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イダとバベル 1

 バベル・ヘルツルは天涯孤独だ。

 物心ついたころには「坊ちゃま」とバベルを呼ぶ「ばあや」と二人暮らしだったのだが、その「ばあや」もバベルが七歳になるかならぬうちに、亡くなってしまった。


 その後は「ばあや」に「命を救われた」というアメデオ・ヘルツルが、学費を全額負担してバベルをガーニーの冒険者学校に入学させてくれたのだった。

 アメデオは元冒険者で、故郷の村が魔物に襲われて家族全員が亡くなったという男だった。

「俺も命の恩人の叔父貴に技を仕込んでもらって、冒険者になったのさ」と言っていた。ヘルツルと言う姓も、元来は子供だったアメデオの命を救ったアリゴ・ヘルツル老のものだ。

 アメデオはアリゴを叔父貴と呼んでいた。

「何でも、元は南方の公国の騎士だったらしいけど、叔父貴は細かいことは教えてくれなかったよ」とのことで、騎士であったアリゴ・ヘルツルが故国を離れてガーニーの冒険者になった事情は不明だ。

 ばあやとバベルはアリゴの住まいの一角を借りて、暮らしていたのだ。

 冒険者ギルドの依頼で厄介な魔物の掃討にアリゴとアメデオも参加したのだが、アリゴは亡くなった。どうやら、経験の浅い若い連中を助けるために自分が犠牲になったらしい。


「最後まで、おれはアリゴの叔父貴に恩返しが出来なかった」


 その掃討戦で魔物のブレスを浴びた後遺症で苦しんでいたアメデオに毎日治癒魔法をかけていたのが、ばあやなのだ。


 実を言うと、バベルは「ばあや」の名前も出身地も前歴も何も知らない。

 その手のことをバベルが質問すると、ばあやは決まって「幼いころに親元から誘拐されて奴隷商人に売られたために、私は自分の真の名も故郷も存じません。坊ちゃまの御両親は私を救い出してくださり、私の親兄弟を探すことまでして下さったのですが、遥か東方の大山脈よりもさらにうんと東の方にある国のどこかの出らしいと分かった以外、何の手がかりも見つからなかったと伺っております」


 ばあやによれば、バベルの父は「領民に慕われる立派な御領主様でいらっしゃいました。都には美しいお邸を、御料地には立派なお城をお持ちでした」とのことだが、何らかの政変に巻き込まれたらしい。


「奥方様からのちほど伺ったお話では、宰相様の御屋敷に向かわれる途中で旦那様はだまし討ちに遭われたようでした」


 宰相とバベルの父は幼馴染であったらしいが、そのことと父の殺害がどう結び付くのか、バベルには何もわからない。


「奥方様は治癒魔法の名手でいらっしゃいましたが、旦那様は大層な深手を負っておられたようです。幾度も奥方様が治癒魔法をかけられると、一度だけお目を開かれ『バベルを連れて逃げろ』とおっしゃったとか。その後すぐに、息を引き取られました」


 肝心の父の名前や家名だが、ばあやは正確なことは何も知らなかった。

 ただこんな話はしてくれた。

「私は、あの事件が有った当時、まだトリクム王国の言葉が不自由でして、旦那様の正式な称号やお名前は理解できておりませんでした。ただ、奥方様は時折旦那様を『辺境伯閣下』と戯れ半分にお呼びになりました。すると旦那様はいつも『お前にまでそんな呼び方はされたくない』と仰せでした」


 辺境伯を名乗る貴族はトリクム王国でも五家しかない。

 ガーニー育ちで貴族社会の常識など有りはしないバベルであっても、辺境伯は大貴族であり、並みの侯爵よりは家格が上であるらしい……程度の常識は有る。

 取り潰された辺境伯の家が一つあるらしいが、そうした場合、公文書や国が管理する公開された記録からは家名が削除される。ガーニーに赴任している役人連中の中には取り潰された辺境伯家の家名を知っている者もいるだろうが、父が殺害されたいきさつも不明な中で、うかつに役人に近づくのは危険だと思われた。


