初誕生のころ・4
「坊ちゃん、お久しぶりです。今日は奥方様が坊ちゃんに何やらお話があるそうですよ」
久しぶりに会うダニエラはにこやかに迎えてくれたが、奥方様の『お話』が一体全体どのようなことについてなのか、まるでヘンリックには見当がつかない。
「実は昨夜、予定より早くヘンリック様の妹君がお生まれになりました。アンドレアス様と御一緒にお会い頂きたい、と奥方様がおっしゃっています」
長い回廊をダニエラはアンドレアスの手を引き、ジーナはその後ろからヘンリックを抱きかかえてついていく。
まず、ダニエラとアンドレアスが奥方であるエレオノラの寝室に直接入り、ヘンリックとジーナはしばらくの間------ヘンリックの主観ではカップ麺を作って食べ終わる程度の時間------控室で待たされたあと、侍女に中に入るように促された。
エレオノラは青い顔をしてベッドに横になっており、すぐとなりに赤子が寝かされていた。
ベッドの枕もとには鞘も柄も赤い色合いの剣が飾られている。魔除けなんだろうかとヘンリックが不思議に思ったとたん、その剣がぼぅっと言う感じの赤い光を放ち始めた。
「まあ、やはり……そうなのね」
何がやはりそうなのか不明だが、ダニエラがそのエレオノラの言葉に無言でうなづく。
「ヘンリック、大きくなりましたね。この子がお前の妹よ。名前は私の母と同じフレデリカにすると良いそうですから、恐らくそうなるでしょう。今日、私がこのような状態なのにアンドレアスとヘンリックに来てもらったのは、大切な話があるからです」
その言葉に、ジーナが一礼して部屋を出ようとすると、エレオノラが呼びとめた。
「ジーナも一緒に聞いてほしいの。確かにまだ、内密にして欲しい話ではあるのだけど……」
起き上がろうとするエレオノラをダニエラがすかさず支え、背中に柔らかいクッションをあてがった。
「ありがとう、ダニエラ。この枕元に置かれた赤い剣は我が家の家宝で、代々の当主が使用したものです」
「それって、スクリミルと言う剣ですよね。僕が大きくなったら使う剣でしょう?」
「後にしようかと思っていましたが、アンドレアスから剣の話が出たので、先にしておきましょうか……ダニエラ、水を一杯お願い」
ダニエラが銀製の水差しからこれまた銀製のコップに水をくみ、恭しく盆に載せて差し出すと、エレオノラは水を飲みほした。
「とても大切な、でも、とても言いにくい話なのだけど……この剣はヘンリックが大きくなって、旅に出る時に預けることにすると決まりました」
「なぜですか? 嫡男はぼくなのに」
「お決めになったのは、レナートの父上のニール様です。今のニール様はドワーフの里にお住まいだそうで、この子を守るためにスクリミルを鍛え直して下さったのです。そのため、剣の魔力が強くなり、魔力の無い者には扱えない剣になったのです……それで、そうねえ……」
するとダニエラがエレオノラの耳元で何か囁く。エレオノラはしばらく考えてから「確かに一番いいかもしれないわね」とつぶやいてから、こう言った。
いつもなら頭が痛くなるほど脳内に雑多な情報をぶち込んでくる妖精たちが、どういうわけか今日はこの部屋から綺麗に姿を消しているために、ヘンリックにはダニエラが何をつぶやいたのか見当もつかない。
「そうねえ。ならばアンドレアス、スクリミルを鞘から抜いてみなさい」
アンドレアスが扱うにはいささか長すぎるという点を差し引いても、うんうんうなりながら引っ張ろうがどうしようがびくともしないのは異様だった。
「やはり、あなたには抜けないのよ。では、ヘンリック、スクリミルを抜いてみて頂戴」
「はい」
アンドレアスから剣を受け取ったヘンリックが、つかに手をかけると、ろくに力も入れてないのに、勝手にスルスルと鞘から刀身が出てくる感じで、完全に鞘から抜けた。ほんの一瞬のことで、ヘンリック自身も戸惑ってしまった。剣を鞘に納めるのもスムーズだった。
「やはりスクリミルはヘンリックを選んだようね」
「母上! こんなの変です。もう一度やらせてください」
「幾度やっても同じでしょうが、納得がいかないなら、もう一度やってみなさい」
アンドレアスは、ヘンリックが思わず倒れそうになるほど乱暴に剣をひったくり、力を込めて鞘から抜こうとするが、びくともしない。
「アンドレアスにはもう一つ、承知しておいてほしいことが有ります」
「奥方様……」
ダニエラが心配そうな顔つきで、囁く。
