イダとバベル 4
どうやらこのエランデル公爵家で一番の実力者は、家宰のゲオルク・シュルツという人であるらしい。
別邸の客間に寝泊りするようになって十日目に家宰殿からの呼び出しを受け、バベルは緊張した。
今のところ仕事らしい仕事もなく、坊ちゃんの剣の稽古の付き合いを申し訳程度にしているだけだ。
イダはメイドのジーナに「色々教えてもらった」そうで、調理場詰めの使用人たちとは軽い雑談をする程度に馴染んできたようだし、本邸のメイドでジーナと懇意の者たちとは「一緒におやつを食べたり」したらしい。
「家宰殿が決めたことは、当主も奥方もめったに異論をはさむことは無い」
メルヴィル先生はそのように言うし、ヘンリック坊ちゃんも家宰殿を決して呼び捨てにはしない。
それどころか「私が無事に生きているのはゲオルクさんのおかげなのです」などという話を聞かされ、実の親に縁が薄い坊ちゃんの実質的な保護者とでも言うべき存在なのだと知り、ますます緊張し、良い印象を自分に持ってくれなかったら、これからどうなるのだろうと心配になる。
「何も心配はいらん。家宰殿はこまやかな心遣いのできる、実に頼りになるお人だ」
メルヴィル先生の言葉をそのまま信じて大丈夫なのか……冒険者学校でもギルドでも「実力者」といわれるような人物との関わり合いで、あまり良い思いをした記憶がないバベルは、つい悲観的になる。
「陰気くさい顔をしない方がいいわ」
そういうイダはまったく緊張していないように見える。
「これでも緊張してるわよ。ねえ、この服で良いと思う?」
「ああ」
「ねえ、ほんとうに?」
「ああ」
「下品に見えないかしら?」
「イダは何を着ても似合うし、品があるから大丈夫」
「まあっ! 嘘でも嬉しいわ」
「嘘じゃないよ」
飾りボタンやらリボンやらがついていないあっさりした感じの白いブラウスに細かい紺の縦縞のスカートという、銀色の短い胴鎧さえなければ堅気の商店か工房の娘のような格好だ。
「俺はこんな格好で良いんだろうか?」
「こざっぱりとしているし、良い感じだと思うわ」
洗濯をしてアイロンをかけた白いシャツに灰色のズボンという、生活に余裕のある農家の息子のようななりだが、その上から魔獣の皮製のすね当てと防刃機能の高い鎖帷子を身につければ冒険者らしくなった。
家宰の執務室に入ると、既にアデルとヘンリックは暖炉の前で、茶を飲みながら何事か話し合っており、向かい合わせの席につくように促された。
バベルの予想に反してゲオルク・シュルツは人族の成人男子としてはずいぶん小柄だ。
長いあごひげをはやしたらドワーフと言っても通るだろう。
無論人族以外の種族に対する差別や忌避感が強い王都で、そんな事を口走るのは危険だ。
それにこのように柔らかな笑みを浮かべるドワーフの男など有り得ない。少なくともバベルの知る限りでは、ドワーフ族の男は美味い酒を飲むとき以外で笑みを浮かべることなど無い。
小男の家宰殿の頭は見事に禿げ上がっているが背筋はしゃんとしているし、大きな書棚を背にしたガッシリした両袖机の上に、うずたかく書類が積まれているところを見ると、噂の通り「できる人」なのだろう。
そう思って見ると、表情は穏やかだが、しっかりこちらを値踏みしているのだと思われるような鋭い視線を一瞬向けられたような気がする。
(やっぱり似てるよな)
ガーニーのウレキア・ハウカがひげを剃って髪をうんと短く整え、上等な黒の上下を着たらこんな感じなのではないかと思ってしまう。もっとも、この家宰殿の方が挙措動作が上品だが。
白いレース飾りのついたブルーの仕着せを着た若い男が、イダとバベルにも茶を給仕した。
「どうぞ召し上がれ」
家宰殿の声は柔らかい。耳触りのよい声というのもある種の才能かもしれない。
