噂・1
「アンドレアス様は、七歳になって王立学校に進まれたら学寮にお入りになるのが決まったようだよ」
「お邸からだって、通えるだろうに」
「お祖父様のダリオ様にならうってことらしいね」
「ダリオ様はもとは御二男だったからだろ? アンドレアス様はそりゃあ、まあ、事情はあるにせよ御長男じゃないか」
「あんた、しらないのかい? アンドレアス様はこの家の御嫡男じゃなくて、別の公爵様だか何だかになられるんだよ」
「表立った扱いも王子様、ってことにするんだろ?」
「そういうことだよね。王妃様はどうおっしゃるんだか」
「どうおっしゃったって、王様のお子様には違いないさ。御顔だってそっくりだし」
「あんた、王様の御顔見たことあるの?」
「あるよ。あたしは去年まで奥方様の御部屋の担当だったからね」
「アンドレアス様はもうすぐ六歳だから、あと一年ちょっとか。だいぶ人の入れ替わりが有るんだろうね」
「何のんきなこと言ってんだい。もう入れ替わりは始まってるよ」
丸のままのリンゴかスモモに一塊のライ麦パンだけと言う食器を使わない、ごく簡単な昼食の後、短い休憩の時間に天気が良ければメイドたちはこんな風に裏庭のベンチに腰かけて、おしゃべりに花を咲かせる。
下級の使用人の食事は、可能な限り食器類を使わずに済むようなもので済ませるのが普通だ。
昼食の場合、年に数日しかない祝日や祭日だけだが、小ぶりな塊状のチーズか燻製肉が加わることもある。
アンドレアスの六歳の誕生祝は、母親であるエレオノラが親戚筋の女性と若干の子供たちを招待して茶会を催しただけで、その席にレナートもヘンリックも出席しなかった。
ヘンリックへは一度出席しないかと言う話も有ったが、高齢の王族の女性が複数出席する見込みであることから、遠慮した方が無難だというシュルツらの助言に従ったのだ。
それも異例と言えば異例なのだが、皆が気にしたのはわざわざ王宮から「非公式だ」と言う触れ込みの使者が有り、アンドレアスに祝いの品が届けられたことだろう。
誕生祝から数日間は、その話題で持ちきりだった。
「お祝いの品物って、なんか特別な剣だったらしいね」
「位の高い貴族のおうちには、それぞれ由緒ある剣が有ったりするもんらしいから」
「王様なりのお気遣いなんだろうね」
「まあ、たしかに、スクリミルは石の箱に封印されちゃってるから」
「いや、だいたいあれは旦那様の実のお子様が受け継ぐべきもんでしょ」
「そういえば、いずれ坊ちゃんはあのスクリミルを預かるんでしょ?」
「じゃあ、坊ちゃんが跡継ぎになられる?」
「そんなわけ無いよ。坊ちゃんは、庶子だから」
「預かると受け継ぐは違うからねえ」
アンドレアスの誕生日当日にはお茶会で出したという上等な焼き菓子を「奥方様から」ということでヘンリックのおやつ用に貰ったのだが、あまり甘い菓子を食べないヘンリックは全部をジーナにくれた。度々そういう具合に上等なもらい物をヘンリックはあっさりジーナにくれるのだが、嬉しい反面、魔法を使う人間は沢山食べる必要があるなどと言う話しを聞いたことも有るので、本当に自分がいつも貰っていいのかどうか近頃は悩むことも有るジーナである。ヘンリックの魔法の師匠になったという女魔人も、時々「もらい物だ」という上等な菓子をくれる。その女魔人が言うには「気にせず気持ちよく貰っておけ」というので、今は有りがたく頂いてはいるのだが……
「ジーナがくれたこのクッキー、美味しいね」
「坊ちゃんが下さったんだよ」
「へええ。坊ちゃんも、いずれはこのお邸を出て行かれるだろ? ジーナ、あんたもそろそろこのお邸を辞める時のことを考えておいた方がいいよ」
良く一緒に掃除をするメイドの一人が、そんな話を始める。
「あたしは、おばあちゃんや大叔母ちゃんみたいに、思うように体が動かなくなるまで、お邸で働くよ。あたしは器量も良くないし、特別な持参金なんてものも無いんだから、田舎に帰ったって良い嫁入りの口が見つかるとも思えないもん」
