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噂・4

 ガーニーと王都は離れている。

 南方の港町であるムルサとは徒歩で十五日、馬車で七日、王家御用の早馬なら幾度か馬を取り換えて駆け続け三日と言う距離だが、ガーニーはその二倍の距離が有るとされている。

 単に距離が遠いだけではなく、トリクム王国の成立以前に整備されていた街道は荒れ放題で、途中にまともな宿場町も存在しない。途中、幾つもの難所を抜けることになるが、最大の難所はガーニーを覆うようにして広がる広大な魔の森だ。

 魔の森には他の地域には存在しないような、凶暴な魔獣や得体のしれない魔物が多数生息しており、屈強な騎士であっても魔の森を突っ切ってガーニーに到達することは不可能だとされている。

 その一方でムルサとガーニーの間は定期航路が確立しており、王都の人間がガーニーに赴く際は、いったん南下してムルサに出て、そこから船……というのが当たり前になっているのだ。その結果、王都とガーニーを直接結んでいたかつての街道は、ますます寂れるという状態なのだった。


 だが、それはあくまで魔力の乏しい人族の場合の話である。


 アデルは風魔法全般が不得意なため『飛翔』を使うことはめったにない。それでも一応は冒険者ギルドでも最高ランクに位置づけられる魔法使いであるため、王都からガーニーへは半日かそこらで到達可能だ。だが、王都側とガーニー側の双方に魔方陣を描けば、ごくわずかな魔力で瞬間移動が可能だ。目的地側の魔方陣が消されたり壊されたりすると、神界や異世界などの予期せざる場所に迷い込むとされるが、アデルはそうした経験は無いので真実は不明だ。

 用心のために予め、それぞれの魔方陣の傍に見張り用の使い魔を配置しておくのは、魔法使いとしては当然の心得なのである。


「王の意向を探る方が先だろうが……ついでに王宮でひと仕事しておくか」


 ゲオルクとの話が済んですぐ、アデルは王宮の屋根に飛んだ。

 アデルには遠方の人族の思考を読み取る力は無い。目標とする人の至近距離に使い魔を配置すれば、同じ街の中程度の距離から思考の流れを読み取り分析することはできるのだが……分析を誤ると、気まぐれな人族の場合、次の行動を読み違えることになりかねない。


「人族との付き合いも長くなったから、昔のような失敗はしないと思いたいが、油断は禁物だ」


 アデルの見るところ、国王ハインリヒ三世はどちらかと言うと妖精寄りの思念の持ち主で、魔人寄りのレナートとは感性も思考も真逆と言うか、互いに自分とは違う部分を強く感じる関係なのは確かだ。奥方のエレオノラは明らかな妖精寄りタイプなので、夫より国王の方がたやすくなじみやすいのだが……


「良い時は良いが、いったんこじれるととことんダメになる。そういう関係だな」


 レナートは奥方にとって付き合いにくい相手ではあるが、互いの短所を補い合う関係になる可能性はある。もっとも……二人の様子を見る限り、現状ではそうなりそうな見通しはまるで無い。もっともアデルにとっては悪影響が弟子のヘンリックと自分自身に及ばなければ、大した意味も無い事柄ではある。

 

 国王も奥方も妖精寄りの思念を持っているために、明るい気分を重視するが、気分しだいで前言撤回ということも多い。わがままで気まぐれであっても人に憎まれることが少ないが、責任ある立場の者として、いったん決めた事柄をすぐに気分しだいで放り出してしまったりするのは、いただけない。


「とりあえず、国王の所在だな」


 蝶の使い魔を飛ばし、上空から気配を探る。


「おやおや」


 昼間っから何をしているのかと思えば、ハインリヒ三世は人目に付きにくい客用寝室で王妃付きの侍女とよろしくやっているではないか。

 アデルは人族同士が交尾しているのを目撃しても、特段恥ずかしいとか言う感情は湧いてこないが、なすべきことも為さず快楽にふけっているのは軽蔑に値すると思っている。


「だが、この王の脳内では、これも王妃とその一派をけん制する策なのだな」


 王は「妖精王のごとき麗しさ」とされる自身の容姿を武器として十分に活用しているつもりらしいが……妻になった少女本人にはまるで通用しないのは何とも皮肉だ。

 情事の相手の女はミシュアのそれなりに羽振りの良い貴族の家の娘ではあるようだが、王の誘いを逆手にとって極秘情報を収集するなどという行動をとる胆力も能力も無い。魅力的な王の目に止まったことで、完全に舞い上がってしまっているだけの、愚かな女であるようだ。


「王妃の側近の、王に対する反感を弱める効果も……さほどあるとも思えない」


 これでこの女が王の庶子でも産めば状況も混とんとして、それはそれで興味深いが、実現しそうに無い。


「この女、魔力が薄すぎて王の子は孕めないだろう」

 