「頂戴いたします」
バベルの会釈に合わせて、イダも会釈し、小声で「いただきます」と言った。普段は茶の味など気にもかけないバベルだが、香りのよい美味い茶は気分を落ち着ける効果が高いようだ。
「イダさんは、美人の誉れが高かったおばあさまのお若いころに似ておられますな。ムルサへのお輿入れが決まって、御両親とともに本邸に挨拶においでになった折のことは、今でもはっきり覚えております」
イダの母方の祖母ベアテは、王都ペラギニアで代々商工会会頭を務めているアフロス家の娘だそうだ。
エランデル公爵家の庶子が度々嫁入りしたり婿養子に入ったりして、表立っての親戚扱いはされないが、血縁的にも浅からぬ因縁がある家であるらしい。そうした裏の事情はイダも全く知らなかったようだ。
「そのころは十二代目御当主のケネス様がご健在でしたから、今よりも多くの方々が出入りなさっていまして、各地の商工会やギルドの役職者の方々も度々お見受けしたものです。ちなみに、ただ今の御当主様も奥方様もケネス様の御孫様です」
貴族社会で一番多いのは領地や相続資産の分割や散逸を防ぐための親戚同士の結婚で、大貴族でも他国の王族・貴族との縁組はさほど多くは無い……ということはヨーン・レイクホルトから教えられてはいた。
それはともかくとして、ケネスという十二代目の当主の頃より、今のエランデル公爵家は落ち目だということだとバベルは解釈した。
(格下だったミシュアとの戦いに負けたから、当然と言えば当然か。国の勢いも衰えているんだからな)
古い話も色々と知っていそうなこの家宰殿なら、自分の両親がどこの誰なのか調べがつく可能性が有りそうだ、とバベルはチラッと思ったが、黙って話を聞くことに徹する。
「バベルさんの剣の腕前は大変なものだそうですな」
「並みの傭兵よりは多少マシな程度でしょうか……メルヴィル先生がそうおっしゃたので?」
「アデル殿もほめておられましたが、様々な方面からの噂も聞こえてきますのでね。そのお若さで付与魔法の使い手でもいらっしゃるとか、“疾風”という二つ名をお持ちだとか、レイクホルト教授の愛弟子でいらっしゃるとか、好意的なものが大半ですよ」
「好意的ではない噂も有るわけですよね」
「まあ、そうですが、噂の出どころはガーニーの商工会の一部の方々なので、致し方無いでしょう」
イダは眉をひそめて、ため息をついた。
「父は私が許せないのでしょうね」
「ズデニク・レフラ氏の思惑がどうであれ、某家の御隠居は先日急な病で亡くなられましたからな」
「まあ、そうなのですか?」
イダとバベルは思わず顔を見合わせてしまった。
「某家の御当主は、そもそも父君が実の子供より若いイダさんを奥方になさること自体反対であったようですし、その話自体存在しなかった事にしたい御意向のようです」
「いや、それは……私が多少の小細工をしたので、今のポルトメリ公爵は自分の父親とイダの一件について、完全に記憶を無くした状態なのだ」
更にアデルが「小細工」の内容を説明しようとすると家宰殿は苦笑いを浮かべ、制止した。
「御隠居の死はアデル殿の魔法の所為ではないと伺いましたから、それだけで十分です」
そこへ、坊ちゃんの一言が……
「細かい話を聞いてしまうと、ゲオルクさんも困るんですよ、師匠」
「そうなのか?」
「そういうもんだと思いますよ、ね、ゲオルクさん」
家宰殿はニコニコして、返事をしない。
しばらく皆が無言で茶を飲む。
なぜかバベルの額には冷汗が浮かんできた。
「めでたい話をしましょう。先日、イダさんの大叔母にあたる御婦人が当家の奥方様のところにおいでになり、イダさんとバベルさんの結婚に関してお力添えを願ったようです。奥方様はたいそう乗り気になられて、御本邸の礼拝所で婚姻の誓いの儀式をなさるようにとおおせになりました」