「そういえば、ジーナの所って、おばあちゃんもお母さんもお邸で、御亭主を見つけたんだっけ」
「そうだよ。おばあちゃんが言うように、男も女も見かけより気立てだって思うしね。一人ぐらいは気の合う男が見つかるかもしれないし、見つからなければ独り身を通す、それだけのことさね」
ジーナの実家は、特に貧しいわけではない。もとは貧農であったようだが、祖母も母も同じ村から、おなじエランデル公爵邸に奉公に来た男と夫婦になっている。祖母も母も夫と共に、歳を取って引退するまで働いて給金を貯め、畑を買い足し、家を改装した。その結果、ジーナが生まれたころには村の中では比較的裕福な家になっていた。
祖母は美人ではないが、夫が見つかった。だが、祖母よりかなり器量よしだった大叔母は独身のまま、生まれた家で一人暮らしをしていて、村の女の子たちに編み物や裁縫を教えるというようなことをしている。
「ジーナ、その可愛い靴下、坊ちゃんの?」
「ああ。そうだよ。履き心地がいいって、おっしゃるからさ。坊ちゃんは所帯を持ったら、お邸奉公を辞めて靴下の店でもやったらどうだっておっしゃるんだよ」
「靴下の店って、靴下だけの店かい?」
「ああ」
「そんな店、商売成り立つのかね」
周りのメイドたちは無理だと思っているようだ。
「本当に靴下だけを扱う、こぎれいな小さい店にするといいって、坊ちゃんがおっしゃるんだ」
「小さい店なら店を借りるにしたって、それほど大変じゃないだろうけど」
「上手い靴下の編み手は実家の近所で幾人か心あたりも有るし、網み糸のことなら村の年寄に詳しい人も多いし、糸の材料は坊ちゃんの魔法の先生になった方が、心当たりが有るっておっしゃるんだよ」
「別邸の赤い目の?」
時々一緒に掃除をする仲の一人が興味ありげに聞き返す。
「ああ」
「あの人、っていうかあの魔人さん、ガーニーじゃ結構有名だって。あたしの姉さんの嫁ぎ先がさ、小さな機織りの工房なんだけど、あの魔人さんに特別上等の糸なんかを売ってもらうらしいよ。王都にも冒険者のギルドが有るには有って、そこで売ることもできるんだけど、ギルドの手数料だの協力金だの色々お金を払わなきゃいけないんですとさ。姉さんの舅さんが昔あの魔人さんに命を助けてもらったとかで、舅さんも姑さんもあの魔人さんを信用してるみたいだよ」
ジーナはその話を初めて聞いたが、ダニエラやヘンリックがあの「魔人さん」を信用しているのは確かなので、恐らく事実なのだろうと思った。
「ダニエラ様も坊ちゃんも、あの方を信頼なさってるよ」
すると見習いから本採用になったばかりの子が、ジーナの言葉にうなずいて、こう付け足す。
「あたしやあたしの従妹もひどい手荒れを直していただいたし、ダニエラ様の御長男がすっかりお元気になられたのは、あの方のお蔭なんですって。あの方が魔人さんとは知らなかったですけど、おきれいで不思議な方だなとは思ってたんですよね」
それは……ぜひ一度ダニエラ様にお話を伺わなくっちゃ、と思ったジーナである。
その後はジーナは靴下編みに没頭して、会話には加わらなかった。思ったことをすぐ口にしてしまうたちなので、だれが盗み聞きしているかもしれない場所でこれ以上余分な事を話さない方が良さそうだという勘が働いたせいもある。
さすがのジーナも、本当に毎日メイド達の噂話を毎回盗み聞きしている男がいる、とは知らなかったのではあるが。そしてその男の頭のすぐ後ろにひらひら浮かんでいる季節外れの赤い蝶が一羽……
「ほう? レナートの動向が不明だから、メイド達の噂を集めて探ろうって魂胆……だけでもないか。下種男め」
下種男はいわゆる親王妃派の貴族ではなく、国王自身の密命で本邸に潜り込んだスパイである。アルトアン公爵家の家宰から、推薦を受けて採用された王妃派のスパイであるスピロス・ゾルバこと本名トビアス・ワルターは、同僚の小太りで髪の薄い下種男が国王のスパイとは知らないのだ。
