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黒い太陽 1

ややグロ目の描写があるかもしれませんが、全年齢向けの範囲だと信じます。

 その日、しんしんと冷え込むトリクム王国の都ペラギニアの上空に黒い太陽が浮かんだ。

 時間にしてわずかに五分程度という周期的な日食に過ぎないのだが、全世界的な観測体制も存在せず、科学的な思考法も存在しないに等しいこの世界では「天変地異」「大異変の前兆」と人々は恐れ、流言飛語が飛び交った。 

 名高い占い師が「日食の日に何かとてつもないものが降臨する」と言ったとか、どこかの学者が「魔人族が異界との間に穴を開け、人族を滅ぼすために何者かを召還した」とかいう噂は立ったが、あくまで噂で、真偽のほどは誰にも分からなかった。

 

 古文書などの記録によれば、ペラギニアで確認された前回の日食は、トリクム王国の成立以前に存在した大帝国において大規模な内乱が始まった年にあたる。従ってこのペラギニアの街で黒い太陽を縁取る金色の細い輪を見ても、美しいと感じた者は皆無だった。

 身分のある者たちは不吉な黒い太陽を避けて邸にこもり、貧しい者たちも建物や木の陰に入ったりして黒い太陽が普通の状態に戻るのをひたすら待つというのが当たり前なのだ。


 そのペラギニア市内の一等地で、王宮に勝るとも劣らないほどの華麗な美しさを誇る邸がエランデル公爵家の本邸だ。確かにトリクム王国建国時以来の大貴族にふさわしい大邸宅ではあるのだが、そうした邸であっても使用人、とりわけ身分の低い者たちの暮らす一角は敷地内の厩舎や家畜小屋よりも粗末なつくりで、隙間風が入りやすく、屋根が有るだけ路上で寝るよりマシではあるが、火の気のない部屋は真冬の今は震え上がるほど寒い。


「ジーナ、どうしよう、赤ん坊の頭がニコレットのお腹から出てきちゃったの。でも、産婆さんがみつからないし、ニコレットは虫の息で意識も無いわ」


 ジーナと呼ばれた女は話しかけてきた女より頭一つ分は背が高い。

 二人ともエランデル公爵家のメイドで、髪も目もこの国の庶民に一番多い茶褐色だ。

 どちらも決して美人ではないが、むしろその方が幸運だと二人とも思っている。なまじ美人だと素行のよろしくない公爵閣下に目をつけられ、慰みものにされて放り出されるのがオチ……というのが現在、この邸に詰めているメイドたちの共通認識なのだ。


 ニコレットと言う女は銀色の髪と緑の目をしたほっそりした美人だが体が弱く、メイドとしての仕事を十分にはこなせなかった。ニコレットの実父は旅を続けるエルフの魔法使いだとかで、子供のころから差別と苛めの対象になってきた。ジーナが知る限りでも井戸に突き落とされそうになったり、石を投げつけられたりしたのも二度や三度ではない。

 共にメイドになってからも、ジーナは朋輩の嫌がらせやいじめから幾度も幼馴染のニコレットを守ってきたが、さすがに公爵閣下の毒牙からは守れなかった。

 ジーナは「妊娠したエルフ混じりのメイドなど、不体裁だから放り出しなさい」というハウスキーパーのモートン夫人に幾度も頭を下げ、更には半ば強引に家令のゲオルク・シュルツにねじ込み、身寄りの無いニコレットが邸のうちにとどまる許可を取り付けたが、それ以上のことはしてやれなかった。

 昔はそうでもなかったらしいのだが、近頃ではエルフや魔人、ドワーフ、そういった人外の存在との間の混血は常に偏見と好奇の目にさらされるようになってきている。

 ジーナが祖母に聞いたところでは、王族にも名門貴族にも人外の血が混じっている者は珍しくないのだそうだが、一般の人々はそれを知らないのだ。


「いつもの産婆さんは、田舎に帰っちゃったって聞いたわよ」

「じゃあ、ジーナ、どうするの? あの赤ん坊、一応……」

「一応、旦那様の御子のはず」

「そうよね。でも、エルフ混じりの子だから」

「エルフ混じりでもニコレットは良い子だし、身寄りもいないんだし、そうね。家令のシュルツ様にかけあってくる! あんたはニコレットについていてやってよ。赤ん坊のへその緒を切って、きれいな布にくるむぐらいはしてやれるでしょ?」

