イダとバベル 2
ずいぶん遅くなりました。
アデル・メルヴィルに連れられてイダとバベルは王都の大門を抜けた。アデルが寄宿しているエランデル公爵家が発行した身分証の威力はなかなかのものだ。平民ならば長い列に並ぶ必要が有るらしいのだが、身分証を目にした途端に兵士が居並ぶ人々をかき分けるようにして優先的にアデル達三人を通した。
ちなみにアデルは魔法で髪や目の色を、目立ちにくい茶褐色に変えている。
王都の目抜き通りは活気がありにぎやかだが、やたらにミシュア語の看板が目立つ。
「都での魔人族に対する偏見は強まる一方だ」
アデルによれば魔人以外のエルフやドワーフなどへの偏見も酷くなったらしい。
ミシュア人が人族以外の部族を忌み嫌うと言う噂はイダやバベルも聞いてはいたが、改めて驚いていた。
「やはり、ミシュアとの戦いに負けたせいなんでしょうね」
バベルが問うと、アデルは難しい顔でうなずいた。
「街中で、その手の噂は避けた方が無難だ。さ、こちらから行くことにしよう」
アデルに従って下町の入り組んだ小道を抜けて、石造りの小屋と言った感じの建物に入る。すると、そこの床面に魔方陣が描かれていた。イダとバベルもアデルに促されるままに、陣の中に入った。
「ミシュア人の憲兵隊に突き止められると厄介だからな、この魔方陣は今回を最後に壊すことにした」
呪文らしき呪文も何もなく、いきなり魔法が発動して、三人は揃って大きな庭園の一角に出た。
「さあ、エランデル公爵邸に到着だ。こちらは別邸でな。庭続きの本邸よりは人が少なくて気が楽だろう。家宰のゲオルク殿に話は通してある。まずは、私の弟子・ヘンリックを紹介しよう」
アデルが指示した方向に、どう見ても三歳か四歳と思しき男の子がいる。そんな年頃の幼児にしては奇妙なことに、まともに剣を構え、鋭敏な動きで何かを切っている。
アデルが足を止めたので、自然イダとバベルもその場で男の子の動きを見つめることになった。
「あれは、何を切ってるんでしょう?」
「後で、ヘンリックに直接聞いてみれば良かろう」
イダにはその「何か」が見えなかったようだが、バベルにはその男児が剣を一閃させるたびに、ひらひら舞い落ちる木々の落ち葉を確実に真っ二つにしているのが見て取れた。ほぼ一度に三枚の葉を半分にした手練のほどには、バベルもおどろいた。
「メルヴィル先生が久しぶりに弟子になさった方だと伺っていたので、大人に近い年頃の方かと思っていたんですが……随分とお若いというか、幼いというか……驚きました」
バベルの言葉に、イダもうなずく。
「おお、そういえばお前たちにはヘンリックの年を伝えていなかったか。一応、あれでも三歳だが、並の三歳児ではないとだけ言っておこう」
普通の三歳児はやっと立って歩いて、どうにか自分で飲み食いをできる程度だと思うが、アデルの弟子はこちらの気配に気が付いて、自分から師匠に挨拶に来た。その挙措動作がいかにも貴族の子息らしく、堂々として洗練されている。何というか、俗にいう「宮中でのマントのひるがえし方を心得ている」と言う感じなのだ。
「師匠、おかえりなさいませ」
「今日はちょっとばかり、余所行きの挨拶だな」
「お客様が御一緒ですから」
「お客様というよりは、お前の護衛やら何やらを頼もうと思って連れてきたガーニーの冒険者たちだ。こちらのちょっとツンケンした男がバベル・ヘルツルで、剣士としての腕前はかなりの物で、付与魔法も使う。こちらの可愛いのがイダ・レフラで、治癒魔法が得意だ。二人は手に手を取って駆け落ちしてきた仲でもあるのさ」
「さようですか」
三歳児がくそまじめな表情で相槌を打つ。
「メルヴィル先生、その……」
イダが真っ赤になって、抗議しようとしたが「事実だろうが」と言い返されて、黙ってしまった。
「私はヘンリックと申します。立ち入ったことを伺いますが、お二人は自由意思による婚姻関係を法的に有効にしたいとお考えなのでしょうか?」
三歳児とも思えない言葉遣いに、バベルは驚く。
「はい……まあ、そういうことになります」
だが、アデルはそんな弟子に慣れているようなので、いつもこんな具合らしいという事は理解した。