 この状況をまだ十歳の王妃がどの程度把握し、理解しているか、蜘蛛型の使い魔を使って探らせると、案外と冷静に実情を把握し、分析しようとしている。

 面白いことに魔法を無視し、妖精の実在すら疑うミシュアに生まれ育ったくせに、王妃は魔人由来と思しき魔素がかなり濃い。


「王妃の魔力が予想外に濃い。幼い内から魔法を使ってめぐらせれば、子を産めるのだが……このままでは無理だな」


 ミシュア人であった王妃が魔法の修業を始めるとも思えない。子の無い王妃の立場は不安定なのが普通だが、この少女は予想される修羅場をどう切り抜けるのか、アデルは少し興味を抱いた。


「ほう? 午前中は大学の研究者達を招いて国政に関する提言を聞き、午後からはトリクムの法令集を読んでいるのか。王よりよほど王らしいかもしれん」


 王妃が一番憤慨しているのは、ハインリヒが国家財政が破綻寸前であることを認識せず、下らぬ浪費ばかり続けていることであった。自分についてきた侍女を抱こうがどうしようが、自分の王妃としての正当性と権威は揺るぐはずもないので、大して気にしていないのだ。

 王妃の興味は国政の運営にあり、「不出来な国王陛下は国政にかかわらない方がマシ」とも考えており、そのための布石を打っている最中であるらしい。


 夫を軽んじる態度が鼻につく、と国王は感じていて、王妃の『正論』を聞き入れる気は全く無いようだ。


「王妃は……恋と言うものも知らぬし、男女の機微などと言うものも知らぬし、興味も無い。さらに言えば、子の作り方も知らぬのか」


 アデルの顔には苦笑が浮かぶ。

 王が昼下がりの情事に励んでいる間に、王妃は学者や役人たちを招いて国政に対する提言を聞き、租税や法令に関する知識を深めようとしている。


「王も王妃も実は傀儡……少なくとも、それが老臣とか廷臣とか言われる連中の大半の本音か」


 使い魔である小さな蜘蛛を王宮内部のほとんどすべての部屋に張り付かせて探った情報を分析した結果、導かれた答えは、アデルの予想通りだった。

 隣国ミシュアと強いつながりが有るため親王妃派と見なされているものの、その実王妃の活動を「子供のままごと」あるいは「机上の空論」と見なしている連中が、一番この宮廷で権限を握っているようだ。



「エランデル公爵家に潜り込んでいる二人のスパイだが、スピロス・ゾルバこと本名トビアス・ワルターは本当にムルサのゾルバ商会の縁者で、真面目にゲオルク殿の補佐役も務めているから、放置しておくか」


 問題は国王自らが任じたレギン・ヨナスだが、忍びで市中の妓楼に出向いた際に国王と縁が出来ただけの関係にすぎない。レギンが冒険者としての能力を嘘も交えて王に売り込んだ結果、とりあえず我が子がいるエランデル公爵家に入りこんだ王妃派のスパイを牽制させよう……という目的で送り込まれたようだ。


「王が我が子として多少とも気にかけているのは、アンドレアスだけか」


 ならば……


「幼いロベルト王子とパオラ殿の平安のためには、無事に成人するまで都の誰の噂にものぼらぬようにする方が良さそうだ」


 パオラが腹違いの姉である奥方からどのように思われるかも、気がかりである。ロベルトの存在を知っているのはゲオルクと婿のパウルだけだ……と、アデルは思っていた。


「娘のダニエラにすら秘密なのだからな」


 ダニエラの口が軽いとか思慮が浅いとか言う理由ではなく、奥方との接触がかなりあるダニエラにとっては、知らない方が気が楽だろうという親心らしいが……


 方針が決まれば、闇魔法はアデルの最も得意な魔法であるだけに、他人の思考や記憶を操作するのはたやすい。


「念のため、国王にかける『忘却』と『緘黙』は至近距離でかけるか」


 しどけない姿で絡み合っている王と女は致す前に酒をあおっていたせいか、意識は朦朧としているようだ。アデルは姿を『錯視』で紛らわし、国王に直接魔法を発動させる。


(レギン・ヨナスを思い起こすことなかれ。忘却)

(ロベルト王子とその母パオラの名を十年の間、口にすることなかれ。緘黙)



 レギン・ヨナスに関しては国王との縁が断ち切れさえすれば、その後は色々やりようも有りそうだ。

 パオラの名前は国王の亡き母パウラと似ており、パオラが公爵夫人の腹違いの妹であることは王は知らなかったが、二人の面差しは似通っているため、パオラに関するすべての記憶を『忘却』でブロックすることは難しかった。無理にブロックすれば、王の人格が破壊される可能性が大きい。別にそうなったからと言って、アデル自身の心は痛まないが、新たな政情不安を招きかねない。そう判断したのだ。


 この時点で、エレオノラはパオラのことを全く知らないというゲオルクの話を信じていたアデルは、国王自身がすでにエレオノラにロベルト王子とパオラに関して手紙で告白しており、そのことをヘンリックまでが承知しているとは知らなかった。更には妖精たちが(エレオノラがこわれるかも)と危惧していることなど、思いもよらなかった。


