Monday morning, Six days ago (月曜日 朝、六日前)
柔らかな日差しが大学構内に降り注ぎ、若草の混じる芝生に陽だまりを作る。四月も半ばを過ぎると、風が穏やかな温かみを帯びてきて、そろそろ春のお洒落がしたくなる。すっかり花も散って緑の新葉を茂らせた桜の並木道を、あたしはのんびり校舎へ向かって歩いていた。
関東の名門私立、修学館大学に入って春を迎えるのはこれで三度目。一、二年の内に単位はしっかりとってあるから三年生は講義的には楽になるんだけど、そろそろ就活の事も考えなきゃいけないし、夏には語学研修でオーストラリアへ行く予定もあって何かと忙しい。でもまだまだキャンパスライフを満喫したいし、やりたいこともいっぱいある。それに何より、今年こそ彼氏が欲し~い。
んっ、あそこでうろうろしてるのは新入生かな。まだキャンパスに馴染めてない感じで、講義のある校舎を探してるようだけど、なかなかのイケメンじゃない。えへへ、お姉さんが声かけちゃおっかな~。
「あっ、花音~。ちょっとちょっとビッグニュースよ!」
な~んて考えてたら、挨拶もそこそこに駆け寄ってきたエリシャが、あたしをガシッと捕まえる。ちょっと何すんのよ~、イケメン君が行っちゃうじゃない。
「も~何よ~、朝から。UFOでも墜落した?」
「バカ、そんなんじゃないって、本当にビッグニュースなのよ」
英文科のあたしに言わせると、経営学科のエリシャのビッグニュースは発音がおかしいのよね。ま、そこは敢えて突っ込まないけど、イケメン君はどうやら目的の校舎を見つけたらしく、経済学部のある南校舎へと走り出す。あ~あ、行っちゃったじゃない。あたしはシックなジャケットとデニムできめた、マニッシュ《男の子っぽい》なファッションのエリシャに非難の目を向けた。
彼女は大学に入ってからのあたしの親友。エリシャなんて呼んでるけど、本名は北条 絵理沙で、ハーフでもクォーターでもなく生粋の日本人。でもスラリと背が高くて脚も長い、誰もが羨む八頭身。彫りの深い顔立ちは欧米人と見紛うばかりで、まさにエリシャと呼ぶのがふさわしい容貌。おまけにファッション業界志望で、お洒落のセンスも抜群な非の打ちどころのない美人‥、と言いたいところだけど、彼女には唯一とも言える欠点がある。それはズバリ、エリシャには胸がない。彼女はつるっぺたのAカップで、Dカップなあたしに比べると、まるっきり男。
‥そう、胸はあたしの方が大きい。
胸はあたしの方がでかい。
胸だけはあたしの方がでかい!
‥うっさいわね、他に勝ってる部分は何もないわよ、別にいいじゃない、ふんっ!
と、少々コンプレックスを感じなくもないけど、頼れる姉御肌なエリシャとは何の遠慮もなく付き合える仲。多分この付き合いは一生ものだわ。
「ん~、ちょっと待って、当てて見せるから。‥わかった、宝くじの六等に当たったとか?」
「あのねー、三百円で大騒ぎするほど私は安くないわよ」
ふ~んだ!イケメン君に声をかけ損ねて、ちょっとご機嫌斜めなあたしは意地悪度が三割増しなのだ。
「じゃあ、ジョージアの缶コーヒーが値上がりしたとか?」
「あんたねー、私を馬鹿にしてんの?」
「待って待って、今度こそちゃんと当てるから。えっと、えっと~‥」
「‥姫に好きな人ができたのよ」
‥‥なんですと?