 なにしろ、生前の母は官憲の目を逃れるためにガーニーに流れ着いたらしいのだから、父は国政の中枢にいる誰かに憎まれた、あるいは排除すべきだと見なされた可能性は高い。


「貴族であったことなど忘れなさい」


 それが母の遺言であったらしいので、父を排除した強大な存在は今も健在という事だろう。

 父の殺害を命じたのが国王自身なのか、それ以外の有力な貴族あるいは王族なのかは全く不明だが……大きな権力を持つ何者かであることは確実だ。


「国王陛下なら、何もだまし討ちなんてする必要は無さそうだが……」

 

 だが、国王自身の隠しておきたい秘密を知ってしまったとかいうことなら、有りえるのかもしれない。

 別に貴族に返り咲きたいなどとは思わないが、父がなぜ死んだのか知りたい。そして……可能ならばかたき討ちをしたい。だが、おそらく母はかたき討ちは不可能だと思っていた……そういうことだろう。


 ばあやは文字が読めなかったし、アメデオも自分の名前を書くのがやっとと言う具合だった。

 バベルは冒険者学校に入学してから通常の読み書きなら不自由しないレベルになったのだが、学校の図書室には廃家・絶家になった貴族の記録などは無かった。父が「だまし討ちにあった」理由も家が取り潰された理由も、更には母が身分を隠して逃亡しなければいけなかった理由も、調べようが無かった。


 都の有力貴族か王族以外は閲覧できない秘密の記録には、様々な貴族や王族の裏事情やら不祥事やらも詳細に記録されていると魔法の教授であるヨーン・レイクホルトが教えてくれたことが有ったが、魔力の高いレイクホルトでもその記録は読んだことは無いらしい。


「王城には大魔法使いが施した結界が様々にめぐらされているから、私でも盗み見は無理だ。やはり、大貴族の庇護でも受けられるような一流どころの冒険者になって、記録を読ませてもらえるように依頼するのがいいんだろうな」


 ヨーン・レイクホルト教授は大魔法使いの結界なら、破るのは不可能と考えているようだ。

 ならば……大半の魔法使いにはその結界は破れない。そういう事なのだ、とバベルは受け止めた。


 バベルは主に剣を使うが、付与魔法ならかなり達者に使いこなせる。

 どういうわけか気難し屋のレイクホルト教授には嫌われていなかったようで、個人的な研究課題を手伝ったり、新しい付与魔法の実験の助手を務めたりする機会もたびたびあった。おかげで、武器に魔力を通したり、魔法的な効果を付与するのはかなり達者になった。在学中はドワーフの職人の依頼で、武器や防具に魔法をかけて報酬を得ていた。

 鍛錬を兼ねて学生仲間でパーティを組み、獣や魔獣を倒して、ギルドで指定部位を買い取ってもらうより割が良いアルバイトだったのだ。


 イダは幾度か一緒にパーティを組んだ経験も有る冒険者学校の後輩だ。イダは治癒魔法が専門だが、攻撃用の魔法も少しは使うことが出来る。

「冒険者学校に通う事に対して、父は反対しているの。もともとは貴族なのだから、貴族の令嬢にふさわしい教育を受けるべきだとか何とか言っちゃってね。でも、いまは平民なんだし、ガーニーで生きていくなら冒険者としての心得は必要なはずって言って、家を出てきたの」


 事実、イダは亡き母親の姉だとかいう婦人の家で暮らしていた。最初の一年は学生寮にいたのだが、事情を知ったその伯母の方から、一緒に住もうと言ってきたらしい。


「伯母様と母はムルサのゾルバ商会の娘なの。伯母様の旦那様は先代の商工会会頭だから、父も勝手なことはできにくいわ」


 ゾルバ商会と言えば、トリクム王国随一の大商会だ。国内最大の貿易港であるムルサを実質的に支配していると言って良いらしい。大富豪である当主の権限は強く、国政に対する影響力もなかなかのものらしい。並みの貴族では太刀打ちできないと言う噂も、恐らくは事実なのだろう。

