ダメ国王と糞親父・4
サブタイトルは変更予定ですが、まだ良いのが思い浮かびません。
ダニエラは困っていた。
ヘンリックがもうすぐ一歳になるというのに、実の親であるレナートからも名付け親であるエレオノラからも今後の養育方針その他についての話が一切無いのだ。幾度か父である家令のゲオルク・シュルツからも、尋ねてはもらったのだが「ダニエラに任せた」「ダニエラに任せます」というだけなのだ。
「これまでの庶子の方々の処遇にならっておけば良かろう。お二人とも御自身のことで手いっぱいでいらっしゃるようだからな」
奥方様はまあ、仕方がないかもしれない。実の親御様ではないのだし。だが、旦那様は……あんまりではないだろうかとダニエラは思う。
「初めての御誕生日は、どういたします?」
「アンドレアス様の御誕生日のように御客様をお呼びするわけでもなし、御身分ある方の後ろ盾もお持ちでないのだから、うちのレオやクルトの誕生日も合わせて一緒に……というのでも構わんと思うのだがな」
「何やらそれでは、あまりに……」
「御父君であるはずの旦那様から、何のお話も無い以上、家臣の身で出過ぎたことをするわけにもいかん。家令である当家の嫡男と一緒に誕生祝いをなさるならば、さほど悪い扱いでもないはずだぞ。それはそうと、アンドレアス様の乳母殿の病はかなり重くてな……本人から、このままでは御迷惑をおかけするだけなので、暇を取りたいと申し出が有り、旦那様も了承なさった」
「まあ、大変ですね」
「大変ですね、などと他人ごとのように言っている場合ではないぞ、ダニエラ」
「どうしたのでしょうか?」
「旦那様がな、ダニエラにアンドレアス様の乳母役をするようにと仰せなのだ。さすがにお断りしたいと思ったが……諸事情を考えるとな、確かにそれしか手が無いようなのだ」
「新たに乳母を決めたらいかがでしょう?」
「それがな、旦那様は『アンドレアス王子にはいずれ、王家にお戻りいただく』とおっしゃったのだ」
「王子、とはっきりおっしゃったのですか」
「ああ。事情をわきまえていて、アンドレアス様が懐いている女など、お前以外いないだろう」
ダニエラは乳母の体調がすぐれぬ時や里帰りの際、アンドレアスの世話役をしたことが幾度かあり、確かに乳母をのぞけば、アンドレアスにとって一番馴染んでいる大人の女なのだった。
「それにしても、乳母殿の御見舞いぐらいは致さねばいけませんわね。今後のことに関して、うかがっておいた方が良いことも有るでしょうし」
「そうよなあ」
父の様子が変だ。
「何か、特別な事情でもございますの?」
「病気と言うことになっているが……どうやら流産であるらしい」
「え? あの方は未亡人でいらしたはずでは?」
もしかして……と思い、じっと父の顔を見て反応をうかがう。すると父は気まずそうに視線を外し、ため息をついた。
「旦那様のお胤であったようだ。乳母殿ははっきり言わなかったが、旦那様は『もしかしたら魔力の強い子が生まれるかもしれないと思って試したが、外れだったようだ』などと仰せだった。それでな、ダニエラに対して、そのような真似をなさるのであれば到底お引き受けは出来ないと申し上げると『無用な心配だ』とおっしゃった」
確かに乳母のような目に遭いたくはないが、無用な心配と言う言い方も不愉快ではある。
「乳母殿はおきれいな方ですけど、私は違いますから」
「いや、なに、その、旦那様のお好みと言うのは……きれいとか汚いとかではないようなのだ」
「今、別邸に御滞在中の黒い髪の方は、大層おきれいですけど」
「あの方は、それそのう……並の人とは違う方らしいのでな、愛人とか言う立場ではないようだ」
「でも、パウルにそれとなく聞きましたら、あの黒い髪の方と旦那様は、度々同じベッドでお休みになると聞いておりますけど」
娘時代なら思いもよらないような話でも平気で父に言ってのけることが出来るようになったのは、結婚して子供を二人生んだからだろう。今はむしろ父の方が顔を赤らめているのだ。
「それでもな……違うのだそうな。その、そうした男女のことを致すと大層危険らしい。御自身で『命に係わる』そうおっしゃったのだ」
「お命に……ですか」
「おきれいだが、難しい恐ろしい方なのかもしれんな」
「そういう意味でおっしゃったのでしょうか?」
父はダニエラの言いたいことが、わからなかったようだ。
「旦那様は、やはり強い魔力を持つお子様を求めておいでなのではありますまいか?」
「それはそう思うが……」
「でしたら、あの黒い髪の女の方は瞳が赤いですから、やはり魔人でいらっしゃるのでは?」
「ダニエラは旦那様の母君のことを知っているか?」
「母君のマルキア様は艶やかな黒髪に赤い瞳の大層美しい方で、どうやら魔人でいらっしゃったようだと、私が子供のころいた古い使用人たちは言っておりました。祖母君のウィルマ様は高位の魔人でいらしたとも聞きますが」