 ともかくも、二つの魔法を無言のまま想念だけで連続して無事に発動し、成功した。


 アデルはすぐに屋根に戻り、その場で意識を研ぎ澄ませ、ロベルト王子を認識している人物が誰なのか、使い魔づたいに微弱な波動をめぐらせ、思念を探った。不特定多数の存在の思念を読み取るのは、闇魔法以外に水魔法や風魔法でも可能らしいが、いずれにしろ極めて難易度が高い。アデルはいつも使い魔を配備し、闇魔法の『索敵』を応用して、どうにか切り抜けている。


「誰が一番警戒すべき人物なのか、見極めはつかんな」


 宰相は怪しい。

 魔人ではないのは確実なのに、これほど思念の読み取りにくい人間も珍しい。ほとんど感情が揺らがないからであるようだ。それでも、魔力を傾注して内面に浮かぶ言葉をすくい上げ、瞬間的に浮かぶ情景をとらえるように注意を払う。王や王妃の思念を探るより五倍か六倍程も多くの魔力を必要とする。

 今の所、宰相はロベルト王子をさほど重視していない。ならば忘却も有効だろうと思ったが、厄介なことに気付く。


「宰相は魔法の有効性を認識して、魔法発動阻害の結界を執務室と自分用の部屋全体にめぐらせているのか」


 アデルは用心のために大きな出力の魔法も小さく見せかける『偽装』も同時に発動していた上に、魔法を発動させていた場所自体が結界の外の屋根の上で、使い魔伝いに魔法を伝達するという方法を取ったのが幸いして、結界の魔法が作動せずに済んだようだ。だが、これでは瞬間的に魔法の出力を大きくせざるを得ない『忘却』は使えない。宰相が執務室を中心とした結界の中から、外部に出る時を狙うほかないだろう。だが困ったことに宰相は王宮に泊まり込んで、熱心に仕事をする人物として有名らしい。


「短時間での読み取りは難しいな。当分の間、使い魔を張り付けておこう」


 わずかな間に知りえたことは多くは無い。ただ、宰相には宰相なりの正義が有って、それは王や王妃より重い存在らしい。だが、反対派ないしは反対派になりそうな人物は早めに抹殺することにしている、ということだけははっきりした。そして、使えるものならば異端とされようが魔法でも自分のために役立てる、そういう実利的な思考をする人物だということもわかった。


「病死に見せかけて、殺害させた貴族が十人。で、殺害にかかわった者も始末したか」


 認識を誤って殺害してしまったなど、冷血漢の宰相でも多少気が咎めるケースも有るようだ。そのためか殺害した貴族の遺児を自分の部下に迎え入れたり、こっそり恩給年金の上乗せをして犠牲者の未亡人と幼い娘が暮らしに困らないようにする、といったことも行っている。


「で、その秘密の一端を知っているのが宮内卿と財務卿か」


 幸い、宮内卿と財務卿それぞれの執務室一帯は結界が無かったので、『忘却』を発動させて、ロベルト王子とパオラに関する記憶を完全に封じることが出来た。


「王妃周辺をどうするかだが……十年間の『緘黙』で十分だろう」


 念のため王妃の身の回りでロベルト王子とパオラの件が話題にならぬように、王妃本人と王妃の傍近くに仕える護衛やメイド、侍女たちすべてに十年有効な『緘黙』をかけておく。


「もう一つ、重要なことが有ったな」


 アデルは使い魔を王宮内部に展開させたまま、ポルトメリ公爵家の屋根に飛んだ。ここでは隠居が後妻に迎えようとした娘が、男と駆け落ちした事実を噂にすればいいだけなので、ずっと仕事は簡単だ。


 ここでも使い魔を展開させる。


「人の多い場所は、どこかな?」


 調理場と洗い場、厩、食糧庫、護衛の詰所、などなど、十名程度の人がいる場所はかなりある。その中で下級使用人が集まっている場所ばかりを選び、水魔法『流言』と闇魔法『誹謗』の合成魔法をかけまくった。

 『流言』は噂の内容にかかわらず、素早く噂を広げる魔法だ。 

 『誹謗』は実体が存在する不名誉な出来事に関する噂で、実態が存在しない場合は『中傷』である。


「なあ、知ってるか? 御隠居様の三度目の奥方様候補の女が、若い男と駆け落ちしたってさ」

「ああ、なんかそれ、俺も聞いた」

「俺も知ってるぞ」


 急に厩で働く男たちが興奮して、しゃべりだす。

 誰からも聞いていないはずの話を、聞いたものと信じ込んで男たちは騒いでいるのだ。



「ねえねえ、御隠居様の新しい奥方様になるはずだったお嬢さんが、同じ年頃の男と駆け落ちしたって」

「それあたしも聞いたけど、ほんとかな」

「ほんとらしいって、あたしも聞いたよ」


 掃除を終えたメイドたちは大きな立ち話の輪を作り、熱心に駆け落ちの一件を噂し始める。噂は僅かな時間で、アデルの思惑通り、あっという間に邸全体に広がったのである。


「これで御隠居がどう出るかだが……」


 アデルは自分の予想通り事が運んでも運ばなくても、駆け落ちした二人に対する追及の手は緩むと予想しているのだった。

誤字脱字の御指摘、大歓迎です。

ここまで読んでくださって、ありがとうございます

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