第22話 わたしの同盟相手と同盟相手が修羅場すぎる
1583年、年が明けて早々にある人物が亡くなりました。
「信玄公! 上杉謙信さんが……」
「わしより先に逝ったか。げーむ内ではわしはまだ生きておるのにな」
信玄公は流石に感慨深そうでした。わたしとしても、思うところはあります。その鬼のような強さの前に散々な目に遭いましたから……。
謙信さんの跡は景勝さんが継ぎました。史実通りですし、妥当でしょう。謙信さんの性格ゆえか上杉家の勢力は大して広がっていませんので、当主が代わってどう動くのか気になるところです。
さて、中国戦線です。四国から島津軍を追い出した今、四国攻略を担当していた軍を中国方面に回すことが可能になりました。
「よし、大洲城に山県さんたちチームYを置いて九州への備えとし、中国方面には秀吉さんのチームHを差し向けます。やっぱり中国攻めと言えば秀吉さんですよ」
「中国を攻略しながら、一足先に山県たちを大洲から九州に渡らせることもできるのではないか?」
信玄公が疑問を口にしました。
「うーん。そこまで焦る必要もないかと思いまして。中四国が落ち着いてから九州を獲る方がスッキリするじゃないですか。あんまり多方面を攻めてるとわたしの集中力も落ちそうですし」
「ふん、そうか。まあ、任せよう」
信玄公はわたしの言葉に理解を示してくれたようでした。しかし、わたしが四国から九州を攻めることを控えた理由はもう1つあります。
武田家は四国を平定したわけではない、ということです。土佐に長宗我部、阿波から淡路島・紀伊にかけて本願寺が健在なのです。確かに同盟を結んではいるのですが……山県さんたちを四国から遠ざけるのは不安なのでした。
一方、勝頼さんを先頭に立てての真田さんのチームS、家康さんのチームT、秀吉さんのチームH、そして斎藤家による中国地方の戦いは順調に進んでいきました。
相変わらず島津家の鉄砲隊は強力なので複数の城を一挙に落とすということは不可能でしたが、1城ずつ確実に奪っていき、随分と戦況も優勢です。
1583年のうちに蓮華山城まで兵を進めることができました。九州への足掛かりを得るまでもう一息といったところです。山陰でも斎藤家が優勢ですし。
さらに蓮華山城の戦いでは、強力な人材を捕虜にすることに成功しました。
「おおー! 義弘さん、歳久さん、家久さんをまとめて登用することに成功しましたよ! 四兄弟の義久さん以外がまとめて配下に加わるとは!」
「よく武田につく気になってくれたのう。当主が長兄だというのに……」
「そこはまあ、ゲームですから」
「身も蓋も無いな!」
「実際のところ、島津家は一度大友家に吸収されていたりするわけで、兄弟とはいえいろいろ確執があったのかもしれませんよ……と、無理やりにでも脳内補完しておきましょう」
年が明けて1584年、かなり武将が増えてきたため、一部を甲斐方面に送ることにしました。代替わりした上杉に備える意味もあります。
「新しく配下になった島津義弘さんたちをすぐさまお兄さんとの戦いに使うのは、さすがにちょっと気が引けます。彼らを甲斐に移動させますね」
「おお、お主らしくない気遣いだな」
「どういう意味ですか! 人を血も涙も無いみたいに……」
「お主、さんざん斬首や暗殺をやらかしておいてそう言うか」
「……さあ、他には柴田勝家さんや佐々成政さんにも史実通り上杉対策に行ってもらいましょうか」
「露骨に話を逸らしおったなあ」
そしてここで編成の一環として、甲斐・信濃・駿河・遠江・三河・尾張を一括して信繁さんに委任することにしました。戦も含め、すべて信繁さんの判断で行うことになります。
「謙信さんがいなくなった今、これだけの武将と兵力があれば信繁さんに上杉を任せても大丈夫でしょう、きっと」
「うむ。……なにぃ!? 早くも信繁が上杉を攻めおったぞ!」
「ええー!?」
なんと信繁さん、委任するやすぐに上杉領へ侵攻、かつて上杉に奪われた城を取り返すわ、激戦を繰り広げた箕輪城も奪うわ、さらには上杉の本拠地である春日山城まで落としてしまいました。まさに疾きこと風の如く、侵掠すること火の如く……。
「我が弟ながら恐ろしい手際じゃな……」
「もう全部信繁さん一人でいいんじゃないかな」
謙信さんが存命でしたらこううまくは行かなかったでしょう。滅亡したわけではないとはいえ、上杉の脅威はこうして一気に取り除かれたのでした。
さて、四国でも異変が起きていました。長宗我部さんが荒らぶり始めたのです。
「あらら、阿波の本願寺領をガンガン攻めてますよ」
「同盟国同士の戦であるから、わしらは手を出せんのじゃな。本願寺も援軍を頼めないであろうし」
「ええ、システム上、見ているしかできないのです」
長宗我部さんは侵攻を続け、ついに淡路島まで攻め取りました。凄まじい勢いです。このまま本願寺が攻められ続け、紀伊が修羅場と化すこともあるかもしれません。
そちらも気にはなっていたのですが、わたしも信玄公も中国戦線に注意が向いていました。中国地方では島津の城も残り少なくなってきたとはいえ、次の戦いでは否応なく苦戦することが目に見えているのです。
指月城を守護する将が、立花道雪さんなのですから……。
今宵はここまでにしようと思います。
次回「雷神」ご期待ください。