7 謀反人
2016/4/28 22時更新
2016/8/15 改
彼はひとりでした
この世界に たった一人でした
彼の他には誰もいませんでした
寂しい と思いました
なので願いました
話し相手がほしい
永いこと願い続けました
すると一人の魔族が現れました
その魔族はいいました
「我が王よ 魔王よ」
彼は己の在り様を魔王と決めました
魔王と魔族の彼は ある山に住み着きました
魔王はその魔力で山に平らな土地をつくり
森をつくり
草原をつくり
湖をつくりました
魔王は思いました
これなら己と彼以外も生きられる
すると虫が 魚が 鳥が 獣が湧きました
魔王はさらに思いました
これなら己と彼以外の者も生きられる
すると数人の魔族が現れました
魔王はいいました
「この地に共に住んでくれまいか」
彼等は魔王と彼の友になり 家族になり また 臣となりました
彼等はたくさん増えました
子供を生み 育て 死んでいきました
たくさんたくさん それが繰り返されました
少なくなっても 魔王が哀しむとどこからともなく魔族が現れ
また友に 家族に 臣下になりました
街はたくさんの生き物と たくさんの魔族で賑やかになりました
ただ 魔王と彼は 変わりませんでした
死にもせず老いもしませんでした
でも魔王はたくさんの生命に囲まれしあわせでした
しかし 彼は違いました
魔王のために存在する彼は 自分と他の者達が等しく扱われていると思い
おおいに不満を持ちました
彼は街を壊し たくさんの魔族達を傷つけました
魔王は訊きました
「なぜそのようなことをするのだ」
彼はいいました
「わからないというならば それこそが問いの答えになりましょう」
魔王にはその意味がわかりませんでした
彼の暴虐は止まりません
魔王は嘆き哀しみました
そして魔王は―――――
「なぜ我を見限った……アルデュロス」
* * * * * * * * *
魔王宮の敷地の端には、長く使われていない小さな宮殿があります。黒檀の壁に蔦が這い、宮殿というよりは公舎といえるような外観で、更には屋上があるのが特徴という変わった建物です。
リザークとツェレスクはその屋上で、目の前に立つ彼等の王と、王が外から連れ帰った男を見守る事態に陥っていました。
街には早朝、強い風が吹き荒れていました。空は晴れ渡っているのに、風だけが轟々と音を掻き鳴らして家々を軋ませていたのです。王が季候天候を管理しているここでは、そんなことは滅多に起きないので、街の民達は『魔王様になにかあったのではないか』と心配しきりでした。
そんな、散々荒れ狂ったように吹いていた風は、王が街に戻るころ瞬く間に収束し、今は風に千切られた葉や花弁があちらこちらに落ちているのみです。
「……」
「ま、ま、ままま魔王さま、ちょ、この野郎……いやこの方は“あの”魔王さまの第一の臣下と謳われた、ア、アルデュロスですかよ!!」
「末尾がおかしいぞツェレスク」
王の目の前には、癖のある黒髪に薄汚れた装束と襤褸いマントを纏った、骨と皮ばかりのような男が蹲るように膝まづいています。
「いや、だってよ、アルデュロス……さまって言や、遥か昔、魔王さま自らが『我が第一の臣はアルデュロス也』って公言したっていう……謀反の徒、だろ……。それに、結界の外に追放されて死んだ、って………ここに居るけど」
ツェレスクは王と男を見比べつつ、戸惑うようにいいました。彼がその草臥れた男をアルデュロスとしたのは、男の右手の指にはめられた龍の爪を模した装甲の指輪と、左腰に括られた瑠璃色に光る短剣が目に留まったからでした。それらはかつて王がアルデュロスに贈ったという、伝承通りの物なのです。
真夜中に突然魔王宮からいなくなった王は、朝方、この男を脇に抱えて、朝日と共にこの屋上に戻ってきました。その時男は息もしておらず、迎えたリザークとツェレスクは見るなり
( あ、死んでる )