目を丸くしたあたしは驚きの表情。姫が恋ですって!それは本当にビッグニュースよ。
「えっ、えっ~!冗談でしょ、嘘、マジで?」
「マジの本当で冗談抜きよ。あの姫がいよいよ男に興味を持ったのよ!」
姫こと真田 優姫は、新潟は老舗旅館『雪月花』の御令嬢。物腰穏やか、清純可憐な彼女は生まれも育ちも生粋のお嬢様。その立居振舞いは、まさに立てば芍薬座れば牡丹、歩く姿は百合の花‥‥、百合はわかるけど、芍薬ってどんな花だったかな?‥ま、いっか。とにかく彼女は国内での絶滅が危惧され、ワシントン条約で保護が認定されている純国産の大和撫子。そしてどういうわけだか、あたしのもう一人の親友である。
見れば並木道の向こうから、当の本人がこちらに向かって駆けてくる。さっき歩く姿は百合の花って言ったけど、運動が苦手な姫は手をパタパタ振って、走る姿は子犬のよう。さてはエリシャに置いてかれて、慌てて追っかけてきたってところかしら。
「はぁ‥、はぁ‥、エリシャさん、急に駆けだされてどうなされたのですか。あっ、花音さん、おはようございます、本日もご機嫌麗しゅう‥」
「そ~んなことより、姫、好きな男ができたってマジ?」
「まぁ、いやですわ、花音さんったらそのようなはしたないことを大声で‥」
わぉ、どうやらマジっぽい。顔を真っ赤にして俯く姿は初々しいやら微笑ましいやら、まさに乙女の恥じらいってやつ?もう、姫ったらなんて可愛いのかしら。
「それでそれで、相手は誰?姫のハートを射止めるなんて、一体どこの御曹司?」
「それがね、花音も知ってる奴よ。ほら、陶芸やってる殿村っていたでしょ」
「殿村って‥あの家康君?」
本日二度目のびっくりに、思わず息を飲んでしまう。世の中には一度聞いたら二度と忘れない名前ってあるけど、殿村 家康君はまさにその一人。彼が印象深いのは名前のみならず、温厚そうな丸顔に、恰幅の良いお腹。日本史の教科書に出てくる四百年前の征夷大将軍に似た容姿は、さすがに忘れがたい。
たしか去年、新入生のオリエンテーションの手伝いで各学科の学生が集められた時、同じ班になった一人がデザイン・工芸科から来た殿村君だったのよね。なんでもお爺さんが人間国宝の陶芸家で、彼も陶芸家を目指してるとかなんとか世間話をしたような覚えがあるわ。う~ん、でも温和で良い人そうな印象はあるけど、お世辞にもイケメンじゃなかったし、一体どこに惚れたんだろ?
「殿村君か~、‥で、どういう馴れ初めなの?って言うか、そもそも一体どこで知り合ったわけ?」
総合大学では珍しくもない話だけど、修学館大学は東京、神奈川を中心に六つのキャンパスに別れてて、文学部のあたしと経済学部のエリシャと法学部の姫は同じ東京のキャンパスに通っているが、殿村君の芸術学部は神奈川のキャンパスだったはず。大学で知り合ったってわけでもなさそうだし、あたし達と一緒じゃなきゃあまりお出かけしない姫が、一体どこで彼と知り合ったかは大いなる謎だわ。
「そうですわね、どこからお話したら良いでしょうか。‥ええと先日の日曜なんですけど、その日は一日論文を仕上げる予定でいましたの。ところが裁判所の判例に関する資料を借り忘れていまして、お昼御飯を食べたら図書館までお出かけしよう思っていたのですね。そうそう、お昼御飯と言えば、実家から旬の筍を頂きまして‥」
相変わらずまどろっこしい姫の説明を要約すると、論文の資料が足りなくて図書館まで出かけた際、陽気に誘われて美術館まで足を延ばしたとのこと。ところが陶芸の展示の側で子供にぶつかられて、バッグの中身が大散乱。そこへ颯爽(?)と現れて助けてくれたのが、たまたま美術館に来ていた殿村君だったらしい。落とした学生証から同じ大学であることを知り、その後二人は一緒に美術館を見て周ったようで、美術に関する造詣が深いことや紳士的な態度(?)に感じ入って、いつしか男性として意識するようになったみたい。
いくらか乙女視線で美化されてる気もするけど、考えてみれば姫が男と二人っきりで過ごすなんて、大学入ってから初めてじゃないかな。何しろ姫は文字通りの箱入り娘で、世間的な常識とはずれているところがある。そもそも学部も学科も違うあたし達が知りあったのも、これがきっかけだったのよね。
あれは入学間もない新入生の頃、部活やサークルの勧誘がひしめくキャンパスを、姫はひときわ異彩を放つ格好、すなわち着物姿で闊歩していたのだ。で、どこかのサークルの軽薄そうな先輩が彼女にしつこく絡んでいたのを、見かねて止めに入ったのがあたしとエリシャだったってわけ。以来あたし達は姫に世間的な常識を教えつつ、いかがわしい男達から守るお世話係となっているのだ。
教育の甲斐もあって、今日の姫は若草色のミモレ丈スカートに淡い桜色のシャツを着た可愛らしい姿。エリシャはどちらかと言うと凛々しくてカッコイイ系の美人だけど、姫は対照的に柔和でお淑やかなおっとり系の美女。一昔前の良妻賢母を絵に描いた様な彼女は、当然男子からの人気も高い。それに姫はあたしと身長こそ大して変わらないのに、ズバリ胸は二周りも大きいFカップ。肩こり、汗疹と何でもござれの巨乳なのだ。
‥そう、胸があたしより大きい。
胸があたしよりでかい。
胸があたしよりでかいのよ!