「えー、そんなの無理! やったことないもん、ジーナみたいに度胸ないし、ニコレットも赤ん坊も血まみれで、なんか怖い」

「何馬鹿なこと言ってんの! ヒツジや牛のお産と大差ないはずよ」

「できない!」

「じゃあ、あんたがシュルツ様にかけあうんだよ! できるの?」

「わかった。旦那様のお子様が死んでしまうかもしれないって、言えばいいよね」

「そうそう。でも『外聞をはばかる』ことだっていうのは、忘れちゃだめだよ」

「わかった! メイド仲間の誰かと一緒に行くから、きっとなんとかする。シュルツ様に『ジーナが憤慨している』って言っとくよ」

「ちょっと、なんで」

「だって、そのほうが話が早いもん。じゃ、気合い入れて行ってくるわ」


 祖母の代からこの邸に仕えてきたジーナは事情通で、朋輩たちから一目置かれている。

 ジーナの祖母は家令職にあるゲオルク・シュルツの「命の恩人」であるそうで、母もシュルツの「表ざたに出来ないあれこれ」を承知しているようだ。そのためかジーナの名前が出た方が「話が早い」という同僚の言葉は、誤りではない。


 その少し前のことになるが……

 日本では一人の男が無事に婚姻届を提出して、ホッとしていた。

 わざわざ届けを出すために入社以来初めての有給休暇を取ったのだが、男には他にも計画が有った。


「なあ、美穂、せっかくだから結婚記念の写真を撮ろうよ。お前、本当はウエディングドレス着たいんだろう?」

「ええ? 二人だけの結婚式、みたいなの? かなり高くない?」

「そこはボーナスの割り増し分でカバーできるさ」


 男は営業職で、新入社員としては破格の売り上げを更新中だった。


「そう? でもあれって予約いるでしょ」

「予約してある。ドレスは百種類以上ある中から撮影当日でも選べるシステムなんだって」

「ええ? 本当? ありがとう!」 


 男も美穂も目いっぱい奨学金を使って、同じ大学を出ている。二人とも無事にそれぞれ就職もできたので、卒業後すぐから同棲を始めていた。

 当人同士としてはごく自然な成り行きだったが、職場の上司からは「あまり好ましくない。折を見てきちんと籍を入れるよう」と言われてしまっていた。

 実態は同じような物でも、同棲は不道徳で結婚なら目出度い……そんなものらしい。

 どちらにせよ互いにずっと一緒に暮らすことが「良いこと」だと思われたので、どうせなら入籍しようという話になったのだ。


「やっぱりドレス着た写真を田舎のお祖母ちゃんに送りたいかな、とは思ってたのよね」


 男の両親も美穂の両親も亡くなっている。田舎の老人ホームで暮らす祖母は、美穂にとって数少ない肉親なのだ。


「俺の方は誰もいないからさ、美穂のお祖母ちゃんは俺のお祖母ちゃんも同然だし、今度の正月には挨拶に行かなくちゃな」

「うん、ありがとう」


 美穂の祖母も同棲より結婚が好ましいと受け止めるだろうから、やはりよかったのだと男は思った。


「じゃあ、写真スタジオに行こうか。その前に、これ」


 男はペアリングの入った箱を、美穂の目の前で開けて見せた。


「わあ! ありがとう!」


 付き合い初めてすぐに男が一か月のバイト代をはたいて買った誕生石の指輪を、美穂はいつも嵌めていた。その指輪のデザインを気に入ってくれたようなので、同じブランドの指輪にしたのだったが……


「一生大事にするわ。おばあさんになっても、ずっと放さないから」


 互いの指にリングを嵌めた後、美穂は男の首にかじりついてしばらく離れなかった。

 場所が役所前のバス停のベンチであったために、かなり照れ臭かったが、平日の午前中と言う時間帯で、周りに老人と幼児を連れた母親ぐらいしか居なかったのは幸いだった。


 親に早く死なれ、経済的にも苦労続きだったが、安定した職に就くことが出来て、生涯の伴侶と言える人と暮らせるようになった。

 大金は無くても、夢と希望に満ちていたのだ。

 少なくとも、あの瞬間までは。

 男と美穂の乗ったバスは高層ビルの建築現場に差し掛かった。

 次の瞬間、二人が座る席の真上の天井を突き破って、巨大な鉄柱のようなものが倒れこんできたのだ。


「た、助けて!」


 男はしがみつく美穂を、とっさに自分の体の下に抱え込んだ。次の瞬間、途轍もない激痛が走り、その後はどうなったのかさっぱりわからない。


 闇に沈んでいた男の意識が再び戻った際、 真っ先に意識したのは生臭い異臭と肌を刺すような寒さであった。

 

(なんで……こんなに……寒いんだろう?)


