第25話 武田信玄最後の戦い
堺をはじめ、河内・摂津・大和の城を長宗我部家に奪われた今、早く取り戻す必要がありました。奪われた城はいずれも金銭収入が大きいですし、うかうかしているとどんどん長宗我部の戦力増強に繋がってしまいます。それに、長宗我部が吸収した本願寺家臣たちも、今なら忠誠度が低いはずです。
中四国から武将を呼び戻す暇はありません。信玄公のおっしゃる通り、丹波亀山城に待機する信玄公(ゲームの中の方です)を急いで出陣させるのが最善の策のように思えました。
「では、信玄公。さっそく丹波亀山城から信玄公を出陣させますよ」
「うむ」
「あいにく有能な武将はみんな中四国へ配置してしまってますので、信玄公以外の武将は二線級しかいませんが……」
「構わぬ構わぬ。そういう時もあろう」
信玄公は余裕で笑っています。
「では、まずは堺を奪回します!」
1584年冬、信玄公率いる軍が堺へ突入しました。
兵力はこちらの方が上ですし、長宗我部家臣たちは決して弱くは無いですが、島津軍のような鉄砲隊は皆無です。
それに、こちらには何より信玄公がいます。段違いの武勇を誇る信玄公の騎馬隊を前面に押し出すことで、戦は一方的なものとなりました。瞬く間に堺の奪回に成功です!
「ふん、他愛もないな」
「まあまあ、まだ堺を取り返しただけですから。奪われた所だけでなく、紀伊や淡路、阿波に土佐も長宗我部家の勢力圏です。そこを潰してからでないと、安心して九州攻めができません。先は長いですよ」
「ならば、九州攻めを急ぐためにも畿内と四国の双方から長宗我部を叩く必要があろうな。畿内はわしが引き受けるとして、四国は大洲にいる山県や馬場たちに任せればよいのではないか」
「同感です。やっちゃいますよ!」
かくして、明けて1585年からは長宗我部家との戦いが主となりそうでした。その間に島津家が九州にこもって戦力を回復するであろうことが気に食わないですが、やむをえません。
そんなふうに考えていたところで、年明け早々に悲しい知らせが入ってきました。
「馬場信房さんが病死!」
「むう、痛いな」
信玄公が絞り出すような声を出しました。山県さんとともにゲーム開始時から常に最前線で戦い続けてくれていた馬場さんを失うのは、かなりの痛手です。
「でも、史実では長篠で戦死していますから、それを思うと……」
「わしより年上でもあるからな。これまでよくやってくれたわ」
しんみりしてしまいましたが、長宗我部攻めを止めるわけにもいきません。予定通り、畿内と四国で同時に侵攻を開始します。
急激に領土を拡大した長宗我部家は、どうやらそれに見合っただけの戦力を各地に配置するだけの余裕は無かったようでした。わたしたち武田家は次々と勝利を収めていきます。
「なんか、思ったよりも歯ごたえがないですね」
「本能寺で信長を討った明智も三日天下に終わったことを思えば、そういうものかもしらんな。好機をつかんだかに見えても、その座を守るだけの力を蓄えることができなければ、すぐに倒れる」
「そこはまあ、わたしたちの反攻が相手の予想以上に早かったということではないですかね。ドヤァ」
「……自慢げだな。む、信貴山城では元親自らが出てきおったぞ」
「よし、ではこちらも信玄公がお相手しましょう!」
大名同士の直接対決、これは燃えるッ。
……と、思っていたのですが。
「瞬殺でしたね……」
「元親自身の能力は高いのだが、兵の質と量の違いだな」
あっさりと信玄公は元親さんを倒し、おまけに捕縛にも成功しました。
「さて、元親をどうするかだが……」
「本当は配下に加えたいところですが、ここで元親さんをいったん解放すると、また長宗我部との戦いが長引き、九州攻めが遅れます。斬りますよ!」
わたしは食い気味に言いました。実際、史実ではすでに秀吉さんが天下統一に動き始めている年なんです。うだうだやってる暇はありません。
「即決だな。非情な判断も素早くするようになったのう、宵子」
「褒められているのかよくわかりません!」
「褒めておる褒めておる」
信玄公は楽しそうに笑っていました。
元親さんが斬首されると、その跡は弟である香宗我部親泰さんが継ぎました。香宗我部さんは、史実では戦場ではもとより外交方面でも長宗我部家を支えた人物。香宗我部さんも有能ではあるのですが、もはや長宗我部家の命運は尽きたと言うべきでしょう。その後は転がるようにどんどん落ちて行きました。
まず、秋には元・本願寺配下の鈴木佐大夫さんたちが一斉にわたしたち武田家へ下ってきました。こちらから調略を仕掛けたわけでもないのに、です。もともと忠誠が低かったところで元親さんを失い、ダメ押しとなったのでしょう。
そして冬には山県さんたちが阿波と土佐の攻略を完了し、四国統一。畿内での戦いも武田の押せ押せで進み、長宗我部の領地は淡路島と紀伊の一部を残すのみとなりました。
「よし、これなら来年には長宗我部征伐を終えて、九州攻めに取り掛かれそうですね!」
「うむ……」
しかし、信玄公の声はいまいち元気がありませんでした。
このゲームでは、病死する武将はいつも年明け早々に亡くなります。信玄公も、ゲームの中のご自分が亡くなることを心配されているのでしょう。
ただこればかりは、どうすることもできません。わたしはあえて何も言わず、ゲームを進めました。
……明けて1586年、ついにその時がやってきてしまいました。
「武田信玄が病死しました」という赤い字が、画面に表示されたのです。
今宵はここまでにしようと思います。
次回「新世代より」ご期待ください。