 バベルは幾度かイダに連れられて「伯母様」の家で食事をしたりしたが、「あなたとイダならお似合いね」などと言われた。どうやら二人の仲を認めたという事らしい。イダは「バベルはどこか身のこなしにも品が有るから、伯母様はお気に召したようよ」というが、バベルにはそんな自覚は無い。


 イダによれば「伯母様は父のやり方には、ものすごく腹を立てていらした」らしい。

 七十過ぎの老人に娘を差し出そうという父親なんて、ろくなものではないと誰もが思うだろうが「伯母様」は怒るだけでなく、イダの幸せを願ったという事のようだ。

「バベルはイダを妻にする覚悟は有りますか?」

 正面切って「伯母様」にそのように問われて「いいえ」とは言えず、うなずいてしまったバベルであったが、別に後悔はしていない。まだ妻を迎えるには若すぎると漠然と思っていただけで、イダが嫌だと思ったことは一度も無いからだ。女にとっての結婚は一生の重大事らしいが、男にとっても運命の分かれ目なのかもしれない。いささか覚悟が足りなかったバベルだが「伯母様」に問いただされたおかげで、決心がついたのだ。

 親に反対された結婚を法的に有効とするためには、当人同士が十六歳を超えていること、男女双方に犯罪歴が無いこと、婚姻届を出す際に一家を構える「善良な国民」の立会人がいること、という三つの条件が必要だが、立会人が土地の有力者・権力者であればより確かに婚姻届が受理されるらしい。

 イダの父親の反対程度なら無効化出来そうな親戚にあたる王都とムルサの豪商に紹介状は書いてもらったのだが……ごろつきどもはイダを連れ戻そうと躍起になっていて、安全なガーニーからムルサへの船便を使うのは難しい状況だった。そのため、魔の森を突っ切るしか無かったのだ。


「七十過ぎの老人であっても、相手は大貴族ですからね。権勢に物言わせて婚姻届が認められない可能性も有ります」

 

 ただ、救いは当主となった老人の跡取り息子はこの不似合いな結婚に反対であることから、役所に婚姻無効の申請を出さない可能性もある……というのは「伯母様」の希望的すぎる見通しのようにも思われる。

 


「なあ、イダ、レイクホルト先生から紹介された魔人の女の人、どう思う? 何かやらかして学校の先生を辞めさせられたって訳ではないらしいが……」

「ああ、アデル・メルヴィルって人ね。レイクホルト先生が『信用できる』とおっしゃって紹介してくださったのだから、きっと大丈夫よ。エルフも魔人も嘘はつかないんでしょう?」

「先生はそう言ってた。嘘じゃなさそうだが、知ってるエルフは先生だけだし、魔人の知り合いはいないんで、実感は無いな」

「それは私も同じだわ。あの人は、この魔の森を無事に突き抜けたら、都での落ち着き先を世話してくださる、そう言ったわよね。大きな貴族のお邸の中みたいな話じゃなかった?」

「都の貴族って、年がら年中揉めたり徒党を組んだり、めんどくさいらしいぜ」

「じゃあ、その貴族の邸に住むことになれば、色々面倒くさいことの片棒を担ぐ羽目になるのかもね」

「警護役とか、場合によっては犯罪行為の片棒担ぎか」

「さすがに犯罪は嫌よね」

「そうなったら、また逃げるしかないのかなあ」

「私は、ずっとバベルについていくわよ!」

「ああ……ずっと一緒だ」


 そう言ってから、お互いに照れてしまって、しばし無言になった。


 魔の森でのテント暮らしも四十日を超えた。

 ガーニーを出る際にヨーン・レイクホルトからもらった羅針盤に従って、二人は道なき道を突き進んできたのだ。

 ガーニーと都の間にかつて幾つも存在した宿場や村々は、瘴気を発し続ける魔の森の拡大に従って、壊滅してしまったとされる。

 魔物が跋扈して、多くの人がガーニーや都に逃げ出したのだという話は、イダもバベルも子供時分から周囲の大人たちから聞かされてきた。だが、四十日を過ぎてなお、人里らしきものに一度も遭遇しないというのはさすがに若く元気な二人であっても心細い。