 男がゆっくり目を開くと、得体のしれない光る何かがそこらじゅうにフワフワ浮かんでいた。


「あうううあうううあ」


 知らない天井だ、と言うつもりだったのに、実際の音声は舌足らずで巻き舌で、まるで聞いた事のない幼い子供か赤ん坊のような声……


(赤ん坊? あれ? 本当に俺は今、赤ん坊なのか? まさかの異世界転生?)


 思考力の方は大人のままであるらしい。


(そこらじゅうにフワフワ浮かんでいるものは、ホコリ? 浮遊塵? カビの胞子と言うのもアリかも……それにしちゃあ、変にキラキラしてるな。ウンカか蚊柱か、なんかそんな感じの虫の大量発生なのか?)


 生ごみと排泄物が一緒になったような臭いが鼻につく。何とも不衛生な場所だとチラッと考えたところで、急に何者かの言葉が男の意識に飛び込んできた。


(いやだ、このチビ、あたしたちを見てホコリとかカビとか、失礼なこと考えた!)

(さっき生まれたばかりなのに、あたしたちを見てる)

(ただの混ざり者の子のくせに、あたしたちが見えるなんて、ものすごくなまいき!)


 男は戸惑った。


(しゃべった? よく見れば虫じゃない……か。人間と同じような形の手と足と頭が有るし。何匹もいるようだし、部屋の隅に何かほかのよりもデカくて、光り方が派手なのがいるし、ひょっとして……)


 男が考えをまとめようとすると、また言葉が脳裏に飛び込んでくる。


(お前、あたしたち妖精族の言葉が分かるの?)


 やっぱり、しゃべってる!


「ばああばう、えっあうあう、ばうああ」


 男の言葉は、不鮮明な音声の羅列に変換されてしまう。


(あれ? 意味不明な音声しか発声できないじゃないか……あ、そうか。俺、今は赤ん坊なんだな。これはいったいどうなってるんだ? って質問したかったのに……)


 すると……


(どうなってるのかって? よその世界から魂が一つ紛れ込んできたみたいだから、見に来たら、お前がここにいたのよ)


 正体不明のフワフワたちから応答が有った。


「あううあ? (そうなのか)」

(魔力が足りないくせに異界から強い魂を呼ぶ召喚の儀式を無理にやった魔人がいて、そいつの魔力が暴走して死んじゃったからかもね)

「あうぇと、いふぉわ……(俺と、美穂は)」

(いちいち声に出さなくても、お前の額のあたりに意識を集中させて、あたしたちに伝えたいことを念じてごらん、そうしたら意思の疎通は簡単にできるはずよ)


 フワフワ飛んでいる奴らの中で、一番デカい個体? がそのような思念を送ってきたように思われた。男は教えられたとおり、額のあたりに意識を集中させてみる。それにしても……


(めちゃくちゃ冷えるな)

 男の質問は、すぐに理解されたようだったが……

(冬は寒くて当然)

 何とも愛想のない返事が返ってくる。


(元の世界の日本って国は秋の結婚シーズンでさ、俺はやっと美穂と夫婦になったばかりなのに、変な事故に巻き込まれたみたいなんだ。美穂もこの世界にいるのかな?)

 にほん? 何それ? 聞いた事も無いと言った反応は男も予想したが、妖精の反応はどうも理解しがたいものだった。

(やだー、こいつの魂は完全に大人じゃない~ それなのに赤ん坊って、変)

(嫁がいる? へんなの~)


 反応が失礼すぎる、と思ったが怒るのも大人げない気がした。実際男は日本では大人であったから。


(お前の嫁かどうかわかんないけど、もう一つ、よその世界の魂が魔の森のそのまた奥のエルフの森のどこかに落ちたって、濃い緑のが言ってたね)

(そういやあ、この世界の俺の親って、どんな人? 特に母親が気になるんだけど)


 すると、妖精だというキラキラした者たちは(何言ってんのこいつ?)(鈍いの? 馬鹿なの?)(たぶん両方!)と罵倒するような言葉を投げつけてきた。


(既に死んでいるわよ。気が付かなかった?)


 一番大きくて一番光る緑色の妖精が、男に告げた。


(え? うわあっ!)


 ようやく男は自分が頭だけを外に出した状態で、他はまだ母胎の中に入ったままの現状を認識した。


(な、なんか俺、血まみれじゃね? だ、誰か、助けてくれるのか?)

(大丈夫、お前は助かるよ、多分)

(たぶん?)

(妖精にだって、わからないことは色々ある。だから多分としか言えない)

(なんだよ、それ)


 男はショックで、と言うよりは寒さと水分および栄養不足で意識を失った。

 


誤字脱字の御指摘は、二十四時間いつでも大歓迎です。明日も投稿出来るはずです。

よろしくお願いいたします。

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