「この下種男の名前は……レギン・ヨナス……本名だな……ん?」
確かに諜報活動と言うものは、王にとって必要だろうが、役得とばかりに上物のワインを横流したり、使用人たちの弱みを握ってゆすりにかけたり、自分好みのメイド相手に怪しからんふるまいに及んでいたり……などと言う見下げ果てた奴ということまでは掴んでいないようだ。
「ほう? 王は王妃派の動きも監視しろと命じたのか」
蝶はアデルの使う使い魔の中では一番小さい。探索専用ではあるがアデルの思念に即座に反応し、瞬間移動も可能なため使い勝手も良い。探りをかける相手が人の場合、脳に接近させればはっきり思念を読み取ることも可能だ。
「この下種は監視するより、トビアス・ワルターを陥れ、とってかわることを画策中か」
別邸のレナートの寝室であった部屋は、今やアデルの私室になっている。王都でもっとも魔素の安定した場所なので、是非自室にしたいとヘンリックの師匠役を務める事と引き換えに要求したのであった。
レナートは一番上等な客用寝室に引っ越した格好だが、最近は本邸でエレオノラと一応は同室で眠っているようなので、あまり別邸に立ち寄らなくなっている。
「ちと、調べ物をしてくるか」
女魔人アデルは予め作っておいた魔方陣を使って、大陸西端の都市・ガーニーの城壁外側のとあるポイントに瞬間移動した。
「レギン・ヨナスはあの、おかみの弟だな」
南の大門から冒険者ギルドの会員証を提示してガーニー市内に入る。そこから目と鼻の先に食堂兼旅館「大盛り亭」がある。ガーニーの冒険者たちがひいきにするだけあって、部屋は清潔で食事と酒は値段の割に質が良く量もたっぷりしている。
「大盛り亭」のおかみはテッサ・ヨナスという。
貴族の男に見初められて一度は結婚したが、舅や姑とうまく行かず、息子を元の夫の所に残してガーニーに戻ってきたらしい。離別するに当たり、手切れ金が出て、それを元手に商売を始めたそうだが、今のような繁盛する店にしたのはテッサ自身の才覚だ。
働き者で気風がいい姉のテッサと違い、冒険者崩れの弟レギンは、陰険でギルドでも嫌われ者だった。レギンも一度は所帯を持ったが、幼い娘を残して妻が家出したため、姉のテッサの所に父娘で転がり込んだ。その後、色々あって娘をテッサが引き取って養育し、レギンはガーニーを離れたようだ。
大盛り亭に入って、まずはエールのジョッキと日替わりのおすすめを一皿注文する。巨大な豚と言った感じの魔物ヘンウェンの燻製肉と蕪の煮込みはうまい。魔人は人族のような食料を取らなくても、十分な魔力さえあれば生きていけるのだが、人族の料理を楽しむことは可能だ。
「おやまあ、先生、お久しぶりです」
「ああ。テッサも元気そうで何よりだ。それにしても、相変わらずここの料理はうまい」
「ずいぶん長いお出かけだったようですけど、ご旅行だったんですか?」
「まあ、何というか、ちょっと懐かしくて立ち寄っただけで、まだ旅の途中なのだ」
「まあ、そうなんですか。わざわざありがとうございます」
「先ほど、エールと煮込みを持ってきてくれたのが……」
「先生に病を治していただいたリンですよ」
「ほう、大きくなったな。今は、十歳か」
「ええ。あの子は勉強もしたいみたいなんで学校にやろうかと思ったんですが、弟が嫌がりましたので、あきらめさせました。でも……読み書きぐらいは、教えてやった方がって思っていたところ、最近、ご近所に教えて下さる方が越してきましてね」
リンと言う少女はレギンの娘にしては、かなり器量も良いし気立てもよさそうだ。テッサがリンと暮らす家は大盛り亭から少し歩いた場所にある。閑静な住宅街と言う感じの場所で、成功した冒険者や豊かな商人の家が並ぶ。都の貴族の血縁者などもいないわけでは無さそうだが、ガーニーの住人は基本的に平民で、格式ばった貴族の邸などと言うものは皆無だ。