 幸いこれまで二人の手に余るレベルの魔物には遭遇していないが、今後も安全である保証は無いわけで……もしかして羅針盤の表示が狂っているのではないか、とか、魔物にたぶらかされているのかもしれない、とかいった考えが思い浮かぶ頻度が、旅の初めごろよりも明らかに上がっている。

 互いに口にしないが「永遠に魔の森から抜け出せないかも」などという不吉な考えにとらわれそうにもなる。陰気な気分に囚われがちなのも、魔の森の瘴気の影響だろう……と、今はまだ理性的に考えられるバベルだが、正直言って後何日もこの状態が続けばどうなるだろう? ついそう思ってしまうのだ。


「あれ? 何かしら?」

「地響きがするな」

「テントの中に隠れていた方が良いかしら?」

「大半の魔物はやり過ごせるはずなんだが……」


 万が一、テントの隠蔽効果が無効になるほどの高い知能と魔力を持ち合わせた魔物が足の速い魔物に騎乗しているとすれば、危ない。そうバベルは思ったが、口にはしなかった。


「数が多いな」

「五十? 六十? ウマかシカみたいな四足の魔獣かしら?」


 地響きに加え、ズンと響くような魔力の波動が重い。明らかに唯の獣ではない。


「ちょっと覗いてみるか」

「見つかっちゃうわよ」

「一瞬だけだ」


 どうやらスコルという巨大なオオカミのような魔獣が隊列を組んで、疾走しているようだ。


「やけに規則正しいスコルの群れだ。一頭だけいる白いスコルの上に……なんだ?」


 白いスコルがぴたりと止まり、背中からひらりと「女」が降りた? 


「迎えに来たぞ、イダとバベル」


 イダとバベルは思わず顔を見合わせた。良く響く声に聞き覚えが有ったからだ。


「あのう、メルヴィル先生? 俺たち、外に出て大丈夫でしょうか?」


 二人はアデル・メルヴィルから直接教えを受けたことは無い。だが休業中ではあるが一応冒険者学校の教師であるとレイクホルトから紹介されたので、そのように問うた。


「大丈夫だ。こいつらは魔人にとっては、なじみの使役獣でな。いささか厳ついが、大きめの犬と言ったところさ。お前たちもこの子たちに顔を覚えてもらった方が良い。テントから出てきてくれ」


 マジックテントの隠蔽・結界の効果で、アデルがイダに張り付かせていた使い魔が三十日目を超えたころから、反応をしなくなったために、なじみのスコルの群れの力を借りて二人を探し当てたのだが、アデルはそのあたりの事情を二人に話すつもりはない。


「はい」


 二人はテントからもつれるようにして出てきた。まぎれも無い美男美女の一対だが、いささか衣装が垢じみて見苦しくなっている。エランデル公爵邸に入る前に、水魔法『洗浄』で小ざっぱりさせる必要が有りそうだ、とアデルは感じた。


 白いスコルが遠吠えすると、他のスコルが一斉に声を合わせ始めた。


「よしよし、お前たち。この二人の匂いと顔を覚えておけ。決して危害を加えるなよ……覚えたか?」


 アデルの問いかけに、スコルたちはいっせいに声を出して応える。


「キャウウウン!」

「よしっ!では、解散だ」

「キャウウウン!」


 白いスコルを先頭に五十頭余りの魔獣が飛ぶように走り去った向こうに、いきなり大きな城壁が見えてきた。


「メルヴィル先生、あれは」

「都の城壁さ。スコル達が立ち込めていた魔の森の瘴気を散らしたおかげで、お前さんたちの目でも本来の景色が見えるようになったのだ」


 その言葉で、イダとバベルは自分たちが魔の森の瘴気に蝕まれつつあったのだと気が付いた。



ずいぶん更新が遅れました。

ですが、最後まできちんと書き上げるつもりなので、お付き合いいただけましたら幸いです。

誤字脱字の御指摘、大歓迎です、感想もいただけましたら大変うれしいです。


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