「いえ、ある程度本当のことを伝えておいてやるのが、この子のためでしょう……アンドレアスは将来、このエランデル公爵家ではなく、別の家の当主になります。国王陛下がそのように御決断なさいました。ですから当然、スクリミルはアンドレアスが使う訳にはいきません」
「次のエランデル公爵はヘンリックなのですか?」
「いいえ。ヘンリックはスクリミルを預かるだけで、この家の当主にはなれません。次の当主はおそらく、この妹と結婚する誰かでしょう」
アンドレアスは大変な衝撃を受けたようだった。
「母上は……本当に僕の母上ですか?」
「おなかを痛めてお前を生んだのは、確かに私です」
「僕は大人になったら、この家を出るんですか?」
「ええ。ヘンリックもいずれは家を出ますからね。大人になれば親とは一緒に暮らさない人は、大変に多いのですよ」
「僕は国王陛下の騎士になればいいのでしょうか?」
「武芸の稽古も勉強も、頑張るのは良いことです。国王陛下も褒めて下さいますよ、きっと」
「……はい」
「アンドレアスが学問を本格的に始める前に、国王陛下が家庭教師をお決め下さるそうです。本当に、よかったですね」
「……はい」
「なんにせよ、アンドレアスは高い位の貴族の家の当主になるのですから、家臣や領民に尊敬してもらえるような人になるように頑張ってください」
「……はい」
「では、もう、お行きなさい」
「はい。母上、ごきげんよう」
エレオノラが目くばせすると、ダニエラはアンドレアスの手を引いて外へ出る。ヘンリックもそれについて行こうと席を立つと、声がかかった。
「ヘンリック、ちょっとおまちなさい。渡すものが有るのです」
ヘンリックが奥方の枕元に立つと、奥方はベッド脇に置かれたきらびやかな象嵌細工の箱から一通の手紙を取り出した。
「お祖父様に当たるニール様からのお手紙です。構わなければ、今ここで封を開けて、読み上げてくれないかしら」
「あの……」
「ダニエラから聞いていますよ、大人の本も読むことが出来ると。体は一歳の子供だけど、魂は大人なのでしょう?」
「……そのようです。あの、封蝋だけ外していただけますか?」
すると侍女が手紙を受け取り、紋章の押された金色の封蝋を外してくれた。
「では、読み上げさせていただきます」
ヘンリックも一応、現公爵レナートの父親がニールで、そのニールがここトリクム王国では死者扱いであるものの、実際はどこか遠くで人外の者と同化して暮らしているらしいとは知っていたが、ドワーフの里で魔法を使う鍛冶の修業に励んでいるとは思いもよらなかった。
「……今回、スクリミルの守護の剣としての力を強めるために、やむを得ず我が生母ウィルマの髪を一筋だけ使ったが、魔人の気配が強くなり過ぎた。そのまま従来のように当主の佩刀としてしまうと、エランデル公爵家全体が妖精達から見放されてしまうため、再び鍛え直す必要がある。今はまだ、鍛え直すための必要な材料や技法の研究も不十分なので、当分は妖精たちに嫌がられないように宝物蔵の石の箱に封印しておかねばいけない。君がガーニーまでやってくる際には、必ずスクリミルを忘れず持ってきてほしい。いつの日か必ず、会う日も来るだろう。その日を楽しみにしている。ニール」
ヘンリックの一歳児らしからぬ淀み無い音読に、エレオノラは感心していた。
「やはり、ヘンリックは本当に魂が大人なのですね。アンドレアスは年齢そのままの子供ですから、兄扱いしにくいでしょうが、どうかよろしく頼みます」
「はい」
何やら、及ばずながら精一杯努めますというのも違う気がするし、アンドレアスに表立ってハッキリ国王が実父だと伝えていない段階で「王子様」と言うのもどうかと思ったヘンリックである。
「ヘンリックは……知っているのですよね、アンドレアスは国王陛下の御子だと」
「……はい。おそらく邸の大半の者は存じております」
「そうでしょうね……いつか、はっきり言う必要があると思いますが、今日はあの程度にしておきました。レナートは別邸の者たちに王子様と呼べと命じたようですが……まだ私はためらいが有ります」
「どうか奥方様が御自身でお話してあげてください」
「わかりました。今日、ヘンリックに来てもらったのは、これを渡したいと思ったからです」
侍女が捧げ持ってきた箱を開けると、中には七色の細い環が一つにまとまったようなデザインの指輪が入っている。