父は驚いていた。
「なんだ。ダニエラは知っていたのか」
「ええ。旦那様が大層魔人の血が濃い方であることは、子供のころから存じておりました」
「お前の亭主殿は承知か?」
「古い貴族の御家柄だと魔人やエルフの血が混じっているのは珍しくも無い……と言った程度の話は致しました。何かの拍子に旦那様の御目は赤く見えることがございますから、薄々察しておりましょう」
父は時節柄、旦那様の魔人じみたところが気がかりなのだろうとダニエラは感じている。
「なあ、ダニエラ、お前は旦那様とあの魔人の客人をどう見ている?」
「男女のことを致すとお命に係わると仰せなら、実際そうなのでしょう。お二人の御気持などはまるで分りませんが」
「女魔人に殺される、と言う意味だと思ったのだが違うのかな」
「私は違うと思います。魔力の大きさが違い過ぎて、危険だという意味ではないかと」
ダニエラは昔、自分の乳母で治癒魔法の心得の有った者から教えられたことを父に伝えた。
「……というと、男女で魔力の不均衡が有った場合、弱い方が命を損なう可能性が高いのだな?」
「ええ。もし子が出来ても、無事に生まれることはめったにないそうです。ニコレットにも御乳母殿にも、魔力がそれなりにあったのだと思います。でも、旦那様より弱い魔力だったのではないでしょうか? 逆に、女魔人の御客人は旦那様より強い魔力を持っているので『命に係わる』のでしょう」
レナートの女を選ぶ基準が魔力の量だとすると、自分などは対象外で、逆に女魔人は高嶺の花ということになる。そうダニエラが言うと、父は面白そうに笑った。だが、急に真面目な顔に戻ると、声を潜めた。
「奥方様をどうなさるおつもりなのかが、読めん」
「先日の、秘密の通路が壊れたとかなんとかいう一件は、どうなりました?」
「どうもこうもない。王家からは当然のことながら、その件について何の反応も無い」
「旦那様は近頃は大層御機嫌麗しいと、パウルは申しておりました」
「やはりな」
「ですが、女魔人の御客人が『妻としたものとの間に子供一人作れぬようでは、先が思いやられる』というと、急に不機嫌になられたとか」
「ほう、そのようなことを」
「ええ。御客人はこうも言ったようです。『子はもっと大切に扱え』と」
「ううむ。もっとパウルとは話をしておかねばいかんようだな。その子というのは、やはりヘンリック坊っちゃん……なのだろうな」
「パウルも前後のお話を全て聞き取ったわけではありませんから、細かな事情はわかりません。アンドレアス様を意味していると言う可能性だってございますよ」
「そうよなあ……なあ、ダニエラ、お前、あの女魔人殿に話を伺ってきたらどうだ?」
父に言われて、女魔人に面会することになった。
夫のパウルを通じて、旦那様には内密にお会いしたいと話を通してもらうと、別邸の庭のあずまやを場所に指定してきた。
「なんでも本邸に強い魔力を持つ魔人が足を踏み入れると、妖精たちの加護が損なわれるのだそうだ」
パウルは女魔人が伯爵と同衾を続けながらも男女の仲に至っていない不思議な関係を続ける理由は、何か魔力に係わる事情が有ると見ているようだ。
約束の日時のほぼ定刻にダニエラが別邸のあずまやに入ると、相手は既にその場にいた。
「ゲオルク・シュルツの娘、ダニエラでございます。本日は……」
「ああ、私のことはアデルと呼んでくれればいい」
かぶせるように言葉をかけてきたところからすると、どうやら儀礼的なやり取りなどが嫌いなようだ。
「承りました。では、アデル様」
「様もいらんぞ」
「そうは……参りませんでしょう」
ダニエラがにこやかにそういうと、アデルも苦笑気味にこう応じる。
「そういうものか」
「はい」
そこからの話は……驚いたことに何十年来の知人でもあるかのようにスムーズに会話が運び、ダニエラの疑問に対してアデルはかなり正直に、時にはあけすけに語ってくれた。
「レナートの魔力自体は十分強いのだ。だが、あれは幼いころから積むべき鍛錬もろくにしておらんし、根気も無い。足元が危ういのに派手な結果を求めがちで、ダメだな。あれでは。本人は本格的に魔法を使いこなせるようになりたいらしいが、無理だろう。せいぜい嫌がらせに王宮から続く通路を壊す程度だ」
「先日、秘密の通路を壊したのは、旦那様だったのですか」
「まあな。私が教えてやったばかりの土魔法がどうにか使えるようになったのを、試してみたかったのかもしれん。とてもまともな大人のやることとは思えん。これ以上、あの男に魔法を教えるのはよそうと思う。代わりに、もっと有望なものに教えた方が良いだろうし」
「有望なものと言いますと?」
「シュルツ家で庇護しているレナートの子だ。レナートとは違い、妖精の加護を受けているようだな」
「ヘンリック坊ちゃんは、妖精の姿が見えるのかもしれないと思っておりますが……」
「恐らく、見えるどころか毎日話もしている」
