噂・3
大盛り亭は連日大繁盛だ。
そのため隠密行動を取りたいアデルの滞在先としては、いささか都合が悪い。
朝食も、夕食も特別に別料金を支払い、自室で食べているが、それでも安心はできない。
やはりどこかに部屋でも借りた方が良さそうだと思い立ち、朝食を食べながら、ガーニーの街で不動産の賃貸借契約を仲介する差配人の事務所と冒険者ギルド、商工会と言ったところに使い魔を張り付かせて探ってみる。すると……
「おや? ウレキアのやつ……」
冒険者ギルド本部の建物の裏手で、ギルドマスターのウレキア・ハウカが近所に事務所を構える差配人と立ち話をしている。
「そうなんだよ。息子の奴、いきなり嫁を連れて来て『こいつと所帯を持つことにした。ゾルバ商会の会頭から店をムルサで開かないかと誘っていただいたので、すぐにガーニーを出る』と、こうだぜ」
「それはまた、急なお話で。ですがゾルバ商会のヨルゴス・ゾルバ会頭ほどの方に見込まれるとは、たいした息子さんですなあ」
「冒険者としてはチンケな魔獣にも手こずる情けないありさまだが、魔獣素材の加工はなかなかのもんでな。嫁も縫い物なら何でも上手い。それでゾルバ商会でも息子たちが店を持つことを応援してくれるという話だ。ついさっき、冒険者ギルドにヨルゴス・ゾルバ会頭御自身がおいでになって、わざわざお話してくださったのさ」
「それならば、親御さんとしては御安心ですね」
「ああ。ゾルバ会頭は立派な方だ。だが、お供にくっついてきたズデニク・レフラの奴はダメだな」
「あの方は、義理の弟さんにあたられるはずです。ゾルバ会頭の」
「はあ、なるほどな。それでガーニーに滞在なさる時はズデニク・レフラの邸に泊まられるわけか」
アデルの知る限りでは、ガーニー商工会会頭ズデニク・レフラは混じりけ無しの人族で、父親の代に先代国王の不興を買って取り潰された男爵家の出身らしい。
ウレキアはドワーフにも差別的な言動を取るズデニク・レフラが大嫌いなはずで、以前ぼろ糞にけなしていたのを聞いた記憶が有る。
確か「レフラの野郎なんて商工会会頭とは名ばかりで、ほとんどごろつきの親玉」と言っていた。
ズデニク・レフラはガー二ー市内に数か所の賭博場を経営していて、小細工をして不正に冒険者たちから金を巻き上げ、博打用の資金も高利で貸し付けている。そうして得た「汚い金」を都のお偉方への贈り物やら賄賂やらに回しているのだという。どうやら、男爵位を取戻したいがための裏工作といった意味合いらしい。
本来の役目である地域振興やら、産業の育成やらには、まるで無関心であるようだ。
「確かに、このガーニーではレフラ会頭のお邸が一番立派でしょうがね」
「だが、あの金ピカは、ちょいと悪趣味だと思うぜ。ゾルバ会頭もチラッとそんなようなことを、冗談交じりにおっしゃっていたからな」
その後は延々とウレキアの息子自慢が続いた。
アデルが使い魔越しに話を聞き取りながら、遅めの朝食をすっかり食べ終え、食後の茶を飲みはじめても、まだ息子自慢は続いている。聞き手の差配人の老人も苦笑気味だが、ウレキアは止まらない。
ギルドの職員から声がかかるまで、延々しゃべり通しだった。
だが、おかげでわかったことも色々とあった。
「まずは、部屋を借りるか」
大盛り亭二階の部屋の窓から、いきなりギルドマスターの執務室前へと飛び、杖にまたがって浮揚したまま開け放たれた窓から、声をかける。
「おい、ウレキア」
「オオオッ? いきなりでびっくりしたぜ」
「すまん。お前ぐらいしか、相談できる相手がいなくてな」
「わかったから、まあ、中に入れ」
部屋に入るや否や、アデルは「部屋を貸してくれ」と申し入れる。
