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黒い太陽 3

 ダニエラはシュルツ家に伝わる言い伝えを思い返していた。初代ヘンリックは日食の日に生まれ「ペラギニア大帝国を崩壊に導くであろう」と当時の魔法使いが予言したとか……


 ペラギニア大帝国と言う巨大国家が消滅し、新たにエランデル王国が誕生したのは初代ヘンリックの活躍による部分が大きく、その歴史は輝かしいものとして教えられ、ダニエラもそう信じて来た。

 だが、今やエランデル国王も十五代目を数え、国の勢いも大いに衰えた。そんな時に初代と同じ目をした赤子が日食の日に生まれるとは……現在の国が滅び、新たな国家が出現するという兆しなのだろうか……いやいや、それは余りに不吉だ。ダニエラはふと浮かんだその考えを口にすることは無かった。


「不吉なことは口にしない方が良いのよ、ダニエラ。気まぐれでいたずらな妖精たちが厄介な悪戯を思いつくかもしれないし、あるいは逆に嫌われてしまうかもしれないから」


 先代の公爵夫人は妖精が見える人で、ダニエラのそばにも妖精がいると教えてくれた。だが、その娘である今の公爵夫人は妖精の気配をたまに感じる程度にすぎないようだ。


「妖精たちは陰気な人より明るい人、楽しい人が好きなの。意地の悪い人や嘘つきは嫌いよ。正直な人、賢い人も好きなんだけど、自分たちに理解できないと癇癪を起したり暴れたりすることも有るわ。人間の手助けをするのも、逆に妨害するのも気分しだい。だからね、いつもそういう存在が自分のそばにいるのだと気を付けて、口に出す言葉には用心するのですよ」


 先代の公爵夫人の言葉を思い起こしながら、この赤ん坊が何かこの国の運命を変えてしまうにしても、多くの人々が幸せになるような変化であるならば、それもまた良いことなのかもしれないと思う。

 まだ名前すら決まっていない「坊ちゃん」だが、大魔法使いであった初代様と同じ目をしているのだ。

 否応なく波乱万丈の人生を歩む羽目になるのかもしれない。

 そんな風にもダニエラは思ったが、悪戯な妖精たちに聞かれてしまうと厄介だと考え直し、黙って乳を飲ませた後は湯で体を清め、へその緒の始末をして清潔な産着を着せてやるだけにとどめた。


「坊ちゃん、あなたには……妖精がみえますか?」


 すると、赤ん坊はぎこちなく微笑み、小さな声で「あう」と言った。


 赤ん坊の中の人である男は、うっかり返事をしてまずかったか? などと多少動揺したのではあったが、そんなことをダニエラが気が付くはずも無かった。


 新生児がたまに浮かべる不思議な笑みを、このトリクム王国では昔から「妖精笑い」と呼び、「妖精が赤ん坊をあやしている」とか「祝福している」とか言い習わしてきたのだが、初代様と同じ黒い髪で金の輪の模様が見える黒い瞳の「坊ちゃん」には本当に妖精が見えているような気が、ダニエラにはしたのだった。


「坊ちゃんなら、魔法使いになれるのかもしれませんね。でも、魔法を使いこなすには幼いころからの修業が必要だと聞きますが、このペラギニアには先生役の務まる方はいないようです。坊ちゃんのお父君はそのことで苛立っておられましたよ。でも最近は、何か良い方法が見つかったとおっしゃってましたから、お邸の雰囲気も良い風に変わってくれると宜しいのですけどね」


 昨今、この王都ペラギニアでは隣国ミシュア王国から輿入れした王妃の影響で、魔法嫌いの貴族が増えている。いや、もともと魔法に関して無知だった連中が、王妃や王妃の周囲の連中におもねり「魔法など胡散臭いことこの上ない」とか「魔術師など邪悪な存在だ」と言うようになってきたのだ。


 トリクム王国建国以来、隣国ミシュアとの戦いは三度あり、三度が三度ともトリクム王国側が戦いを仕掛けて敗北、と言う結果に終わっている。現在ではトリクムの領土は建国時の半分近くの面積になっており、その反対にかつては「祝福から見放された地」とみなされていたミシュアは、新興の軍事国家として侮りがたい勢力を持つに至っている。

 魔法を敵視するミシュアの影響は、この王都ペラギニアでは一層強い。

 敗戦のたびに「有害なる魔法書を焼き捨てるように」という申し入れがミシュア側から有り、多くの魔法が失伝したとされる。

 かつて戦闘に用いられた数々の攻撃魔法や治癒魔法は、ミシュアの力が及びにくい最果ての地ガーニーにでも行かない限り、目にすることはできないとされる。多少なりとも魔法使いの適性が有るものは、親王妃派の追及を恐れ王都に近づかないと言う噂も有る。