「師匠がお二人の立会人となられるご予定で?」
「いや、都に住むイダの縁者で、立会人を務めてくれる人物の宛ては有るようだぞ」
「なるほど」
そのうなずく様子がもっともらしくて、このヘンリックと言う幼児がだんだん大人に見えてくる。
「子供の上に身分も不安定な私では、そうした事のお役にたてませんから……」
いやいや、そういう事を言う時点で子供じゃないから! と内心で突っ込みを入れたのはイダも同様であったようだ。びっくりした顔をして、見た目は可愛い三歳児を凝視している。
確かに駆け落ちするまで箱入り娘であったイダより、この子供の方がずっと大人なのじゃないかと言う印象をバベルは持った。
それにしたって、イダは人の顔を見過ぎだ。
並の三歳児ならそれでもいいんだろうが、このヘンリック坊ちゃんは中身が大人なんだから、イダを無礼な田舎娘と思ったかもしれないと、バベルは心配になってきた。
そんなバベルの心配を知ってか知らずか、三歳児はイダの驚きと好奇心をむき出しにした視線を涼しい顔で受け止めている。
「魔人の私など、かかわりが有ると憲兵隊に知られるだけで、かえって二人に迷惑がかかるだろうしな」
「ミシュア人だらけですからね、憲兵隊は」
アデルとヘンリックの話しぶりから察するに、王都の憲兵隊と言うのはかなり厄介な存在のようだ。
人族以外の血を多少でも受け継いだものにとって、ミシュア人だらけの憲兵隊は全力で接触を避けるべき存在だなどと言う噂は、バベルも聞いた記憶はある。
「人族であってもミシュアに縁の無い者は、不当な取り扱いをされがちだというしな」
「お二人はこの邸うちで当分は過ごされるのですね?」
「まあ、それが無難だろう。幸い家令殿はそれなりに憲兵隊にも顔が利くようだがな」
「ゲオルクさんが……そうですか。さすがですね」
「普段から色々と憲兵隊やら王宮方面にも目配りしているのさ」
「それなりの資本も投下しているのでしょうね」
「そのようだな」
まだちゃんと挨拶もしていないが、この三歳児は主筋にあたる人物、それも非凡な資質の持ち主なのだから、十分な敬意を払って付き合う必要が有りそうだ、とバベルは感じた。
そこへ、ドタドタと言う感じの足音を響かせて、がっしりとした体つきのメイドが駆け込んできた。
「坊ちゃん、冒険者の方たちは、おつきになったんでしょうか?」
「たった今、ここにね」
「通用門を通らずに、いきなりここにおいでになったんですね?」
「すまない、ジーナ」
アデルは、その厳ついメイドにペコリと頭を下げた。
「お師匠様らしいと言えば、らしいんですが、新入りの門番が戸惑ってたみたいでしてね。後で私が話を通しておきます。まずは皆様、部屋で暖かいお茶でも召し上がりませんか? お泊り頂く部屋の支度も出来たはずですので、見て頂かなきゃいけませんしね」
アデルもヘンリックもジーナというメイドには頭が上がらないらしく、そこから先はジーナの言うとおりに事が運んで行くかと思われたが……
「ジーナ、用意した部屋と言うのはどこなんだい?」
ヘンリック坊ちゃんは、色々と気が付く人のようだ。
「坊ちゃんが今、寝起きをなさっているこの別邸でのお部屋の隣です」
「お茶の用意は、小食堂?」
「ええ、そうです」
「じゃあ、道順から言っても、先に部屋を確認して鍵を渡す方がいいんじゃないか? お二人は多少荷物も有るようだし」
「お部屋に荷物を置いてもらう方が良いですね」
元来は客用寝室だという部屋は、白を基調にした清潔で明るい雰囲気だ。
ベッドは大人が二人でも十分眠れそうな大きめのものが二つ有り、それぞれに天蓋がついて居るので都合により仕切っても、開け放しても使えるという具合になっている。
バベルはリボンや刺繍で飾り立てた華やかな天蓋なんて気恥ずかしいが、イダは天蓋がいたく気に入ったようだ。確かに貴族のお姫様の寝室と言う雰囲気ではある。
「ご結婚なさる予定だと伺っているので、二部屋別々と言うのもなんですし、まあこんな感じでいかがでしょうか?」
そのあたりにはアデルもヘンリックも触れないのは、さすがに大人の気遣いと言うやつだろうか?