「実はお前の息子が使っていた離れを貸すという話を、さっきギルド本部の裏手に配置していた使い魔を通して聴いていたのだ」
ウレキアには持って回ったことを言うより、率直に事情を述べた方が受け入れられやすいはずだ。
「なんだい。もっと早く言ってくれたら、何も差配人に手数料を払わなくて済んだのによ」
「その分も私が払う。それで勘弁してくれ」
「わかったよ」
アデルは一切値切らず、ウレキアの言い値ですぐに必要な額を支払った。
「わかった。必要な手続きは俺の方でしておく。アデルはあまり顔を晒したくないんだろ?」
「まあな。市中では目立たぬ恰好をしているがな」
「ふーん、たとえばどんな格好だ?」
「こんな感じだ」
一瞬で目と髪を最も一般的な濃い目の茶褐色に変え、グレーの上等なフランネル生地で仕立てたスカートとジャケットにさりげなく真珠のネックレスというなりになったのを見て、ウレキアは手を打って笑った。
「こりゃあ、見事だ! 全然魔法使い臭くないや。 堅い商売をやっている家のしっかりした奥さん、そんな感じだな。確かにそのなりは差配人とか商工会の爺さんたちに受けそうだぜ」
その後は一旦、大盛り亭に戻って精算をして、ガーニー商工会会頭ズデニク・レフラの「金ぴかで下品な邸」の屋根に飛んだ。 さきほどのウレキアと差配人の噂話を聞く限りでは、ズデニクはろくな人物ではなさそうなので、直接接触するのは避け、使い魔を中心とした探り入れと、記憶の操作で対応しておくことに決めたのだ。
屋根も無駄に金ぴかではあるが魔法に対する防御結界などは、まるで見受けられない。これではかなり低レベルの魔法使いでも、十分にスパイ役が務まってしまいそうだ。
「蝶よりも蜘蛛の方が使い勝手が良さそうだな」
斥候役に放った蝶が送ってくる情報からは、この邸には多くの地下室や隠し部屋が有り、全体の正確な見取り図を作るには小さくて透き通った蜘蛛の使い魔を多数投入して連携させた方が具合が良さそうだと見てとれたのだ。
雨どいと換気口から、それぞれ一千匹の小さな蜘蛛型の使い魔を投入した。周囲に対する魔力の放出量が少なく済む割に、確実に建物全体を捕捉できる情報網を瞬時につくりだせるスグレ物だ。
一匹は先ほど別れたウレキア・ハウカの、いかにもドワーフらしい長く編みこんだ髭の中に潜り込ませている。ウレキアが知れば気分を害するだろうが、意外とおしゃべりで秘密保持能力に若干の疑問が残るウレキアの様子を知れば、用心に越したことは無い。この蜘蛛は情報を探る他に、ウレキアが言葉を発した時だけ、アデルに関する話を避けるようにする微弱な精神操作の波動を放つ機能も持たせているのだ。
ウレキアは差配人の老人に「貸し部屋の借り手を探してもらう件だが、急に借り手が決まった」とだけ伝えた。まだ、何もしていない内なので仲介手数料を一部返すと老人は申し出たが「正式な取決め通りの書類も作ってもらったので」返却無用とウレキアが伝えると、老人は恐縮しながらも喜んでいた。
「余分なおしゃべりはしなかったな……やれやれ」
そうこうするうちに、金ぴか邸の内部で動きが有った。
ガラの悪い男五名がいきなり血相を変えて、邸の主の部屋に飛び込んで来た。ふんぞり返って座っている禿げた小太りの男が商工会会頭のズデニクらしい。
「会頭! お嬢さんが冒険者野郎と逃げ出しましたぜ」
「あの子が男と自分から逃げたりするか!」
「ですが、野郎の首っ玉にかじりついて、しっかりキスなんか……」
「馬鹿野郎! 御前様には、すでに、都に向けて立つ日取りはお伝えしたんだぞ! 冒険者野郎をぶっ殺してあの子を取り返せ」
