔術師殿、貴殿のお父上が火精ならば、そちらの一族にも話を通しておこうか?」
「え、ああ、いや……あっちは親父に任せておけば問題ないと思う……んだが、済まない、私には貴方がたの言っている名前の生き物が殆ど判らないんだが……だ、大丈夫か?」
何故か活き活きと派遣する眷属の名を挙げていく二人に、アマルマは恐縮しながらも冷や汗が止まらない状態です。
何故なら、目の前の二人は魔王の側近で、魔力は彼女と比べても段違いで、つらつらと挙げ列ねているのは多分、いえ、確実に殆どが高位種族。彼女が従えるには無理があるものばかりなのです。
「だいじょーぶだいじょーぶ、放っといても勝手に働くように言いつけておくから。イディアム喰うような悪食は居ないし、どれもイディアムの脆弱さはわかってるから安心しな。あ、ファージャルグは鎮圧用っつーより撹乱用な。あいつらの種族は質の悪~い悪戯専門だから」
「……はあ、」
「お母さん」
立ち尽くすしかないアマルマに、ヒューイットが声をかけました。我に返ったアマルマはヒューイットの両手を掬い取り、別れの挨拶をします。
「ああヒュー、お母さんはちょっと帝国へ行ってくるけど、またすぐ此処へ、ヒューの処へ戻って来るからね。待っていておくれ」
「はいお母さん、目的を果たして必ず無事にお帰りください。お待ちしています」
ひし、とアマルマを見つめるヒューイット。
「ぬあああ! なーんてかわいいんだろう、ウチの子はー!!」
「うぐっ……く、くるスィ……」
窒息しかけたヒューイットからグディエリスによって引き剥がされたアマルマは、後ろ髪を引かれる間もなく帝国へ向かってとっとと転移していったのでした。
とうとう最後まで、只管アマルマの語りを聞いているのみであった王ですが、ひとつ気になったことがありました。皇帝の母親が、魔王である自分を見た記憶を持っている魔族だったかもしれない、という点です。
王がこの世に現れ出でてより、自ら街を追い出した者はアルデュロスのみ。一度この王の街の民となった者は、如何なる事があろうと、何処へ行こうと街の民であるのです。
もし、皇帝の母親が、この街の出の魔族であったならば―――
「皇帝の母親の名を聞いておくべきだった……彼等が戻ってから聞くしかあるまいな」
―――その時は 我に課せられた定めを破ってでも “家族” の報復に出向く
それは、魔王オロバスが自らの心に従うが故の、己との約束でした。