イダ自身、全く知らずにいた大叔母という人はイダの祖母ベアテの妹で、奥方様の母君であるフレデリカ王女のお気に入りの侍女であったらしい。王家のお声がかりで某子爵家の当主と結婚したが、子もできぬうちに夫が亡くなったため、実家に戻ったのだそうだ。
こうした場合、子爵家は当主の血縁の嫡出の男子が継ぐが、子の無い未亡人は終生『子爵夫人』を名乗ることが認められている。結婚の際の持参金は未亡人自身の自由になる個人的な財産であるし、新たな当主からは歴代の子爵夫人の隠居料に準じた年金を贈られるのが通例だ……と言う程度の知識はバベルにもある。
「その大叔母は、私の祖母の実家でもあるアフロス家にいるのですね?」
「ええ。イダさんが持っていらした紹介状の宛先はムルサのゾルバ商会の関係者で身元も確かな方のようですが……イダさんの父上の反対を封じる事を考えますと、婚姻の立会人は子爵夫人でいらっしゃる大叔母様のほうが良いでしょう。また、そうでなくては御本邸礼拝所での儀式には不都合ですからね。それに……」
家宰殿は何かを言いかけて、急にきまり悪げな表情を浮かべて黙った。
「金の力は人間の世界では魔力に匹敵するもののようだな、ヘンリック」
「それはそうです、師匠。そのくせ、あまり表だって金の話をすると下品だとか言われてるんですよね。貴族だって色々な商売とかかわって生きているのに、おかしな話です」
「その子爵夫人は相当なやり手らしい。結婚の際の王家からの御下賜金を元手に交易船に出資して、相当な財産を作り上げたようだからな。子爵家からの年金を断るばかりか、逆に子爵家の財政立て直しのために資金を提供しているとも聞く」
「ああ、師匠、その人って、あの『財運夫人』と呼ばれている方ですね? ゲオルクさん、そうでしょ?」
家宰殿は困ったような笑みを浮かべている。
察するにこのエランデル公爵家もその『財運夫人』から何がしかの資金提供を受けるとか、何かあったということだろうか?
「はあ、さようです」
家宰殿はその話は打ち切りにしたい様子だが、坊ちゃんとメルヴィル先生はそれを知ってか知らずか、ひとしきりその話で盛り上がる。
「かの子爵夫人が投資する事業は、きっと成功すると王都の商人たちは信じているとも聞くぞ」
「エランデル領内の用水路の建設にも、子爵夫人は資金を投資してくれたんですよね」
「おかげで、多くの商人から資金の提供を受けることができたようだな」
「ここ数年は用水路のおかげで、エランデル領は大豊作だと聞いています」
「うむ。子爵夫人は資金の分割返済分は全て穀物類の現物で受け取り、実家の伝手を使って常に穀物が不足している南方の島々に売りさばき、相当儲けたらしい。実に目の付け所が鋭い」
「そのおかげで、穀物での返済を他の商人たちも受け入れてくれて、ゲオルクさんは返済用の資金の用立てに走り回らずに済んだ……って聞いてます」
おいおい、そんな話、三歳児がどこで聞いたんだよと、バベルは思った。
だが、この坊ちゃんは黙っていれば愛らしい三歳児だ。公爵家の財務状況についての噂を、まさか見た目三歳児の坊ちゃんが理解するとは夢にも思わないであれこれしていた大人が、少なからずいたのだろう。
家宰殿は坊ちゃんの方を見て、咳払いした。
それ以上話すなという事だろう。
咳払い以降、坊ちゃんの言葉数は明らかに減った。
「その世話になっている子爵夫人だが、姉の孫であるイダがバベルと結婚することに大賛成だそうな」
「やはりね……」
「やはり、子爵夫人はバベルを身内に加えるべきだと判断したのだな」
「人柄が一番大きい判断基準でしょうが……」
「背負っている諸々の背景を考慮した結果なのは明らかだろう」
また、家宰殿の咳ばらいが入る。