「初代ヘンリック様が若いころ使っておられたという『虹の指輪』です。御結婚後は使わなくなられたことと、魔力の強い子供には護りとなるが、魔力の乏しい子が使うと病になるということは伝わっていますが、それ以上のことはわかりません。この、ニール様が私に下さった手紙によると、スクリミルと相性がいい者が使うと、良い働きをするとのことです。理由は存じませんが、ニール様もこの指輪は恋人や妻が出来る前までの時期しか使えないと書いておられます。ほら、読みますか?」
ヘンリックはかなり長文のエレオノラあての手紙を読ませてもらった。
「……レナートには荒ぶる気性を抑える指輪を与えた。無事に帰り着いたら、至らぬ息子だが一からやり直すつもりで同じ邸で暮らすようにしてくれると、親としてはありがたい。レナートのふてぶてしい態度からは伝わりにくかったであろうが、あれはあれなりにあなたを心から好いている。あなたが愛しているもう一人の従兄同様に想ってくれと言うのは無理だろうが、穏やかに同じ建物で暮らして下さることを親としては望んでいる。大切な子どもたちを守る上でも、大切なことだと思うのだが、いかがだろう?」
もう一人の従兄とは、国王を指しているのは明らかだ。
「アンドレアスにはあまり大きくならないうちに、出生の事情についてあなた自身が伝えるべきだろう。そして将来の処遇については従兄殿の御指図を仰ぎ、従った方が良い。レナートの無神経な物言いは改めさせるので、どうかお許しいただきたい」
その後、レナートが無神経で粗暴な男になったのは、養育を使用人任せにした自分と当時の妻であったマルキアの責任だとも述べている。どうやら今のニールはマルキアとは別居しているようだ。
「……ヘンリックが異界の賢者の生まれ変わりであるのは、ほぼ間違いない。ドワーフの里に姿を見せる優れた魔法使いたちは、いずれもヘンリックの魂が特別な強い魂であるが、ほんの一部が欠けてしまっているのだと言っている。そして、そのかけらを見つけ出すことで、本来共に有るべきもう一つの存在も見つかると言っている。初代ヘンリックの『虹の指輪』は、欠けた魂が完全に戻るまでの間、助けとなるはずなので、ぜひあの子にやって欲しい……」
その後、指輪の優れた防御性能と、魔力が乏しい者が指輪をはめると危険だということに関して、歴代公爵の事例を挙げて説明が続く。
「祖父の立場としてはヘンリックには冒険者としての研鑽を積んで、魔の森をも自由に行き来できるような男になって欲しい。そして人の世界と魔人やドワーフの世界を自在に行き来し、互いの交流を促すような存在になって欲しいと願っている」
その後はドワーフの村まで尋ねてきたレナートを、近い内に魔方陣で送り返すので、迎え入れる支度が整ったら、スクリミルの入れてあった箱に知らせの手紙を入れて欲しいとあった。
エレオノラは赤子の顔を見つめながら、黙って物思いにふけっている。妖精たちもいないので、ヘンリックにはその物思いの内容はまるで分らない。
「ありがとうございました」
手紙を読み終えたヘンリックが頭を下げると、エレオノラはフワリとした笑みを浮かべた。
「お誕生日、おめでとうヘンリック。早く大きくなって、魂と体の釣り合いが取れるといいわね」
「はい。本当にありがとうございます」
「これから、この小さな妹もよろしくね」
「はい」
「それから、ジーナ、ダニエラに話を通しておきましたから、今日は一緒にお祝いの料理を食べてね」
「色々と、ありがとうございます」
「では、また、何かあったら会いに来て頂戴。私は名付け親ですし、この子は本当の妹なのですからね」
「はい。そうさせていただきます。今日はありがとうございました」
一礼してヘンリックが部屋を出ると、少しずつ妖精が現れて増え始め、庭に出るころには鈴なりの妖精たちが、ヘンリックの周りを取り囲むようになっていた。
(ねえ、ねえ、エレオノラ、元気だった?)
(変な波動が有って、昨日からエレオノラの部屋に入れないから、なんだか心配でさ)
ヘンリックがスクリミルが鍛え直されて魔力が強くなり過ぎたことを説明すると、妖精たちは不機嫌になった。
(ふん、魔人の血が濃い奴はやることがえげつない)
(絶対、嫌がらせだって)
さすがに嫌がらせは無いと思うのだが、妖精たちは興奮気味で(嫌がらせ)について話すのだった。
誤字脱字の御指摘、大歓迎です。
ここまでお読みいただきまして、ありがとうございます