「ですが、あいつ、一人でデカ豚のヘンウェンをのしちまうような奴でして、俺たちじゃ太刀打ちできませんや」
アデルは蜘蛛の使い魔を一匹ズデニクの禿げ頭の生え残り部分にしがみつかせて、そこから思念を読み取る。
「ほう、娘を七十歳寸前のポルトメリ公爵家の隠居に差し出す?」
隠居した先のポルトメリ公爵は先代国王の後妻である故パウラ王妃の長兄という老人だ。現国王ハインリヒ三世は若くして亡くなった最初の王妃の生んだ子なので、血縁関係はないが一応、国王の祖父格の扱いを受けている。嫡男の嫡子がつい最近結婚したので、自分も三度目の結婚をしたくなった。せっかくなら、やっぱり若い娘がいいとか言い出して、嫡男を困らせていたようだ。
「孫に張り合って結婚か、面白い」
そこへ娘を売り込んだのが下流貴族の当主や裕福な平民で幾人かいたようだが、「もっと美人がいい」とか御隠居は仰せになったので、取り巻き連中がふさわしい美女をあっせんしたらしい。
ガーニーでは評判の器量良しで幼い時の本人を隠居自身が見知っていたことと、元は男爵家の家柄だったということが評価されて? ズデニク・レフラの娘に決まったらしい。
嫡男は結婚を認める代わりに、老父が本家とは別に設ける隠居所で暮らすことを要求したようだ。
「娘が御隠居の子を産んだとしても、ポルトメリ公爵家本体の相続には一切かかわらせないという念書まで書いたのか。後妻と言うよりは、露骨に愛人扱いだな。それでも隠居用の年金の半分と、王都の隠居所は相続できるから生活は出来るし、男爵位復活の目的には役立つと踏んだわけか」
父親のズデニクが納得していても、娘は言わば人身御供だ。
相思相愛の男がいれば、手に手を取って駆け落ちだってするだろう。
いささか娘が気の毒に思っただけではなく、腕っ節の強い冒険者だとかいう駆け落ち相手に興味を持ったアデルは、ガラの悪い男たちの思念を読み取って、該当する人物を魔の森にほど近い道筋で見つけ出した。
とりあえず、この若い男女にも使い魔を張り付けておくことにしたのだが……
「おや? この男、出来るな。使い魔の気配は感じているようだ。見ることが出来ずに苛立っているな」
アデルは思わぬ見つけ物だと喜んだ。
そのまま屋根の上で魔方陣を描き、王都のヘンリックの部屋のすぐ下の庭へ移動した。ヘンリックは真面目に剣の素振りを行っている。呼吸法や体のさばき方が人族の場合、魔法の技量と密接に関係すると知って、手を抜かずに頑張っているようだ。
「あ、先生、帰っていらしたんですか?」
「ゲオルク殿に報告と相談だな。またすぐにガーニーに戻るが。あまり根を詰めるなよ、お前の体はまだ幼いのだ。無理をして体を損なうと、かえって時間の無駄でもあるからな」
「はい、わかりました。そろそろ切り上げて、読書でもします」
「幼子らしく、おやつなどを楽しんでも良い時刻だと思うぞ」
魔法袋から、ヨーン・レイクホルトから貰った魔の森産の蜂蜜を取り出した。
「ヘンリック自身が食べろよ。お前の魔力を増大させるには効果的だが、ジーナのような魔法を使えない一般人には魔素が濃すぎて、有害なのだ。場合によっては命を失いかねん」
「なら、僕の部屋の棚にしまって、闇属性の『封印』をかけておきます」
「おお、封印が発動するようになったか」
「はい。おかげさまで」
「では、一度見せてくれ」
「はい」
ヘンリックは風魔法の『飛躍』でふわりと飛びあがり、窓から二階の自室に入ったので、アデルも続いた。それから受け取った蜂蜜入りの小さな壺を、ヘンリックはまだ三歳の低い背丈で一番手が届きやすい位置の戸棚にしまった。無言で小さな手を振ると、無事に魔法が発動した。