と思いましたが、王がその稀なる魔力で、どうやら仮死状態に陥っていたところであったのを呼び戻しました。普通ならそう出来ることでもないのですが、男がアルデュロスで、臣下の契約の効力が切れていなければ得心がいくことです。
そうして意識を取り戻した死にかけ男は、見るからに動くのが無理そうな体を、意思の力だけで必死に王から離しました。そしてなんとか王に向かい膝をつくと、痩せこけて黒く隈の濃く浮かぶ幽鬼のような貌で、ただただ王を睨みつけているのです。
暫く黙ってその貌を見ていた王は、徐に男の前に片膝をついて座り込みました。
「アルデュロスよ」
王とアルデュロスの間に数瞬、沈黙が落ちます。
「……アルデュロスよ」
うぐ
リザークとツェレスクには、その奇妙な音がなんなのか分かりませんでした。
うっ
「何故お前があのような暴挙に出たのか、考え続けても我は未だにわからぬ」
うっ ううっ ひぐ
「なぜ我を見限ったのだアルデュロス」
えっく
ボロボロボロ
……その音はしゃくりあげている王の声帯から発せられているもので、王は無表情のまま、滂沱の涙を流して泣いているのでした。
号泣しておられるのに喚かずスラスラと言葉を話せるなんて、流石は魔王様……とリザークは明後日の方向を向いた感動をしていましたが、出来る部下なので敢えてこの場面で口には出しません。
唖然としているアルデュロス。
ツェレスクもぽかーん、としてその様を見ていましたが、はっと口を閉じて暫くの間なにやら空を見上げると、やがて眉を下げて下を向きました。挙動が不審ですが、リザークは、なにか考えてるなあ、とその様子も黙って眺めています。
「あー……」
ツェレスクは前に出ると、頭を掻きつつ口を開きました。
「魔王さま。アルデュロスさまは嫉妬……ヤキモチ、を妬かれたのだ、と、俺は思いますが」
王はぴたり、としゃくるのを止めました。横隔膜すら意のままにできるようです。
「他の連中が増えるまでは自分が第一の臣下で、魔王さまの関心は長いことアルデュロスさまが独り占めだったわけじゃないすか。それがまあ、薄くなる……減るわけでしょ。例えば果物の絞り汁の原液がうすぼんやりした果汁の風味しかしなくなったら、誰でも不満に思います。俺ならそれ飲むのやめて自棄酒呑みますわ。それとおんなじことじゃないっすかね」
ツェレスクによるアルデュロスの心中の解釈と例えは、随分と妙な説明ではありましたが、王は神妙に聴いていました。
それから少しの間、皆黙っていましたが、ツェレスクは解説を続ける様子はなく、リザークが後を引き取り話し始めます。
「魔王様は慈愛に満ちた御方ですから、アルデュロス殿と他の魔族達の双方に同様の愛を分け与えられておられたと推察致しますが、共に歩んだ月日との長さというものは、やはり、愛情と執着に比例するものと私は思います。己が最初の臣下であり、ある意味、無二の友や伴侶のように手を取り合い歩んで来た、という自負がありますれば、まあ、何故己の心情をわかってくれぬのだ、と癇癪を爆発させる……などということもございましょうな。
幼な子は親の関心を引く為に大いに泣き、暴れます。我が通らぬ、己の気持ちを上手く表せぬ時もやはり、拗ねてみせたり喚き散らす等致します。そのように魔王様に甘えておられた証と考えれば、かわいらしいとも受け取れるのではないでしょうか。立場を考えると褒められたものではありませんが」
リザークはぐぐっと胸の前で拳を固めると、続けて言いました。
「私ならば! 魔王様を誘ってしばらく二人旅にでも出て、総ての御命令を我が一身に受け、応える、という手段を選びますね! それこそ臣下の喜び、贅沢の極み! 素晴らしい!」
「うわ出た、魔王さまバカ」
いつものパターンが始まった二人を、アルデュロスは呆然として見つめています。