「ご近所の婦人と言うのは、都から越してきたようなのだな?」
「ええ。パオラさんとおっしゃいます。生まれはガーニーなんだそうですけど、都で育ったそうです。もうすぐ三歳の息子さんがいますが、旦那さんは亡くなられたようなのに、暮らし向きは豊かなんですよ。御自身も息子さんも、派手じゃないですがいつも上等なものを着ておられるし、メイドも二人いますし、それにね、ギルドや冒険者学校の偉い方々が時折そのパオラさんの所に、御挨拶やらご機嫌伺いにおいでになるんです。亡くなられた旦那様が偉い方だったのかなあ、なんて思って、どんな方だったのかお聞きしたことがあるんです」
夫についての質問はうまくはぐらかされて、何も教えてくれなかったらしい。
「名門貴族の旦那様と身分違いの結婚をなさったのかな、なんて思いましてね。パオラさんはご大家の奥方様でも勤まりそうな、品のあるおきれいな方ですし、ロベルト坊ちゃんは金髪で青いお目目の、そりゃあかわいらしくて、王子様みたいなお子さんなんですよ」
いや、多分それは本当の王子だ……そうアデルは思ったが、黙ってテッサの噂話に耳を傾けている。
ガーニー冒険者学校を設立する際に、初代ヘンリックがかなりの援助をしたらしく、いまでも冒険者学校とガーニーのギルドから、毎年魔の森周辺でしか採取できない薬草や素材がエランデル公爵家に献上されている。アデルがそもそも最初にエランデル公爵家との縁が出来たのも、その献上品の届け役を引き受けたことから始まるのだ。
パオラは先代公爵ダリオがメイドに産ませた子で、そのメイドはガーニー出身者であったのだ。パオラとその母親をエランデル領内で密かに庇護したのはゲオルク・シュルツなのである。正妻であったフレデリカ王女は、夫の浮気を全く知らずに亡くなったらしい。
母が病死した後、パオラは王宮へ奉公に上がったが、国王ハインリヒ三世の目に留まって王子を生むのはゲオルク・シュルツも予想していなかった成り行きであったようだ。
「奥方様には、いずれ腹違いの妹君であるパオラ様の存在をお知らせするつもりでおりましたが、こうなってはそうもいきませんで、なかなか頭が痛い話です」
ゲオルクは苦笑していたが、国王も知らない秘密を握っているというのは、ある種のアドバンテージでもあるわけで、今は親王妃派への備えとして秘密裏にパオラと息子であるロベルト王子をガーニーで保護しているわけなのだ。
「アデル殿、ガーニーにお出かけなら、ついでにロベルト王子がどのようなお子であるか、見定めてきてくださいませんか」
「国王にはロベルト王子の所在は知らせていないのか」
「はい。当家とのかかわりについてもパオラ様はお知らせしていないようです。王妃様周辺には色々な人がおりますから、用心したのでしょう」
「なるほど」
「最近、当家の中で胡乱な行動をとっているレギン・ヨナスの扱いをどうするべきか、そのあたりの判断もしっかり致したいところですしな」
ゲオルクからの依頼は、三つの点について調べて欲しいというものだった。
第一に国王は本当にロベルト王子の所在について知らないのか。
第二にレギン・ヨナスの情報を国王はどの程度信頼しているのか。
第三にヘンリックの進学先として、ガーニー冒険者学校は適切か。
ゲオルクは「事情が有って王都を離れた御身分ある方たち」と言うふれこみで、ガーニーの商工会会頭と冒険者ギルドのギルドマスターに「よろしく頼む」と言う内容の手紙と礼物を贈ったのだという。それがどう受け止められているかわからないが、「王子様のようなロベルト坊ちゃん」の噂が、都に伝わるきっかけにならないとも限らない。アデルはそんな懸念を持っている。
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