「ありがとうございます。とても素敵なお部屋でうれしいです」
イダは上機嫌だ。
壁紙にもカーテンにも値の張りそうな金糸銀糸入りの素材が使われているし、窓には昨今流行の高価な透明ガラスが嵌っているが、そのガラスの大きさが普通ではない。さすがに大貴族のお邸は違う、と思わせるのに十分な豪勢さだ。衣類や荷物を収納できる納戸と、部屋専用の洗面台まであって、イダは大いに喜んでいるようだ。
「それにしても……随分と透き通った、大きな窓ガラスですね」
バベルが感心して眺めていると、アデルが「これは魔法の応用で、安くついているのだ」と教える。
「魔法で窓ガラスを作るなんて、驚きました」
魔法を使って何かを作るとすれば、水魔法で飲料水を作るとか土魔法を使って戦時用の堀や土塁を築くあたりが常識の範囲だろう。
「ヘンリックのやった事さ。土魔法と光魔法を同時に発動しつつ、それぞれの操作を精密にできるものでなければ出来ないのだが、元になった魔法自体は初歩的なものだ」
「メルヴィル先生なら、どの程度の時間でこの大きな板ガラスを作り出せるのですか?」
「私には出来ない。魔力の細かい加減が難しくてな。大きな塊を作ることは容易く出来ても、このような滑らかな板状にはならないのだ」
アデルにできないことが三歳児にできるというのは、ますます驚きだった。
「師匠は魔力も桁違いに大きいし、発動も滑らかなんですから、今いちど基本的な操作法を見直して、魔力のムラを小さくする鍛錬を積みさえすれば、絶対できるはずだと思うんですけどね」
坊ちゃんの言葉だけを聞いていると、いい年をした大人としか思えないが、声自体は幼いし、姿かたちは愛らしい幼児なのが、どうもまだバベルには違和感が大きすぎる。
「ああ、ヘンリックの言う通りなのかもしれんが、辛気臭いチマチマした鍛錬は魔人の性分に合わん。そもそも魔法は生き残るための術として発達したものだからな、戦いの技として使うのが基本なのだぞ」
「はあ、まあ、そうなんでしょうね。ですが……」
話が長引くかと思われたその時、ジーナが割って入った。
「お師匠様も坊ちゃんも、続きのお話はあちらで、お茶でも召し上がりながらになさいまし。お師匠様の下さった特別な材料を使ったお菓子も、良い感じに仕上がりましたよ」
すると二人は当然のようにジーナの言葉に従う。
皆そろってゾロゾロと広くて長い廊下を歩き始める。
正直バベルは朝食も食べていないので腹も減っていたし、のども乾いている。
イダはバベル以上に疲労しているのは確実だろう。
連日連夜、バベルが捉えた魔獣の肉をかじり、瘴気に汚染された水をイダの魔法で清めて飲むという具合で過ごしたので、まともな食器に盛られた菓子やら茶やらに飢えてもいるのだ。
「そうだな。二人の体にたまった魔の森の瘴気を一掃する効果のある菓子も無事にできたようだからな」
「何か特別な薬草でも使ったものなのですか?」
「バベルは、世界樹の樹液から作る蜜について、ヨーンから聞いたことは無いか?」
「ああ、あらゆる有害な魔素や瘴気を無効化できるって、レイクホルト先生に教えていただいたことはありますが、現物は見たことが有りません」
実はヨーン・レイクホルトはバベルに「餞別に世界樹の樹液をやる」と言っていたのだが、部屋の内部があまりに乱雑に散らかっているために、所在がわからず、もらい損ねたのだった。
「見た目は、ただの蜂蜜かなんぞのように見えるが、加熱をしないままだと魔力を吸い取ってしまうのだ。だから私は加熱したものしか持ち歩かない」
「味は、おいしいのですか?」
「特にどうというほどでもないが、ヘンリックに言わせると色々菓子やら料理やらに応用できるそうな。なあ? ヘンリック」
「それこそ、話せば長くなってせっかくの茶が冷めますから、まずは小食堂へ向かいましょう。ジーナ、お茶はちゃんと保温しているよね」
「坊ちゃんが考案なさったサモワールとかいう道具にお茶が入ってますから、大丈夫です。私自身がちゃんと確かめました」
「サモワール? 何ですかそれは?」
イダは興味津々だ。
「見てのお楽しみですよ。いい感じにお茶をアツアツのまま取っておける道具です。綺麗ですけどデカくて重いので、お邸専用というか、あたしら下々の家では使えないようなものですけどね」
ジーナの言葉遣いは、大貴族の邸の上級使用人という感じではないが、「あたしら下々」という言葉に卑屈な感じが無く、好感が持てる。アデルやヘンリックの信頼も高そうだ。この邸ではかなりの重要人物だとバベルなりに判断した。
小食堂は廊下をまがってすぐの突当りだった。
「さあ、皆様、どうぞ」
別邸だというこの邸は、相当に人が少ないようだ。
大貴族の邸宅なら、豪勢で重たいドアを開ける専門の係りの男がいるものだが、ごく当たり前のようにジーナが軽々とドアを開けて、皆を促した。
身分の上下を気にするなという心遣いだろう。
大人二人が立ってダンスでも出来そうな巨大な円卓に、色々な果物や菓子類などが並べられている。
そして、壁際に置かれた黄金色に輝く金属製の大きな壺のようなものから、仄かに良い茶の香りがする。驚いたことに、その壺のようなものには蛇口が作られていて、そこに茶器を置くとアツアツのお茶が注がれるという具合になっている。
どうやら話に出たサモワールというものらしい。
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