無理もありません。唯一無二の魔王がこの世界に在ってより、最初の臣下である己が『駄々を捏ねる幼児レペル』だ、ジレンマを解消する為の創意工夫も出来ず、ただ暴れ我が儘を言う幼生(幼児)と同じだ、と断言されたも同然なのです。
矜持ズタズタです。目も当てられません。
「……………」
「なるほど」
王は一言呟き、アルデュロスの手を取りました。はっ、と我に返って王を見るアルデュロス……こころなしか怯えているようです。
「アルデュロス、済まなかった。我はあの頃、沢山の命がさざめき、音を立てる悦びに夢中になって、お前がなにを感じているかまで考えが及ばなかった。―――我はお前に、もっと構えと乞われていたのだな」
「……、…っ!!」
アルデュロスの顔が盛大に引き攣りました。衝撃が強すぎて、もはやなにも言葉にならないようです。
うわあ、追い討った……。とツェレスクは思いました。リザークの方は「魔王様は純真で在られる故、思ったことは直截に仰るなあ」などと感心していますが。
「だがな。我がアルデュロスと他の者等を同じように扱っていたというのならば、それは恐らく違うぞ」
王のその言葉に、三人は驚きました。
「アルデュロスは我が第一の友であり、家族であり、臣で在るから、我は一日のはじめにはまずアルデュロスの所在を確認し、体調は如何かを確かめ、なにかを行いにいく時にはアルデュロスに必ず誘いを掛けていた。他の者は我に供する側であったが、我はそれをアルデュロスにしていたのだ。
一度、歳若い者が、我がそのようにするのは可笑しい、と言うので他の者に訊いてみたのだが、皆が皆
『自分達が王を大事に思い特別に扱うように、王がアルデュロスを気に掛けるのは大事に思うが故のことで、なんら不思議ではない。歳若い者の発言は単なるやっかみだから、笑いとばせば良いのだ』
と言われたのだ」
王のその発言に、両翼は揃って微妙な顔つきをしました。
「えーと……。それ、素晴らしくあからさま特別扱いっすな。贔屓といっていい」
「アルデュロス殿はそれほど判り易い王の態度にも、お気付きになられなかったので?」
リザークはアルデュロスに然り気無く声を掛けてみました。
「………、っ」
アルデュロスは、あうあうと口を戦慄かせていましたが、声は出ず、そのうちに顔を片手で覆い、やがて地面に手を付いて項垂れました。
そう、所謂 orz です。
「あ、崩れた」
「……王の御許に生まれ出でたる時より六千六百六十年……俺は永きに渡る主の厚意に慣れきってしまい、臣である己の本分を取り違えていたのだな……我ながら愚かにも程がある……っ」
アルデュロスは王に向かい、額ずいて平伏すると言いました。
「我が主……我が王よ。
愚鈍にも貴台のこの身に余る心遣いに気付かず慢心し、あまつさえ貴台の大事なこの地と民に傷をつけました事、心よりお詫びを申し上げます。
貴台の温情によりこのように再びお会いし、事を正す機会を頂きました事は望外の喜びにて、愚かなる我が身を如何様にしようと償えるものとは思いませぬが、どうか命を賜わりたく存じます。身を八つに裂き、魂魄を砕きましても従う所存にござりますれば、何卒―――」
「そこまでしなくていい。相変わらず話がくどいぞ、アルデュロスよ」
「は。……は?」
アルデュロスが顔をあげると、王は無表情な中に『微妙』な色を乗せていました。ツェレスクとリザークの二人も、同様に微妙な―――いえ、もはや呆れた顔をしています。
「あー、たしかアルデュロスさまが魔王さまに街から放り出されて、約千年ほどでしたっけね? いやー時代は廻るもんですわー。そのノリは古典か年代記だわ。殺戮したわけでもねーし、じょーぶな魔族タコ殴りにしたってそんなこと魔王さまはやらねーわ」
ツェレスクの、アルデュロスを見る目が生温いです。
「先程から、どうにも御二人の間には、激しく感覚の差があるように私には聞こえるのだが……気のせいか?」
「いやいや、あれよ、リザーク。魔王さまは見かけによらず柔軟なタイプ。アルデュロスさまは頑固爺タイプで……」