アデルによれば、妖精は興味と好意を持った相手には、色々話しかけ様々なことも教えるらしい。だが、どういうわけか生まれつき妖精は魔人の魔力と相性が悪く、魔人の気配がする場所からは逃げ出してしまうのだそうだ。
「あらかじめシュルツ家の住まいあたりが、一番妖精に好まれる場所で、次が奥方の住むあたりだとわかっていたので、私は出入りしないように遠慮してきた」
「さようでしたか」
「この別邸は魔界大将軍ウィルマ様の御意向で作られただけあって、魔人には心地よい。だが、逆に言うと妖精には不快な場所なのだ」
「ウィルマ様が旦那様の御祖母様でいらっしゃるのは承知しておりますが、魔界大将軍でいらっしゃるのですか」
「ああ。今も御健在だ。人界とは縁を断ち切られたがな」
「魔人の方々の寿命と言うのは、人よりもずいぶん長いことは存じておりましたが、ウィルマ様が御健在とは、何やら不思議な気がいたします」
「魔人に定まった寿命は無い。戦いで傷つくか殺されるかで亡くなるだけなのでな。自然と強い者ほど長く生きることになる。そのため戦いの鍛錬に皆励むのだが、そうした魔界の暮らしはある種単調で、面白味も少ない。人界は慌ただしいが、興味深いことも多いな」
「アデル様は、どういった理由で人界でおくらしなのですか?」
「もともとは退屈しのぎで行ってみよう程度のことだったのだが、ウィルマ様に御自分の血を受けた者たちのことを頼まれたのだ。以前、一度だけ本邸に足を踏み入れたこともあったのでな」
一度足を踏み入れた時の事情を聴くと、以前父の語っていた十二代目公爵の後妻ダリーン王女の懐妊中の事件に関係していることがわかった。
人界と魔界を自在に行けるようになったばかりの魔人の若者が、「先妻である大将軍ウィルマ様を悪しざまに言う愚かな人間の女をしかりつけてやろう」などという軽はずみな考えで、いきなりダリーン王女の目の前に姿を見せ呪いの言葉を吐いたのだという。
「その時、その馬鹿な若者を殴りつけて魔界に連れ戻ったのが、私なのだ」
「私などは生まれてもおらぬ頃の事件のようですが……アデル様はおいくつでいらっしゃいますので?」
「そうさな、三百歳かそこらのひよっこだ」
「三百歳でも、ひよっこ……ですか」
「あの折の馬鹿な若者は、あのすぐ後につまらぬ喧嘩で命を落とした。あれなどは人間並みに短命だったわけだな」
あの事件をきっかけにダリーン王女を始め王家に連なる人々の魔人に対する嫌悪感は強まり、魔人の血を受け継ぐニールの系統を排除する動きが活発になってしまったのだ。そのあたりの事情はアデルも既に理解していた。
「シュルツ家が庇護している子供だが、名前が初代と一緒のヘンリックと言うのがレナートは気に入らぬらしい。だが、そもそもレナートがきちんとしてやらぬから、奥方が名を決めたのだろう?」
「その通りです」
「魔人にも愚かな者はいるが、レナートはそのうち自らの愚かさで身を滅ぼすかもしれん。それはレナート自身が選び取った運命だから、誰にも助けることはできんのだ。だが、大魔法使いヘンリックに所縁のものが絶えてしまうことを望まぬ魔人は少なくない。かくいう私も所縁が有るのでな」
「あのう……旦那様とは……何故」
「何故同衾するか、聞きたいのか?」
「はあ」
「単に同じ魔人の気配が強い場所の方が落ち着くというだけのこと。この邸でレナートの寝台が置かれている場所は、魔素が最も安定しやすいのだ。邸を作った際に、ウィルマ様が施した強力な結界のお蔭だろうな。私は先ほども言ったように、魔人としてはひよっこだが三百歳は超えている。レナートも正直言って、親戚の赤子のようなものだ。魔人にとって大人か子供かと言う区別は、心の有り方の方が問題なのでな。レナートはまともな大人とは感じられん」
魔人は嘘を嫌うと聞く。
ダニエラには、この三百歳を超えるという美しい女魔人が嘘を言っているようには思えなかった。
「今は妖精達の手前、ヘンリックの名を貰った赤子に会いに行くのは遠慮しているが……いずれは会いに行きたいものだな」
「どこならば、おいでになりやすいのでしょうか?」
「この別邸とか、本邸なら、そうよなあ、根元に石板の嵌った枝ぶりの良い樫の木の生えたあたりだな」
「本邸で一番枝ぶりの良い樫の木は心当たりは有りますが、石板と言うのは……」
「ああ、魔力が無い者には見えぬかもしれんな、まあ、良い。その樫の木でたぶん間違いなかろう。その木のそばの部屋をあのヘンリックの名を貰った子の部屋にしてくれると、私も様子を見に行きやすいが、急ぐ必要は無い。満一歳を過ぎて歩きはじめるようになったら移してやるぐらいで良い。今あの赤子には、妖精の加護も必要なのだからな」
「承りました」
「では、また会おう」
一礼したダニエラが顔を上げると、赤い瞳のアデルの姿はかき消すように無くなっていた。
誤字脱字の御指摘、大歓迎です。
ここまでお読みいただいて、ありがとうございました。