だが、自分の話なのだし、メルヴィル先生に質問するぐらいはかまわないとバベルは判断した。
「それは先生、俺が、何か諸々背負っている、そういうことですか?」
「事実がどうであれ、子爵夫人はそう判断したのだろう」
「俺の背負う何かを、先生は御存知で?」
「多少見当はつくが、詳細については知らん」
そういって、アデルが家宰殿の方を見た。
知っているのに「知らん」ととぼけなければ不味いらしい。
バベルは自分の親の話は、この公爵家において「危険な内緒話」であるらしいと理解した。
一方で、イダはどうやら投資だの資金の返済だのといった話に、まるでついて行けなかったようだ。更には、坊ちゃんとメルヴィル先生が何やら思わせぶりな言葉で会話をやめたので、大いに混乱している。
「あ、あのう、メルヴィル先生、その、大叔母に当たる方は、バベルを御存知なのですか?」
疑問を初めて会う家宰殿に向けるわけにも行かず、さりとて見た目三歳児に聞くのもどうかと思ったのだろう。
「本人のことは知らんだろうが、色々調べたのだろうよ」
「ガーニーに住む叔母から、その方の話を聞いたことは無いのですが」
「大叔母君はずっと都住まいで、ムルサやガーニーには行ったことが無いらしい」
すると家宰殿が咳払いをして、こう切り出した。
「そのイダさんの大叔母様はですね、お二人の結婚に大賛成だそうです。ですが、バベルさんのお身内に関する話は今はまだ全く出来ないので……お許し頂きたい……とのことでした」
やはり、自分の父親の殺害を命じた人物は、現在も国の権力中枢にいるのだ、とバベルは確信した。
イダの大叔母である子爵夫人は、バベルの父の敵が誰か知っているが、自分の身の上に危険が及ぶような話はしない。そういうことだろう。敵討ちどころか、父の殺害理由を問いただすことも許されないのだ。
このやり手だという家宰殿だって……恐らくは何か事情を知っている。
でも、敵にたどり着ける情報を与えてはくれないだろう。
駆け出しの冒険者にすぎない自分の無力さが悔しい。
バベルは血がにじむほど強くこぶしを握り締め、うなだれた。
イダはバベルの様子に戸惑いながらも、素直に疑問をぶつける
「あのう……それって、バベルの御両親のことも知っているけれど、何か差しさわりが有って、話すわけにはいかないとか? そのようなことなのでしょうか?」
「時節柄、察していただきたいとのことでした」
そこからは、いささか強引に二人の婚姻の儀式に話題が移る。
どうやら既に儀式の詳細は固まっているらしく、イダとバベルには決定事項が伝達された感じだった。
翌日、壮麗な本邸内の礼拝所にて「婚姻の儀式」が公爵夫人立会いの下、大神官の手によって行われた。イダの母方の縁者が十人と、問題の子爵夫人も同席し、婚姻の誓詞には出席者全員が署名した。
イダは大貴族の姫君のような儀式用衣装を着て気分が高揚したようだが、バベルはやたら飾りの多い貴族臭い服を着せられて、釈然としなかった。
「ほんに、立派ね。お父様によく似ておられるわ」
「はい。まことに」
妖精の女王のような公爵夫人とデップリした子爵夫人は目頭を押さえて顔を見合わせ、そのようにささやき合った。どう考えてもイダのおやじ殿のことではない。非業の死を遂げたと思われるバベルの父親のことだろう。
(これだけ生前の俺の父親を知る人間が王都には居るのだから……そのうち真相が明らかになるだろう)
装飾過剰な衣装に辟易しながら、バベルは我慢強く真相を探っていこうと決意を固めた。
「私たち、これで晴れて夫婦なのよね」
「ああ、そうだな」
儀式は胡散臭かったが、イダの笑顔が本物なのは救いだ。バベルはそう思った。
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