「ふむ?」
「魔王さまは視野が広く、アルデュロスさまは狭いタイプ」
「ああ、それだな。判り易い」
すっかりアルデュロスに配慮する気がなくなった両翼は、容赦なく目の前の主従比較をしています。
「アルデュロスの視野は昔からオコジョの額程しかないが」
王はそれに容赦ないトドメを付け足したのでした。
―――まあ、そんな経緯を経て、かつて謀反人とされたアルデュロスは、再び魔王オロバスの臣として戻ることになりました。
で、アルデュロスという男は、ツェレスクがいう通りの頑固爺……いえ、四角四面な思考の持ち主なものですから『王の臣としてまずは一兵卒からやり直す!』と言い出したのですが、それは防衛隊監理責任者のツェレスクがきっぱり断りました。
「厭っス。駄目っス。勘弁してください」
「な、何故だ。私が王の臣下として戻るのが不満だからか!?」
「違います。アンタが隊に混じって訓練したら、力の差がありすぎて他のモンが怪我するからですー。それとまず、その骨と皮の身体に肉戻してからにして下さい。いくら霊力と魔素で生きられても、見た目アンデッドじゃウチの評判落としますから」
「ぐっ、……」
王の求めに応じ世界に出で、第一の臣下として生きてきたアルデュロスは、王に次ぐ実力を持っていると言えます。正直、王の両翼と称されるリザークとツェレスクでも、アルデュロスには僅かに及ばないかもしれません。
そんなアルデュロスがどんなに手を抜こうとも……いえ、堅物で視野の狭い彼は、そんな芸当は出来ない可能性の方が高いでしょう。それで他の者と訓練など無理な話です。それにいまのアルデュロスは、何処から如何見てもミイラかゾンビ等の“死に戻り”。魔族や獣人達でも気の小さい者だったら怖がってしまいます。
結局、まずは身体に肉を付けることにし、その間は魔王宮でも、あまり職員の目に付かない部署で働くことになりました(勿論顔や身体は服装で隠してになりますが)。
魔王宮でそんな処はただひとつ。
「ヒュー、ロシュ、この人はアルデュロスさん。今日から一緒に動物達の世話をする事になったから」
「……レン、これ、死にかけてるのじゃないのか?」
「おお、流石動じねーな、このちびっ子は」
ツェレスクが冷静なヒューイットに感心する横で、アルデュロスはヒューイットの容姿に動じまくっていました。
「ち、ち、小さき我が王が居る……! こ、この子供は、もしや王の御子様か!?」
「まおーさま、お前の王、違うー!!」
「あっこら、ロシュ! アルデュロスさんは骨じゃないから噛み付くんじゃない!」
王とリザークは、中庭で顔合わせしているその面々の様子を、魔王宮のバルコニーから見ていました。
いつもと変わらず無表情な横顔を見ながら、リザークは王に尋ねます。
「魔王様、アルデュロス殿を動物達の世話なぞに充てがって宜しかったのですか」
「―――この千年の間に、この街も、世界も、そして我も変わった。
変化とは世界の理……アレもいつまでも我だけに拘らず、変わってゆかねばならぬ。
元勇者と作られた子供と獣人。関わることもなかった者達相手ならば、アレも自ずと変わらざるを得まい」
そう答えた王の纏う空気が随分と柔らかいことに、リザークは気がついていました。
「楽しそうで御座いますな、魔王様」
王は目線をリザークに寄越します。
「楽しいとも。友であり、臣である家族が増え、知らぬ事を知り、様々な表情を見せる。それを見るのは我の最高の楽しみだ」
それを語る王の口角が、にやり、と僅かに動いたような気がしたリザークでしたが、
( ……もしこのまま住人が増え続けたら、街の拡張か、街ごとそっくり移転、という事態を検討することになりそうだな。念の為に今から必要案件として議題にした方がいいだろうか……白い動物が増え続けたらツェレスクが発狂しそうだが )
彼のそんな現実的な心の呟きに応えてくれる者は、今のところいないのでした。