‥クスン、あたしだって地元の高校じゃ結構男子から人気があったのに、この二人と一緒にいると霞んじゃうのよね。でもエリシャも姫も大切な親友。この二人の為なら何だってしてあげたくなる。その思いはエリシャも同じのようで、彼女はあたしの肩に手を回すや、声をひそめて囁きかける。
「と言うわけで、花音。ここは姫の為に一肌脱いでもらうわよ」
「それはいいけど、何するつもりなの」
「姫一人だと何かと不安だからさ、あんた合コンセッティングしなさいよ」
「合コン?でもあたし殿村君の連絡先とか知らないよ」
「大丈夫、あんた木下君と知り合いだったでしょ」
思わぬ名前が出てきて、ちょっとびっくり。日本史学科の木下君は、同じ高校出身の同級生。大学に入ってからは挨拶を交わす程度の付き合いだけど、同じ文学部だから顔を合わせることも多い。
「うん、まぁ同じ高校だからね。で、木下君がどうかしたの?」
「殿村と彼ね、何だったか忘れたけど、たしか同じサークルに入ってるはずよ。だからそのつながりで声かけてみなさいよ」
へぇ、そうだったんだ。そう言うことなら断る理由もないわね。じゃ、いっちょ姫の為に一肌脱ぎますか~。
でも肝心の姫がすんなり合コンデビューを受け入れてくれるかな。何しろ良家のお嬢様である彼女は、男女交際に関して実家から厳格な躾を受けているし、あたし達も姫に変な虫がつかないよう、今までその手の誘いからは遠ざけてきた。しかし姫とて、もう二十歳の立派な女性よ。おまけに本人の方から興味を持ったと言うなら、これはもう応援するしかないでしょ。
「じゃあ姫、今度の土曜日合コンするわよ。殿村君も呼ぶから予定開けといてね」
「合コン‥と仰いますのは、花音さんがよく行く合同コンパの事でしょうか?」
「そうよ、今回はあたし達も一緒に行くからいいでしょ」
「あの方とまたお会いできるのでしたら、是非ご参加させて頂きますわ。でも困りましたわ、急な話ですので用意が間に合うかどうか‥」
「用意?‥ちょい待ち、姫、合コンって何だかわかって言ってる?」
「複数の男女が、食事と歓談を交えながら親密になるお見合いのようなものとお伺いしておりますが?」
‥そうね、丁寧に言うとそう言うことになるのかな。いや、でもちょっと待って。まだ何か勘違いをされてるような気がする。姫と過ごした二年間の経験が、あたしに警鐘を鳴らす。
「一応言っておくけど、別にお見合いしようってわけじゃないのよ。あんた、また着物着て来ようってんじゃないでしょうね」
「あら、おめかしして赴くものではないのですか?実は先日、成人のお祝いに京友禅の振袖を頂きましたので、そちらを‥」
「エリシャ~、姫のコーディネイトは任せた。合コンらしい恰好で来させてね」
「了解、そっちは任せて」
姫の恋バナに浮かれたあたしは、この時、合コンを成功させることしか頭になかった。もちろん未来の事など知りようもなく、悪い予感なんて全然なかったわ。