 現在の宮廷魔術師はろうそくに灯をともす程度のささやかな魔法しか使いこなせないことも有って、王妃の側近達から制度自体を廃止すべきだという話も出ているようなのだ……

 

 大魔法使いヘンリックにあこがれて成長したダニエラは、現在の風潮は嘆かわしいと内心思っているのだが、そんな言葉を公の場では口にはできない状況になりつつある。


 ダニエラの知る限りでは、もともとミシュアは「魔素の極めて希薄な」「妖精たちの祝福から見放された」「幸薄い土地」であったはずだ。

 家令職を務めてきたシュルツ家の女たちが伝えてきた古い記録でも、そうした記載が目立つ。

 その、幸薄いやせ地に現在のミシュア王の先祖にあたる貧しい騎士が入植したのは、ヘンリックの息子である二代目公爵オイゲンの在世中であった。

 その騎士は魔法の素養がまるで無く、昔の騎士としては珍しいことに妖精を見る力も無かったという。ついて行った人たちもまた妖精たちの祝福から見放されていたらしい。


 二代目公爵オイゲンはヘンリックと初代トリクム国王ペトルス一世の王女テリーザとの間の子で、「ヘンリック様にとって、唯一の人族のお子様」だった、そう昔ダニエラを育ててくれた乳母から聞いたことが有る。

 大魔法使いヘンリックにはエルフや魔人・龍、はてはドワーフにまで恋人がいて、それぞれ皆子をもうけたのだ……などという言い伝えがエランデル領内に残ってはいるが、父のゲオルクによれば正式な記録には全くそういった記載は無いらしい。


「ただ正式な記録にないからと言って、言い伝えが嘘だということにはならない。それぞれの時代の家令の判断で正式な記録からは削り、信頼できる古い家臣の誰かに封印して預けた古記録なども領内には残されているからね」


 家令職にある父ゲオルクは、ダニエラの乳母の家に伝わる言い伝えなどは「正式な記録には記載できない事実」と見ているらしい。 

 ダニエラの乳母は初代ヘンリック以来の古い家臣の家で、先祖は魔法使いが戦場に赴くのが当たり前であった時代に治癒魔法師として活躍していたらしい。乳母自身も、今ではほとんど途絶えてしまった治癒魔法の心得が有った。そのおかげでダニエラは大きな病気にも怪我にも無縁で育つことが出来た。


「ミシュアと戦うたびに、我がトリクムは国土が削られてしまいました。死ぬ覚悟でやってくるミシュアの兵と、治癒魔法で助かることばかりを考えている我が国の兵では、どちらが強いかおのずと明らかだ、などと私の祖父は申しておりましたよ」


 乳母の言った通りなのかもしれない。

 最初にミシュアに入植した貧しい騎士は、もともとはペラギニアにほど近い土地の出であったらしい。そのため時代を経た今も、ミシュアの言葉には古めかしいトリクム語が生き残っている。

 見捨てられた土地に入った貧しい騎士は新たな集落を作り、恐るべき才覚の数々を働かせて「魔法の使えない人々の希望の星」となったのだという。

 やがては魔法が使えない為にトリクムでは希望が持てない貴族や騎士の子弟も集うようになり、本来は単なる耕作放棄地として課税その他の義務から自由であったはずの「見捨てられた土地」へ、いきなり重税を課すことを取り決めたのは三代目国王の時代だった。


「まだ当家の二代目オイゲン様は御健在で、そうした愚劣な政策には反対なさったのだが、幼い国王を擁立する母后たちの勢力には打ち勝てなかったのだ」


 その話題に触れる時、父ゲオルクの表情はいつも硬い。

 愚劣な政策の結果、第一次ミシュア戦役とかミシュア独立戦争とか呼ばれる大規模な戦争が起こり、泥沼の戦いは十五年も続いた。

 その泥沼の戦いを終わらせたのは、戦いの中で成人した三代目国王自身の決断だった。


 やがてメイドのジーナは本来の自分の持ち場に戻った。

 たっぷりの湯が沸いたので、中身が成人男子の赤ん坊は浴室で体を清めてもらって、ほっとしていた。 


(黒い瞳に金色の輪の模様だとか自分の目の色も気にはなるけど、その初代エランデル公爵ヘンリックとか言う人物は、この国において歴史上の有名人と言うことなのだろうか?)


 たっぷりの湯の中で沐浴させてもらうと血の汚れがきれいに取れてさっぱりする。


(このおっぱい飲ませてくれたオバサン、赤ん坊の体の洗い方もうまいなあ。いやあ、極楽極楽)


 すると、しばらく静かだった浴室の中にも妖精たちがいつの間にかドッサリ浮かんで、男のことを面白そうに観察している。


(やっぱりこいつ、ヘン)

(ゴクラクゴクラクって意味不明~)

(悪いか! 俺の国では風呂に入って気分がいい時は極楽極楽と言う物なんだ)

(へえええ、なんかお前のいた世界のまじないなんだね)

(それはどうだっていいが、この俺の世話してくれている人、どういう人なのか知ってるか?)