「これで大丈夫でしょうか?」
「悪くはない。術の発動も無言であるのに滑らかであったし、しっかり棚の封印も出来た。欲を言えば、手を振る動作も無用になるほど習熟できると、なお一層応用範囲が広がるが……焦ることは無い」
「……はい」
闇属性の中では一番たやすいとされる『封印』は、魔人族なら赤子でも発動できる。だがしかし、人族にとってはかなり難しく、魔法使いを名乗る人族で闇魔法自体が発動できない者も珍しくない。ちなみに父親のレナートの場合は魔力が無駄に大きい割に、魔力を正確にめぐらせることが出来ないために毎回発動に失敗する。そればかりか魔力の暴発で封印するはずの品物自体を破壊してしまう。
「手を抜かずに基本を大切にするヘンリックの姿勢は、素晴らしい。この調子で、毎日励んでくれ」
「はい。また、すぐガーニーに戻られますか?」
「ああ。そう長くはかからないだろう。それまで、気を抜かずに自習に励んでくれよ」
「はい」
あまり細々とした指摘も、この規格外の幼児には無用だとアデルは感じている。どうやら、以前聞いたように、本気で前世の妻であった存在を探し出そうと考えているのだろう。果たして見つかるかどうかは、アデルにもわからないが、そうまでして探し出したい存在がいるのは、うらやましい。
一般人には毒になりかねない魔の森産の蜂蜜が封印されたことを確認すると、アデルはゲオルクの所在を探った。幸い、別邸の娘婿と一緒に昼食を取ってから本邸に戻ったばかりで、今庭を歩いているとすぐに判明したので、瞬間移動した。
「ゲオルク殿、御相談だ」
アデルはガーニーの街においてロベルト王子がかなりの噂になってしまっていたので、ロベルト王子を見たことが有る人物を中心に忘却の魔法をかけたことと、ガーニー商工会会頭は問題の多い人物であること、更に会頭とポルトメリ公爵家とのかかわりについても知りえたことを伝える。
「御隠居様の相手に、うら若い乙女をなどと……そうですか。レフラ会頭がさように奇怪な人物とは、思いもよりませんでした。今後は面識のない人物に連絡を取る際は、アデル殿にも御相談いたします」
「でな、物は相談なのだが……」
アデルはレフラ会頭の娘イダと、駆け落ち相手であるバベル・ヘルツルが、もし自力で魔の森を突破し、王都周辺にまで到達したならば、エランデル公爵家で保護し、将来的には正式に召し抱えたらどうかと提案した。
それに対してゲオルクは有能な人材は、常に大歓迎だという原則論を述べ、賛成とも反対とも口にはしなかったが、内心では賛成だということはアデルには十分に伝わった。
家宰と言う立場上、たとえ形式的なものにせよ主夫妻の採決を仰がないと確実なことは言えない。そういう生真面目な所がゲオルクにはあり、それがアデルには好ましいと感じられる。
「今すぐに、二人を救出に向かうのではないのですな?」
「ああ。魔の森を自力で突破できたならば、二人の絆の強さと戦闘能力の高さの証明にもなろう」
「なるほど。アデル殿が以前大切だと言っておられた運の良し悪しも判明しそうですな」
「意外なほど早く、王都に到達するかもしれんぞ」
「ですが、ポルトメリの御隠居は厄介ですな。後を継がれた御子息は良識ある立派な方なのですが……」
「私に、隠居に関しては少し考えがある。迷惑はかけない。事実を多少早めに広めるだけのことだからな。噂の魔術的な活用というところだ」
「はあ……」
ゲオルクには「噂の魔術的な活用」と言うのが、どうも理解できなかったようだった。
誤字脱字の御指摘、大歓迎です。
ここまでお読みいただいて、ありがとうございました。