 男が問うと、妖精たちは口々に目の前の中年女性について色々と話し始めた。


(ダニエラって言うんだよ。ええっと、ダニエラ・シュルツって言う方が正しいのかな?)

(身分が有る人間には家名が有るもんなんだ。ダニエラが名前で、シュルツが家名)

(ゲオルク・シュルツの娘だよ。ゲオルクはエランデル公爵の家臣の中では一番偉いみたいで、ええっと、そうだ家令っていう仕事? かな? なんかそんなことやってるオジイチャンだよ)

(ゲオルクは、都の邸全部と田舎の領地全部の食べ物とか召使とか馬とか牛とか……)

(ていうか、エランデル公爵家全体の資金とか税とかの管理、ってのをやってるんだってば)

(それってどういうこと?)


 妖精同士でも理解力のばらつきが有るようだ。それにしても次から次へと話は尽きない。だが、いくら貴重な情報源であっても、確かに年中この調子では鬱陶しいだろう。


(よくわかんないけど、エレオノラもレナートもゲオルクのいうことには逆らえないみたいだよ)

(でもさ、公爵なのはレナートでしょ?)

(ゲオルクは公爵でも婿養子のレナートより、この邸で生まれて育った公爵夫人のエレオノラの方が好きみたいだね)

(でもゲオルクは、レナートのことも赤ん坊のころからよく知ってるよ」

(レナートは横暴だから、いけない)

(横暴って、意味わかってんの?)

(レナートみたいに自分より身分の低い女の子に無理やり交尾するのは、横暴なんでしょ?)

(横暴? 暴行? あれ? 婦女暴行かな? どっちだっていいけど)


 言葉の意味の理解度も、妖精ごとにかなり違うようだ。


(ともかく、この子の母親のニコレットが死んだのは、レナートのせい)

(エレオノラの所で侍女をやってた可愛いポーレットが死んだのも、レナートが無理やり交尾したせい)

(レナートって、かなり魔人ぽい)

(そうそう、魔人ぽい。なんか怖い)

(エレオノラとは従兄妹同士のはずだけど、なんかいろいろ雰囲気が違うよね)

(エレオノラって、レナートが嫌いだよね)

(好きじゃないのは確かだね)


 男は一番気になっている点を確認したくて、自分から質問する。


(なあ、結局俺の親父って、誰なの?)


 すると妖精たちは一斉にこう応じた


(エランデル公爵レナート・ニール・マルキア・ケネス・グリーヴ・ニール・ゴルト)


 それから何がおかしいのか、一斉に笑う。


(何がおかしい?)


 使用人の女性たちを年がら年中手籠めにしている下種な男に、長たらしい偉そうな名前がついていて変だということだろうか? 理由ははっきりしないが、妖精たちの笑いさざめく様子が男には不快だった。それでも妖精たちは騒ぎ続けている。


(人間の貴族の名前って、長たらしくて変!)

(ニールってのが二回もついて、すっごく変!)


 無残な死に方をしたこの世界の実母の父親はエルフの魔法使いで、いつのころからか妖精たちと話をしなくなったようだが……その気持ちもわからなくはない。確かにウンザリする……と男は思ったが、すぐに思い直した。


(貴重な情報源ではあるよな)


 すると妖精たちは(あ、この赤ん坊、また生意気なこと考えてる)(でも面白い)などとまた騒ぐ。


 だが、目の前のダニエラという女にはまるで妖精の姿は見えていないようだ、と気が付いた。

 その証拠に、黙々と赤ん坊である男の体を手早く拭いている。

 更に小間使いに正方形の布を持って来させて、折鶴を作る要領であちこちひっくり返して折り返し、三角にした部分を更に折り返して厚ぼったく長方形になった部分と、三角の羽状の部分が左右対称についてる形に仕上げると、股間にあてがった。

 巨乳のそこそこ小奇麗な女性に股間を凝視されるのも、何やら気恥ずかしいが、今の自分は赤ん坊なのだからと割り切ることにした。それだけこのダニエラと言う女性が落ち着いた様子でスキルの高い仕事ぶりを見せているので、男もおかしな気分にならないで済むのだ。

 その間も妖精たちは(人間は汚いものを体から出すから、いやだねえ)とかなんとか、どうでもいいことを姦しくしゃべりまくっていたのだが……


(ふうむ。一枚の布でオムツとオムツカバーを兼ねてるのか。器用なもんだな)



 男が感心していると、いつの間にか清潔で肌触りの良い産着を着せらた。

 そのまま温かい部屋で抱っこされているうちに、また男は眠ってしまった。その直後にダニエラの父親で家令であるゲオルク・シュルツがあわててやってきたのも、まるで気が付かなかった。




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